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山月記
李徴は山上で月に咆える。悔しいのか、慨歎か。 いやむしろ月を愛でているのではないか。 それは自己と宇宙を愛でているのではないか。
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何度か読み返しているうちに疑問を持ったのでまた質問させていただきます。 虎になった李徴が袁慘に語っている場面で後半の方に そういうとき、おれは、向こうの山の頂の巌に上り、空谷に向かって吼える。この胸を灼く悲しみをだれかに訴えたいのだ。 とありますが、李徴の言う悲しみと言うのは 虎になってしまった現在のことなのか、詩家として成功できなかった過去のことなのか、または全く別のことなのか… 何に対しての悲しみなのかはっきりとはわからなかったので もしよろしければ回答お願いします
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お礼
確かに半人半獣では、人間の感受性などの可能性はないですね。 でも人間であるものが共感して思いやると、こんなことかなと想像したわけです。 ありがとうございました。
補足
自己の場がない、皓皓と夜空に映える月を愛でること以外に何も持たない李徴。 私を考えるとそんな風に見えてきます。 まぁひねくってつもりはなく、李徴がすごく私に似ているのです。身に染みる。だから李徴たる私にはまぁ独りよがりの悲壮感で、誰もかれもが居なくなった。私の場がない。という事で夜空に映える月を愛でることしか場がない。或は李徴も僧だったのかなという思いでした。 ありがとうございました。