• 締切済み

愛国心が強すぎる人の性格をどう考えるか?

昔読んだ「易しい哲学」とか言ったタイトルの書で、考えの違いは性格の違いによる、という確かアメリカの哲学者の説が解説されていました。この哲学者の名を思い出せないし、今調べてみても出て来ないのですが、これだけで推測できるでしょうか?分かる方教えて頂けませんか? で、私の体験では正に「考えの違いは性格の違いによる」と感じています。 私は政治的にはリベラルに属すると思いますが、右翼系の人たちの考えが理解に苦しみます。それで昨日、集中的に数時間右翼系の識者政治家たちの主張をYouTubeで聞いてみました。何が彼らをそう考えさせるのだろうと探りました。 気が付いたのは彼らには「国」という概念が非常に強いということです。それに反し、「個」の概念が殆んどないということです。従って「人権」という概念も余りないように見えました。 リベラル派に愛国心がないとは言いませんが、右翼系の人には強烈にあるのを感じます。中国、韓国、米国とヤタラ、国を意識した発言が多いように感じました。 人間誰しも、生まれ育った国に愛情を感じるのは自然だと思うのですが、その意識が強烈な人というのはその意識の下に何があるのでしょう?性格の違いから来るとしたら、どういう性格なんでしょう?詳しく解説してくれる心理学者・哲学者がいないのでここで質問させて頂きました。 宜しくお願いします。

みんなの回答

  • bekraf
  • ベストアンサー率42% (16/38)
回答No.9

私見ですが、人は仕事、恋愛、家族、趣味などそれぞれにバランスよく存在意義を見出しますが、 右翼系の方は自らの存在意義の大半を愛国心に向けているように見受けられます。 愛国心だから理解に苦しむなら、趣味だったら理解しやすいのではないでしょうか。例えば強烈な電車オタクとか。 理解できなくても、電車でなくサーフィンなら理解できるかなと思います。 趣味より深く強く感じるのは存在意義+正義感(人によっては+自分は正しいという反発)が伴うからかと思います。 反発はつまり、周囲に反対されても、「自分は間違ってない、正しいんだ」と強く思ってしまうのでしょうかね。 心理学的にも、自分がしていた事は正しい或いは間違っていない(肯定しがちで否定しにくい)と思ってしまうってのがあります。 否定されても、他国を例に上げる、比べることにより、自分の意見を肯定しやすいのかもしれません。 以上が純粋な右翼に対しての私見です。 まぁ多くの場合、所属する組織によっては自分の利益(お金など)になるってのがあるとの噂です。。 おそらくパフォーマンスが多いのでしょうね。

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回答No.8

パトリオティズムが強い人=愛情が深い人 ナショナリズムが強い人=理性が弱い人 色々と例外はありますが、凄く一般化すると、上記の様に私は考えています。

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  • SPROCKETER
  • ベストアンサー率26% (2042/7622)
回答No.7

 江戸時代までは、高い山の山頂に登って周囲を見渡し、見える範囲が国であるという理解が普通だったように思います。国というのは、知覚出来る限界を意味する言葉だったのではないでしょうか。  それに比べると、現在の国という概念は曖昧で、地図に書いてある領土全てが国であり、見たことも行ったこともない場所も国内という認識になります。  高い山から見た範囲の国は、確かに自己の生活空間の限界域という概念として理解しやすいですし、それが失われるのは危機感を持てますが、見たことも行ったこともない場所を指して国と言われても、国土という認識が薄くなるのは否めないと思います。  国土が広い大国ほど、分離独立運動する勢力がいるのは、人間は本能的に国の認識範囲が狭いからだと思います。国境に近い離島に住んでいる人達から見ると、外国との関係が無視出来ないので、国が必要という認識が強いはずですし、国境から遠い首都圏の大都市に住んでいる人ほど、国という認識が希薄になる傾向があるように思います。  日本が特殊なのは、軍事力と言うと、国民や領土を守る為では無くて、権力者の利益を守る為であるというエゴイズムが最優先されて来た歴史があることで、その為に、植民地が崩壊すると、自国民を守らずに軍事力だけを移動させたり、植民地を等価交換するという愚行を犯したり、国民の領土意識を無視した政治を繰り返した失敗があるわけです。  右翼が言う国とは、我々が常識的に認識している国ではなくて、軍事力で奪える範囲全てが国という認識から抜け出せておらず、それは逆に言えば、国と信じている領土が、他国の軍事力で奪われる恐怖感を併せ持っていることです。  要するに軍事力があれば、国境は変わるもので、軍事力で国境は決まるものだという認識です。そういう認識が辿り着く結末は、核武装による絶対防衛というもので、核兵器信者を生む結果に繋がっています。  過去に遡って考えれば、核兵器が無かった時代は戦艦大和や航空母艦の赤城などが戦略兵器だったわけで、今では、あんな軍艦があっても国を守れないという認識が定着しています。核兵器も同じで、それを超える兵器が開発されれば、再び認識が変わる結果になるわけです。  精密誘導ミサイルやロボット兵器が戦争を決める時代になっているのに、前近代的な兵器しか持たず、軍隊でもない自衛隊が国を守れるでしょうか。核兵器も無く、何も守るものがない原発が海岸に野晒しで置かれている無防備国家が、国を守れるでしょうか。  こういう国を危うくする政策に対して何も言わず、役に立つはずがない軍事力に信頼を置く人達が、国を守れるとは思えません。性格というよりも、妄想障害にかかっている人達と捉えた方が良いように思います。  軍事力だけで国境が決まるのだったら、日本という国は大昔に大国に吸収されて無くなっていたはずです。それが今もあるのは、それだけでは決まらないものがあるからでしょう。  売国奴が国や国民を外国に売り飛ばして、真実を隠して来た歴史があるのが、日本政治の裏側です。その点に触れないで国を語ることは出来ないでしょう。今も国や国民を外国に売って、真実を隠す政治が続いているわけです。  日本ほど、権力者側から見た国と、国民の側から見た国の認識が大きく掛け離れた国は無いだろうと思います。  経団連会長の言葉ですが、「労働力が足りないのであれば、外国人を雇え。」というのがあります。失業している多くの国民の愛国心を傷つける言葉でしょう。

