• ベストアンサー

ドイツ音楽、オーストリア音楽の違いとは?

Tann3の回答

  • Tann3
  • ベストアンサー率51% (708/1381)
回答No.4

 面白そうな議論ですね。一口かませて下さい。  私には、ドイツ人、オーストリア人の知人はあまりいないので、あくまで日本人として見ている立場での一意見です。  まず、この議論で言っている「ドイツ」「オーストリア」が何を指すか、はっきりさせる必要があるでしょう。  ドイツ語を話す同じ文化圏と考えれば、同じまたは類似の文化圏といえるでしょう。  中世からナポレオンによって消滅されるまで、同じ「神聖ローマ帝国」を構成する国家群でしたから。ドイツ各国は皇帝となりうる「選帝侯」でしたが、後半はオーストリアのハプスブルク家がほとんど「神聖ローマ帝国皇帝」を独占していました。 (その意味で、ヒトラーは、神聖ローマ帝国を第一帝国、1871年の統一ドイツ帝国を第二帝国、自分の政権を第三帝国と呼びました)  逆に、「ドイツ」と「オーストリア」とは違う、という立場に立つと、次のような疑問が生じます。 (1)「ドイツ」とは何か。1871年の「ドイツ帝国」誕生までは、「ドイツ」という国家はなく、プロイセンやバイエルンやザクセンやハンザ同盟自由都市が割拠していた。当然、バッハ、ベートーベン、シューマンからワーグナーの最晩年まで、こんな状況だった。(ワーグナーのパトロンだったのは、バイエルン王国の国王であったルートヴィヒ2世) (2)「オーストリア」は、1918年までは、中欧の小国ではなく、ハンガリー、チェコ、ユーゴスラヴィアの半分(スロヴェニア、クロアチア、ボスニアなど)、北イタリアまでを含んでいた。  この辺を現在の地図をベースに取り扱うと、架空の議論にしかならないと思います。  これに加えて、「音楽家」と「国家」の関係は、さらに複雑です。  質問者さんは、音楽にも歴史にも詳しいようなので、下記のような疑問にどう答えるかの回答をお持ちのようですが、私にとっては答えが出せません。 (1)ベートーヴェンは、ドイツのボンで生まれ育ちましたが、音楽家としての活躍はもっぱらウィーンだった。 (2)ハイドンは、オーストリア人と言われるが、生まれた所はハンガリーとの国境近くだし、人生の大半を奉公したエステルハージ公はハンガリーの貴族である。 (3)ブラームスも、生まれ・育ちはハンブルク、作曲のほとんどはウィーンである  私にはオーストリア人の知り合いはいませんが、オーストリア人(特にウィーンっ子)は、ベートーヴェンやブラームスを「おらが作曲家」と思っているのではないでしょうか。  ベートーヴェンやブラームスは「ドイツの作曲家」か「オーストリアの作曲家」か、こは答えがないのではないですか? (4)生粋のウィーンっ子ヨハン・シュトラウス2世も、代表作「こうもり」の仮面舞踏会で「チャルダッシュ」を歌わせているし、ハンガリーを舞台とした「ジプシー男爵」というオペレッタもある。ウィンナ・ワルツとして人気の高い「宝のワルツ」はこのオペレッタの音楽。  ヨハン・シュトラウスの意識では、「ハンガリーはオーストリア」ということだったのだろうと思います。 (5)マーラーも生まれはボヘミアだが、「チェコ人」と呼ぶ人はいない。  似たような例に、ドイツ生まれのゲオルク・フリードリヒ・ヘンデルがあります。日本では「ドイツの作曲家」と教わりますが、イギリスに行くと「ジョージ・フレデリック・ハンデルは英国の作曲家である」とされています。確かに、音楽の勉強はイタリアで、イギリスに帰化して人生の2/3をイギリスで過ごしていますし、代表作「メサイア」は英語のテキストに作曲、「水上の音楽」はテムズ川での舟遊びのために、「王宮の花火の音楽」もロンドンの祝典のための音楽です。  このような「人の移動」に加え、ヨーロッパでは上のオーストリアの例のように「国境の移動」というのもたくさんあります。  現在のフランスの都市ストラスブール Strasbourg は、かつてはドイツの都市シュトラスブルクでしたし、ブラームスが名誉博士号を授与されて「大学祝典序曲」を贈ったブレスラウ大学は現在のポーランドにあります。  なんか、とりとめもなく書いてしまいましたが、私なりの考えは、音楽は「国家」「国土」に帰属するのではなく、あくまで作曲家個人に帰属する、ということです。もちろん、「民謡」のような音楽は土地に根付いていますし、特に「歌曲」は言語に依存する部分が大きいと思います。また、作曲家も人間なので「気候・風土」「育った環境」「伝統」の影響を多分に受けるとは思います。でもそれは「環境」であって「国家」「国土」ではないと思うのです。  従って、現在の地図上の国家、国土としての「ドイツ」「オーストリア」に基づく議論なら、あまり意味がないのではないか、というのが私なりの判断です。  質問者さんは、音楽に対する造詣が深いようですので、まだお読みでないなら下記の本をお勧めしたいと思います。どちらも一般向けの新書・文庫本なので、安いし入手も容易です。ちょっと斜に構えた、ドイツ音楽以外からの視点が新鮮です。 岡田 暁生・著「西洋音楽史~「クラシック」の黄昏」 (中公新書) http://www.amazon.co.jp/%E8%A5%BF%E6%B4%8B%E9%9F%B3%E6%A5%BD%E5%8F%B2%E2%80%95%E3%80%8C%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%B7%E3%83%83%E3%82%AF%E3%80%8D%E3%81%AE%E9%BB%84%E6%98%8F-%E4%B8%AD%E5%85%AC%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E5%B2%A1%E7%94%B0-%E6%9A%81%E7%94%9F/dp/4121018168/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1421546678&sr=1-1&keywords=%E8%A5%BF%E6%B4%8B%E9%9F%B3%E6%A5%BD%E5%8F%B2 石井 宏・著「反音楽史~さらば、ベートーヴェン」 (新潮文庫) http://www.amazon.co.jp/%E5%8F%8D%E9%9F%B3%E6%A5%BD%E5%8F%B2%E2%80%95%E3%81%95%E3%82%89%E3%81%B0%E3%80%81%E3%83%99%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%B3-%E6%96%B0%E6%BD%AE%E6%96%87%E5%BA%AB-%E7%9F%B3%E4%BA%95-%E5%AE%8F/dp/4101332916/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1421546702&sr=1-1&keywords=%E3%81%95%E3%82%89%E3%81%B0%E3%83%99%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%B3

