- ベストアンサー
日本史 銀本位金本位
- みんなの回答 (4)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
>みたいなことはうっっすらとわかりましたがこんな感じでいいですか? こんな理解で、大丈夫です。 補足的に言うと、江戸時代までは「関西は、銀通貨。関東では、金通貨が主流」でした。 金銀両通貨が併用さtれていたので、明治政府としても迷ったのでしようね。 が、世界標準として「金」を基本としました。
その他の回答 (3)
- kia1and2
- ベストアンサー率20% (482/2321)
昔は、金も銀も同じ値段で、紙幣に「この紙幣持参者に同額の金(または銀)と交換する」と記載ありの兌換紙幣。これが金なら金、銀なら銀本位制です。紙幣発行者は、手持ちの金(銀)以上の紙幣の発行は出来ません。
- FEX2053
- ベストアンサー率37% (7987/21355)
金本位制では、その国が発行する紙幣は、「金」と一定比率で交換できる ことを保証します。これを兌換紙幣と言うのですが、兌換紙幣を発行する 以上は、その国に十分な「金」の準備が必要です。 逆に言えば「その国が持っている金」以上の紙幣が発行できいなわけで、 経済が発展して外国と取引が増えると、国内の「兌換紙幣」がどんどん 「金」に替えられて国外に出てしまい、「金」が不足してしまい、紙幣が 発行できなくなるんです。特に日本は国内で金の産出が少なかったので、 いきなり「金本位」は無理だったんですね。 ですが、歴史的に日本には山ほどの「銀」がありました。「銀本位」なら 余裕で紙幣の発行に耐えられたので、一旦「銀本位」にしたんです。 ところが、金と銀は相場が違うために、外国と貿易するときに自国通貨の 価値が安定しません。やっぱり外国と同じ「金本位」じゃないと不便、と 言うことになって、日清戦争で得た多額の賠償金を元手に、金本位に戻った んです。 ただ、金本位制というのは「その国が持っている金以上の紙幣が発行でき ない」という問題が常に付きまとうので、貿易が発展するといつかは破綻 します。現在の「管理通貨制度」は、そういう「破綻」を経て成立した ものだという視点は忘れないようにして下さい。
今お使いの1万円札は1億円分作って費用は20万円程度のただの印刷物です。 なぜ1万円の価値がある、とお考えでしょうか。 意識されてはいないと思いますが日本銀行を信頼しているからです。 日本銀行が信用ならん、ということになると大混乱が起きます。 19世紀にはまだ国も中央銀行も余り信用されていませんでした。 金銀は歴史的にもその重さで取引をされ通貨としての役割を果たしていました。 この為に、日本銀行が予め金を用意していて、持ってくれば金と交換しますとお札に書いてありました。 兌換紙幣と呼びます。 アメリカのドルなども同じでした。 この状態ですと、保有する金の量を越えるお札を発行できません。 このように金銀の量に基づいてお札を流通させることを本位制と言います。 金本位は金の保有量を基にしています。 銀本位は銀の保有量を基にしています。 現在はドルと円は直接交換されますが、本位制の場合には、ドルなら金何g円なら何gと金の量を基にして交換されていました。 ご指摘の事項は、これを明治時代に金を基にしたり銀を基にしたりしていたということです。 金銀複本位は金と銀を合わせた総量を基にしているということです。 実際は経済が発達するのにつれて名目上のこととはなりました。 銀行へ行って金に換えてくれという人がいなかったということです。 そうは言っても国内の金の量は管理されていました、 歴史では金の輸出制限とか金の解禁とか言われる事項がありますが、これも元はと言えば国内の金の量が無制限に増減することを抑えていたためです。 現在は国や日本銀行を信頼していて、金銀の量に関わらずにお札が発行されています。 管理通貨制度と呼びます。
関連するQ&A
