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《これは俺のものだ》は 自己意識のあらぬ拡大か?

   【Q:所有とは 何ぞや?――職務発明の所有にちなんで】   http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa8799388.html  上の質問で得られた回答内容から 問いを立てました。  その回答者にあっては 《自我の肥大》といった表現を用いておられます。要するに《所有》とは それだという意味合いです。  次の議論をたたき台として あらためて《所有とは何ぞや?》を問いたいと思います。  ▲ (私的所有権の発生について) ~~~~~~~~   http://www.geocities.co.jp/Bookend-Akiko/5151/link_2001.html  (5) 日本的「富」の観念  これに対して日本では、そのようなキリスト教の精神(*)はもともとなかったのであるから、   * そのようなキリスト教の精神: ~~~~~~~~~~~~~    勤労はあくまでも神への奉仕という形をとって行われるものであり、そこに本来的な形があるものであった。そこではまだ勤労の結果としての私的所有権の意識はあいまいであったのだが、これがカルビニズムによって勤労の結果が得られた富そのものに、価値が与えられるようになると、勤労の結果得られた報酬に対する私的所有権の意識がはっきりとした形をとって現れてくるようになる。    しかしその場合でも、信仰がある限り、結果としての富だけが重視されるわけではなく、その過程としての勤労の精神そのものにも、十分な価値が与えられていた。そのような意味で、道徳的な根拠はまだ失われていなかったのである。    ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  勤労は富を得るためであるという目的意識はかなりはっきりしたものであった。ただその結果としての富が価値あるものであるためには、その富をどのように使うかということが問題であった。  その富が誰のものであるかということに対しては、そこではヨーロッパほどの私的所有権の意識は明確にされず、自分の得た富そのものが社会全体の役に立っているという意識が重視されたのである。  日本の場合には、神による自己の承認という意識はなかったのであるから、自己の承認はどこまでも社会の他の人々から与えられるものであった。正当な自分の労働によって得た富は、必ず社会に還元されなければならないという意識があった。  例えば農民が額に汗して働いてコメを作ることは、そしてそのコメを年貢として上納することは、それを食べる町方の人たちの役に立っているのであった。また、箪笥職人が一生懸命働いて、見事な箪笥を作ることは、その箪笥を必要とする人の役にたっていることであった。  そしてまた、自分が箪笥職人でいられることは、そのような箪笥を必要とする人がいてくれるからこそであった。そのような意味で自分が働いて得た富は、他の人から与えてもらったものであるから、いずれそれは他の人々にも還元しなければならないという意識もあった。  そのような認識は、自分の力で生きているということを戒め、他人の力によって生かされているということを説いた鎌倉時代の浄土宗系の仏教思想によって深められ、徐々に社会に浸透していったものと思われる。  つまりそれは、自分が働いて得た富、つまり私的所有権は必ずしも自分の私的な都合で使うことを許されない富なのである。  この点がヨーロッパ的な私的所有権の考え方と大きく違うところである。  そしてそのような富の使い方をすることによって、「神の承認」ならぬ「人の承認」を得ることが日本人にとっては人生の最終目標であった。  そしてこのことは日本だけの例外的なことではなく、キリスト教のような一神教が誕生する以前の社会では、多くの人々がこのような他人からの承認によって自らの人生の価値を納得していたのである。  一神教というものは人間の歴史のある段階で発生した歴史的な産物であるから、それが発生する以前の圧倒的な長い時間においては、人間は自己の社会性を他者からの承認という形で得ていたのである。そこに日本人の勤勉さの道徳的根拠があった。  つまり一言で言うと、ヨーロッパ社会は「神からの承認」を必要とする社会であったのに対して、日本の社会は「人からの承認」を必要とする社会であったのである。  そうだとすれば、最も恐ろしいことは、ヨーロッパ社会が「神からの承認」を必要としなくなることであり、日本の社会が「人からの承認」を必要としなくなることである。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ 《これは俺のものだ》は 自己意識のあらぬ拡大か? 自我のまぼろしなる肥大によるものか?

