• 締切済み

★太平洋戦争について★

日本はなぜ、負けることが決定的だったのに、もっと早く無条件降伏をしなかったのですか?・・・ 少なくとも、昭和19年12月末までには降伏すべきでしたよね?・・・ 降伏を妨害して、徹底抗戦を命じたのは誰ですか? 昭和天皇ですか?・・・・・・・・・・・ 東郷元帥ですか?・・・・・・・・・・ まさか、誰にも責任がなかったとは言わせませんよね?・・・・・・・・・・

  • gusin
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  • 歴史
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みんなの回答

  • jkpawapuro
  • ベストアンサー率26% (812/3031)
回答No.9

無条件降伏とありますが、本当の意味で無条件降伏ではなかったんですよ。 当時の日本が求めたのは日本の国体護持、もっといえばそれ以前に国家としての存続が最低条件でしょう。 すでに回答に上がってるように、無条件降伏したのちに日本人が全員奴隷になったり皆殺しにされるようでは、降伏する意味がありません。国が戦争を投げ出し国民が犠牲になるようでは本末転倒ですからね。ですから和平を望む者は居ても、現実的な和平案・和平策というのは昭和19年の段階ではほとんど誰ももっていなくて、とにかくただただ国を守るために必死に戦っていた段階です。現実的な和平案が存在しない以上国全体が徹底抗戦で一致していたと言えるでしょう。 それでその国体の護持についてアメリカに交渉した結果昭和20年8月13日にバーンズ回答が提示され、8月15日にポツダム宣言受諾という時系列になります。このバーンズ回答もなかなかあいまいなもので、興味あるなら調べてみてください。 この手の問題の時私は常に訴えているのですが、世界史を学ぶうえで狭い日本の中をいくらのぞいたところで答えなどでてきません。世界史の場合どこか中心になる強大国があり、そこを起点に歴史は動くものです。この時代太平洋で圧倒的な覇権国はアメリカであり、太平洋戦争など間違っても日本を中心とした歴史ではなくアメリカを中心とした歴史なのです。それを頭に入れて考えるといろいろな理解がしやすくなります。

gusin
質問者

補足

昭和天皇は実は、戦争反対だったようですね?・・・ 只、陸軍の暴走を阻止出来なかったようです・・・ 最大の極悪人は、やっぱり、東条をトップ賭する、陸軍の首脳部だったのですね?・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

  • nacci2014
  • ベストアンサー率35% (200/569)
回答No.8

大国が弱小国を 食い物にしていた時代 負けたら奴隷です 日本が敗北宣言をしなかったのは ベトナムの粘りを見てみれば、わかりますが ベトナムは アメリカに勝ったんだよ ソ連や中国の武器提供もありますがベトナムが降参しなかったから アメリカは、 アメリカ兵士の 戦死が引き金に なってアメリカ国内で反戦運動が 起こって、アメリカ政府は、国民に戦争への理解を 得ることが難しくなったら撤退したんですよ 負けたら奴隷と 思っている日本 これは、結果的には、世界の動きもあって奴隷とまではなりませんでしたけど、 もはや、勝ち目を見つけるとすれば アメリカ国内世論に期待すること 第二次大戦では アメリカも国民の三人に一人は 軍人なのだよ お金も使ってるし国民負担も きついわけ 原爆落とされたから敗戦にしましたけど その後、九州上陸、関東上陸と 作戦はありました。 もちろん、日本国内だから日本人犠牲者も相当いるのですが アメリカ軍の犠牲者も それまでの戦いの数倍でることに なります すると、アメリカは勝ち戦であっても休戦を願う期待があります その時、日本が 優位に条件を作れて奴隷を避けられる こんな寸法が あって敗戦を 容認しなかったんでしょう

  • 0fool0
  • ベストアンサー率18% (134/738)
回答No.7

凄く大切な事なのですが、 >日本はなぜ、負けることが決定的だったのに、もっと早く無条件降伏をしなかったのですか?・・・ 日本政府は無条件降伏などはしていません。 日本軍部が無条件降伏を受け入れたのです。 此処いら辺りを、メディアは恣意的に流します。 責任を問うならば、日本国民全員です。 日本は議会制民主主義を布いていました。 誰か一人に集約されるような、甘いモノではないです。 スケープゴートを捜していても、歴史は理解出来ません。 徹底抗戦を望んだのは、「日本人」です。 今のイスラエルのガザやシリア、ウクライナを見れば判ると思いますが、戦闘は始めるのは簡単ですが、修めるのが難しいのです。 誰かのせいにして、自分は良い子だ等との発想が、一番の「戦争の原因」です。 反省は自分がするもので、犯人を捜す事ではありません!

