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靖国は宗教であってはならない。国事犠牲者は尊ぶ。

 1. いかに神仏という観念が日本人一般に自然でふつうのものであっても 国事が宗教にかかわってはならない。  2. その宗教は そもそも《あのアシハラのミヅホの国は わがアマテラスの治める国だ》という《神勅》が宣言されたことをふくむ。  3. イヅモは ≪くにゆづり≫をしたけれど アイヌは その神勅を承けてそうしたわけではない。  4. それに もしその帝国主義を内容とする神勅が みとめられるなら そういった覇権主義は どこでも・いつでも有効になってしまう。  5. つまり わが民族のあがめる天子は あそこに見える島々は われわれの統治する領土なりとみことのりした。よって われらがモノである。攻め込め。となり その思想は 有効であると認めなければならなくなる。  6. 国の統治や防衛に宗教が入り込んではならない。  7. 国事の際に逝った人びとを いかに戦犯であったことがあったりあるいは敵であったりしたとしても よき国際関係のためには――そして 人間が人間であるという単純な基本につねに例外なくもとづこうとするならば―― その人たちをみな とうとぶべきである。  8. 死んだあとは その犯した行為については あやまちはあやまちとして明確に批判しきると同時に その人間としての存在については どこまでもとうとぶべきである。出来損ないという例外をつくるわけにはいかない。  9. 安重根もトルーマンをもヒトラーをも 批判しつつひとしくとむらう。  10. 戦争に到ったことについては けんか両成敗である。どちらも 人殺しをして結着をつけるまでに成ったことに 責任を負い どちらの戦死者をも互いにその存在としてとうとぶべきである。排除することは出来ないし してはならない。  これが あたらしい姿勢である。  11. 国事犠牲者をとうとぶのは 靖国神社という宗教の場であってはならない。  添削・ご批判を また賛成票をも どうぞ。  日本人のこころとは? と問い求めつつ 自由なご見解を。

みんなの回答

回答No.7

 議論を交わすことはこのサイトの趣旨に合いません。「自由なご見解を」との言葉に従って持論をお伝えしましたが、同意できなくても反論は避けてください。  私の回答の趣旨が巧く伝わっていないと感じた所だけお答えします。 >☆ だから そのあり方は変えることが出来ない。という意味でしょうか 日本の古来からの神道と靖国神社は別のものです。どちらも神道の形式で祀りますが、祀る対象が違うのです。極端な例を挙げるなら。仏教とキリスト教では礼拝の相手が違います。これを変更せよと訴えるようなものです。天照大神を祭神とする神社に、明日から天神さんを拝みなさいと言うようなものです。そんなことは他者にとやかく言われる筋合いのものではありません。 >あらためて、国家がではなく市民の総意として、祀るようにしてとむらえばよいではないですか? 靖国神社は宗教法人で、礼拝の対象や方法は他者の意見に従う必要はありませんし、他者が意見すべき事柄ではありません。質問者さんの意見を封じる権限は誰にもありませんが、逆に神社側には従う義務もないのです。 >☆ 戦争は国家にかかわる行為あるいは広い意味での政治ですから国事と言えるのではありませんか? 広い意味で拡大解釈してはいけないと思います。日本は戦争を放棄しているので、国事の中に戦争の入る余地はありません。 >★ >9.安重根もトルーマンをもヒトラーをも批判しつつひとしくとむらう。 >☆ 精神としては受け容れられると受け取ってよろしいでしょうか? >実際に外国人を我が国でとむらう必要はないと。 何度も繰り返しますが、よその国がヒトラーや、安重根、トルーマンなどを追悼するのは自由です。他者がとやかく言うべきことではありません。質問者さん自身がヒトラーに心酔されていたとしても、心の中のことを裁くことは禁止されています。それを現在も行っているのが中国と韓国です。日本人が靖国を参拝するのは日本人の自由なのです。私にも信教の自由がありますので、トルーマンなどが祀られている宗教施設には絶対に行かないと表明する権利があります。強制する者には断固反対します。しかし、質問者さんが行かれることに対して、私が遺憾の意を表することも絶対にありません。 >☆徳が足りないことになるのではありませんか? それゆえ 両成敗です。 日本は戦後何度も謝罪を繰り返しました。対戦国が日本に謝罪したことがありますか?ありませんね。だから両成敗は絵に描いた餅に過ぎません。大東亜戦争についてはサンフランシスコ講和条約で解決済みです。それ以上の罰を日本がかぶることはありません。他の国も講和条約を無視して戦後補償を重複して求めることはありません。例外が中国と韓国、朝鮮です。この第三国は条約や法律を無視する野蛮な国です。 >★ 靖国神社は一宗教法人ですので、国の命令で祭祀を行ったり、 >取りやめたりしてはいけません。 >☆ 国がつくったのですから 解体することも出来ると思います。 できません。絶対に。あの悪魔の教団オウム真理教でさえ、国によって解体することはできませんでした。それほどまでに憲法20条は守られているのです。質問者には矛盾が生じています。「ヒトラーでさえ死後は等しく弔う」という意見なのに、なぜ靖国を解体するという発想になるのですか?これこそ国家権力による宗教弾圧、迫害です。 >誰でもかれでも、英霊として祀ったことは、信教の自由に違反しています。 戦死した後、遺族の意向で靖国に祀られているのです。「誰でもかれでも」というのは、どこからの情報でしょうか?信教の自由は、国家権力が人の内面に及ぶことを禁止しているのであって、宗教法人が祀ったり、祀らなかったりの判断をするのも信教の自由なのです。  亡くなった人の心がいまどのような状態であるのか、想像するのは各個人の自由です。それを表明する自由もあります。しかし、たとえ大多数に反対されているとしても、靖国で祀って欲しいと願う人(多くは故人であり、故人の遺族・子孫ですが)がいて、現に靖国神社があるので、他者が信仰について意見すべきではないのです。  質問者さんは信教の自由を唱えておられますが、多数決によって信仰のあり方を変えるべきであるかのような意見をお持ちのようです。それこそが信教の自由に対する侵害行為になるのです。質問者さんの意見が新しいものだとしても、古い方法で信仰を続ける自由もあるのです。