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回答No.2

自己意識というのは、財産の私的所有から発生したので、逆ではありません。 そして私的所有、私有財産制が始まったのは英国では14~15世紀であり、中世の封建制の共同所有が解体して以後です。 中世・封建制の時代は土地は領主の所有であり、農民は農奴であり、土地も農奴も領主の所有でしかなかったから、所有意識を持つことは出来ませんでした。 農奴は賦役労働に駆り出され、それは只だったし、農地を耕してもその農産物の所有は領主のもので、農奴はそれの分け前を、生存に必要な最小限を得ていたにすぎなかった。 つまり、所有のないところ、所有意識もなかった、ということになります。 所有意識のないところ、自己意識もない、ということになります。 ところが中世末期に農業革命と年貢の金納制が始まり、独立自営農民というのが登場し、所有意識が高まります。 自分のものは自分のものという私的所有権と、私有財産制が始まりました。 その表現として、自己とか自我の観念が持たれるようになり、17世紀のロックのような労働所有権という思想が持たれるようになりました。それこそが近代哲学の始まりです。 ヘーゲルは「法の哲学」で、所有とは身体の所有だといいました。 それまでの中世では自己の身体でさえ、自己のものではなく、領主の所有でした。 それが自己の身体が自己の所有だと言ったこと、そういう意識を持つことができたということ、それが近代の始まりです。 したがって、所有から自己意識が発生したのであり、逆ではありません。 日本の場合、江戸時代以前の土地は村有であり、領主の所有であり、農民は所有権がありませんでした。 農地は所有意識が発生しないように順繰りに回され、1つの農地を耕すと、次の年には別の農地を耕しました。 そうやってよく取れる農地と、良く取れない農地の平均化を図りました。 それに年貢も、農民がそれぞれ納めるのではなく、村単位で納めるものでした。 そういう時代は個人所有の観念も意識も持てません。 室町時代から江戸時代にかけて、領主は城下町に移り住んで、農地は農民の自治に任せ、村役人である代官がそれを監督しました。 そうやって、徐々に農地の個人所有が促進されて、領主は農民から年貢を取るだけの存在になりました。 江戸時代になると、農地を順繰りに回すこともなく、農民の自己所有になり、それでも年貢は依然として村単位で納めましたが、土地の自己所有、自分の土地は自分の土地という意識が持たれるようになりました。 したがって、我が国の場合、江戸時代から近代的自己所有と私的所有権と私有財産制が始まっていると言っていいと思います。 ただ、近代のように農地を勝手に処分したり、借金のカタに質入れすることは禁じられました。 だから小作人というのは極めて少数でしたが、幕末になると農地を質入れするものが多くなり、小作人も増えて行きました。 本格的に農地の自己所有とその制限が解除されたのは明治を待たねばならず、明治の地租改正で年貢の金納制が始まってからです。

