「勝って兜の緒を締めよ」の初出は?

このQ&Aのポイント
  • 源平の戦いを記した軍記物や日記に「勝って兜の緒を締めよ」という諺が書かれている可能性があります。
  • 例えば、「平家物語」や「義経記」、「源平盛衰記」などの文献を調査したが、見つかりませんでした。
  • 一方、小学館の『日本国語大辞典』には、「三河物語」と「蔭涼軒日録」を例に挙げて、「勝って兜の緒を締めよ」という諺の使用例があることが記載されています。
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「勝って兜の緒を締めよ」の初出?

源平の戦いを記した軍記物にこの諺は出てきますか。 私は下記のサイトにある、『平家物語』『義経記』『源平盛衰記』『源平闘諍録』『平治物語』を調べてみたのですが、調べ方が雑なのか、見つけることができませんでした。 「J―TEXTS 日本文学電子図書館」 http://www.j-texts.com/ 吉川英治『新平家物語』の「屋島の戦い」や「壇ノ浦の戦い」あたりも読んだのですが、(ボーッと読んだせいかも知れませんが)この文句はありませんでした。 しかし、源平の戦いを記した物語や日記で、この諺が書かれている可能性は大です。 小学館『日本国語大辞典』では、「三河物語」と「蔭涼軒日録」を例に挙げています。 例文として「蔭涼軒日録」文明17年(1485)9月5日の条に、「諺云、勝而甲條(オ)をしむと云事あり」とあります。 「諺云」と書かれていますから、これより前に「勝って兜の緒を締めよ」の文句が出てくる物語か日記があるのでは、と思って質問しました。 中国の古典にも類似の文句があるそうですが、日本の話をお願いします。 また、質問タイトルに「初出」とかきましたが、「初出」でよいのですか。 よろしくお願いします。

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質問者が選んだベストアンサー

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回答No.2

再度失礼します。 質問にある「蔭涼軒日録」より後でしたね。 ただ「諺云」というのは日本の諺を示すものではないと思います。 あくまでも「蔭涼軒日録」のは甲であって日本の兜ではありません。 となると完全日本語の「勝って兜の緒を締めよ」は小牧御陣記が最初なのかも知れません。

kouki-koureisya
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 これは大変。 甲と兜の違いにまで考えを巡らせていませんでした。 甲と兜の違いは知りませんが、「J―TEXTS 日本文学電子図書館」の『平家物語』では“甲”です。 『義経記』では、“兜”も“甲冑”もあります。 また『太平記』では、“甲”も“甲冑”もあります。 小学館『日本国語大辞典』では、『三河物語』の「勝て鋹(カブト)之をしめよと云事有」を例文として挙げています。 『三河物語』は、1626年ごろの成立です。 『小牧御陣記』についてはネットで調べただけですが、よく分かりません。 「小牧・長久手の戦い」であれば天正12年(1584)ですから、天文10年(1541)「北条氏綱公御書置」より後年になります。 1628年ごろ成立したとされる『醒酔笑』(巻二 貴人之行跡、話)では、 太田道潅常にいへるやう、「勝て兜の緒をしめて候よ」 (近代デジタルライブラリーによる)とあります。

その他の回答 (1)

回答No.1

源平ものではなさそうです。 中国の故事から来ています。 日本では小牧・長久手の戦いの小牧御陣記が最初のようです。

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