回答No.6

>少なくとも、昭和19年12月末までには降伏すべきでしたよね?・・・ >降伏を妨害して、徹底抗戦を命じたのは誰ですか? 考える視点が間違っています。負け戦をもっと早く収めるにはどうしたら良かったのかではなくて、「何故負けたか?」「何故戦争を回避できなかったか?」それを考えるべきです。 「負けた原因を作った人物」「戦争回避を困難にした人物」が戦争責任者です。 勿論、東条英機も戦争責任は当然あります。 >日本はなぜ、負けることが決定的だったのに、もっと早く無条件降伏をしなかったのですか?・・・ これは結果論の歴史研究ですが、ちゃんとした戦略を立てれば勝てた可能性が高い戦争だと言う事が分っています。 私が思う「最も負けた原因を作った人物」は、山本五十六ですね。 彼は、アメリカとの戦争を不可避にした張本人です。 対米開戦を不可避にしたのは、東条英機でもなく昭和天皇でもなく、山本五十六です。 戦争目的は「石油」です。 その石油を手に入れるには、東南アジアに侵攻する必要がありますが、アメリカ領のフォリピンは石油が出ません。オランダ領とイギリス領のどちらかに石油が出ます。オランダに攻めればイギリスも参戦するので、オランダとイギリスとの戦争は不可避でしょう。 それでアメリカですが、フィリピンなどのアメリカ領は石油が出ないので、侵攻するのが無意味です。そして当時のアメリカも、ルーズベルトは日米戦争をしたがってその工作を熱心にしましたが、等のアメリカ国民はモンロー主義で、第二次世界大戦に巻き込まれる事を嫌がっていました。 それを決意させてしまったのが、真珠湾攻撃です。 イギリスとオランダだけだったら勝てたと言うのは、日本軍は実際にイギリスの海軍をボコボコにして、オランダはたいした抵抗も無く日本軍に敗北します。実際に勝っているので、勝てたというのは歴史が証明しています。 何故、真珠湾を攻撃したのでしょう?何故、守れもしない守る必要もない、石油の出ないアジア太平洋の島々を占領したのでしょう?それで兵站が伸びきって、兵力が拡散し防衛力を低下にさせ、兵站軽視で無駄死にも多く出ました。これらは、山本五十六の責任は極めて大きいです。 当時、確かに石油のために戦争せざる終えない状況でした。しかし、アメリカとの戦争は不可避ではありませんでした。それを不可避にしたのが山本五十六です。大東亜戦争敗戦の最大の戦犯は、山本五十六でしょう。

  • fgjkjn
  • ベストアンサー率0% (0/8)
回答No.5

負けるのが決定的という事は、現在歴史が明らかになっているからいえる事です。日露戦争も日本が勝ったから誰も避難しないことで、日露戦争もギリギリの所で講和を結んだはずです。大東亜戦争について終結の質問するならば「講和の機会を見過せば、負けるのは必然だったのに、なぜ講和終結できなかったのか」というべきでしょうので

