• ベストアンサー

壇ノ浦の戦いのとき、どうして天皇は同船していたのか?

源平最後の決戦の壇ノ浦の戦いに関する質問です。 平家物語によると、このころ平家は関門海峡の彦島を根拠地として、おおかたは船で暮らしていたそうです。 「矢合わせが、三月二十四日に決まった」とありますから、開戦日が決定していたようです。 天皇は家族や女官たちとともに唐船に乗っていたそうですが、 この唐船はとても大きくて、真っ先に敵の目標になることが わかっていました。 (そこを小船で挟み撃ちにしようというのが平家の戦略です) どうして戦場の真っ只中に天皇がおり、かつ敵の目標となる船に乗っていたのでしょうか? リスクが大きすぎるます! 陸で待機しなかったのは何故なんでしょうか? 婦女子が戦場にいるのは珍しいと思います。 もうひとつ質問。 当時の決戦では、いついつに合戦をはじめましょうと、あらかじめ矢合わせの日にちを決めていたのでしょうか?

  • 歴史
  • 回答数8
  • ありがとう数10

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
noname#20467
noname#20467
回答No.7

連続ですみません。 教養文庫の翻訳ではそうなっていますか・・。私が確認したのは、講談社学術文庫の『全訳注 平家物語』で、この本は、覚一本系統の東大所蔵本が、底本になっています。 あげられた「水底の都」という段は、流布本では「先帝御入水」の段に当たるのだと思いますが(下記URL参照)、あまり聞かない段名ですね。どの本で翻訳したのかが分かりませんが、かなり内容に相違があるのかもしれません。講談社の全訳注は、歴史的事実なども考察してくれているので、12冊もありますが、調べるのには重宝します。ご存じの通り平家物語は、作り事や誇張も多いのですが、そうした作り事のいくらかは、同時代の公家の日記などから事実を調べることができるそうです。こうした公家の日記を中心とした当時の記録とつきあわせることで、平家物語に書かれたことのいくらかは史実と合致し、また文学的虚構であることが分かるそうです。 http://www.city.kobe.jp/cityoffice/06/014/genpei/heike/heike.html >長時間船に乗っていると酔うと思うのですが、 大丈夫だったのでしょうか。 酔っぱらったかもしれませんね。でも、朝から夕方まで、命のかかってるところでは、緊張で吹き飛んでいたような気もします。それ以前も、九州と福原の間をぐるぐる回っていた感じですので、女官達も少々の船旅には慣れていたようにも思います。

yoshinobu_09
質問者

お礼

ありがとうございます。 所有の原文の本は中道館出版のものしかなく、全訳ではありません。 そこで↓で確認してみました。 http://www.st.rim.or.jp/~success/heike11.htm#9 たしかに天皇が唐船にのっていたとは書いていないですね。 ただ「平家のふねはせんよそう、たうせんせうせうあひまじれり。」とあるので唐船が複数あったのはマチガイなさそうです。 それと二位の尼が「「われはをんななりとも、かたきのてにはかかるまじ」と言っています。 この人の強気の性格が幼帝の運命を決定づけたようにおもえます。 >12冊もありますが、調べるのには重宝します。 すごいですね。12冊ですか!

その他の回答 (7)

  • dulatour
  • ベストアンサー率20% (327/1580)
回答No.8

中世までの戦いは、旗頭が戦闘に立つことによって、その戦いの正当性が明確となり、士気が高まりました。 その意味では、平家としては天皇を擁して闘うと言うことが大義名分であって、日本国の正規軍であるということを誇示したかったのでしょう。 幕末で、「錦の御旗」が伏見で上がったときに、最後の将軍慶喜は自分が逆賊になることを恐れて、大坂城での決戦を諦め、単身、江戸に逃げ帰ったそうです。 まして、源平の世であるならば、実際に幼少の天皇が戦列の奧にいるだけでも、味方の士気と敵方に対する威圧感はあったと思います。 大坂城落城の折に、楠木正成が秀忠の出馬を最後まで主張してにも関わらず、淀君の反対で陣頭に姿を現さなかったというのが、豊臣家滅亡の一因ともいわれています。