bragelonne
質問者

お礼

 ご回答をありがとうございます。  ★ 質問者さんの意見が新しいものだとしても、古い方法で信仰を続ける自由もあるのです。  ☆ 信仰は 個人のものです。国家がつくった宗教にかかわる神社という場で とむらうには 個人の同意が必要です。一律に決めるのは 無効です。  過去の国家がつくったそういう場を 国民がつくり変えるのは 問題ありません。  ≪宗教から自由な戦死者のとむらいの場をあらたにつくる≫という質問の趣旨です。  反論は あなたにはやめましたが そういう趣旨についての確認をおこないました。  ぜひ 情報交換として 互いに問い合わせるという対話形式のやり取りであることをのぞみます。  

noname#230414
noname#230414
回答No.6

私の父は英霊として靖国にまつられえいますが私は靖国には1度しか行っいません何故か 自分でもわからない。 回答の中や、日本国民でも靖国神社廃止を言う人がいますが、そお言う人は靖国神社と同じ「護国神社」を知っているのかと言いたい靖国神社廃止して「護国神社」はどうするの? 東京は除外(靖国神社)46道府県に靖国神社と同じ「護国神社」があります。 護国神社。 国家のために殉職した人の英霊祀る神社、道府県出身者及び縁故の戦死者・自衛官・警察官 消防士等の公務殉職者を主祭神とする。

bragelonne
質問者

お礼

 ご回答をありがとうございます。  ★ 靖国神社廃止  ☆ ええ。つまり ≪神社として戦死者を祀りとむらう≫という宗教性を廃止します。  戦死者をとむらうことは 一貫して(受け継いで)あたらしい場として引き継ぎます。  ★ 護国神社  ☆ についても けっきょく同じことだと思います。宗教性を失くします。  そうして ムラムラ(市町村)の市民がその総意として 人間性の問題として 戦死者をとむらう。こういう感じです。  ★ 英霊  ☆ あるいは 軍神と言う呼び名は 死んだのちは――たしかに細かいことを言えば その思想や行動についてあやまちはあやまちとして批判しつつ―― われわれが互いにそうであるところの人間存在そのものとしてとうとぶ。という精神を言っていると思います。  防衛という仕事のとうとさも然ることながら。  そしてそのことは 宗教でなくても 精神の問題として市民の心を表現する場をつくることは出来ると考えます。そういう場で 市民社会〔にもとづく国〕を守る精神を受け継いで行くことが出来ると考えます。  お父さんは 反対されると思いますか?

