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仏教の教えの矛盾?

amenhotep2000の回答

回答No.21

toto77japa さん こんばんは。あけましておめでとうございます。 私は、お経は読めず、仏教の知識はほとんどない門外漢ですが、情報提供として、回答します。情報提供といっても、私が図書館の書庫をあさり、膨大な時間をかけた情報ということを簡単にネットで手に入れるということをお忘れなく。 仏教に無知とは言え、哲学者の西田幾多郎の理解や趣味の茶の湯のため、仏教の禅宗の考えには興味を持ってます。 さて、情報ですが、明治26年にヘーゲルの「歴史哲学の講義」が日本に入ってきて、邦訳として「歴史研究法」という名前で歴史研究者の指南車として紹介されたそうです。 この明治26年、論理学第二期前期において、面白いことに、ヘーゲルの論理学が仏教僧侶から宗教哲学的な意味で採用されたそうです。 これは仏教再組織の気運(おそらく廃仏毀釈)によるものでなく、「哲学的」もしくは「宗教的」要求から論理学が問題にされ、形式論理学は、その際は不問に付けられていることを語っているものと解すべきと思う。と横浜市立大学を創設した、三枝博音という哲学者は見解を述べてます。 余談ですが論理学第二期後期には、日清戦争の戦勝と日露戦争の戦勝をその半ばに持っている時期で、日本人は、世界5大強国に列するという国民意識の旺盛な時代であって、学者もまた、この意識の上に立ち、日本における哲学的諸学科を樹立しようという志向を持っていたそうです。 現在は哲学など、もうやり尽して目新しさはないと、この哲学カテでは回答されていますが、日本の明治時代はそうではなく、私からすれば、うらやましいくらい盛んであったようです。 この時代を生きた田辺元や西田幾多郎も仏教の思想が基盤ですが、西洋哲学の影響を受け、自身の哲学に取り込もうとしたことは推察できます。 書庫で、昭和初期に発刊された、田辺元の本を読みましたが、膨大な時間がかかりました。なにしろ、旧字体なので、漢和辞典(小学校のとき画数をちゃんと習って覚えていて良かった)や旧仮名遣い辞典を引き引き。 さらに、「これは、まさに廬山煙雨浙江潮である。」などと、あたりまえのように書いている。調べたら、蘇東坡の詩で、禅の「悟了同未悟」という悟りの世界に繋がるとやっとわかりました。昔の人は漢文が必須で、解説など要らないのでしょう。 さて、仏教素人の私の見解を書くのは、おこがましいですが、禅宗には、 不断煩悩得涅槃(煩悩を断ぜずにして、涅槃を得) 「本当に心のそこから仏心に近づこうと信心するならば、罪のままの身にも、仏の深い加護によって、涅槃の世界に生まれかわる事が許されるのだ。」 という言葉があります。キリスト教の思想にも繋がる考えかと私は思います。 また涅槃ですが、有余涅槃・無余涅槃という言葉があります。つまりこの世で「我」を捨てて悟りを開き「無」や「空」の境地に達し、あの世でも「無」や「空」でいるための修行? 少なくとも「無」とは「形が無い」訳ではないので、輪廻転生という「形(五蘊の色か?)が、あるのかもしれませんが、あの世にいかなければ分かりません。 生きている現世において不断煩悩得涅槃を目指すのが大事と私は思いますが、仏教の素人なので、お礼にて間違った解釈をしていたら、指摘してください。

toto77japa
質問者

お礼

大変勉強をされているのですね。敬服致します。 今後色々考えて行く上で参考にさせて頂きます。 ご回答、ありがとうございました。

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