noname#20467
noname#20467
回答No.6

天皇は、二位の尼などと一緒に別の船にこっそり乗っていたというのです。

yoshinobu_09
質問者

お礼

ありがとうございます。 長時間船に乗っていると酔うと思うのですが、 大丈夫だったのでしょうか。

noname#20467
noname#20467
回答No.5

えーと唐船には、天皇は乗船してないと、私の平家物語ではなってますよ(遠矢の段)。 底本によって違うのでしょうか? 源氏の目をあざむくために、唐船には雑兵を乗せていたのですが、阿波民部が裏切ってその計略が源氏にばれてしまったとあります。

yoshinobu_09
質問者

お礼

ありがとうございます。 唐船は複数あったようです。 教養文庫の現代語訳では、「平家の女たちは一そうの大きな唐船に集められていた。その船には安徳天皇がおいでになり、」 とあります。(「水底の都」)

  • eqw-102
  • ベストアンサー率24% (93/381)
回答No.4

盾にしたのは、天皇と神器の一部ですね。 神器は海の奥底に沈んでしまい、 相当捜しましたが見つかる事はありませんでした。 (現代の神器は、一部はレプリカ。) 通常の戦なら、 天皇の救出の失敗、神器の損失は死罪。 いや、一族全員が罪に問われる重罪です。 しかし、 史実は大いに異なります。 天皇は、平家の女官と共に海に入水。 (だが実際分かったもんじゃない。^_^;) 流れ矢や火矢でやっちまったか、気付かず刃にかけてしまったか。 船もろとも沈めちまったのか?^_^; その結果、 平家追討のお褒めの言葉と、官位を授かりました。 この時点で、 既に天皇家には、武家を咎めたり、裁く実力は無かったのです。 ここで、上皇側に付いた義経と、幕府を開こうとする頼朝の兄弟喧嘩が始まるのです。 上皇は、慕ってくる武家を利用する程度の力のみです。 荒れ狂う武家のしでかした不祥事は、 レプリカ作成でごまかしたり、 新しい天皇を就かせる事で難を逃れたのです。 >もうひとつ質問。 義経は、旧来の名乗りを上げる一騎打ちから、 集団による戦闘。特に奇襲戦法で勝ち進みました。 ゆえに、汚い方法と、当時の評価は低いものでした。 この観点から、 自分の都合の良い日時に決戦へ向かい、 海流が変わったのだと思います。

回答No.3

ANo.1です。 「いくら敵の傀儡でも、安徳天皇やその近習達を平家と共倒れにするには政治的にリスクがあったので、源氏側が「降伏勧告」を行ったはずです。」 と書きました。安徳天皇が同行していることは承知していたはずです。 降伏者や捕虜等からの情報収集はしていたはずですから。 そうでなければ降伏勧告はしません。不倶戴天の敵ですから。 当時戦闘指揮官だった源義経は、背後からの奇襲戦法など活用していますし、また、源氏側に救助された女官の話もあります。 源氏側はあくまで抵抗を続ける平家宗家を滅ぼすつもりだったので、また、平家側もその覚悟だったので、安徳天皇は平家の道連れにされたのです。

yoshinobu_09
質問者

お礼

ありがとうございます。 平家から源氏方に寝返ったものもいたので、情報は筒抜けだったようです。(阿波重能など)

回答No.2

初めまして。大学の時中世文学を習っていた者ですが、NO,1さんがおっしゃっているように、安徳天皇は幼く、自分で政治をできなかったため、平家は天皇家の威光をかさにして、傀儡政権を手中に収めようとしていました。平家はこの時点で劣勢だったため、自分たちが正しいとの主張のためにある意味人質としての安徳天皇の利用法しか思いつかなかったのではないでしょうか。これが、分別の付く天皇が平家の味方に付いたなら、源氏に一緒に殺されるか、良くて島流しですが、自分の意思をもてない幼子なら源氏も保護したでしょうし。陸に待機してたら、平家としては源氏に安徳天皇をかっさらわれて政権の後ろ盾に使われますしね。平家物語の中では、安徳天皇のお付の女官が安徳天皇に対して、死後の世界の素晴らしさを説き、騙して(?)入水自殺して天皇は助からないですけど。頼朝が征夷大将軍になるには、天皇の院宣がいります。婦女子が戦場に居たのは天皇のお世話をするため以外の何者でもないと思います。那須与一が扇を射抜いた時、扇を持っていた人は女性でしたから、一族郎党挙げての総力戦だったのでしょう。 矢合わせの日にちを決めたかという事の回答ですが、これより時代が下った北条時宗の頃、元寇で元(当時の中国)が攻めてきた時、日本の武将は、敵軍に自分は誰か名乗って、正々堂々と戦い始めようとしたが、敵軍は名乗っている間におかまいなく、集団戦法でてつはう(火薬を使った原始的なダイナマイトのような物)等で攻めてきたといいます。お国柄の違いが出たようですが、日本人同士なら正々堂々、逃げも隠れもせず戦う礼儀のような物では?