  • akiye2
  • ベストアンサー率27% (160/573)
回答No.5

ええっ、靖国神社を廃止する手段を考えずに、大上段に振りかざしたのですか? 宗教法人靖国神社を廃止する手順は計算ずくの発言と思っていました。 靖国神社廃止は国民の三分の一は明確に反対するでしょう。 共産党も明日は我が身ですから、政府による廃止は反対します。 国を二分する維新・革命の流血が無ければ、靖国神社廃止はできません。 自由を保障されての改革などできる分けがない。 自ら死を持って抗議する覚悟は無いのですか?

bragelonne
質問者

お礼

 ご回答をありがとうございます。  ★ ええっ、靖国神社を廃止する手段を考えずに、大上段に振りかざしたのですか?  宗教法人靖国神社を廃止する手順は計算ずくの発言と思っていました。  ☆ まづは 思想の問題です。あたらしい考え方を みんなで練り上げて行くことから出発するものと考えていました。  靖国神社の≪神社としての廃止≫です。戦死者をとむらう場としては かたちやその実際の場所をも引き継がないとしても その精神はおおむね受け継ぎます。  ★ 靖国神社廃止は国民の三分の一は明確に反対するでしょう。  ☆ なるほど。でも ≪万機公論に決し≫ます。  ★ 共産党も明日は我が身ですから、政府による廃止は反対します。  国を二分する維新・革命の流血が無ければ、靖国神社廃止はできません。  ☆ なお根気よくていねいに 思想をかかげ内容の吟味に時間をかけましょう。  ★ 自由を保障されての改革などできる分けがない。  自ら死を持って抗議する覚悟は無いのですか?  ☆ 日本人のあたまが変わればよいのでしょう?  心はすでにありますよ。ただし 眠っている場合が多いかも知れませんが。  そんなに血を見るような革命を 予想するわけですか?  ピンと来ていません。だいじょうぶですよ。能天気で。

回答No.4

1~5について 日本全国には神社が多数あります。それを大別すると (1)天照大神、須佐乃男命、日本武尊など、日本の神話に登場する神を祀った神社、外来の宗教や神話などから独立して成り立ったもの。 (2)弁財天、戎、稲荷、龍神など、それ以外の神を祀った神社。多くは古代インドなどから伝わった。八幡のように仏教と融合して生まれた神道など、各地にさまざまある。 (3)天満宮(菅原道真)、東照宮(徳川家康)なと、歴史上の人物を死語に祀ったもの。 ※靖国神社は上のどれにも入りません。明治維新に際して新政府側に立ち、幕府軍との戦いで戦死した兵士を祀ったのが招魂社で、それを改めたのが靖国神社です。以後は大東亜戦争で戦死した兵士が祀られています。つまり、(1)(2)(3)のような、神や有名人ではなく、一般庶民が軍神として祀られているのです。 >6. 国の統治や防衛に宗教が入り込んではならない。 宗教の教義や戒律に従って統治や防衛をしてはいません。靖国神社の宮司が国策に対して発言したなとど聞いたことがありません。喩えて言うならイスラム教国家が「アッラーの神の命に従い聖戦を行う」みたいな命令が靖国神社から出されたことはありません。もしあるなら補足してください。 >7.国事の際に逝った人びとを  戦争を国事とは言いません >いかに戦犯であったことが…その人たちをみな とうとぶべきである。 ここは正しいと思います。ただ、現在の日本には戦犯は存在しません。昭和28年に戦犯の赦免に関する決議が国会で、社会党や共産党まで含めて一人の反対もなく決議されたのです。 >8. 死んだあとは…どこまでもとうとぶべきである。 大賛成です。この日本人の感覚は大切にしたいです。西洋では宗教裁判で有罪になれば、墓を掘り起こして遺体を処分します。中国でも王朝や政権が倒れた後には、やはり墓を暴いて遺体に鞭打ちにしたり、副葬品を盗掘したりします。特急電車事故で遺体の確認をせずに、事故車両ごと土に埋めるのが中国の遺体に対する感覚です。韓国もセウォル号沈没の際、遺体の回収の努力は全くしませんでした。日本の自衛隊が潜水して捜索すれば、ほぼ全員を発見できたに違いありませんが、韓国はこの協力の打診を拒否しました。 >9.安重根もトルーマンをもヒトラーをも批判しつつひとしくとむらう。 それぞれの国で丁重に弔うのは自由です。しかし日本の国内ですべてを平等にすることはできません。その意見が出た場合は、私は反対意見を表明します。 >10.戦争に到ったことについてはけんか両成敗である。 乱暴な議論です。二度と戦争の惨禍を引き起こさない決意には、戦争に至った経過を精査し、徹底的に原因を追及しなければなりません。その段階で明らかな政策ミスが見つかれば、それを厳しく指摘しなければなりません。 >どちらも人殺しをして結着をつけるまでに… 質問者さん自身の中で、結論が曖昧になっているように推察します。責任を追うなら、どこに責任を負う場面があったのかを明確にしなければなりません。「ただ何となく」「全体的に大まかに」責任を感じいると言うのは、逆に無責任な態度です。 >これがあたらしい姿勢である。 実践してる人や国がありますか?補足してください。 >11.国事犠牲者をとうとぶのは靖国神社という宗教の場であってはならない。 国事というのは国の政治に関わることなので、国会や内閣から公務死する場合があったとしても、その人を靖国に祀ることはありませんので、文としては正しいです。  しかし、これまでの文を読み取る上で、「国事」を「戦争」の意味で使っておられますので、その意味では誤りです。靖国神社は一宗教法人ですので、国の命令で祭祀を行ったり、取りやめたりしてはいけません。これは憲法が保障する「信教の自由」に違反する、重大な違憲行為です。戦死した人が靖国で祀って欲しいと願い、靖国がその願いを聞き届けるという、これ以上ない精神の自由に、国家が土足で踏み込むことになります。先ほどの西洋、中国、韓国の遺体に対する尊厳の欠如を挙げましたが、日本がそれに倣ってはいけません。  質問者さんは憲法を守ろうとしておられるのか、無視や破壊しようとしておられるのか分かりません。先ほど述べたように、まだご自身の中で議論がまとまっていないようです。僭越ながら、意見をさせていただきました。

