• 締切済み

「長雨(ながあめ)」と「春雨(はるさめ)」読み方

ふと今日気がついたのですが 「長雨」は「ながあめ」と読むのに 「春雨」は「はるさめ」(はるあめではなく)なのは、どうしてですか。 「長」も「春」も訓読みなのに。 ご存じでしたらご教示ください。 よろしくお願いします。

  • Rozsy
  • お礼率99% (1459/1471)

みんなの回答

  • kine-ore
  • ベストアンサー率54% (808/1481)
回答No.7

#5です。 この「あめ」について、「「あま─」(雨音・雨脚など)と母音交替を起こす現象とは逆」といいいましたが、より正確にいえば、これは「同行の他の音への転化」現象であって、一方の子音[s]が添加された「─さめ」の方は「同列の他の音への転化」という側面からすれば、両者には行と列の違いや前接と後接の順逆こそあれ、同じ「転音」現象ではあるのだという点を強調しておきます。 決して接頭辞が加音された上で、しかも約音が起きたといった特別な事情が「あめ」に発生したと堅白するには及ばないでしょう。 このような「同列の他の音への転化」現象としては、「稲」が単独での露出形としては「いね」と呼ばれるが複合語の後接要素において「─しね」(「和稲(にぎいね→にぎしね)」「御稲(みいね→みしね)」など)と発音される例が挙げられます。 「青」についても、「真青」はそのままの読みでは「ま・あお」でしょうが、「同行の他の音への転化」現象が生じて子音[s]が添加された「─さお」として「ま・さお」に、さらに促音転訛して「まっさお」となったものでしょう。 「寐寝(いね)の目(いねのめ)」が「いなのめ」に転音し、しかもそれに子音[s]が添加されて「しののめ」となり「東雲」と漢字が当てられたケースなども連想します。

Rozsy
質問者

お礼

再度ご説明くださいまして、有難うございます。 なるほど、勉強になりました。

  • Postizos
  • ベストアンサー率52% (1786/3423)
回答No.6

たしかに、おもしろいですね。  雨(あめ)は天と同根と書かれています(岩波古語辞典)、つまり空や天界を指してそこから降ってくるからでしょう。 すると「さめ」という読みはおそらく「さあめ」の短縮形ではないかと思料いたします。 「さ」を古語辞典で調べたところ次のように書かれていました。 ————————————— さ《接頭》名詞・動詞・形容詞の上につく。語義不詳。 「さ霧」「さ百合」「さ牡鹿」「さ走り」など。 「うらさぶるこころさまねしひさかたの天のしぐれのながらふ見れば」〈万八二〉 (岩波古語辞典) ————————————— 語義不詳と堂々と書かれています。 接頭語「さ」のつく言葉を同辞典で眺めて行きますと「さ衣」「さ曇り」などがありました。  他に「ささめく」「さめき」「さめざめ」「さわぐ」などの擬態語も多く、また春雨などは激しく降り続ける雨ではなく小雨を思わせる、村雨(叢雨)も時折激しく降る雨であって、「さ」がサウンドを表して語感を作るという説は有力のように思えます。  ただ「ひさめ」が古語で大雨を表すというのはちょっとここから外れているようですが、語感に合わないから現在使われていないとも言えるのではないでしょうか。  「あめ」と言うと「むらあめ」が「むらーめ」のようになって言いづらい・聞き取りづらいというのはわかるとして、だったら「ながあめ」はどうなんだと言われると確かに謎です。やはり「さめ」では長く降り続ける語感が無い(「さ」がさっと降るという語感を加えるために使われている)というのが理由ではないでしょうかね。  「さ」は本来無い音なのだけれど付け加えられているという意見です。  なお、五月雨の「さ」は五月の「さ」と同じで〈神稲〉を表す「さ」から転じて5月をあらわすとのこと(岩波古語辞典)で、この「さ」は別物だというのが同辞典の説でした。「さ乱れ」という項もあって、「五月雨と掛けて使う」とあります。別物説です。

Rozsy
質問者

お礼

ご回答を有難うございます。 難しいですが深い考察で興味深く拝読しました。

  • kine-ore
  • ベストアンサー率54% (808/1481)
回答No.5

露出形(単独で使用)の発音「あめ」が、複合語の前接要素(被覆形)で「あま─」(雨音・雨脚など)と母音交替を起こす現象とは逆に、複合語の後接要素において「─さめ」(春雨・霧雨など)と発音され、子音[s]添加がなされる現象もまた生じています。 「長雨(ながあめ)」も古形が残された方言では「ながさ」と遣われています。これは子音[s]が添加された「ながさめ」という中間形があったものと推定できるものです。 出処: 「ながさ 長雨。霖雨。静岡県志太郡」(東条操編「全国方言辞典」東京堂出版) 「氷雨」は今日では一般に「ひさめ」ですが「ひあめ」とも遣われており大型の辞書なら載っています。 「大雨」は「おおあめ」ですが、「ひさめ」とも読みます。 1)ひちさめ(漬ち雨)→ひっさめ→ひさめ(撥音の無表記) 2)ひさあめ(久雨)→ひさめ(ア音の脱落) 3)ひたあめ(直雨)→ひさめ(タの転音とア音の融合) >「春雨」は「はるさめ」(はるあめではなく)なのは、どうしてですか。  : 「あめ」でも特に、降る雨の側面から捉えた複合語の後接要素は、「さめ」として子音[s]添加がなされる現象をなすようで、それにも次のように三傾向に仕切れそうです。 1)被覆形が名詞(…に降る雨) 春(に降る)雨、秋(に降る)雨、村(に降る)雨、夜(に降る)雨 2)被覆形が形容(…のように降る雨) 糸(のように降る)雨、霧(のように降る)雨、叢(となって降る)雨、群(がって降る)雨 3)被覆形が事情や接頭辞(…として降る雨) 樹(から降る)雨、小(小降りの)雨、氷(氷粒として降る)雨