yoshinobu_09
質問者

お礼

ありがとうございます。 >陸に待機してたら、平家としては源氏に安徳天皇をかっさらわれて政権の後ろ盾に使われますしね。 これは考えませんでした。参考になります。 せめてここに天皇がいますという印くらい船につけておけばよかったのにと思いました。 >那須与一が扇を射抜いた時、扇を持っていた人は女性でしたから、一族郎党挙げての総力戦だったのでしょう。  さぞ船酔いしたのではと心配になります。  助かった女官は遊女になったという伝説がありますね。 いま、読み返してみたのですが、 「天皇や女院、三種の神器はどんな犠牲を払ってもも無事に迎えるように命令が出ていた」 とありますので、源氏も船中に天皇がいることは知っていたのですね。

回答No.1

>壇ノ浦の戦いのとき、どうして天皇は同船していたのか? 平家としては、既に敗勢著しく、傀儡とはいえ、天皇の権威にすがるほか無かったのでしょう。 安徳天皇は幼少であり、また、リスク云々よりも前述のとおり、平家の都合が優先されたのです。 まあ、平家としても、やけくそで、「死なば諸共」、心中に近い心積もりだったようです。 >もうひとつ質問。当時の決戦では、いついつに合戦をはじめましょうと、あらかじめ矢合わせの日にちを決めていたのでしょうか? いくら敵の傀儡でも、安徳天皇やその近習達を平家と共倒れにするには政治的にリスクがあったので、源氏側が「降伏勧告」を行ったはずです。 矢合わせの日にちと言うより、回答期限という意味合いです。

yoshinobu_09
質問者

お礼

ありがとうございます。 >平家としても、やけくそで、「死なば諸共」、心中に近い心積もりだったようです。 やけくそはいいとしても、いさぎ良すぎですね。 源氏は船に天皇がいることを知っていたのでしょうか。 それによって事情が違ってくるように思います。

関連するQ&A

  • 壇ノ浦の場所

    お世話になります。 文学、歴史、地理のどのカテゴリに質問させていただくのがよいか、悩んだのですが、平家物語にお詳しい方がご存知なのかなと思い、こちらに質問させていただきます。 ”壇ノ浦の戦い”の壇ノ浦とは下関付近のことだとずっと思っていたのですが、”屋島の合戦”の香川県屋島のすぐ近くにも壇ノ浦という場所があり 「源平の古戦場」http://www.h4.dion.ne.jp/~yashima/dankorei.htm とされているのを知りました。 ひょっとして、下関までの内灘をかつてはすべて壇ノ浦といったのでしょうか? もしや屋島山頂から下関の壇ノ浦まで見通すことはできませんよね・・・? (すみません、関東の者なので。でも地図から見ても愚問ですよね・・・) 安徳天皇が入水されたのは、下関の方でいいのですよね・・・?