gusin
質問者

補足

止める勇気こそが、本当の勇気であり、本当の武士道であります・・・・・・・・・・・・・・

  • eroero4649
  • ベストアンサー率31% (10495/33004)
回答No.4

ずーっと後の時代の人がタイムスリップしてきて、「なぜ21世紀初頭の人は福島第一原発事故が起きたすぐ後に原発をやめることができなかったのですか?」と聞いてきたらなんと返しますか? 無条件降伏というのは文字通りに条件を付けずに降伏することです。 「女は全員売春婦、男は全員奴隷としてアメリカに連れていく!」 「これから税収は全額アメリカに収めるように!」 「アメリカ様が戦争をする時は必ず日本軍が先鋒な。もちろんそのときの費用は日本持ちだ」 なーんてことをいわれても一切「そんなムチャな!」と言い返しません、全部従いますというのが無条件降伏です。 >降伏を妨害して、徹底抗戦を命じたのは誰ですか? 主に陸海軍両方に存在した、抗戦派の軍人です。軍人という手前上、自分から「勝てませんから降伏しましょう」とはいえないというのはありますよね。もし今、厚生省が「もうデング熱を抑えるのは無理だから諦めましょう」って言い出したら、仕事放棄して無責任なこというなと思いますでしょう? あるいは、あの福島第一原発事故の最中に東電の人が「もう止められないから諦めて日本国民全員逃げましょう」といえたかどうかってことを考えればいいと思います。 >昭和天皇ですか? それはないです。終戦の詔勅というのは、いうなれば昭和天皇の逆クーデターであったともいえると思います。イギリス留学の経験もあって親英派の昭和天皇は英米との全面戦争には反対していたのです。でも、閣僚や軍人が「勝てますし、なんとかなります」っていうからしつこいくらいに何度も念押しして渋々開戦の詔勅を認めたのに、いざ始めてみたらこうなったのでブチ切れたのですよ。 それで、昭和天皇からすれば「いや、なんとかしますからとにかく開戦を認めてください」といっていた連中が靖国神社に合祀されるようになったので腹を立てて靖国神社に行かなくなったともいわれています。

