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母が子を想う句を教えて下さい
母が子を想う気持ちを詠んだ句を教えて下さい。 俳句、短歌中心に、何でも構いません。 句の意味も併せて教えて頂けると嬉しいです。 よろしくお願いします。
- mineruva_owlet
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>母が子を想う句 ↓ ◇旅人の 宿りせむ野に 霜降らば 吾あが子羽はぐぐめ 天あめの鶴群たづむら(遣唐使随員の母) 旅人が仮寝をする野に霜の降る夜には、どうか我が子を羽で包んでやっておくれ。天翔り行く鶴の群れよ。(訳:伊藤博) ◇命をあげよう:ミスサイゴンより https://www.youtube.com/watch?v=HmMgCvg916E ◇とどめおきて誰をあはれと思ふらむ子はまさるらむ子はまさりけり(和泉式部) ・・・(あの子は、親である私と自分の子供を)この世に残して亡くなって、いったい誰を一番不憫に思っているでしょうか。自分の子供を思う情の方がまさっているでしょう。(私も)子供を思う情の方がまさっていると分かりましたから。・・・
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- yanagigawa99
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親思う心にまさる親心 意味 子供が親を思う心よりも、 親が子供を思う、慈愛の心のほうが、深いということ。 解説 江戸時代の終わりに、幕府を非難したため、安政の大獄で、処刑された吉田松陰が、死の直前に残した言葉のようです。 親孝行であった吉田松陰が、自分の処刑に当たって、親が自分の死んだことを知って、どんなに悲しむだろうかと、親に先立つ 親不孝を悲しく思って作った歌のようです。このことわざには、「けふの音づれ何と聞くらん」という下の句があるようです。 全部の句の意味は、「私が親を思う心よりも親の慈愛のほうが優れている。だから、今日の私の死を、親はどんな思いで聞くのであろうか」 となると思います。 どうでしょうか?
お礼
回答ありがとうございます。 この言葉は聞いたことがありましたが、吉田松陰の句だったのですね。 死の間際になって尚このような句を詠むだなんて、彼がいかに親想いだったのかが分かる気がします。
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- 文学・古典
お礼
回答ありがとうございます。 教えて頂いた句も歌も、どれも親の子を思う気持ちをひしひしと感じて、大変参考になりました。 時代は変われど、親の気持ちは変わらないものですね。