  • 壇ノ浦の戦い後の平家の女性の遊女化等

    平家物語の中で不思議に思った事をいくつか質問させて下さい 1・壇ノ浦の戦い後、生き残った女性達が下関で遊女化したという伝説について 1-1まず、どうして生き残ったのか不思議です。入水したのに、どうして多数生き残っているのでしょうか?一応下関の方が助けたとかいう事になってますけど、場所は戦場!間に合いませんよね 1-2なぜ、平家の女性達は、生き残った後殺されなかったのでしょうか?子どもを産むと不利益にしかならないのは源氏も分かってますよね 1-3生き残った遊女化した平家の女性はどのような遊女生活を送ったのでしょうか?(文献等あれば教えて下さい。一応、毎年安徳天皇の墓参りに行った、上座に座って接待した(わちゃですね)という文献だけは見つけました) 2  生き残った女性の中でも徳子について 2-1どうして殺されなかったのか本当に不思議です。源氏の武士に助けられたって事になっていますけど・・・(武士の情け?尼になったから?) 文献等紹介していただけたら嬉しいです。宜しくお願い致します

  • 壇ノ浦の戦いで源氏はどうして舟戦をいどんだのでしょうか?

    壇ノ浦の戦いは海での舟いくさとなりました。 この戦いは舟に慣れている平家に有利です。 どうして源氏側は、不利な戦いをいどんだのでしょうか? よろしくお願いします。

  • 壇ノ浦の戦いで生き延びた平家の武将。

    壇ノ浦の戦いで生き延びた武将はいるのでしょうか? 確実に分かってるのが平宗盛父子と平時忠だと思いますが。 平家の落人の伝説ではそれ以外でも生き残りはありありですね(;^_^A

  • 明治維新で長州藩,田布施一味に日本が乗っ取られた?

