憲法改正と国家論についての意見

このQ&Aのポイント
  • 家族規定と憲法改正について
  • 日本共産党の意見と護憲の変化
  • 憲法の趣旨と権力の行使について
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法哲学としての憲法問題、国家論。

日本の確固たる歩みをしようとする安倍総理大臣(あまりに某国追随ではありますが)の意図を評価しています。 でも憲法改正に関する自民党の原則には何か素人っぽさや憲法っていうものの常識的原則を無視しているように感じます。 1)家族がどうのっていうことを規定しようとしていますが、家族は国民の私的生活であり、国家や憲法が云々したり介入したり、訓示を垂れるものではないと思います。 2)http://digital.asahi.com/articles/DA3S12633539.html?rm=149は政党に聞く、憲法改正ということばに導かれて訪問したのですが、日本共産党の方のご意見でした。現行憲法が審議される段階では、この党は必ずしも賛成の立場ではなかったかと記憶しています。まぁ反米でもあり、反CIAであり、親ソ連の立場ではなかったでしょうか。だからちょいとご都合で護憲に変わってきたのかなという思いです。 でも基本的には憲法というものの性格をかたっています。まぁこの頃の方なんですね。 *憲法って国家の権力を制限して国民の生活と権利を守るという趣旨として、その運動の結果として制定されてきているものですよね。むろん大日本帝国憲法は別にして、西洋などでは。 3)権力の行使者が先頭立って、こうしようあぁしようというのはちょいと場違いのような気がします。つまり警戒です。 皆さんはどう思われますか?

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7194/21844)
回答No.1

憲法って国家の権力を制限して国民の生活と権利を守るという趣旨として、 その運動の結果として制定されてきているものですよね。    ↑ これは近代的意味の憲法と言われるもので あって、法哲学というほどのものでは ありません。 権力の行使者が先頭立って、こうしようあぁしようというのは ちょいと場違いのような気がします。   ↑ 憲法てのは、法哲学的に言えばその国の 形なんですよ。 その国が歴史によってはぐくんできた価値観、伝統 などを顕したモノが憲法です。 そして、家族というのは、国家の基本となる 最小単位の集団です。 その家族のあり方について、憲法がどうのこうの 言うのは適合的なのです。

krya1998
質問者

お礼

ご訪問に感謝申し上げます。 少し私の日常の思考とは異なりますが、まぁそういうとらえ方もあるのでしょうね。

krya1998
質問者

補足

家族という国家としては基本的な最小単位のあり方に対して国家としては大事だという事ですね。 そういう観点ならわかります。 ありがとうございました。

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