- 金銀本位制と不換紙幣
松方正義の財政を勉強しているのですが、彼が銀本位制や金本位制を確立した後、日本国内から不換紙幣はなくなってしまったのでしょうか?それとも兌換紙幣と不換紙幣とが並存していたのでしょうか? また、金本位制や銀本位制が確立されている国家では不換紙幣というものは発行されないものなのでしょうか? どなたかご存知の方お教えいただければ幸いです。
- 締切済み
- 歴史
- 1871年 新貨条例と金本位制にする理由
1871年に金本位制をたてまえにして、新貨条例がでます。しかし、政府はこの頃、金貨をほとんど持っていなくて、貿易に使っていた江戸時代の銀貨も含めた金銀複本位制をとった。ここまでの理屈は間違いなくわかっているのですが、政府はなぜ金貨をほとんどもっていないのに、国内の金保有量と紙幣量がバランスをとっていかないとやっていけない金本位制を実施しようとしたのかわかりません。 私の予想としては、次の3つくらいなんですが、、、 1、欧米諸国が金本位制で取引をする場合、銀の需要が低くなり、銀の価値が低下して、日本は金貨一枚分の品物を買うのに、銀貨を最初は5枚、価値が落ちる毎に6枚→7枚→8枚→9枚というふうに、銀の価値が下がっていって日本国内の銀流出が進むから。金本位にしようとした。 2、欧米が金本位制を実施するので、ただ日本もそれを真似した。 3 金本位制はあくまでたてまえであって、実質的な金銀複本位制になるのはわかっていた。しかし金本位をたてまえにし「日本は金本位制です」ということを欧米に示すことで、貿易を少しでも有利にしようとした。 どうでしょうか。
- ベストアンサー
- 歴史
- 教科書を読んでも全くわかりません
はじめまして。大学受験の日本史の事で聞きたいのですが松方財政のところがさっぱりです。普段新聞とか読まないので不換銀行券とか兌換義務を取り除かれた国立銀行とかもう意味がプーさんです。あと金本位制とか銀本位制とかもよくイメージがつかめません。どうかあほぅな僕に松方財政のところを詳しく教えてくださいませんか?
- 締切済み
- 歴史
- 江戸時代、なぜ大坂は銀本位制だった?
つい先ほどまでは何も考えずに江戸時代、江戸の経済は金本位制 大坂の経済は銀本位制と頭に入れていました。 でも疑問が湧きました。 当時、大坂は日本一の経済都市です。世界に先駆けて信用取引や 先物取引を始めた所。とすると江戸よりも商取引の規模も大きく自然、 銀よりも価値の高い金を貨幣の中心にしようと動きがなかったのでしょう? 先ほどテレビ番組の「銀二貫」で主人公たちが二貫の銀を重そうに持って いる。もし金貨(大判・小判)なら少ない量で同じ価値を表したはずですよね (すみません計算が苦手で)。 経済規模が大きくなるほど価値の高い金属を貨幣としついに 金属を離れた信用で紙幣が、さらにPCなどの電子信号で取引 されるのが流れのはず。 と書きながらふと仮説が浮かびました。 江戸は将軍と大名中心の都市、ですからお金のやりとりは 今で言う政府の公的な財源なので動く高も大きくまた立派な 金貨(大判・小判)を必要とした。もちろん庶民にとっては滅多に 拝めないお金に違いないけれど。対して大坂は公的な存在はほぼ 皆無でお金のやりとりは日常の商取引でお金のやりとりは銀貨の 方が使いやすかった。のではないか? 長くなってすみません。この件についてどなたかご教示くだされば 感謝です。もちろん僕のような勝手な私見をのべていただくのも 大歓迎です。宜しくお願いします。
- ベストアンサー
- 歴史
- 金本位制度の拡大復活について
バカな意見かもしれませんが、金本位制を金だけでなく、世界中で汎用性があり、ある程度保存の効く、例えば100種類くらいの物質に価値を与えてみたらどうでしょう?金・銀・銅・プラチナ・リン酸・窒素・カリウム・小麦・大豆・トウモロコシ・米・ジャガイモ・水・綿・麻・絹、など『人間の生活に必要不可欠なものトップ100』を決めて、それらが貨幣価値を支える・・・。金だけより、貨幣が多く刷れるので大きな経済規模にも耐えられるのではないだろうか、と思います。でも、これではただの物々交換でしょうか・・・。