    →以下、コピペですが、真実なのでしょうか?長州藩とユダヤとは?田布施一?誰ですか? 自民党清和会の源流。 「心に青雲」より引用。 鬼塚英昭氏の新著『日本のいちばん醜い日』(成甲書房)を読むと、 日本国家の真相は、明治維新で長州藩,田布施一味に国家を乗っ取られた ということであることが解る。  長州藩の田布施一味とは、山口県熊毛郡出身の政治家らのことである。熊毛郡の田布施町を中心にしている。 ここは光市と柳井市に挟まれた寒村だった。 大室寅之祐=明治天皇、伊藤博文、木戸幸一、宮本顕治、河上肇、難波八助、松岡洋右、安倍源基(終戦時の内務大臣)、賀屋興宣などであ る。むろん、岸信介、佐藤栄作、安倍晋三は、この田布施一味の末裔である。  小泉前首相の父・純也は、鹿児島の田布施(現在は加世田市金峰町)出身の朝鮮人である。 鹿児島の田布施も山口県の田布施と同じ、朝鮮人部落である。 小泉純也は上京して小泉又次郎というヤクザ(刺青大臣と言われた)の婿養子となって「小泉姓」を名乗り、日本国籍を取得したのだ。 小泉の次に安倍政権、そのいずれもが朝鮮人部落だった田布施の出身であることが偶然であるわけがない。  ユダヤ国際金融権力は、こういう人間を使って、日本乗っ取りを支援しながら、連中の弱みを握って、思い通りに支配してきたのだ。 ユダヤは徹底的に日本の事情=弱点を探って研究しつくしている。 例えばとして、鬼塚氏は幕末に英国公使パークスは、外交官アーネスト・サトウを使って日本の被差別部落を調査させている。  『日本のいちばん醜い日』に益田勝実氏の文章が引用されている。  「天皇様をお作り申したのはわれわれだとは、明治以前に生まれた長州の老人たちによく聞かされことだったが、近代天皇制以前には、京 都に天皇家はあったが、天皇の国家はなかった。 尊皇派が考えていた天皇の国家の考えは思想として獲得されたもので、現実に京都にいる天皇という実在の人物に合わせて作られたものでは なかった。 かれらが求めている天皇と現実の天皇と、いくらか融和出来るうちはよいとして、その矛盾が激化すると、……激化すると、天皇を取り換え てしまうほかなくなる。  わが家に空襲で焼けるまであった孝明天皇使用の皿は、おそらくまだ長州と天皇の間がうまくいっていた、蜜月時代にもたらされたものだ ろう。 奇兵隊挙兵の翌年、1866年(慶応2)の暮れには、孝明天皇は謀殺されてしまった。 もちろん、仕組んだのは江戸幕府ではない。 志士側で、天皇が倒幕の障害になりはじめたからである。 今日では、このことはもう公々然の秘密となっている。(益田勝実『天皇史の一面』より)」  益田勝実は長州の国家老一族である。 だから田布施の住民を虐げた側というか、支配した(あるいは敵対した)側である。 その子孫である益田勝実が、「てんのうはん」、つまり、山口県熊毛郡田布施町麻郷(おごう)に生まれ、孝明天皇の長子睦仁の替え玉とな り、明治天皇となった真相を突いたのだ。  『日本のいちばん醜い日』では、「大室寅之助は田布施の生まれ、……伊藤博文(林家が伊藤家の本家)と「虎ノ門事件」を起こした難波八 助は一族である。 また宮本顕治(日本共産党)も一族。 そして、木戸幸一も系図に入ってくる。 京都大学教授でマルクス主義を木戸幸一、近衛文麿に教えた河上肇も一族である。 そして、大室寅之助の生家の近くに岸信介一族の生家もある。 この地から代議士の国光五郎、難波作之助が出ている。 また、元外相松岡洋右も岸信介の一族である。 あの終戦内閣の最後内務大臣安倍源基も大室寅之助の生家の近くである。 ……大室寅之助が南朝の末裔であるという説があるが、確たる証拠は私の調べた限りではなに一つない。 むしろ、北朝鮮系の被差別部落民ではないのか、と思っている。」(「日本のいちばん醜い日」より)  明治維新から日本の国家中枢に君臨する一族には、このような真相があるのである。  鬼塚氏も書いているが、瀬戸内海の沿岸や島々には被差別部落が多い。 そこからアメリカや中南米に移民として行かされた人も多い。 「家船漁民」といって、船上で暮らす人々も瀬戸内地方には多かった。 いずれも彼らはマレーシア方面から漂着した平家系の民であろう。  源平の戦いがあった平安末期、貴族となって権勢を誇った平清盛一族は、(八切止夫によれば)マレーシア方面から比較的新しく紀伊半島 に“鉄器を持って”漂着した部族であった。 その彼ら貴族化した平家を、それ以前に土着していた北条氏らの平家一族が源氏(頼朝や義経)という馬を扱える部族を使って日本国内から 放逐したのがあの源平の戦いである。 だから清盛一族側の貴族化した平家は、海洋民族だったから騎馬戦は得意ではなく、義経に追われると瀬戸内海を下関(壇ノ浦)まで逃げた 。 当然瀬戸内海には海洋民族である土着の平家系のいわば海賊もいたのだが、彼らは北条側の平家に就いて義経に協力したため、貴族化した平 家らは撤退せざるを得なかった。 だから源平の戦いとは、本質的に“新来の平家”と“旧来土着の平家”との内ゲバであった。  それで勝った側の北条平家は、源氏系統=北朝鮮系を皆殺しにし、生き残った源氏系部族人間は別所などと言われる被差別部落に追い込ん だ。 