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最もアナーキズムに近い思想

photoslipperの回答

回答No.4

いや、極左思考の究極系はあくまで共産主義でしょう。 共産主義を究極に推し進めると、最終的には政府という存在が無くなった状態になるという、理想社会的な形態があることに着目して、「極左は政府を不要とする思想」などと極論を言う人が居ますが、政府がない状態は共産主義の思想の目的ではなく、有る共産主義社会においての結果でしかないモノだと思われるんですよね。 共産主義思想(つまり、財産を共有する考え方)すべてが、無政府主義を目指すものではありません。 アナーキズムは、どちらかというと、結果でそうなる思想ではなく、その無政府状態(無秩序ではない)を形成するための思想と言えそうですから、結果として「ある共産主義の一形態」同様政府がない状態が出来上がるので、「政府がないという状態は同様」だが、その他の政治システムが「有る無政府になる共産主義の一形態」=「アナーキズムにより無政府状態になった政治体制」とは言えないと思うんです。 無政府状態というのは同じでも、共産主義の思想で推し進めた社会と、アナーキズムで推し進めた社会では、社会構造が同じになる事は考えられないですよね。 で、質問者様の気づきに言及すると、拝金主義を究極に推し進めていくと、「アナーキズム」の無政府状態が形成されるというのは、正しい考え方だと私も思います。 ですが、(1)「極左=完全な人類の財産共有=共産主義」であるとするなら、今回質問者様が気付かれた「究極の拝金主義=アナーキズム」これに(1)「極左=完全なる・・・」がイコールで結ばれるとは思えません。 なわけで、究極の拝金主義=極左は違和感があるんですね。 そもそも政府の存在が「左」と言うことにお気づきでしょうか? 政府は、共産主義に近づくほど、システムが煩雑になり大きな政府になり、資本主義や自由主義に近づくほど、小さな政府になる傾向があります。 人間社会での「政府」の役割は、「財産の再配分」がメインなんですね。それって何かって言ったら、「財産の共有+公共への還元」、つまり税金という形で財産を共有し、みんなのため、公的なモノに還元する。コレが役割なんです。 コレなんだっけ? 財産を共有してみんなに戻す。あれ? 共産主義じゃん。そういう話になるんですね。 そういうわけで、逆の「右」=「政府を支持する」というのも、厳密には当てはまらないんですね。政府を支持している人が右翼かと言えば、そうとも言えないんです。 マイナンバーを思い出してください。アレは、「財産の共有をより公平平等厳密にする」共産主義的なシステムです。今回自民党をなんでもかんでも支持している人が、エセ右翼と言われるゆえんですね。 マイナンバーなど、税の取り立て「強化」部分は極左政治に通じる政策なんです。 彼らが右翼や保守と呼称されるのは非常に違和感がありますよね。共産主義体制まっただ中の政策だからです。 左と、右の考え方が、必ずしも対局・反対、対立軸に存在する思想ではなく、別の思想だと言うことに着目すれば、今回の話は分かりやすくなるかと思います。

YKANAJAN
質問者

お礼

ご回答いただきましてありがとうございます。 いくつかの点で、私と解釈が異なるようでした。 >政府がない状態は共産主義の思想の目的ではなく、有る共産主義社会においての結果でしかないモノ そうでしょうか?マルクスは、抑圧機関としての国家が死滅した社会の建設を目指していた(というか予見した)のではないですか? その意味で、財産・生産手段の共有化はむしろ手段であり、目的は国家の消滅だったと思います。 >アナーキズムは、どちらかというと、結果でそうなる思想ではなく、その無政府状態(無秩序ではない)を形成するための思想と言えそう この点は同意します。 >「極左=完全な人類の財産共有=共産主義」であるとするなら そもそも、イデオロギーとしての"左翼"や"右翼"は厳密に定義するのが難しいと思いますが、もし強引に定義するならば、下記のようになると思います。 "左翼"とは"自由主義、抑圧からの解放"を重視 = 王権・宗教勢力・富農や財閥の経済秩序・軍閥等の抑圧機関の破壊 "右翼"とは"秩序の維持や高貴なものへの服従"を重視 = 王権・神・富農や財閥・軍閥等の秩序の支持 上記のように整理すると、ほとんどの右翼・左翼を分かりやすく整理できると思います。 >究極の拝金主義=極左は違和感があるんですね。 当初の質問分にあるとおり、拝金主義と極左がイコールで結ばれることはないと思っています。 なぜならば、極左的イデオロギーに基づく社会って、そもそも社会秩序が成り立たないと思うからです。 そこで、拝金主義ならばどうか?と思った次第です。 >そもそも政府の存在が「左」と言うことにお気づきでしょうか? それは、左翼=私有財産の存在を認めないもの、という前提があってのことですよね? 前記のとおり、左翼とは抑圧機関の破壊と解放を目指すものだと思っています。 財産の共有化に関しては、共産主義の目的ではなく、手段だと思います。 >逆の「右」=「政府を支持する」というのも、厳密には当てはまらないんですね。政府を支持している人が右翼かと言えば、そうとも言えないんです。 これは同意します。昔、革新的右翼というのもいましたしね。日本の右翼でも、皇室を敬愛したり民族主義は称揚するが、政府は敵視する、ということはよくありますね。 >マイナンバーを思い出してください。アレは、「財産の共有をより公平平等厳密にする」共産主義的なシステムです。今回自民党をなんでもかんでも支持している人が、エセ右翼と言われるゆえんですね。 マイナンバーなど、税の取り立て「強化」部分は極左政治に通じる政策なんです。 面白いものを持ち出しましたね。 私はあれは、どちらかといえば左翼だと思います。 理由はマイナンバー制度が個人主義的であるからです。 たとえばマイナンバーは、戸籍制度を前提としていません。 戸籍制度は、人間を家族という単位で管理する発想に基づくもので、父権的な思想がそもそもあります。 しかし、税金の取り立てがシステマチックになるという意味では、どちらかといえば右翼的かな?と思います。 税の取り立て自体が個人の抑圧、という意味がないでもないので。

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