bragelonne
質問者

お礼

 ご回答をありがとうございます。  ★ ※靖国神社は・・・(1)(2)(3)のような、神や有名人ではなく、一般庶民が軍神として祀られているのです。  ☆ だから そのあり方は変えることが出来ない。という意味でしょうか。  あらためて 国家がではなく市民の総意として 祀るようにしてとむらえばよいではないですか?  ★ ~~~~~~~~~~   >6.国の統治や防衛に宗教が入り込んではならない。  宗教の教義や戒律に従って統治や防衛をしてはいません。  ~~~~~~~~~~~  ☆ さきほど  ★★ 一般庶民が軍神として祀られているのです。  ☆ とありました。軍神とするのは 宗教ですよね? 過去の防衛ないし軍事そしてそれをふくむかたちの全体としての統治に 宗教は入り込んでいます。そのい事態を引きずっています。  ★ 戦争を国事とは言いません  ☆ 戦争は 国家にかかわる行為あるいは広い意味での政治ですから 国事と言えるのではありませんか?    ★ ~~~~~~   >いかに戦犯であったことが…その人たちをみな とうとぶべきである。  ここは正しいと思います。ただ、現在の日本には戦犯は存在しません。  ~~~~~~~~  ☆ 外国が≪過去に戦犯であったひと≫を問題にしたとしてもという意味に採ってください。  ★ >8. 死んだあとは…どこまでもとうとぶべきである。  大賛成です。この日本人の感覚は大切にしたいです。  ☆ ありがとうございます。  ★ >9.安重根もトルーマンをもヒトラーをも批判しつつひとしくとむらう。  それぞれの国で丁重に弔うのは自由です。しかし日本の国内ですべてを平等にすることはできません。その意見が出た場合は、私は反対意見を表明します。  ☆ 精神としては受け容れられると受け取ってよろしいでしょうか? 実際に外国人を我が国でとむらう必要はないと。  ★ >10.戦争に到ったことについてはけんか両成敗である。  乱暴な議論です。・・・  ☆ でも もし落ち度がなかったとしても 相手にけんかをさせてしまったなら なおまだ国としての徳が足りないことになるのではありませんか? それゆえ 両成敗です。  ★ 「ただ何となく」「全体的に大まかに」責任を感じいると言うのは、逆に無責任な態度です。  ☆ ≪国としての徳≫の問題において ≪全体的に大まかに≫です。  ★ >これがあたらしい姿勢である。  実践してる人や国がありますか?補足してください。  ☆ さらに考え方をみんなで練り上げ ≪大賛成≫を増やして行くこと。これが 実践です。  ★ 靖国神社は一宗教法人ですので、国の命令で祭祀を行ったり、取りやめたりしてはいけません。  ☆ 国がつくったのですから 解体することも出来ると思います。  誰でもかれでも 英霊として祀ったことは 信教の自由に違反しています。  ★ 戦死した人が靖国で祀って欲しいと願い、靖国がその願いを聞き届けるという、  ☆ 靖国神社は 宗教ですから 宗教から自由な場をあたらしくもうけようというのが 日本市民のねがいであると考えます。人間性にも合っているはずです。  ★ 先ほどの西洋、中国、韓国の遺体に対する尊厳の欠如を挙げましたが、日本がそれに倣ってはいけません。  ☆ 戦死した人たちの心は 国家にではなく・そしていまの靖国神社にでもなく われわれ日本市民の心にある。と考えます。  いかがでしょう。