gusin
質問者

補足

日本国民・全員玉砕だなどと、暴言を吐いたのは何処のドイツだったのですか?・・・・・・・・・・

  • mallard2
  • ベストアンサー率39% (9/23)
回答No.3

国際的にも認められた、千島列島・樺太南部・北海道・本州・四国・九州・朝鮮半島・台湾。その他の諸諸島の広大な領土を持った大帝国だったのです。経済的に封じ込められて、内乱の危機でもあったのです。 関東軍の独走にも、多くの国民は期待したようです。  現在のような国連軍はありません。敗走すれば、親や子は今の家畜やペット以下の残虐な行為に晒されるかもわからな世情だったのです。実際に極一部の日本軍もそうしたらしいのです。武勇伝として半世紀前には聞かされていました。 >誰にも責任がなかったとは言わせませんよね?・・・・・・・・・・  そうなんです。それが、日本の文化なのです。  現場の指揮者には、負けたら自決(玉砕)を迫り、降伏は許さなかったようです。  しかし、終戦時に「部下だけは死なせられない!」と特攻的に逝った軍人もいたようですが、極東裁判殺された軍人もいたようです。 >徹底抗戦を命じたのは誰ですか?  誰だか分からないように、組織が機能したのです。特攻の志願でさえ、断れない状況で質されたと承知します。 潔く自決した軍人に責任があり、栄誉もあるのです。 生き残った輩は、一部の軍人を除いて「反戦者であった。」と、周囲に上手く吹聴できた輩です。 もし、全面降伏でなかったら、「勇ましいことを吹聴していた」と思います。 富国強兵政策で、優秀な労働者と強い兵士・軍隊を育てるのが国策=学校の目的であったのです。国内的革命では、この政策は変えられなかったと承知します。 全面降伏=無条件降伏で、連合国軍(GHQ)に押し付けられた傀儡憲法で、この国は栄えたのです。 この、GHQ内で、圧倒的な軍事・経済力を持った米国の主導で作られた日本国は、米国の弱体化・第三世界の台頭で、この傀儡憲法を是正する時期にあると承知します。 雑音に惑わされることなく、長いスパンで見て、日本国の存続をさせるべく、傀儡憲法を適正に修正することが肝要と承知します。 阿部政権に期待しています。     >昭和19年12月末までには降伏すべきでしたよね?・・・  ここで降伏したら、別の不幸が起こったと思います。内乱です。取り返しのつかない内乱に陥り、激しい東西対立の戦禍に大戦と同じくらいの犠牲者が出たと承知します。      『日清戦争や日露戦争は、列国から借金をして戦っていたのです。日本に金を貸した国は、日本が全面的に負けると貸した金がとれなくなります。だから、仲裁(講和)を助けるのです。この戦いで、日本は金を借りていないのではないでしょうか? 国民は事実を知らないのです。日露戦争だって、イギリスからたくさん借りていたのです。 つまり、戦争は、財閥のばくちでもあるのです。大会社です。今の日本なら…。 』   共産勢力と資本主義勢力の代理戦争です。米軍の徹底的爆撃と共産勢力のゲリラ戦です。日本人同士が選挙戦で打ち合うのと同じになるのです。 朝鮮戦争やベトナム戦争のように、日本戦争が勃発したと承知します。義勇軍が乗り込んできたりして大変な殺し合いです。 巷ではパンパン: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%B3%E3%83%91%E3%83%B3 そこで生まれる: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%80%E3%82%A4%E3%83%8F%E3%83%B3 日本では: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%AA%E3%82%B6%E3%83%99%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%A0 (東西ドイツのようにはならなかったと思います。) 太平洋戦争の結末は、「これで我慢する。」状況であったと思います。 「本土決戦」は、東西戦争(南北戦争と勘違いされないようにググってください。)、という東西対立の戦場になってしまい、九州と朝鮮の間でにらみ合うことになっていたかもしれません。 千島列島・樺太南部・北海道・本州・四国・九州・朝鮮半島・台湾。その他の諸諸島の広大な領土の何処が、東西陣営の境界になるか見当がつきません。 全面降伏であったので、戦場が朝鮮半島の北緯38度線に定着したと承知します。    半世紀前には、退役将校は、なんと拳銃・ピストルを護身用に持ち帰っていたことをしりました。夫婦げんかに持ち出したとか、酒席の笑い話になっていました。 全面降伏していなかったら、米国のように、個人で普通に拳銃を持てる国であったと思います。選挙戦に、資金だけでなく、ピストルなどの武器が、外国から援助されたら、…。怖いですね。 まさに、クリミア半島では旅客機も撃ち落としたとされています。 平成25年現在、政府でも(強力な)軍用拳銃が国民の中に所持されていることを認めており、提出を啓発(刑の免除)しています。 https://www.npa.go.jp/sosikihanzai/yakubutujyuki/jyuki/jousei/H25_jyukijyosei.pdf >もっと早く無条件降伏をしなかったのですか?・・・   口にすれば、ほかの人にいじめられたのです。    NHKの連続テレビ小説『花子とアン』で、まさにこの部分を3~4回/日も放送しています。ぜひ、ご覧下さい。   http://www.nhk.or.jp/hanako/  兄やんと花子の兄妹でも考えは違ったのです。 戦争は、戦場で戦果をあげるばかりでなく、その戦いで商売して大儲けする人がいると考えるとわかり安いと思います。  高価な軍用装備品は売れ残りはなく、言い値で売れるのです。  武器商人は戦争の長期化を望みます。しかし、負ければ、賠償は取りにくいし、自国が負ければ、最悪借金まみれで倒産です。 http://ryuma681.blog47.fc2.com/blog-entry-937.html 結果として、落ち着くところに落ち着いたと、承知すするの一番かと思います。 反省として、粘れるところは、徹底して粘るとということでしょうか。 責任を明確にするより、繰り返さにことに軸足を置きましょう。    と、  まとまらなく、発展してしてしまいました。       

gusin
質問者

補足

安倍はいかん・・・・・・・・・・ 新右翼は許せんwwwwwwwwww

回答No.2

無条件降伏 という条件を軍部が受け入れられなかったためです さらに「無条件」という文言について軍首脳部でさまざまな議論と憶測が飛び交った そうこうしているうちに降伏の機会を逸した ということです

gusin
質問者

補足

馬鹿な軍部が極悪人だったのですね?・・・・・・・・・・

  • jusimatsu
  • ベストアンサー率11% (171/1438)
回答No.1

後からでは何とでも言える。もう答えが出てるんだからね。

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