bragelonne
質問者

お礼

 ご回答をありがとうございます。  ★ 自己意識というのは、財産の私的所有から発生したので、逆ではありません。  ★ つまり、所有のないところ、所有意識もなかった、ということになります。 / 所有意識のないところ、自己意識もない、ということになります。  ☆ これには 異なる見方をします。  アフリカから連れて来られた黒人たち つまり奴隷ですね アメリカにおけるかれらは 《自己》をおぼえ自己意識を持っていたので その奴隷状態からの解放を――それにともなって モノの所有を――のぞんだのではないのですか?  エジプトの軛から自分たちを解放したいというユダヤ人たちにしてみれば すでにその以前に自由な民であったので そのような自己の意識を持っていたという意味でしょうか? つまり 例外はあるが 所有とその意識から自己とその意識が芽生えたという理論でしょうか?  それでも 戦争奴隷にしろ債務奴隷にしろ そのように隷属する状態に置かれたのは すでにその前に何らかのかたちで自己をみづからが内面において捉え 少なからずモノを所有していた。そのあと 社会的な行為の錯綜するところから 人間どうしのあいだに上下関係やさらには支配従属の関係が出来てきた。のではないのですか?  ★ ところが中世末期に農業革命と年貢の金納制が始まり、独立自営農民というのが登場し、所有意識が高まります。  ☆ というふうにして確かに 貨幣経済が発達し支配従属の関係が 金銭的な負い目の問題〔だけ〕となり その人格的な従属から解かれるのには その一定の金額を支払えばよいとなったこと。これが 自己意識やその所有の問題をも 人びと一般にうながしたのでしょう。しかもそのとき 自己がまるっきり無かったということはないはずです。  すなわち すでに自己意識があったときに この土地はおれのものだと宣言した人間がいたのかも知れない。これこそは 自己意識の勝手な――想像力の延びるにまかせたかたちでの――拡大であったのではないか。  もっとも 個人が初めからいたかどうかは さだかではありません。ですから 上の話は 割り引いて受け留めなくてはなりません。ただし 国家という二階建ての構造が始められたときには 明らかに自分と他人という意識が生まれていたものと考えられます。  それだからこそ 共同自治をふくむところの市民社会という場を第一階としてその上に第二階を築くに到った。つまり それは 神のごとくいかなる者の下にも立つまいと堅く誓った人間たち――アマアガリ・シンドローム――が推し進めたものと考えられます。    そのときから ムラのマツリにおける初穂は お二階さんたちのマツリゴトのために貢ぐようになった。むろん賦役も各地の特産物をも 捧げます。つまり そのときには 所有が移転しています。所有が移転するようになりました。それを理論づけるためにも 公地公民とも言いました。これは 所有の概念とその問題です。  (なぜこのような道理に合わないような支配を――つまり アマアガリを――人びとはゆるしたか? 《自己意識のあらぬ拡大》は おそらくマ(間)の違った意志行為であろうと知っていたから そのアマアガリ人種の人たちには しっかりと内に省みて 思いとどまるようにという願いを込めて 《くにゆづり》をしたわけです。狂気から さめなさいと言い続けているわけです)。  ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~  自分のものは自分のものという私的所有権と、私有財産制が始まりました。  その表現として、自己とか自我の観念が持たれるようになり、17世紀のロックのような労働所有権という思想が持たれるようになりました。それこそが近代哲学の始まりです。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ これもおおよそ 《アマアガリ・シンドローム》の問題です。つまりその一端としての《これは俺のものだ》という所有が 自己意識の変な拡張によって起こったという問題です。  身体がおれのものであり 労働力も労働行為もその産物も おれのものだという所有の問題です。自己意識を勝手に想像の世界において延ばし広げた結果 この所有の概念を生んだのです。  その前では 自己意識があっても ものは みんなのものだった。そういう所有だった。(ただし 個別に排他的に使用するモノは 個人にそれぞれ割り振られていたはず。それにつけても 自己意識はあった)。  ★ それが自己の身体が自己の所有だと言ったこと、そういう意識を持つことができたということ、それが近代の始まりです。  ☆ ですからそんな近代は クソくらえです。  したがって 次のご判断はぎゃくです。  ★ したがって、所有から自己意識が発生したのであり、逆ではありません。  ★ 日本の場合、江戸時代以前の土地は村有であり、領主の所有であり、農民は所有権がありませんでした。  ☆ 公地公民制のもとでも 墾田永代私有令というのも出されています。人ないし家族それぞれに田をたがやさせました。  ▲ (ヰキぺ:墾田永年私財法) ~~~~~~~~  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A2%BE%E7%94%B0%E6%B0%B8%E5%B9%B4%E7%A7%81%E8%B2%A1%E6%B3%95  § 2 背景   養老7年(723年)に出された三世一身法によって、墾田は孫までの3代の間に私財化が認められていたが、それでは3代後に国に返さなければならないことが見えており、農民の墾田意欲を増大させるには至らなかった。それを踏まえ、米の生産を増やす為、この法の施行をもって永年にわたり私財とすることを可能とした。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ★ 本格的に農地の自己所有とその制限が解除されたのは明治を待たねばならず、明治の地租改正で年貢の金納制が始まってからです。  ☆ ただし 《悔い還し法》というのがあって――近い現代にまでもナラハシとして残っていたとか―― 一たん売った土地でも それを悔いたときには ほとんど無条件で買い戻すことが出来るといった制度です。  ▲ (ヰキぺ:悔返(くいかえし))   http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%82%94%E8%BF%94  所有とは そういったように人びとの生活に根差したあり方が とうとばれ守られて来たと言えましょう。近代の所有権などというのは 狂気の沙汰です。自己が肥大し 空を駆け巡りたいという空想から出た《オレ意識》であるに違いありません。  

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  • a_hona
  • ベストアンサー率21% (95/444)
回答No.4

もともと自分のものなど何一つない。この身体でさえ、他の生き物から奪ったもので構成されている。その他の生き物もまた、他の生き物から奪ったもので成り立っている。そうすると、生命の起源に近いような生物でさえ、他の物質を循環させることで成り立っているものと言える。 ではどこに自分の物というのがあり、また、自分というものはあるのだろうか。 其処には個体というシステム、決まり、法則があるだけではないのか。 その個体というシステムを自分と呼び、そのシステムに近く関わるものを、自分に準じる物として、所有したのではないだろうか。 ここで、自分というシステムから涌出した物として、例えば絵画を挙げてみる。自分から湧き出たその作品は、自分と関わりが深いので自分の物である。それを他人に譲ったとしても、自分の描いた作品として、永久に認識される。しかしその作品も、長い時の中で逸失するだろう。 さらに別の話をしたいと思う。 時間が一定以上経てば、或いは何かのハプニングで、自分と言うシステムは壊れる。寿命であったり事故や病気と言う形で。 それを止める術は自分にはない。精々気を付けること位である。 従って、この自分自身のことでさえ、自由にできないのであるから、自分自身が自分の物であると言うことさえままならない。強いて言うなら、個体よりも上位のシステムの物なのである。上位のシステムとは、例えば自然界がそうである。 個体と言うシステムは自然の一部である。自らの生死を自身で司る人など居ない。 また或いは社会と言う関係においても、人は自分自身の自由さえ保証されない。居場所が無くなれば死にたくなるし、社会というシステムの中でその役割まで規定される。 この様に、自分自身さえも自分の物ではないのだと言える。 しかしそれこそが、自分自身という限界、束縛から逃れる見地でもある。 其れこそが、フロンティアを行くことなのだ。 未完ですが、そんな考えを提示してみました。自身の言葉で書いたので、読みづらいと思います。 続きはマクロとミクロ、完全なシステムについて、という考察をしています。