  • akiye2
  • ベストアンサー率27% (160/573)
回答No.3

憲法改正で信仰と結社の自由を廃止ですね。 そして国会にて靖国神社を廃止する。 結社の自由を廃止すれば政党も成立しなくなり、いかなる法人も国家検閲となる。 大日本帝國憲法復活させ、天皇を絶対君主として日本再生と行きますか。 自衛隊は全て近衛兵とし、天皇の統帥権のもとに置く。 維新ですね。 後醍醐天皇が喜びます。

bragelonne
質問者

お礼

 ご回答をありがとうございます。  いえいえ。ちょっと早回りしておられるかと。  ★ 憲法改正で信仰と結社の自由を廃止ですね。  ☆ 信教・良心の自由 および結社の自由も 基本的な自由として まもりつづけたいと思います。  ただし 宗教法人としての結社の自由は 考えるにあたいするとも思っています。  ですが とりあえずとしては 結社の自由までをも 表現の自由として まもります。  ★ そして国会にて靖国神社を廃止する。  ☆ 具体的にどういう措置をとるか。これについては 正直にもうせば まだほとんど考えていませんでした。  いま考えるにですが 靖国神社は 国家の――公務員のあつかう――問題としてではなく ムラムラ(市町村)の人びとの総意によって 宗教としての要素をすべて取り除く。  その上で 戦没者等をほうむりとむらうかたちを――受け継ぐところは受け継ぎ―― あたらしくつくる。・・・でしょうか。  ★ 結社の自由を廃止すれば政党も成立しなくなり、いかなる法人も国家検閲となる。  ☆ 上に述べましたように 表現の自由全般については 取りあえず引き継ぎます。  ★ 大日本帝國憲法復活させ、天皇を絶対君主として日本再生と行きますか。  ☆ 天皇または天皇制がお好きなのですか?  現行憲法をまもります。市民主権の民主制です。もろもろの人権としての自由をです。  ★ 自衛隊は全て近衛兵とし、天皇の統帥権のもとに置く。  ☆ 市民の防衛力です。  ★ 維新ですね。 / 後醍醐天皇が喜びます。  ☆ まあ 国家という権力をすべて 市民とその市民社会(ムラムラ=市町村)に≪大政奉還≫することを思っています。  具体的な措置やその過程またいまからの歴史的な展望については これからです。

  • akiye2
  • ベストアンサー率27% (160/573)
回答No.2

靖国神社は軍人を祀り太平洋戦争においては軍事目的に悪用され、 靖国の名で多くの日本軍人が死んでいった。 よって政治は関与してはならぬと思う。 マッカーサーが靖国神社を廃止しなかったか不思議です。 靖国神社を廃止できたのは当時のマッカーサーだけだったのに、 彼がそれをしなかった事を残念に思う。 もはや宗教法人靖国神社を誰もどうにもできない。

bragelonne
質問者

お礼

 ご回答をありがとうございます。  ★ ・・・よって政治は関与してはならぬと思う。  ☆ おそらく 大方の見解は そこにあるとわたしも思います。  ★ 靖国神社を廃止できたのは当時のマッカーサーだけだったのに、 / 彼がそれをしなかった事を残念に思う。  ☆ なるほど。当時の問題として そういった見方が成り立つかも知れませんね。  現代ではどうでしょう。  ★ もはや宗教法人靖国神社を誰もどうにもできない。  ☆ 何を言ってんですか。   主権者がそんな弱いことを言ってたんぢゃ 先が思いやられます。  英霊だって 日本人の一人ひとりの心とともにやすらかに眠ることをねがっているはずです。  だいじょうぶです。国家がつくったのなら 国民がつくり変えましょう。

