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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:チューラ・ニッデーサについて)

チューラ・ニッデーサについて

このQ&Aのポイント
  • チューラ・ニッデーサとは、スッタニパータの注釈書であり、スッタニパータの第五章と第一章の『犀の角』に関連があるのか、それとも別々に注釈されたものがまとまったものなのか疑問です。
  • マハー・ニッデーサとチューラ・ニッデーサは、スッタニパータの注釈書です。マハー・ニッデーサは第四章にあり、チューラ・ニッデーサは第五章と第一章の『犀の角』です。
  • スッタニパータの注釈書であるマハー・ニッデーサとチューラ・ニッデーサは、関連があるのか別々なのか疑問です。スッタニパータの第五章と第一章の『犀の角』がどのように関連しているのか気になります。

質問者が選んだベストアンサー

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noname#214841
noname#214841
回答No.2

おはやうございます。ニッデーサを読んだことのない私などに「お礼」をいただき、感謝してをります。 >>それだけスッタニパータが古くて特別な経典だと今のところ私は思っています。 おつしやるとほり不思議な経典です。解釈も多岐にわたりますし。 >>チューラ・ニッデーサで注釈している頃には『犀の角』はあったようです。 スッタニパータのそれぞれの古さをみきはめるのに、ニッデーサは有用ですね。それからおつしやるとほり、第5章の序は、いかにも後付けの印象を受けます。 >>また水野弘元の説になるからいろんな意見があるのかな。 古典は、少ない論拠にもとづいて結論をだしますから、権威者といへども、素人から反対されます。それが古典のおもしろいところでもありますけれど。

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その他の回答 (1)

noname#214841
noname#214841
回答No.1

ニッデーサの質問が復活したのですね。削除封じのために、回答しておきます。ねこさんでも投稿してくださるとよいのですけれど。それからkazamidori365さんもぜひご意見をお書きください。 マハーニッデーサはネットに日本語訳があるやうですが、チューラニッデーサは見あたりません。私はパーリ語がわかりませんので、質問文の真偽や、明確な解答を記載することができません。思ひつくことを書きます。 可能性としては、 (1)スッタニパータの初期段階で、第5章と第1章「犀の角」がセットだつた。 (2)チューラニッデーサの著者が、好みでこのふたつを選択した。 (3)後世の編纂者がチューラニッデーサを現在の形にした。 根拠はありませんが、(2)のやうな気がします。第5章について書いたあとで、ついでに「犀の角」の箇所も書きたくなつたのではないでせうか。 >>関連がなければないで、いいのですが。 第5章はOKWaveとおなじQ&Aであり、第1章第三「犀の角」は旧約聖書の律法のやうな形式であり、(1)の可能性は薄いとおもはれます。 私としては、そんなことよりも、ニッデーサがなぜ、クッダカニカーヤとして「ダンマパダ」「テーラガーター」などと同列に分類されてゐるのかに疑問をいだいてゐます。それだけ「スッタニパータ」が重要視された、といふことなのでせうか。

noname#207067
質問者

お礼

ニッデーサがクッダカ・ニカーヤにあるので それだけスッタニパータが古くて特別な経典だと今のところ私は思っています。 でもそれ以上はなんともいえないです。 案外、ゴータマ・ブッダとは関係の無い異質で特殊な経典だから注釈して仏教に取り込む必要があったのかもしれません。 あまり仏教っぽくないような気もします。 バラモン教とかジャイナ教とか他の思想とか、そういう要素もかなりありそうなんですが 私では調べようがないです。 ~~~~~~~~~~~~~~~ 2 Dutiyavagga Sace labhetha nipakaṃ sahāyaṃ, Saddhiṃ caraṃ sādhuvihāri dhīraṃ; Abhibhuyya sabbāni parissayāni, Careyya tenattamano satīmā. (1) No ce labhetha nipakaṃ sahāyaṃ, Saddhiṃ caraṃ sādhuvihāri dhīraṃ; Rājāva raṭṭhaṃ vijitaṃ pahāya, Eko care khaggavisāṇakappo . (2) http://suttacentral.net/pi/cnd23 ~~~~~~~~~~~~~~ 45 もしも汝が、<賢明で協同し行儀正しい明敏な同伴者>を得たならば、あらゆる危難にうち勝ち、こころ喜び、気をおちつかせて、かれとともに歩め。 46 しかしもし汝が、<賢明で協同し行儀正しい明敏な同伴者>を得ないならば、譬えば王が征服した国を捨て去るようにして、犀の角のようにただ独り歩め。 ~~~~~~~~~~~~~~~ チューラ・ニッデーサでは「かれとともに歩め」にも注釈されているし、 チューラ・ニッデーサで注釈している頃には 『犀の角』はあったようです。 以前バカハゲさんの質問でスッタニパータの五章の序が後代に付け加えられた部分という話になったのですが 『スッタニパータ』五章「序」「結語」の編纂意図 http://okwave.jp/qa/q8573374.html ~~~~~~~~~~~~~~~~~ cūḷaniddesa pārā­yana­vagga­gāthā 1 Vatthugāthā http://suttacentral.net/pi/cnd1 これが序文で、チューラ・ニッデーサにあることはあるけれど、注釈はされていないようです。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~ 序――この部分は、のちに附加されたものであるらしい。CuN.の中でも解釈されていないし、また漢訳文献の中にも この部分の詩は引用されていない(詳しくは水野博士訳、三八六頁以下参照)。 ワイド版 岩波文庫 ブッダのことば スッタニパータ 中村元 訳 410ページ ~~~~~~~~~~~~~~~~~ また水野弘元の説になるからいろんな意見があるのかな。

noname#207067
質問者

補足

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