bragelonne
質問者

お礼

 ご回答をありがとうございます。この質問は 前身の質問におけるあしさい888さんという方のご見解にもとづいています。そのことを いまに成ってですが ひとこと明らかにしておきます。  さてこちらも 自分の見解をのべてまいります。いつものようにですが。  全体の基調として わたしはむしろ《無に近い自己》を――その自己意識としてではなく その存在観として・またそれにもとづくやはり世界観として―― 世界の領域にまで広げてみたいと考えます。    ★ もともと自分のものなど何一つない。この身体でさえ、他の生き物から奪ったもので構成されている。  ★ 時間が一定以上経てば、或いは何かのハプニングで、自分と言うシステムは壊れる。寿命であったり事故や病気と言う形で。  ★ 個体と言うシステムは自然の一部である。自らの生死を自身で司る人など居ない。  ★ この様に、自分自身さえも自分の物ではないのだと言える。  ☆ この《無の者・いづれは無に帰する者》について それゆえにこそその存在は 世界のすべてである。と言ってみる。  自己の意識としてではなく ただ単にそのように生活しているという意味において。  あるいはもっと単純に 一畳の場をもって大の字になって寝ている。この姿がすでに世界の全体である。と言って行けばよい。相似形なのだとでも理屈づけておけばよい。フラクタル構造なのだと。  言いかえると 他人(ひと)より高いところ・もっともっと高いところへ昇りたいという自己意識 しかもその《いかなる者の下にも自分は立つまいとした決意》が生んだ・言ってみれば《世界の所有》 この絵柄の裏を行く存在観かつ世界観である。  このような世界の所有というのは 政治的と経済的との側面がある。武力を背景にしつつ徳をかかげアマアガリを敢行した者の支配と あらゆるモノを交換価値で測りこの貨幣をあたかも支配の象徴としてこれの獲得競争を繰り広げる者の支配。  《おれ意識のアマアガリ》が このようにして国家という社会形態の中で発揮する政治力のもとに《成就》し 武力よりは・と言っても武力とともなる経済力によって《世界の所有》を果たすのだという気概を見せやはりこれが成就しつつあるという姿を見せることができるならば その姿のもとに 世界はこぞってあこがれ群がってくる。とでも思っているらしい。    この姿は わたしたち一人ひとりの《世界につうじる存在》観に頼っている。はずだ。  一人ひとりのスサノヲ市民がすでに《世界市民》であることにより この土壌にこの基礎にアマアガリ思想は寄りかかっている。あまえている。それが 個人の私的な所有という概念であり制度であると思う。  思想は自由でありその表現も――つまり自己表現としての意志行為も―― 自由だからである。  天翔ける思想は 世界市民であるからには 世界はおれのものだとその想像をたくましくする。  たたみ一畳のうえに寝そべるワタシは おれは世界のものだと強がる。それでこそ――またはそのちっぽけさであっても――世界市民なりと。    ★ フロンティアを行く  ☆ その行き方を 向きを逆にして考えてみたわけになります。  ★ また或いは社会と言う関係においても、人は自分自身の自由さえ保証されない。居場所が無くなれば死にたくなるし、社会というシステムの中でその役割まで規定される。  ☆ というような《無の者》が 手足をうんと伸ばして寝ている姿勢 そこにすでに世界がある。無の者を世界が呼んでいると。

