レタッチで演出した風景写真の価値は?

このQ&Aのポイント
  • レタッチで演出した風景写真の価値について考えてみましょう。
  • 風景写真にはレタッチで演出された作品もありますが、その価値には賛否があります。
  • 一部の人はレタッチで演出した風景写真の価値を低く評価する一方、レタッチ技術の高さを認める人もいます。
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レタッチで演出した風景写真は価値が低い?

夕陽の絶景にシルエットとなった鳥が数羽飛んでいる風景写真 山に沈もうとしている風景に、鳥の位置や数が絶妙で素晴らしい写真を観ました その撮影者(プロカメラマン)に直接会って話をする機会があったので、その作品についても話したところ、鳥については実際はその数や位置にいた訳ではなく、もっと別の位置に写っていたのと、一連の別カットも加えて、レタッチで絶妙の数と配置にしたとのこと でも、レタッチで演出した風景写真は価値が低いと思う人もいるので、ナイショですよと笑って言っていました でも実際に、レタッチで演出は価値が低いと思う人がいるらしいのですが、なぜレタッチで演出すると作品の価値が下がるのでしょうか? レタッチ技術も相応に高く、(画像解析とかすれば別ですが)作品を肉眼で見る限りはレタッチで演出したことを見抜くのは同席していた何人ものプロでも不可能でした

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質問者が選んだベストアンサー

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  • 6y9kdjj
  • ベストアンサー率22% (26/117)
回答No.5

>でも実際に、レタッチで演出は価値が低いと思う人がいるらしいのですが、 >なぜレタッチで演出すると作品の価値が下がるのでしょうか? 「そういう価値観の人」にとっては「本物では無い」という事それ自体が許し難いことだってだけですよ。 どれだけ素晴らしかろうと精巧だろうと誰にも見抜けなかろうと、そんなコトは問題では無いのです。ただただ「ツクリモノである」という事実こそが認めがたい詐欺行為と感じるのです。 例えば国宝級の茶碗があったとします。(別に茶碗じゃなくてもいいけどさ) 将来的に3Dプリンターの技術が飛躍的に向上して、分子レベルで精巧なコピーを作れるようになった時、オリジナルの茶碗の資産価値は下がるでしょうか?そしてコピー品はオリジナルと同等の資産価値を持つのでしょうか? 質問者様の価値観であればそこまで精巧なコピーであればオリジナル同等とみなしても構わないとするかもしれません。ですが、コピー品が出回れば出回るほどにオリジナルの資産価値は上がっていくと私は思います。 即ち「オリジナルはオリジナルというだけで絶対的な価値がある」と考える人間は結構少なくは無いということ。 写真もまた同様。 レタッチでの演出に忌避感を感じる人間がいるのは至極当たり前。 別に質問者様がそういった価値観を理解する必要はありません。そもそも、価値観なんてな人それぞれであって、唯一絶対の正解なんて存在しませんからね。 そも、「写真」という日本語訳が間違ってると私は思うのですけどね。 「真」を「写す」?んな訳無いじゃんw レンズを通った時点で虚像なのに何が「真」なんだかね(笑) おっとそういう意味では人間の視覚もレンズ依存だから同じかw 所詮「真」なんてものは各人の心の中にしか存在しない幻想だからね。だから人それぞれの「真」が食い違うなんてのも当たり前。だって個人の幻想なんだもんw そういう意味で「写真」はせめて「写心」と表記すべきだな。撮影者それぞれに異なる「内なる真」を表現する媒体であればこそ、いかなる表現手法も正当化されるからね。そうなればもう「レタッチは邪道」なんて言う人もいないでしょw

galaxy5954kai
質問者

お礼

素晴らしいご回答ありがとうございました

その他の回答 (4)

  • seomire
  • ベストアンサー率56% (396/701)
回答No.4

静止している被写体を撮る場合は、角度や画角などを変えながら何枚も撮り直しがききますが、動く被写体(この場合は鳥)をうまく撮影する為には、それなりの技術が要ります。動く被写体のシャッターチャンスというのは本当に一瞬で、その時点でカメラが撮影出来る状態になっていなければなりませんし、その短い一瞬の間にピントのあった絵になる写真を撮るにはかなりの技術が必要なのです。 例えば、鳥の群れを絶妙な位置で撮影するには、その手前の段階で撮り始めなければ間に合いません。つまり、動く被写体の撮影には、カメラマンの写真の撮影技術に加え、シャッターチャンスを事前に見抜く洞察力も必要になります。しかし、レタッチされた写真というのは、出来上がりは素晴らしくてもカメラマンの洞察力が表現された作品ではありません。 写真を撮るというのは、カメラマンが実際に目の前で体験した時間の一瞬を「切り取る」作業に似ており、その瞬間を他人とうまく共有できる作品というのは評価が高いように思います。レタッチされた作品の場合、それが実際に起こった「瞬間」でなく、撮影者の都合で合成された「美しい絵」という意味で、作品として価値が下がるのだと思います。

  • eroero4649
  • ベストアンサー率31% (10489/32989)
回答No.3

ズバッと明快に回答しますよ。質問者さん、自分の奥さんや彼女、あるいは超絶お気に入りのAV女優が整形だと知って元の顔を見たらひどく裏切られた気持ちになりませんか? それと同じことですよ。美人なら整形でもなんでもいいじゃないか・・・とはなりませんでしょう?

galaxy5954kai
質問者

お礼

整形したことがバレバレなら別ですが、整形したのか天然なのか判別出来なれば、整形だったとしても構いません 風景写真は、それが撮られた風景を実際に肉眼で見ることはないので、レタッチで演出したとしても別に構わないと思います レタッチしたのかどうか判別出来なければ でも、そうは思わない人もいるということですね

  • i-q
  • ベストアンサー率28% (972/3408)
回答No.2

フォトグラファーだと自称すれば問題無いのでは。。 切り貼りした写真はフォトグラフになると思います!

galaxy5954kai
質問者

お礼

切り貼りの有無に関わらず、写真=フォトグラフ 写真家=フォトグラファーですよね?!

  • t_ohta
  • ベストアンサー率38% (5080/13274)
回答No.1

考え方の問題だと思いますが、実際の風景を撮影技術だけで表現するのをよしとする考え方の人もいます。 その人達に言わせれば、レタッチは度を越えると単なるコンピュータグラフィックスなので、写真では無く絵だと解釈されます。 私自身もどちらかというと過度のレタッチは好きではありません。 色温度をいじったり、多少のゴミを消す等のレタッチはいいと思いますが、無かった物を書き加えたり、大きな物体を消してしまうのは写真では無くCGの領域のような気がします。

galaxy5954kai
質問者

お礼

無かった物を書き加えたり、大きな物体を消してしまうと、なぜ写真ではなくなるのかがわかりませんが、ご回答ありがとうございました

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