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神が全知全能の造物主だと誰が言ったんですか?

purizunaの回答

  • purizuna
  • ベストアンサー率100% (1/1)
回答No.17

 ふたたびおじゃま致します。    NO.9さんの主張もなかなか興味深く拝見させていただきました。  私の見解としては、「無」に関する思考は東洋人的思考で、元々西洋宗教にはなかった考え方なので、やはり日本人的というか、どちらかといえば「仏教」的刷り込み思考によるものではないかと考えます。  まぁ、シュウキョウと呼ばれるものの全てが元々、個人の哲学による押し付けで、それを「集団」で推し進めてきたものだから、「個人的見解」では説得力をなさないがために、何かしらの神秘性やカリスマ性を持たせるためにひねり出したのが「神様」という代物なのだと私は理解しております。  少し感じた事を述べさせて頂くとすると、この意見交換の場において、議論の根本を何かしら一本の種類に絞らないと混乱と矛盾を生むばかりなような気がします。  哲学には哲学をということなのですが、宗教に個人の哲学を取り入れても不毛なやり取りにしかならないと感じるのです。  また、科学的見地に基づく主張も同様に思います。  これを踏まえて私の主張は  「シュウキョウのオシエ」は集団的哲学による押し付けである。  「神」は押しつけを正当化する人間よる創造物であると結論致します。  全て、私個人の経験則に基づきます。  

bragelonne
質問者

お礼

 そうですね。まづは ご回答をありがとうございます。  腰を落ち着けてお応えするご回答が このところ続いていて うれしい限りです。あそびの――あそびは好きですが 脱線し過ぎもいただけません――投稿が目だっていました。  さて これはどうもきちんと シュウキョウに対する質問者としての哲学の立ち場というものを まづ初めにお示ししたほうがよいようです。  神を定義します。そして それは 想定です。  (1) 《かみ》とは何か――《非経験の場》と想定――    経験事象      可知        既知        未知      不可知(知り得ないと証明されたもの)        非経験の場(経験事象を超えたところの場)      非知(知り得るか知り得ないかが知り得ないナゾ)  (2) 《かみ》を《信じる》とは?     ――《非知なる非経験の場》を心に受け容れること――     神を心に受け容れると その心に《非思考の庭》が成る。     これが 信仰の動態である。     ただし目に見えない。     思考に非ずなる庭としてかつ動態として わたしに寄り添っている。     (または わたしが この庭をとおして 非知なるナゾに寄り添っている)。     《思考》の問題なら この非知なるナゾは有るか無いかが決まって来る。     非思考ゆえに それは有るとも無いとも決めかねる。     よって この神を有ると言っても無いと言っても 同じことになる。  (3) 《非思考の庭》の位置づけ     信じる:非思考の庭:ヒラメキをつうじて 思考などとつながるか     ------------------------------     考える:思考の緑野:コギト。言葉・概念となっているものの思考     感じる:感性の原野:直感。センスス・コムニス(共通感覚⇒常識)   ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ (4) 《オシエ》は 言葉で表現された文章であるかぎり 《考える》の対象です。  (5) シュウキョウは 《信じなさい》という言葉を発しますが じつは往々にしてこのオシエを信じよ・つまりは 無条件に鵜呑みにして受け容れよ・つまり行き着く先としては権限関係の上の者の言うことに従え ということに実態としてなると見ます。  (6) オシエは 信仰ゆえに得られた観想や直観としてのヒラメキから概念を得てそこから理論づけて来たものだと見られます。ただし 文章となるとすでに《思考》の問題とその領域に足を踏み入れています。個人の内面における《非思考の庭》からすでに離れました。つまり 《信じる》とは無縁です。口でそう言っているだけになります。  (7) ヘブライイズムやヘレニズムに《無》の思想がなかったとか。   ここで取り上げようとしていることは イエスが去って行ったあと弟子たちの新約聖書をつうじて言おうとしたことは 《わたしは有る》というヤハヱ―なる神は もし普遍的な非知なる神であるなら すでにそれが有ると言おうが無いと言おうが 同じことなのだということだと捉えます。  (8) イエスのイの字もキリストのキの字ももう言わなくてよいということ キリストなる神というのも要らないということ この方向性が打ち出されたのだと見ます。それでこそ 普遍なる神であると見られるからです。  哲学としての神学は こんなところでしょうか。今回のご回答内容に反応するとすれば こういうかたちになるかと考えます。  

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