- ベストアンサー
- 経済学・経営学
- 銅がなぜ貨幣として広く使われてきたのか
銅がなぜ貨幣として広く使われてきたのか 近代以前、お金といえば洋の東西を問わず、「金、銀、銅」の3種が材料として使われてきたと思います。江戸時代は「江戸の三貨」といわれ、小判(金)、丁銀(銀)、銅銭(寛永通宝)が決済に利用されたと聞きますし、中国でも通常の少額決済には銅銭、多額の決済には銀が使われたといいます。 金や銀に普遍的価値があるのは常識ですし、錆びない貴金属としての価値が本位貨幣としての通用力に影響を与えたというのは容易に理解できることです。 一方で銅は卑金属であり、その金属としての価値は鉄やスズと比べて大差ないように思えます。少なくとも金銀と並び称されるほど「誰もが価値を認める」金属ではないと思えるのですが、なぜこれが貨幣として通用したのでしょうか。「金本位制」や「銀本位制」というのは聞きますが、「銅本位制」というのは聞いたことがありません。 特に中国や日本ではコイン(銭)といえばそのほとんどは銅銭でした。逆に金や銀のコインはほとんど作られていません。西洋では金貨や銀貨は作られていましたが、同じように銅貨も作られ、非常に普及していました。銅が貨幣の材料として洋の東西を問わず普及したのはどういった理由からなのでしょうか?
- ベストアンサー
- 経済
- 金本位制から固定相場制へ
金本位制から固定相場制への経済の変遷を勉強していたのですが、 よくわからいことがあり質問させて頂きます。 まず、1点目は、 金本位制は、国内外の決済を「金」により行うことで、各国の通貨は予め定められた比率で金と交換できる、 と理解していますが、そもそも各国の通貨の比率はどのように決まっているのでしょうか。 例えば、1円=金0.75グラム、1ドル=金1.5グラムのように 固定相場制なのでしょうか??? 次に、2点目は、 ブレトンウッズ協定について参考書に、 「IMFは戦前のような為替切り下げ競争を回避するため、固定相場制を維持することを決めた」 と書いてあったのですが、 ここで、為替切り下げ競争とは何か?? また、固定相場制を維持するとはどういうことか?? (1ドル=360円、というように「決めた」ものを維持する、という意味が良くわからないのです。。。) どうぞよろしくお願いします。
- 締切済み
- その他(社会)
- 金本位制
こんにちは。学生です。 学校の課題で、「金本位制/管理通貨制度の概要・今日における問題点・考察」というものが出されました。 概要はなんとか、調べあげて理解することができたのですが、今日における問題点を書くことができません。 以下の文は、先生が言ったヒントとなるもののようです。 「みなさんの知識では、「1929年10月のニューヨーク株式暴落をきっかけに世界恐慌がはじまり、日本も巻き込まれて大変なことになり、植民地をほとんどもたない日独などは世界の再分割を求めてファシズムと侵略に走った」という感じになっていませんか。たしかに、1930~32年の日本は、空前の大不況(昭和恐慌)に見舞われました。けれども、世界恐慌のどん底から回復したスピードでいえば、主要国の中で日本が最速です。次がドイツ。アメリカは最も遅くて、回復は日米開戦後の1943年とされます。恐慌が即、ファシズムや侵略につながったというのではなさそうです。実はこの1930年代、世界恐慌というのは、単なる不景気ではなく、世界の社会構造を大きく変えた転換点なのでした。そのことの意味と、その現代的・今日的な意味合いを、金解禁(1930年1月)および高橋財政(1931年12月~1936年2月)という具体的な事例を通して検討しましょう。」 なにか、ヒントでも良いので、お答えいただけると幸いです。 よろしく御願いします。
- 締切済み
- 歴史