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チューラ・ニッデーサについて
- チューラ・ニッデーサとは、スッタニパータの注釈書であり、スッタニパータの第五章と第一章の『犀の角』に関連があるのか、それとも別々に注釈されたものがまとまったものなのか疑問です。
- マハー・ニッデーサとチューラ・ニッデーサは、スッタニパータの注釈書です。マハー・ニッデーサは第四章にあり、チューラ・ニッデーサは第五章と第一章の『犀の角』です。
- スッタニパータの注釈書であるマハー・ニッデーサとチューラ・ニッデーサは、関連があるのか別々なのか疑問です。スッタニパータの第五章と第一章の『犀の角』がどのように関連しているのか気になります。
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~~~~~~~~~~~~~~~ sutta nipāta 4.7 Tissametteyyasutta http://suttacentral.net/pi/snp4.7 ~~~~~~~~~~~~~~~ sutta nipāta 5.3 Tissametteyyamāṇavapucchā http://suttacentral.net/pi/snp5.3 ~~~~~~~~~~~~~~~ mahāniddesa aṭṭhakavagga 7 Tissametteyyasuttaniddesa http://suttacentral.net/pi/mnd7 ~~~~~~~~~~~~~~~ cūḷaniddesa pārāyanavagganiddesa pucchāniddesa 2 Tissametteyyamāṇavapucchāniddesa http://suttacentral.net/pi/cnd6 ~~~~~~~~~~~~~~~ スッタニパータの第四章に、「ティッサ・メッテイヤ」 第五章に「学生ティッサ・メッテイヤの質問」があって、 共通した名前が出てくるのは、なんなのでしょうか? とはいえ、同じ経だとしたら別々にする理由もないですよね? どう考えますか? それから、 ~~~~~~~~~~~ 822 (俗事から)離れて独り居ることを学べ。これは諸々の聖者にとって最上のことがらである。(しかし)これだけで『自分が最上の者だ』と考えてはならない。──かれは安らぎに近づいているのだが。 ~~~~~~~~~~~~ このようなことも書いてあれば、『犀の角』とつながりがありそうな、ないような?
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~~~~~~~~~~~~~~~ sutta nipāta 3.9 Vāseṭṭhasutta http://suttacentral.net/pi/snp3.9 majjhima nikāya 98 Vāseṭṭhasutta http://suttacentral.net/pi/mn98 Na jaccā brāhmaṇo hoti, na jaccā hoti abrāhmaṇo; Kammunā brāhmaṇo hoti, kammunā hoti abrāhmaṇo. 650 生まれによって(バラモン)となるのではない。生まれによって(バラモンならざる者)となるのでもない。行為によって(バラモン)なのである。行為によって(バラモンならざる者)なのである。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~ スッタニパータの第三章にヴァーセッタ経というのがあります。 同じのがマッジマ・ニカーヤにもあるようです。 漢訳があるのか知りませんが。 それはともかく、 生まれではなく、行為の大切さを説く内容が仏教にあることに 私は今まで疑問がなかったのです。 ですが、そういえば日本に身分制度があったころに 生まれを否定する思想を説くのだろうか?と疑問に思いました。 行為に束縛されるから解脱というのもありますが、 とりあえず今回は生まれの否定の思想ということで。
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ひとまとまりとなった次の発言をめぐって問います。 ▲ (スッタニパータ§§814-823) ~~~~~~~~~~~~ 814 長老ティッサ・メッテーヤがいった、 ──きみよ。性の交わりに耽る者の破滅を話してください。あなたの 教えを聞いて、われらも遠ざかることを学びましょう。 815 師(ブッダ)は答えた、 ――メッテーヤよ、性の交わりに耽る者は教えを失い、邪まである。 これはかれのうちにある卑しいことがらである。 816 かっては独りで暮していたのに、のちに性の交わりに耽る人は、 車が道からはずれたようなものである。世の人々はかれを卑しい凡夫 と呼ぶ。 817 かってかれのもっていた名誉と名声とはすべて失われる。