NemurinekoNya
質問者

お礼

こんにちは。 ☆。ドイツ各国は皇帝となりうる「選帝侯」でしたが、後半はオーストリアのハプスブルク家がほとんど「神聖ローマ帝国皇帝」を独占していました。 ◇ですね。 カール6世(1740)がなくなったときに、ハプスブルクは神聖ローマ帝国皇帝の地位を、一度、失っちゃいますけれどもね。 そして、有名なマリア・テレジアの旦那さんが神聖ローマ皇帝になった(1745)。 この時、皇位継承を巡って、プロイセンなどとは戦争までしています(オーストリア継承戦争)。 歴史的に見て、 ハプスブルク家とフランス、そして、プロイセンとは仲が悪いんですよ。 特にフランスと…。 だから、マリー・アントワネットはフランスに嫁いだ。 マリー・アントワネットとモーツアルトには、ちょっとしたエピソードがありまして、 神童モーツアルトがマリア・テレジアの前で御前演奏をしたあとに、モーツアルト転んじゃうんですよ。 そして、 転んだモーツアルトが起きるのを手助けしたのがマリー・アントワネットで、 この時、7歳のモーツアルトは「大きくなったら、僕のお嫁さんにしてあげる」とプロポーズした♪ ☆(1)「ドイツ」とは何か。1871年の「ドイツ帝国」誕生までは、「ドイツ」という国家はなく、プロイセンやバイエルンやザクセンやハンザ同盟自由都市が割拠していた。当然、バッハ、ベートーベン、シューマンからワーグナーの最晩年まで、こんな状況だった。(ワーグナーのパトロンだったのは、バイエルン王国の国王であったルートヴィヒ2世) ◇そう、だから、これらの音楽をドイツ音楽と一括りで扱うのはかなり無茶なのかもしれません。 そして、こうした文化・風土的な違いは、今日のドイツにも色濃く残っているようです。 ☆(2)「オーストリア」は、1918年までは、中欧の小国ではなく、ハンガリー、チェコ、ユーゴスラヴィアの半分(スロヴェニア、クロアチア、ボスニアなど)、北イタリアまでを含んでいた。 ◇18世紀までは、スペインもハプスブルク帝国だったんですよ。 ☆(2)ハイドンは、オーストリア人と言われるが、生まれた所はハンガリーとの国境近くだし、人生の大半を奉公したエステルハージ公はハンガリーの貴族である。 ◇第一次世界大戦後に、オーストリア・ハンガリー二重帝国が解体するまで、オーストリアとハンガリーは一つの国ですよ。 少なくとも20世紀以前の歴史や文化を考えるとき、 たとえ異なる民族、異なる言語を話していたとしても、 一人の王をいただく一つの国であって、この両者を分けて考えるべきではないのでしょうね。 ドイツ、オーストリア、そして、オーストリア、チェコとはかなり事情が異なるように思います。 ☆ 私にはオーストリア人の知り合いはいませんが、オーストリア人(特にウィーンっ子)は、ベートーヴェンやブラームスを「おらが作曲家」と思っているのではないでしょうか。 ◇ですよ。 そして、 ウィーン・フィルのメンバーは、ドボルザークも「オラが国の作曲家だ」と思って弾いているに違いない♪ ☆ ヨハン・シュトラウスの意識では、「ハンガリーはオーストリア」ということだったのだろうと思います。 ◇です。 少なくともこの時代はハンガリーとオーストリアは一体ですから、分けて考えるべきではないのでしょうね。 ☆(5)マーラーも生まれはボヘミアだが、「チェコ人」と呼ぶ人はいない。 ◇マーラーは、ボヘミア出身とはいえ、ドイツ語文化の色濃い村で生まれ育ち、そのために幼少からドイツ語を話していましたから。 さらに、ウィーンで音楽教育も受けていますしね。 マーラー自身には、自身がオーストリア人であることに対して何の違和感もなかったんじゃないですかね。 小さい頃からキリスト教の教会にも通っていたようですから、ユダヤ人としての自覚も薄かったんじゃないですかね。 ただ、彼の周囲の多くの人は、そうは考えていなかったようですけれど…。 回答、ありがとうございました。