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  • kohichiro
  • ベストアンサー率21% (306/1447)
回答No.6

アメリカの哲学者の名前は存じ上げませんがその他のことで感じたことを。 考えの違いとは、それぞれが自分が信じられる複数の思想から別々を選ぶ(意識的に、あるいは無意識的に)ことで成立するわけでしょうから、論理的に選択が限定されていなければ、偶然ひとつを運命的に選択するか、そのひとの感情、あるいは性格が決めることだろうと思います。 ここで定義されている右翼系のひと、いわゆる愛国主義とでもいう人たちの性格の一般的なかたちを問うておられるのなら、それは簡単だと思います。愛国とは、結局自己愛の発現ですから、やはりエゴイストである、自己中心的なひとがそうなりやすいということでしょう。 誰でも自分のことは自分で守らねばならない(他人は守ってくれない)という本能的なものはあります。しかし、じぶんだけにかまっているということは、他人が見えなくなるというということで、世界全体をある程度客観的に見ながら、じぶんを大事にしていくという操作が必要になってくるわけです。愛国主義者はこういったことが苦手なように見えます。 自分の国は、確かに一番重要です。しかし他国の人間も対照的にその反対の思いを持っている、そういう想像力を持てば、愛国主義という単純な、ある意味いびつな思想は成立しなくなると思うのですが、どうでしょうか。

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  • SPS700
  • ベストアンサー率46% (15295/33014)
回答No.5

 僕は余り愛国心が強い方ではありません、でも海外に住み始めて周りの人間が強い愛国心を示すと、不思議な気持ちになります。  例えば、イギリス人たちとロシアに行った時、ウォッカなどで相手国に外交辞令の乾杯を繰り返した後「何と言ってもイギリス第一」と言った意味の同じ歌を歌って女王に乾杯する、  僕は、こんな時、疎外感と優越感と少々の羨望を混ぜた変な気がします。ちょうど応援に来た連中が自分のチームの勝利に酔い痴れているのを外から見る感じです。  ここまではいいんですが。周りがそれぞれ強烈な愛国心を露出し始めると、自分の薄弱な愛国心を自己防衛のために強固にしなければいけないような気になることです。  幸いそう言うよその国の人とは離れ、もっぱら外国の人と付き合っても自国の欠点を感情的にならないで露呈できる人々を選ぶことが出来るようになり、幸いだと思っています。

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回答No.4

国の3要件があり、その行政地域が国になるので、民族=国でもないです。 でも、日本人の国の行政単位ではあります。 地理などの範囲ですけど、移動距離は以前より近く、安価になってます。 海路、空路、通信など。 確かに自分の行政単位に無関心だとたしかに不安ではあるものの、地域という意味は日本の場合は海に囲まれているとはいえ、近い地域の一つでもあると思います。 できれば、日本はとか思想 ではなく、周辺の国に旅行して学んでくる方がよっぽど、国益にもですし、何かに貢献していると思えます。 アジア地域は確かに外国でもインドなどよりはるかに近い文化ですが、やはり外国です。 自国の文化に没入せず、見直す機会でもあるかと思います。 地域統合の中で、の話が現在の社会や技術にそう形かと思います。

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回答No.3

性格そのものを扱っているわけではありませんが 社会学者/宮台真司氏のブログは参考になると思います。 http://news.livedoor.com/article/detail/9429898/ 要約すれば ・自称愛国者(=ネトウヨとします)は知性だけではなく感情が劣化している ・反知性的 ・B層「社会的弱者なのに、それを自覚できないIQの低い連中」 ・とるに足らない連中だが、官邸にいいように利用されている あと、個人的には それらの自称愛国者は国籍以外に誇れるものがない、 かわいそうな人々だと思います。 自己肯定感がなく変な宗教にはまる人と根は同じなのかもしれませんね。

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回答No.2

簡単です。 性格的には自己というものが無いのです。 つまり自力ではなく他力中心ってことです。 自力本願ではなく他力本願ってことです。 そのような人は自己がないので常に集団指向になります。 回りを見渡せばそんな人間はいっぱいいます。 大概は低学歴で教育水準が低くクズの類です。  

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  • catpow
  • ベストアンサー率24% (620/2527)
回答No.1

>>生まれ育った国に愛情を感じるのは自然だと思うのですが、その意識が強烈な人というのはその意識の下に何があるのでしょう? 単純に「自国が好き!」っていうだけではなく、過去において、自国と相手国(中国、韓国、米国等)との関係において、許し難いことを相手国からされた、また、中国・韓国については、「あれだけ助けて、国の発展に日本は貢献してやったのに、恩を仇で返してくる!!」ということを歴史を通じて学んでいるからだと思います。 その結果として、日本という国を守りたいという心が強烈に出ているのではないでしょうか? 国を失って、放浪の民になったユダヤ人のことを考えてみれば、「自分の国がある」ってことは、どんなに有りがたいことか分ると思います。 そして、今までの歴史と、現在の国際情勢を考えてみたら、核兵器を持たない日本は、国が無くなる可能性が割と高いといえます。 ですので、日本の将来を憂う右翼の方たちが国を意識した発言になるのも当然だと思っています。

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