おそらく瀬戸内一帯に土着していた源氏系の部族も別所などの被差別部落に押し込めて、まともな活動ができぬように圧迫したと思われる。 その一つが山口県の熊毛郡なのであろうし、遠く鹿児島にも同様の田布施として源氏系部落を作ったのではないか。 田布施という所は「正直いって、住むのに悪条件だらけの土地であった」と鬼塚氏は書いている。 あるいは「やたらと寺の多さに気づく」とも書いている。 権力者が寺院を使って被差別部落を抑えつけたのだろうし、本来は白山信仰を持ち仏教には転向しない源氏系(北朝鮮系)を強引に仏教徒に しようとした痕が、田布施の寺の群れなのだろう。  鬼塚氏は、田布施出身の大室寅之祐の家が漁業を営んでいないことを指摘している。 ということは大室家が平家ではないことを意味している。 平家系の庶民の職業は、漁民か百姓と決まっていたからだ。 鬼塚氏は大室寅之祐が北朝鮮系の被差別部落民ではないかと言っている。「週刊朝日」06年10月6日号に掲載された「家政婦は見た~安倍晋 三研究」で、安倍家の家政婦の証言として、安倍晋三の父・晋太郎は、日頃から「自分は朝鮮だ」が口癖で、亡くなったときの遺骨を見ても 韓国系の体型だったと言っている。 田布施(または熊毛郡)出身の一族郎党が国の権力を握っていることに変わりはないようだ。 安倍晋三は統一教会と縁が深いのだからまさに朝鮮半島勢力である。 明治天皇とその取り巻きが、なにせ田布施出身の朝鮮人系統なのだから、現実の政治はその流れに沿うのである。  終戦時(と開戦時)に外相だった東郷茂徳は、鹿児島の朝鮮人部落出身である。 本名は朴茂徳である。 鹿児島ではあるが、田布施と同じ出自なのだ。 だから昭和天皇は終戦の大事な時期に、東郷茂徳を起用した。 東郷に外交ルートを使った終戦工作、すなわち天皇の身の保全と、天皇家の蓄財の隠蔽を命じたのである。 東郷はA級戦犯となり、服役中に病没しているが、おそらく真相を知る人間だから消されたのであろう。  先に紹介したが、終戦時の安倍源基内務大臣は熊毛郡の出身で、安倍晋太郎・晋三との結びつきは不明らしい(家紋は同じ)が、大室家と は親族だという。 安倍源基は周知のように、戦前、警察権力を一手に握った男で警視総監をやり、特高警察で君臨した。 言ってみればゲシュタポかKGBの親分のようなものだ。権力者にとっては重要なポジションである。 これもまた朝鮮人系が握っていたのだ。  さらに。鬼塚氏が指摘しているのは、終戦時の内閣では大分県出身者が多いという。 阿南惟幾陸相(竹田市出身)、梅津美治郎陸軍参謀長(中津市出身)、豊田副武海軍軍令部長(杵築市出身)、また重光葵(東久邇宮内閣外 相)は国東半島出身。 大分県は瀬戸内海で田布施とつながっている。 この辺りは、先の家船漁民の活動範囲であって、その交流のなかで婚姻関係が結ばれていたはずなのである。 つまり昭和天皇は同じ朝鮮人関係者で、敗戦処理を行なったのであった。  こうして見てくると、どうして明治権力が朝鮮半島に侵出したか、しかも朝鮮半島をいわゆる植民地化せずに“内地化”して、インフラ整 備を徹底的に施し、“内鮮一致”を押し進めたかがわかる。 つまり日本が稼いだ富を祖国・朝鮮半島にせっせと注入したのだ。 また日本国内に在日朝鮮人を大量に残し、厚遇してきたかもわかる。 権力者どもにとっては同族だからだ。 わざと(ユダヤの指示で)日本国内に火種を残したとも言えるだろう。北による拉致だってわかったものではない。 総連や北の工作員だけでなく、こうした闇のルートが拉致に介在した可能性もあるし、現在も小泉や安倍という朝鮮系の人間が首相をやって いるのだから、闇は深まるばかりだ。  さらに鬼塚氏は興味深いことを書いている。 明治天皇の生母とされる中山慶子(つまり孝明天皇の種をもらった女性)の墓が東京・文京区の豊島ケ岡墓所にある。 ところがこの明治天皇の生母の墓を、明治天皇を始め皇族まで誰も参拝に行っていないのだという。 http://cosmo-world.seesaa.net/article/

  • 寂しさとの戦い

    寂しさを埋めるには何が有効か参考として教えてください。

  • どんな闘いを見てみたいですか。

    最近、ディスカバリーチャンネルで、ジャガー対アナコンダというDVDが出てましたが、あなたはどんな動物と動物が闘うのを見たいですか?また、トリビアでカブト虫の最強決定戦がありましたが、あなたはどんな虫と虫が闘うのを見たいですか?また、分かりにくい動物や虫は参考になるものを用意してください。

  • あたたかい=あ、戦い?

    温かい=あの戦い、ですか? つまり、どういうことですか?

  • 負けられない戦いがある。

    負けられない戦いがある。 というようなものを身近には何がありますか。? 日本はデンマークにサッカーでは負けられないところにありますね。 私は、小学生の娘とテレビ番組の主導権を渡す訳にはいかないレベルの低い戦いがあります。(時間によりですけどね)

  • たたかいとは

    戦い(闘い)とはいったいなんなのでしょうか。 皆さんは戦いをどういうものだと認識していますか? 教えてください。