  • hartttt
  • ベストアンサー率0% (0/5)
回答No.1

公明党が創価学会である事は 誰もが承知・・ 靖国参拝が政治と宗教の関係性で叩かれるのに 何故 公明党は 宗教としては叩かれないのか? 宗教である学会と 公明党が 別会社的存在だから・・ 靖国神社は その点から考えると完全に別会社・・ 叩かれる理由が 別のところにあるだけだと言う事は明らか・・

bragelonne
質問者

お礼

 ご回答をありがとうございます。  ★ 何故 公明党は 宗教としては叩かれないのか?  ☆ 創価学会〔員〕という宗教とは別に行動しているからでしょう。  癒着していたら・つまり創価学会が公明党を支配していたり 公明党が創価学会に不当な便宜を図ったりすれば 正当にたたかれてしかるべきでしょう。  ★ 靖国神社は その点から考えると完全に別会社・・  ☆ でも 国家がつくったんですよね。  そして明らかに 神道であるならば アマテラスによる≪あの島を統治せよ≫という神勅がからんでいます。  その帝国主義は 憲法じょうからも日本人の心としても 日本の摂るところではありません。  ★ 叩かれる理由が 別のところにあるだけだと言う事は明らか・・  ☆ どういうことでしょうか? 政教分離という原則のことでいいんでしょうか。  

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    【宗教の教祖の時代における変化】 宗教の始まりはみな自分が神になろうとした。 時代は過ぎて 自分は神の使いであるという立ち位置を目指すようになった。 なぜ宗教の始まりのときは自分自身が神になろうとしたのに時代が進むと自分は神にはならず自分は神の声を伝える伝達役という下の立ち位置に落ち着いたと思いますか? 自分が神であると言った方が位は上で人間を扱うには神の下より自分が神になった方が統治しやすかったと思うんですが。 で、さらに時代が進むと、 自分は神でも、神の伝達役でもなく、自分で考え出した宗教を布教するようになった。 創価学会とか幸福の科学とかに神様は存在しないですよね。 ただの創設者の思想を伝えるための宗教です。 なぜ神自体であるという宗教が消えて、神様の伝達役であるという宗教が消えて、神様うんぬんも存在しない関係がない神がいない宗教が出てきたのか宗教史は面白いです。 なぜ神があっての宗教から神自体が消えていって創設者を讃える宗教が普及していったのかな。

  • 宗教の本質 十ヶ条

    宗教の本質 十ヶ条 ------------ 宗教の本質 十ヶ条 --------- 1.宗教の発生   宗教は人類の誕生とともに自然発生的に生まれました。   どのような原始社会においても宗教は発生しています。   宗教の生まれていない地域、社会、時代は皆無といってよい。 2.宗教の数   宗教は全世界に隈なく分布しています。   その数は分類のしかたにより数千とも数万とも数百万ともいわれています。   また宗教は人の数だけ存在するという人も多数います。 3.宗教を構成するもの   宗教は神、天国、地獄の3つの概念により構成されます。   この3概念を備えない宗教は存在しません。 4.宗教の宇宙観   全ての宗教は有限宇宙観に支配されます。   すなわち宇宙はある一時期をもって開始し、その広がりは有限であるとみなします。   神、天国、地獄の3概念に支配される宗教にとって宇宙は有限でなければならないのです。 5.悩み、苦しみからの逃避手段としての宗教   宗教は心地良いものです。   修行と名のつく様々な宗教的所業も結局は心地良さの追求です。   このため宗教は悩み、苦しみ、絶望からの逃避手段として用いられます。   酒を飲むと心地よくなるのと同様の効果です。   もちろん酔いが醒めると辛いものが待ち受けておりますが、宗教の場合とて同じです。   このことについてレーニンは「宗教はアヘンである」と言いました。 6.儀式としての宗教   宗教は人の死に際を整えるための儀式として機能します。 そのため宗教は人の死について、その死に際について特に拘るのです。 7.統治の道具としての宗教   宗教はもともとは人間社会の統治の道具として生まれました。   これは古代エジプト王国などをみればよく分かることです。   大勢の奴隷を効率よく統治管理するための道具として有効利用されたのです。   この状況は根本の部分においては現在でも全く変わっていないと言ってよいでしょう。   宗教が政治を目指すのはこのためです。 また国が宗教を擁護するのもこのためです。 8.利益追求としての宗教   宗教は貧しき者から高額なお布施料、葬儀料を巻上げ、欲の趣くままに巨大神殿を建設し、 栄華を楽しむものです。 9.宗教の未来 儀式や統治の道具としての宗教は力を失いました。   これは近代科学、近代文明が発達した結果として起こる自然な結末なのです。   それと同時に宗教を支配した神、天国、地獄の3概念もそのイメージが次第に薄れてきました。   つまり宗教の役目は失われつつあり、既に宗教の時代は終わったといってよいでしょう。 10.宗教の次に来るもの   それは「人の道」、つまり真理の探究であり、思想と哲学の時代です。 以上は、前回提示した「宗教の本質」(質問番号:5989268)を通して回答者の皆さんから得た回答内容とこれらに対する評価および宗教に対する私自身の再認識を加え、最終形としたものです。 ご意見下さい。 ただし、回答者自身の答え、すなわち回答者自身による「宗教の本質 十ヶ条」をもって回答願います。 (その理由は、前回の質問では回答者自身の答えを示さず単にここが違う、ここが不十分などと部分的に指摘するのみのものばかりであり、満足のいく回答には程遠かったからです)

