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仏教の教えの矛盾?

noname#207067の回答

noname#207067
noname#207067
回答No.19

~~~~~~~~~~~~~~ 犢子部(とくしぶ、梵: Vātsīputrīya , ヴァートシープトリーヤ)は、釈迦の没後300年頃に分派した、部派仏教の一派である。上座部系の説一切有部から分派した。 この派は、輪廻の主体としての人格的主体である「補特伽羅」(ほとがら、梵: Pudgala , プドガラ)を、五薀のほかに想定したことが特徴である。その理由は、生命とは五薀の仮和合(けわごう)によって構成された仮の存在で実体を持たない(無我)という説と、人間が死んだ後に輪廻するという、二つの説を説明するためであると考えられる。 「主体が存在しない輪廻」の理解に苦しんだ後代の仏教徒が、無我説と輪廻説をつなぎ合わせるために、苦肉の策として、無自性である五蘊の他に、死後も存続する「補特伽羅」を想定した。この説は、輪廻に主体を想定するため、「補特伽羅」という名称で常住の主体(アートマン)を認めることになる。結果、常住論に陥るため、理論上、輪廻の解脱を語ることができなくなってしまう。 犢子部 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8A%A2%E5%AD%90%E9%83%A8 ~~~~~~~~~~~~~~ ナーガールジュナはプドガラ論者!? http://kaula.blog110.fc2.com/blog-entry-1569.html ~~~~~~~~~~~~~~ アートマンを否定しても輪廻をどうするか 仏教徒はいつも悩んでいたようです。 プドガラとかなんなのという話ですね。

toto77japa
質問者

お礼

>「主体が存在しない輪廻」の理解に苦しんだ後代の仏教徒 やはり、昔の人も、すでにこの矛盾に苦しんでいたのですね。 で、プドガラなるものを持ち込んだが、これでもうまく行かなかったということですか! なかなか、難しいですね。 ご回答、ありがとうございました。

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