江戸時代の勘当制度と無宿人|時代劇番組の視点から見る

このQ&Aのポイント
  • 江戸時代の勘当制度で親や親戚から勘当された子供は無宿人となり、時代劇番組ではよく描かれる
  • 勘当されること自体が罪になり、厳しい立場に立たされることが多かった
  • 町奉行所や代官所の役人は無宿人に対して、どのように対応していたのかが質問の主題
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江戸時代、勘当はどれ位、大変だったか?

現代では、「親子ゲンカすればなら、親によっては、子供を勘当する」と言う話は、良く聞きます。 この勘当は、「江戸時代にあった、戸籍関係の制度の1つの手段」と言うのは、良く聞きます。 この為、「現代でも、子供を追い出す時に使える、住民票関係の1つの手段として、導入して欲しい」的な意見を、持ってる人も、時々聞いたりします。 この勘当ですが、江戸時代 の戸籍関係の制度の手段としては…。 「例えば、「子供(兄弟が姉妹)が、要らん事してる」等により、親が勘当する事を決めると、一応親戚筋に相談してから、役所に対して、「子供を、勘当したので、戸籍から抜いて欲しい」的な届け出。 逆に、「勘当した、子供を許す」と、親が判断した場合、こちらも親戚筋に相談してから、役所に対して、「子供を許すので、勘当を解くから、戸籍に載せて欲しい」的な届けを、それぞれ出して、手続きを済ませる。 場合によっては、勘当の対象者の伯父・伯母又は、数人は居る大人の兄弟や姉妹の内、一番年長の兄か姉が、手続きする」と、思います。 そして、「親に勘当されて、戸籍から抜かれた子供(兄弟や姉妹)」となると、言い方で言えば、「無宿人」 になると、思います。 連続ドラマとしての時代劇番組なら、TBSテレビ系列による、「水戸黄門」等、旅を活用した番組であればなら、「旅がらすと、呼ばれる渡世人」等、大抵の主な時代劇番組では、無宿人かま登場する回が多い様に、思います。 しかし、逆に言えば、「勘当された人間は、江戸時代の法律で言えば、勘当された事自体が罪になるので、結構厳しい立場に、立たされるのが多い」と、思います。 そこで、質問したいのは…。 「江戸時代にあった、勘当制度で、親や親戚から勘当された子供(兄弟や姉妹)である、無宿人。 この場合、町奉行所や代官所の役人は、無宿人に対して、どの様に対応するのが、多かったのか?」に、なります 。 今回は、「時代劇番組の視点から見た、勘当制度」として、歴史関係のカテから、質問します。

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noname#224207
noname#224207
回答No.1

江戸時代の法令というのは、現在のように詳細な具体的な項目がありませんでした。 ものによっては心得みたいな倫理規定のようなところがありました。 さらに、知らしむべからず寄らしむべし、という基本があり関係者以外の外部には公表されていませんでした。 例えば、町奉行所の刑罰に関する法令も公表されていませんでした。 実は、同心も岡っ引きも法令の内容を正式には知らずに取り締まっていました。 結果的に法令の運用は臨機応変といいますか時々に応じて適用範囲がコロコロ変わっていました。 ある意味でいい加減なとこがありました。 唯一の例外が戸籍に関するものでした。 結果として戸籍があらゆる信用の原点でした。 庶民(町人、百姓)のこの戸籍の管理は寺院に一任されていました。 寺受け制度と呼ばれます。 長屋の熊さんでも八っつあんでも引っ越す場合には、この者は当寺の檀家であるという証明書が必要でした。 この証明書は大家や大店の雇い主が保管管理していました。 戸籍制度の元々は宗門改めつまりキリシタンではないということの証明でした。 この戸籍を所有していないこと自体が犯罪でした。 武家の場合は主君が戸籍を管理していました。 浪人者でも元の藩などに名簿が残されていました。 作州浪人宮本武蔵などとよばれるのも、武蔵本人あるいは父祖が作州(美作)の藩に所属していたという意味です。 なにか事件があった際にはこの身元を遡っていきました。 大家が証明を保管管理していませんと、家主、地主までが責任を問われました。 藩や町役人、村役人の管轄がおよばない、身分外身分の人も浅草弾左衛門の管理下にありました。 乞食であっても乞食を管理する非人頭がいてこの非人頭は弾左衛門の支配下にありました。 勘当といいますのは、この戸籍から抹消されるということですので、住むことも就職することも例え乞食でもできなくなるということです。 無宿人が旅を続けるのもこのためです。 しかも旅籠には泊まれませんので、土地の親分の家を渡り歩くことになります。 旅をするためには道中手形という現在のパスポートのようなものが必要でした。 この道中手形を申請する際には前記したお寺が発行する証明書が不可欠でした。 旅籠は宿帳へ記載させる義務がありました。 時々役人が旅籠へ踏み込んで宿改めをするのは、この宿帳に記載した事項に齟齬がないかどうかを確認するためです。 吉原などの遊女は遊女になる際にこの戸籍から抹消されました。 結果として死んでも葬る寺がありませんでした。 遊郭の近くの寺の境内に掘られた穴に投げ込まれてオシマイでした。 この寺は投げ込み寺と呼ばれいました。 現在も吉原の近くの浄閑寺が有名ですが、日本全国の遊郭のある土地には必ずありました。 つまり勘当されるということは生きて行くことも死ぬこともままならなくなるということです。 盗賊やヤクザになる以外に道がありませんでした。 TVの時代劇や落語で勘当の話がよくでてきますが、実際には精々親類付き合いをしないという申し合わせ程度のことでした。 お寺の和尚さんも口裏を合わせてくれました。 簡単には戸籍からは抹消しなかったということです。 これを知っていますから、出入りの親方が預かる話がよく出てきます。 放蕩息子を親方が徹底的に鍛え直すということです。 親方以外に庇護者がいませんから親方の言いつけに従う以外に生きていけません。

80568410
質問者

お礼

しがない質問へ、回答して頂き、有難うございます。 又、質問した時は、よろしくお願い致します…。

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