  • 国家神道という宗教

    戦前は、国家神道、という国家の宗教があったようですが 「神道は宗教ではない」、から、憲法の信教の自由とは矛盾しない、とされました。 祭政一致にするため、天皇を現人神にしたそうです。戦後に、天皇は人間宣言により、 人となりましたが。一方、宗教では、マインドコントロールや洗脳が問題となります。 本当の自分の意志によらずに、いろいろな手段によって主義・思想を持たされてしまうようです。 天皇を現人神として、国家が宗教をやっていた訳ですから、マインドコントロールなどによって、 特攻や集団自決までもが行われたのでしょうか?

  • 宗教改革について、お詳しい方!

    宗教改革について、私の以下の認識が正しいのでしょうか? お詳しい方、ご指摘お願いします! 「教会主導で行った十字軍遠征の失敗により教皇の権威は弱まり、同時にルネサンスの原典主義、個人主義などの風潮も重なった。それにより原典である聖書を厳密に読み込んでみたら、教会の教えとズレあったり、個人主義により教会権威からの解放などが唱えられ、やがて宗教改革の土台がつくられていった。 その後、ルターが免罪符の販売を批判し、信仰のみ、聖書中心主義、万人祭司を主張し、宗教改革の幕が切って落とされた。」 *ここで根本的な質問なのですが、宗教改革は中世の教会のどのような点を改革しようとしたのですか?個人と神との関に介入していた(←免罪符など)ということかなと私は思っているのですが…。 *あと、プロテスタント諸派のうち、イギリス、アメリカで成立した派をいくつか教えてください!

  • 憲法で、国の宗教教育を禁止している国家なんて日本以外にあるの??

    人間が、もし、偶然に単なるアメーバーの遺伝子エラーの 累積淘汰のなれの果てだと言うのなら、目的もなく 偶発的に突然変異で現れたのですから、人間には、生来 創造目的もなく、つまりは、存在目的もなく、結局、 存在価値もないということになりますが、そんなんで、 本当に、人権教育など出来るのでしょうか? 人権とは、生れながらに人間なら誰しもが持っている 自由権を中心とする生存権のことです。 生まれながらに・・・ということは生れる前からということになりますが、 とすると、アダムとエバが生れる前から・・・ということに なり、必然的に、人権を与えた方は、神ということになります。 つまり、これが、天賦人権論の根拠です。 神を否定するマルクス・レーニン主義の唯物的な思想に 洗脳されている「日教組」の教師達が、真の人権教育ができるとは 勿論、思っていませんが、果たして、日本の憲法第20条のように、 憲法で、国の「宗教教育」を禁止している国家などあるのでしょうか? 私は、この日本以外には、どうも考えられないのですが・・・ 子供の教育における宗教教育は、「政教分離」とは 違うような気がするのですが・・・ ご存知でしたら、教えて下さい。