Rozsy
質問者

お礼

ご丁寧に色々と教えてくださいまして どうも有難うございます。 全く知らないことばかりで勉強になりました。

  • msMike
  • ベストアンサー率20% (363/1775)
回答No.4

春雨ね、私大好き、美味しいです。 ついでに、“さめ”をまとめてみました。 大雨→おおあめ、ひさめ 霧雨→きりさめ 氷雨→ひさめ 樹雨→きさめ 叢雨、群雨、村雨→むらさめ 甚雨→ひさめ

Rozsy
質問者

お礼

ご回答を有難うございます。 春雨美味しいですよね、私も好きです。 「樹雨」は初めて聞きました。きれいですね。

  • bakansky
  • ベストアンサー率48% (3502/7245)
回答No.3

#2 の回答者の方の最後の結論に同意です。 雨 という文字の読みとしては、ご指摘のように音読みなら ウ であり、訓読みなら [あめ] か [あま] ということになります。 「雨降り」 は 「あめふり」 なのに 「雨漏り」 はなぜ 「あめもり」 ではなくて 「あまもり」 なのかとなると、「雨漏り」 の場合は m + 母音 という形が連続していることが関係しているのかな、という気がしますが、専門家でないのでエラそうな説明はできません。 ただ、「五月雨」 をなぜ 「ごがつあめ」 と読まないのか、ということになれば、これは古くから 「さみだれ」 という言葉があって、それに漢字を当てはめたものだ、という説明には説得力があるように感じます。「時雨 (しぐれ)」 や 「梅雨 (つゆ)」 などもそうです。 「長雨 (ながあめ)」 という語も、昔からあったようです。ただし、和歌などでは [a] という母音の連続を圧縮して [ながめ] とされていることが多いとか (百人一首に 「花の色はうつりりけりないたずらに わが身 世に降るながめせしまに」 なんて有名な歌がありますが、あそこでは 「眺め」 と 「長雨」 を重ね合わせているそうです)。 辞書を見ると「五月雨」 は 「さ」 という接頭語に 「乱る」 が接続したものとあります。「乱る」 は 「みだりに ~ する」 という言い方があるところからすると 「やたらに ~ する」 という意味があるのかも。すると 「五月雨」 は 「五月ころに やたらと 降り続く雨」 という解釈もできそうに思えます。そこから 「さみだる」 → 「さみだれ」 という名詞が生じたのかも。 さらに 「さみだる」 という音と 「雨」 のイメージが結びつき、さらには語頭の 「さみ」 の部分と 「雨」 のイメージが結びつき、[さみ] → [さめ] という音韻変化が生じたのではないか、というのは私の即席の思いつきですが、あえて付記しておきます。 要するに、他の回答者の方が指摘しておられるように、「さめ」 というのは 「雨」 という文字の 「訓読み」 の 「読み方」 の1つであるというのとは、わけが違うと思うのです。

Rozsy
質問者

お礼

ご回答を有難うございます。 ふとした思いつきでしたが、 非常に深く色々なことにつながっているようで驚きました。 とても難しいですね。

noname#210555
noname#210555
回答No.2

http://linguisticrootsofjp.web.fc2.com/expressiontowonder/exptowonder_58.html こういう説もあるようです。 名乗り読みは…それ自体の説明は横路なので割愛、 その内容も割愛しますが あれって人名用なんですよね。 じゃあ雨「サメ」って名前に使った人や有名人いるのかな?と。 まあ時雨やら梅雨やらあるわけだし 音に字を当てたといわれる方が納得な気はしますが。

Rozsy
質問者

お礼

ご回答を有難うございます。 「音に字を当てた」が理由ですと、 子供の頃から妙にあっさり納得していました(それ以上掘り下げられなかったので)。 ふとした思いつきで質問しましたが 思いも寄らず深いご回答を多々いただき、 驚きましたが色々と大変勉強になりました。

回答No.1

  雨の「さめ」という読みは、「名乗り」と呼ばれる音訓以外の読み方で、人名等に使用される場合の読みです 音読み:う 訓読み:あま あめ 名乗り:さめ ふる 春雨の他に氷雨(ひさめ)村雨(むらさめ)秋雨(あきさめ)霧雨(きりさめ)なども有ります 日本語は難しいですね、時雨は「しぐれ」と読みます  

Rozsy
質問者

お礼

ご回答をありがとうございます。 はい、本当に難しいです・・・(涙)。

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