このこと を見て、性の交わりを断つことを学べ。 818 かれは諸々の(欲の)想いに囚われて、貧困者のように考えこむ。 このような人は、他人のとどろく名声を聞いて恥ぢいってしまう。 819 そうして他人に詰(なじ)られたときには刃(悪行)をつくり、 虚言に陥る。これがかれの大きな難所である。 820 独身をまもっていたときには一般に智者と認められていた人が、 ついで性の交わりに耽ったために、愚者のように悩まされている。 821 聖者はこの世で前後にこの患難のあることを知り、堅く独身をま もり、性の交わりに耽ってはならない。 822 (俗事から)離れることを学べ。これは諸々の聖者にとって最上のこ とがらである。(しかし)これだけで自分が最上の者だと考えてはなら ない。かれは安らぎに近づいているだけなのである。 823 聖者は諸々の欲望を顧みることなく、それを離れて行い、流れを 渡りおわっているので、諸々の欲望に束縛された生ける者どもはかれ を羨むのである。 と。 (中村元訳:ブッダのことば――スッタニパータ―― 第四 八つの詩句の章 七 ティッサ・メッテーヤ ) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 疑問点です。 1. 説くべき理論は 一般の人間関係についてであり 両性のニ角関係については その特定の対(つい)関係に入るときの対話(口説き)のあり方までである。 つまりその中身をまづ別にしてそれでも 要らぬことをブッダはここでしゃべっているのではありませんか? 2. 断り書きです。ブッダの性愛観はその中身も間違っているように考えます。ただしそれは (1)の考えによれば 無記とすることが正解だと見ます。 つまり 回答の中で触れてもらってもかまいませんが そしてそれなりに応答するつもりでいますが そこに焦点を当てようとは思っていません。
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ニッデーサがクッダカ・ニカーヤにあるので それだけスッタニパータが古くて特別な経典だと今のところ私は思っています。 でもそれ以上はなんともいえないです。 案外、ゴータマ・ブッダとは関係の無い異質で特殊な経典だから注釈して仏教に取り込む必要があったのかもしれません。 あまり仏教っぽくないような気もします。 バラモン教とかジャイナ教とか他の思想とか、そういう要素もかなりありそうなんですが 私では調べようがないです。 ~~~~~~~~~~~~~~~ 2 Dutiyavagga Sace labhetha nipakaṃ sahāyaṃ, Saddhiṃ caraṃ sādhuvihāri dhīraṃ; Abhibhuyya sabbāni parissayāni, Careyya tenattamano satīmā. (1) No ce labhetha nipakaṃ sahāyaṃ, Saddhiṃ caraṃ sādhuvihāri dhīraṃ; Rājāva raṭṭhaṃ vijitaṃ pahāya, Eko care khaggavisāṇakappo . (2) http://suttacentral.net/pi/cnd23 ~~~~~~~~~~~~~~ 45 もしも汝が、<賢明で協同し行儀正しい明敏な同伴者>を得たならば、あらゆる危難にうち勝ち、こころ喜び、気をおちつかせて、かれとともに歩め。 46 しかしもし汝が、<賢明で協同し行儀正しい明敏な同伴者>を得ないならば、譬えば王が征服した国を捨て去るようにして、犀の角のようにただ独り歩め。 ~~~~~~~~~~~~~~~ チューラ・ニッデーサでは「かれとともに歩め」にも注釈されているし、 チューラ・ニッデーサで注釈している頃には 『犀の角』はあったようです。 以前バカハゲさんの質問でスッタニパータの五章の序が後代に付け加えられた部分という話になったのですが 『スッタニパータ』五章「序」「結語」の編纂意図 http://okwave.jp/qa/q8573374.html ~~~~~~~~~~~~~~~~~ cūḷaniddesa pārāyanavaggagāthā 1 Vatthugāthā http://suttacentral.net/pi/cnd1 これが序文で、チューラ・ニッデーサにあることはあるけれど、注釈はされていないようです。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~ 序――この部分は、のちに附加されたものであるらしい。CuN.の中でも解釈されていないし、また漢訳文献の中にも この部分の詩は引用されていない(詳しくは水野博士訳、三八六頁以下参照)。 ワイド版 岩波文庫 ブッダのことば スッタニパータ 中村元 訳 410ページ ~~~~~~~~~~~~~~~~~ また水野弘元の説になるからいろんな意見があるのかな。
補足
回答ありがとうございます。