関連するQ&A

  • ドイツ、オーストリア、ロシアはクラシック音楽の本場という感じですが、実

    ドイツ、オーストリア、ロシアはクラシック音楽の本場という感じですが、実際に彼の国々では、クラシック音楽が普通に聞かれているのでしょうか。例えば、若い人は、それよりも大衆流行音楽の方が好きなのでしょうか?また、欧州では、クラシック音楽で一番人気の高い作曲家誰なのでしょうか?

  • ドイツの作曲家を教えて下さい

    ドイツ、オーストリアなどのドイツ圏の作曲家を思いつく限りたくさん教えて下さい。 ドイツに関係の音楽を研究したいのですが、とりあえず、最初のインスピレーションとしてどんな作曲家がいるのかを、みなさんに教えていただきたいです。 バロックから現代に至るまでのありとあらゆるドイツ系の作曲家が知りたいです。 どうかお願いします!

  • クラッシック音楽について

    クラッシック音楽というと、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン、とかブラームスとかバッハとか思い浮かべるのですが、こういう緻密に作曲された交響曲とか協奏曲とかは、現代では作曲する人はいないのでしょうか? ベートーベンの「運命」に対抗できるのは現代作曲家の○○の「□□」だ、とか・・・例えば。 現代人で交響曲を作曲する有名な方と代表曲みたいなのがあったら教えていただきたいのですが。 ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンなどの残した名曲というのは現代では作曲不可能なのでしょうか・・・私が知らないだけなのでしょうか。 クラッシック音楽と言われる名曲の現代版というものがありましたら教えていただきたく、宜しくお願いいたします。m(_ _)m

  • クラシック音楽の壁紙

     デスクトップに作曲家や演奏家の壁紙を貼り付けたいのですが、いいサイトがあればご紹介ください。作曲家ではバッハ、モーツァルト、ベートーヴェン、ワーグナーあたりがいいのですが、作曲家、演奏家とも、幅広い好みを持っていますので、クラシック音楽関係であれば、特に選り好みはしません。

  • なぜ偉大な作曲家はドイツ人が多いのか?

    いつも疑問に思っていたのですが 一般に偉大とされる作曲家はバッハ、モーツアルト、ヴェートーヴェンとかだと思うのですが この3人はみなドイツ人です。 素朴な疑問としてなぜドイツ人が多いのでしょうか? 当時文化度でいけばイタリア、フランスのほうがドイツ(オーストリアを含む)よりも高い気がしますし 当時オーストリア帝国は栄えていたのはわかります。けれど同じように栄えていたフランスは上記のような音楽に興味の無い一般にも有名な作曲家は出ていません。 そう考えるとなぜ当時のドイツが偉大な作曲家を輩出できたのか疑問です ご存知の方いらしましたらよろしくお願いします。

  • 最近、クラシック音楽に興味がわいてきました。

    最近、クラシック音楽に興味がわいてきました。 そこで質問なのですが、クラシック音楽には題名のある曲(例えばベートーベンの運命)と題名のない曲(例えばベートーベンピアノソナタ1番)があちますが、題名のない曲に込めた作曲者の思いって何なのでしょうか?響き?物語り?またそのようなのはどのように判断しているんですか? これがわかればより一層クラシック音楽が面白く感じられると思うのでよろしくお願いします。

