• ベストアンサー

【歴史】江戸時代の大工さんの日当が現在の貨幣価値で

【歴史】江戸時代の大工さんの日当が現在の貨幣価値で日当1万8000円ぐらいだったそうです。 で、1両小判が現在の貨幣価値で10万円くらいだったということは、江戸時代は庶民も1両小判を普通に持っていたと考えても良いってことですか? 庶民でも1両小判(10万円相当)を持ってたか教えてください。 1両小判が10万円なら、大判小判は1両小判の10倍の100万円ですか?

  • 歴史
  • 回答数1
  • ありがとう数2

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
noname#212058
noname#212058
回答No.1

日当1万8000円になるような大工は、よほどの腕利きか監督クラスです。普通の土木作業員と考えてはいけません。 守貞謾稿という書籍によれば、大工の手間賃は 1日350文(8千円くらい)だったようです。しかも、雨などで仕事ができなければ全く実入りはありません。さらに江戸では「宵越しの銭は持たない」という風潮がありましたので、すぐに散在して1両になるまでため込むのはよほど商才のある人に限られたのではないでしょうか。 また、江戸自体の貨幣には銅銭、銀、小判(金) があり、町民・商人は専ら銅銭や銀で取引したようです。小判を見る機会自体も少なかったでしょう。

sonicmaster
質問者

お礼

みなさん回答ありがとうございます

関連するQ&A

  • 江戸時代の貨幣制度について

    お世話になります。 江戸時代の貨幣価値を,およそ1両=10万円とした場合,1文=25円になります。 でもそれだと25円が最低単位になってしまいます。 それ以下の物ってたくさんあったと思うんですが,そういう場合の取引ってどうやってたんでしょうか?

  • 大正時代の貨幣価値について

    大正時代の貨幣の価値について教えてください。 例えば当時の10円は現在のいくらに相当するのですか? また、どのようなページで調べる事が出来るのでしょうか? ご存知の方、教えてください。 宜しくお願い致します。

  • 江戸時代、なぜ大坂は銀本位制だった?

     つい先ほどまでは何も考えずに江戸時代、江戸の経済は金本位制 大坂の経済は銀本位制と頭に入れていました。  でも疑問が湧きました。  当時、大坂は日本一の経済都市です。世界に先駆けて信用取引や 先物取引を始めた所。とすると江戸よりも商取引の規模も大きく自然、 銀よりも価値の高い金を貨幣の中心にしようと動きがなかったのでしょう? 先ほどテレビ番組の「銀二貫」で主人公たちが二貫の銀を重そうに持って いる。もし金貨(大判・小判)なら少ない量で同じ価値を表したはずですよね (すみません計算が苦手で)。  経済規模が大きくなるほど価値の高い金属を貨幣としついに 金属を離れた信用で紙幣が、さらにPCなどの電子信号で取引 されるのが流れのはず。  と書きながらふと仮説が浮かびました。  江戸は将軍と大名中心の都市、ですからお金のやりとりは 今で言う政府の公的な財源なので動く高も大きくまた立派な 金貨(大判・小判)を必要とした。もちろん庶民にとっては滅多に 拝めないお金に違いないけれど。対して大坂は公的な存在はほぼ 皆無でお金のやりとりは日常の商取引でお金のやりとりは銀貨の 方が使いやすかった。のではないか?  長くなってすみません。この件についてどなたかご教示くだされば 感謝です。もちろん僕のような勝手な私見をのべていただくのも 大歓迎です。宜しくお願いします。

  • 大工の日当は、いくら位が妥当でしょうか?

    大工の日当は、いくら位が妥当でしょうか? はじめまして、こんにちは。 現役の大工techanです。 歴史上にもよく登場する、大工の日当。 その時代の賃金の参考にされたりしています。 その日当、最近、下がってきています。 サラリーマン、他の自営業者の方から見て 大工(木造住宅在来工法)の日当って いくら位が妥当だと、思いますか? 今の会社の日当、安すぎて、辞めようかなって 思っています。 地域なども明記していただけると幸いです。

  • 江戸時代(文化・文政の頃)の貨幣価値について教えてください。

    江戸時代の貨幣価値について(質問番号4596458)の回答を拝見しました。 そのことに関わって、私の家にある古文書の中の言い回しでわからない部分があるので教えてください。 古文書の日付は「文化二年二月二十四日」です。 その中の一言に「大工手間飯代共 貳貫四百目」とあるのですが、 (1)「目」は「匁」と解釈してよいと思うのですが、「貫」とはどういう単位なのでしょうか。「一貫は何匁」なのでしょうか。それは、現在の「円」に換算していくらなのでしょうか。 (2)その古文書の中に「手間代銀六百目」とありますが、「銀」とは現在の「円」に換算すればいくらになるのでしょうか。 (3)その古文書の中に「手間代銀六百目 但シ貳百工也」という標記があるのですが、その「工」は、大工手間だと思うのですがいかがでしょうか。「貳百工」というのは、大工手間が延べ二百人分と考えてよいのでしょうか。 よろしくお願いします。

  • 江戸時代の貨幣と現代

    質問のカテゴリが間違っていたらすみません。 井原西鶴の本を読んでいて思ったのですが、よく話の中に○○両と出てきます。 現在の貨幣価値で言いますと、一両いくらくらいになるのでしょうか。 参考になるようなサイト・書物などがありましたら、それも教えて頂きたいのですが。  よろしくお願いします。

  • 江戸時代の1両の価値は?

     「必殺仕事人」を見ていて気になったのですが、江戸時代の1両の価値は現代でいくらぐらいになるのでしょうか?ご存知の方がいましたら教えてください。

  • 江戸期秤量貨幣の形の不規則性の理由

    江戸時代の秤量貨幣(丁銀や豆板銀)は,なぜ,小判のように整った形をしていないのでしょうか。 教えてください。

  • 江戸時代の庶民の貯蓄

    江戸時代は、1町5反持ちの本百姓は10両の貯蓄があったみたいですが、10両貯蓄できただけでも大したもんなんですか? 聞いた話しでは本百姓は米の他に麦も作るから、若干お金に余裕があったみたいです 江戸時代の庶民の貯蓄平均額は、どれほどのもんなのか興味があります

  • 江戸時代の庶民は歴史教育を受けていた?

    「戦記物」と言えば、今も昔も人気のジャンルですが、定番の「太平記」「平家物語」 などが江戸時代から小説や演劇の分野で人気を博していたそうです。 「戦記物」というジャンルは、時代設定とか登場人物がある程度把握できて いないと話が分かりにくいので楽しめないと思います。 江戸時代の庶民の学校での教育内容とは「読み書き・算盤」というイメージが ありますが、実は高度な歴史教育が為されていたのではないかと推測できます。 江戸時代も我々現代人と同様に学校で歴史の教育を受けていたのでしょうか?