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仏教の教えの矛盾?

tumaritou1の回答

回答No.22

[生まれ変わる]者に実態がないという意味は、『沸き上がる自分の心』には実態が無いという意味です。我と思っている自分の感情には実態がないという意味です。 ところが生きている実感を感じている『自分』は現実に今此処で生きています。この矛盾が理解し難いところと思います。 沸き上がる感情や考えに付いて云うなら、その時々の感情なり考えとは、『感じさせている者』が内在しているからです。この感じさせている者は、生まれて来た訳ではなくて、死んだからと言っても無くなる者では在りません。 この者は『不生不滅』の存在です。此処の関係性が大変分り難くなっています。 精神疾患等では、その精神疾患を起させているものの事です。うつなどの症状も同じです。寒い時には『暖かいところを探す事を命じながら、身体的には血管を収縮させている者の事です。 高所恐怖症の人では、高いと教えている者の事です。閉所恐怖症も同じです、広場恐怖症も同じです。 人間の心も行動も何時も二つの意識が交代制を維持する事で、正常な毎日が保たれています。この二つの意識の交代性が、ギクシャクし始める時、精神疾患や自律神経失調症や感情障害等のきっかけが始まっています。 詰まり悩みや障害と感じる場合では、その契機となっています、つまり『自分自身の心に矛盾が生じるきっかけになる。』と言う意味になります。詰まり交替制に齟齬が生じると言う意味になります。 眠れないと言う場合を例に取ります、眠る場合では『意識している自分』の意識が朦朧となって、意識が無くなってゆきます、そうして意識が無くなった時には『無意識の自分』が身体と心の支配権を譲られています。朝が来た時『ぐっすりと眠った、爽快感で目覚めます。』自分の心(自意識や自我意識)は全てを『無意識の自分に預けたために』本当に休んでいたからです。 不眠症と言われる状態では、自我意識が、支配権を『無意識の自分に預ける事が出来なくなっています。』是が不眠症の実態です。無意識の自分との交替制がうまく行かなくなった事を意味するからです。 仏教などで悟りを開く体験が語られる事が在りますが、この自分自身と出会う体験の事を言っています。 この体験は『脳の回路構成の発達』を意味する事から、一回での悟りで『一生涯この回路構成が切れる事がなくなります。』この体験を体得と表現する理由が此処にあります。 自我意識は左脳に存在する意識です。感情や考えを湧き上がらせる機能を持っている脳は右脳の機能です。赤ん坊が生まれながら不安や安心を『教えられなくとも知っている事実が在ります。』この機能が『命そのものの働きです。』この命そのものの働きを仏教では『命の働き=仏性』と言っています。 キリスト教なら『神』と呼んでいます。 神や仏とは『内在する右脳の働き=自分自身の命を働かせている機能』の事です。 出会うと分る事ですが、永遠の命、或は永遠の存在、が実感出来ます。自分自身の中に永遠性の存在を実感出来る体験です。この体験以後では、生まれ変わる自分の肉体とか、お金とか、名誉や見得などの価値が色褪せてしまいます。 こう云った現世的なものの価値が 大事と考えてきて迷いの世界に、悩みや苦しみが展開して来た事を実感します。こう云ったものに価値観を見出せなくなってきます。すなわち、在りもしない期待感や、自分の思い込みから成り立っていた、架空の幸福感、或は虚の世界のベールがすっかりと剥がされてしまいます。 嘘で出来ていた世界観のお陰で、悩みや苦しみが始まっていた事が分かる様になります。真実の世界と虚の世界を見分ける第三の目が開けてくる事が分ります。 世の中は真実の世界と虚の世界が同じ空間上に置いて交差しています、こう云った実態が見える時、もう一人の自分が関与しています。 もう一人の自分との対話が、悩みや心の闇や希望となっています、付き合い方の違いです。先程上げた不眠症の例で云うなら、交替制が崩れた事を意味します。 簡潔な書き方をするなら、不眠症とは『無意識の自分』に交替出来なくなった事を意味します。不眠症が治った例え話をするなら、『自分ではもう解決出来なくなってしまったから、全てを諦めて、全てをもう一人の自分に預けてしまおう』という事です。 意識する自分(左脳に存在する自我意識)には出来ない事が分かったから、無意識の自分(右脳の意識=無意識の自分=仏性)に任せよう。となっています。 キリスト教における『神の僕になる』と言う意味です。不眠症の時は、『神をそっちのけにして自分で全てをやろうとしています。』詰まり交替制を拒んでいた事を意味します。 分り難い話になりましたので、或る動画を紹介します。この中で全て語られています。 もし出ないようでしたら、ジルボルト、テーラ脳卒中と検索して下さい。 URL:http://www.youtube.com/watch?v=ldSoKfFYKqM

toto77japa
質問者

お礼

ご回答、ありがとうございました。 永遠の生命が私たち一人ひとりの内にあって、それが自分と言うものを感じさせているだけだから、永遠の生命とは別の自分があるわけではない、と仰りたいと理解しましたが、それで正しいですか? ジルボルト・テイラー氏の「奇跡の脳」は読んだことがあります。 不思議な世界ですね。

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