  • ドイツ語で「~の」という言い方

    ドイツ語で「~の」というには、どう表記したら良いでしょうか。 ドイツ語で『ウィーンの宝石』と表したいのです。 『宝石』とは音楽の都、オーストリア・ウィーン特有の音色を持つ楽器を比喩的に表したものです。 ウィーンの産物というニュアンスだと、『Edelstein von Wein』 ウィーン風のというニュアンスだと、『Weiner edelstein』 でしょうか。 どちらが正しいのか、どちらとも正しいのか、 それともどちらも間違っているのか、ご意見いただきたいです。

  • 音楽の教科書にホルストは?

    小・中・高校の音楽教室に必ずある作曲家の肖像画、または音楽の教科書に載ってた著名な作曲家一覧に必ずといっていいほどあったのは、 バッハ、ヘンデル、ベートーベン、モーツアルト、シューベルト、シューマン、ショパン、メンデルスゾーン、ロッシーニ、ドボルザーク、ビゼー、プッチーニ、ワーグナー、チャイコフスキー… といったところで、僕は以上の作曲家の顔も何となく思い出せます。 ただ「惑星」の作曲者のホルストについては授業で習った記憶がありません。それで僕はホルストが、どんな顔なのか知りません。 特に「惑星」の中の「木星」はクラシックの中でもかなりメジャーな方だと思うんですが、ホルストについて学校の授業で馴染みがないのは、どういったことが考えられるんでしょうか(何故ほかの作曲家にくらべてメジャーな存在ではないんでしょうか?)、それとも僕が「通りすぎた」だけで実際には音楽の教科書とか授業で彼についてのこともあるんでしょうか?(現在の教育事情と違うのかもしれないけど…) 僕が思った理由は、「惑星」以外に代表曲がないから?なのかとも思ったんですが… そこらへんのところがよくわからないんで、この僕の疑問について「…だと思う」といった回答でもいいんで教えて下さい。

  • うつ病にやさしい音楽

    今日はうつ病患者に効く音楽を募集したいと思います。 私の場合、クラッシックファンなので陰気な時は 「アルプス交響曲」リヒャルト・シュトラウス作曲 「ツァラトゥストゥラはかく語りき」同作曲 「ニュルンベルクのマイスタージンガー序曲」ワーグナー作曲 などの景気の良い音楽、落ち着きたい時は、モーツァルトを聞いたり 「第9交響曲第3楽章」ベートーベン作曲 「第9交響曲」マーラー作曲 「朝の挨拶」エルガー作曲 「ジークフリート牧歌」ワーグナー作曲 などの静かで沈静するような曲を聞いています。他にチベットの仏教音楽などを聴くこともあります。あとラジオを聞いているとクラッシック、ポップス、懐メロ演歌などが聞こえてきて、それで落ち着いてくる場合もあるのですが、たいてい曲名が分かりません。ラジオから「浪花節だよ、人生は」が聞こえてきて、落ち着いたこともあります。それはそれでいいのでしょう。 音楽療法という言葉もありますが、ジャンルに偏りがある人間は、精神の病になりやすいといいます。クラッシックから演歌まで、ジャンルに囚われずに音楽を楽しめる人の方が、ストレスにも強く、環境適応力もあるそうです。私自身は、少し偏っているような気がします…。 音楽を日常に取り入れていらっしゃるうつ病患者の方がいらっしゃったら、どんなジャンルの曲を聞いているか、お勧めの曲などをご報告頂ければ幸いです。

  • ゲーテ詩『野ばら』の作曲者を出来るだけ多く教えて下さい。

    ご覧いただき、ありがとうございます。 ゲーテの詩、『野ばら』には多くの作曲家(150人以上?)が曲をつけたようですが、 その作曲家を知りたく思い、色んな方法で探してみましたが、数名しか判明せず、 当方に少々必要があり、もっと多くの作曲者を知りたく思っています。 wiki(http://ja.wikipedia.org/)では、 「この詩にはシューベルトの他、ハインリヒ・ウェルナー、ベートーヴェン、シューマン、ブラームスを始め、 多くの作曲家が曲を付けている。」 …とされていますが、 ここをご覧の方のご高識にお訊ねいたしたく、ご存じの作曲者をできるだけ多く教えて下さい。 また、リヒャルト・ワーグナー(Wilhelm Richard Wagner)はゲーテの『ファウスト』を題材にした楽曲を作ったようですが、 ワーグナーは『野ばら』の「多くの作曲者」の中に含まれているでしょうか。 以上、難しい質問かもしれませんが、どうかよろしくお願いいたします。