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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:言葉・貨幣・法律は 量子論的世界像の外にある?)

言葉・貨幣・法律は量子論的世界像の外にある?

ok9608の回答

  • ok9608
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回答No.2

No1です  私は記憶細胞研究などの専門家ではありません。たんに科学とか哲学に興味をもつ ただのおっさんです。 少し追加説明をさせて下さい。 『ちょっと ふと思ったことは 《言葉がいかに――神経細胞等において――機能しているか》についての科学的認識と 《言葉をどう使ってひとは互いに意志疎通をおこなっているか》の問題とは 微妙に違うと思うのですが どうですか? 後者は 哲学の問題ですね。』とご指摘がありました。それに対しては 神経細胞と言葉の関係は いろんな切り口があるとおもいますが 一つは言葉の記憶メカ二ズムの解明でしょう。特定領域の記憶細胞が分子構造レベルの変化(まだ明確には分かってはいない)をしたとき  記憶とされると思われます。単語は 複数細胞が絡まっていると思われますが そのルールはまだ分かっていないと思います。分子構造の変化は構成要素の原子であり電子の配列の変化であり 厳密には 電子レベルの説明は量子力学を用いないとできないでしょう。他方 コミニュケーションにおける言葉の問題は 言葉がお互いに記憶されているということが 一つの基礎にっており それ以上の記憶問題を 普通は掘り下げる必要はないと思います。 コミニュケーションをもとに哲学を論ずる場合は 電子配列を決める量子力学は必要ないと思います。  『 ということは ミクロとマクロとは 一たん切れたような状態になっているが 基本的に《地続き》だと見るのですか』とご指摘がありました。それに対しては 科学では厳密にいうと地続きとみるべきでしょう。しかし 限定された科学とか 哲学では ミクロが解明されていなくても十分にマクロだけで理解されることはあると思います。 解明者がどのレベルで納得しうるかによると思います。

bragelonne
質問者

お礼

 ok9608 さん ご回答をありがとうございます。  ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~  他方 コミニュケーションにおける言葉の問題は 言葉がお互いに記憶されているということが 一つの基礎にっており それ以上の記憶問題を 普通は掘り下げる必要はないと思います。 コミニュケーションをもとに哲学を論ずる場合は 電子配列を決める量子力学は必要ないと思います。   ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ なるほど。そしてつまり 何かひとつの同じ問いに対してその答えは ひとによりいろいろですよね。これは 電子配列の基礎作業があるその上で 別の世界としてのように 思考や意志表示やそれらの互いのあいだの伝達が成り立つのだということですね。  ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~   『 ・・・ミクロとマクロとは 一たん切れたような状態になっているが 基本的に《地続き》だと見るのですか』とご指摘がありました。それに対しては  科学では厳密にいうと地続きとみるべきでしょう。しかし 限定された科学とか 哲学では ミクロが解明されていなくても十分にマクロだけで理解されることはあると思います。  解明者がどのレベルで納得しうるかによると思います。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ そうでしたか。だとすると 言葉・貨幣・法律も ヒトの身体をつうじて《地続き》であることに変わりはない。のですね。  つまり お嫌でしょうけれど 前身の質問では次のような見解がしめされたわけです。:  ◆ (前身の質問への回答No.1) ~~~~~~~~~~~~~~   http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa8913071.html  階層現象性を表面的に=いい加減に捉える事で、有限な  存在性(お金や言葉)は生じているという事だから、  「量子相互作用は 言葉・貨幣・法律にまで及ぶか?」と  いう問いへの答えは、否であろう。  根のない果実(虚実?)に、大地の栄養は届かない。  量子性を環境に適応する物理とは、そうした虚妄を無に  還元するもの以上ではあり得ない。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ すなわち  ★ 解明者がどのレベルで納得しうるかによると思います。  ☆ というかたちの違いはあっても 基本的にミクロの世界は 基礎となっているのだと。  《マクロだけで理解される》としても それはミクロの世界からすっかり離れてしまって 宙に浮いているといったことではあり得ないのだと。  なんだかクダラナイことを問うてしまいましたね。  ありがとうございます。さらに修正やら補足やらがありましたら よろしくお願いします。

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