回答No.3

#1の者です。 >それとともに私有の概念は どのように発生したのか 助け合い(供与)→物々交換(使用価値の発生)→物品貨幣(貴金属 や米などの貨幣的流通)→兌換紙幣→信用貨幣 ここにおいて、使用価値を交換するという事は、独占的使用=私有の 発生を意味する。

bragelonne
質問者

お礼

 ご回答をありがとうございます。  ★ ここにおいて、使用価値を交換するという事は、独占的使用=私有の発生を意味する。  ☆ (1) 《贈与》経済の問題があるかと思いますが すでに一度ならず書きましたので 省きます。  (2) もし物々交換が成り立つとすると そのとき交換しようとする人間(共同体)は その物に対してすでに自由に使用し処分することが出来ていた。つまり 所有していた。のではないか?  (3) 他人またはよその共同体〔の人間〕に対しては排他的に 使用し処分し得ていたのではないか? だとすればそれは 所有です。  (4) ただしこれは まだ私的所有ではなかったはずです。共同体に人間じしんが所属していた。  (5) そうして物々交換が始められたくらいのところでは 決してやはり同じく 私的な所有はまだまだ発生していなかった。  (6) 貨幣が用いられるようになったとしても まだまだ 人間としての信用がその基礎であったかも知れない。交換価値が モノを買えるチカラを持つことには 互いの人間関係がまだまだ信用関係として――なぜなら この信用こそが 交換価値の担保であったかも知れない――大きな役割りをになっていたのではないか?  (7) 《モノの個人的にして私的な所有》が制度として出来上がるには このような信用関係の世の中を突き抜けてその自己意識を肥大させて 貨幣という交換価値の単独分立を図ることが必要だったのではないか? 物が・また貨幣が その《拡大したおれのものだ》という思想が定着するには 人びとへの洗脳が必要だったのではないか?    いまは 洗脳されているわけです。

回答No.1

私が半年暮した西サモアの伝統的住宅には、写真のように、 柱だけで壁がなかった。 最初は暑さのためかと思ったが、サモアのようなポリネシアン 特有のデザインで、近隣のメラネシアンの島では逆に、入口 以外の開口部はなく、竹で編んだ強固な壁で閉ざされていた。 西サモアの伝統的生活においては、私有の概念がなく、私が ホームステイしている間も、別の家の人が「ちょっとラジオを 聞きたいの」といって上がって来て、ラジオを持っていってし まうのを目撃した。 若者は都会で出稼ぎしているが、「家に帰ると稼いだ金を 共有されてしまうから」と、実家に帰らないケースが多いと 聞いた。 西サモアでは、マタイ制度という家長が集まって合議制で 物事を決める伝統的直接民主制の力が強く、「警察も手が 出せないので気をつけるように」と、ホームステイの前に アドバイスされたほど、地域コミュニティのルールが強いため、 日本でいえば家庭内のように貨幣制&私有制以前の、 共有状態にあるようだ。 その結果、一般の文化圏では便利な町の真ん中にある事が 多い集落唯一の雑貨屋さん(お金を使うべき場所)が、町の 外れの直接目に入らない木陰にひっそりとあった。 私有の概念は、古代の「血縁の延長としての地域コミュニティ =原始共産制」の崩壊と共に発生したと言える。 本来、助け合う(=与える)ために集まったはずの社会で、 目の前のお金を稼ぐ(=得る)ために、イヤイヤ働かされる ようになったために。 生物の根源的欲求である生が、個体から社会生命へと拡張 するのに応じて、それを自覚化して自律的に社会行動をとる ための認識の深まりを怠り、自己チューなまま他律的に社会 行動をとらせるための“馬車馬の目の前のニンジン”として お金(=私有制)は発達したのだ。

bragelonne
質問者

お礼

 ★ 私有の概念は、古代の「血縁の延長としての地域コミュニティ=原始共産制」の崩壊と共に発生したと言える。  ☆ どのようにでしょうか?  1. ムラビトたちの共有であっても モノを誰か一人が占有していることに変わりありません。その限りで 個人が所有(所持)しています。それは このご見解に言う《私有》とどう違うのか? むろん違って来ているわけですが それはどのような経過を通って来たのでしょうか?  2. ★ 「血縁の延長としての地域コミュニティ=原始共産制」   ☆ この概念がさっぱり分かりません。おそらく《血縁の延長として 血族と姻族の拡大した範囲の種族・部族など》は いかに共同体をかたちづくっていると言っても それはひとつの中核となる《家族としての血縁》を持って来て それと同じだと見なすという問題が発生しているのではないか?  すなわち非原始的な心性に基づいており そのことの自覚があった。のではないか?  歴史(つまり時間)にもとづく知性を芽生えさせているはずではないか?  3. ★ 古代の「血縁の延長としての地域コミュニティ=原始共産制」の崩壊  ☆ がどのように起こったのか?  4. それとともに私有の概念は どのように発生したのか?  ご回答をありがとうございました。

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