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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:神に抗え)

神に抗え

このQ&Aのポイント
  • 神に抗え!神が人間を作り出したのは、自分を崇拝させるため。
  • われわれは奴隷で良いのか。神を超え、新たなる存在として君臨しよう。
  • 神の意志に抗い運命に抵抗し、真の自立を目指そう。そのとき人類は地上を永久に支配する。

質問者が選んだベストアンサー

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  • 0fool0
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回答No.20

>先の私の発言にも論理的矛盾はたくさんあると思うのですが、 乳離れしていない害毒をまき散らしてしまう私のレベルに合わせて 回答していただいたということでしょうか。 論理が破綻している事は、無知・蒙昧なだけで問題ではないです。 それを振り回すのが「害毒」です。 知らない事を間違っている事を、尋ねてくる(質問する)方には何も問題はありません。 其の心のうちに「己」の「欲」に踊っている者が問題です。 先ほどの文意には「それ」はありませんでした。 >神と書いたのは自分の状況の延長線上にある運命。 その運命に抗うには激しい苦難が伴い、さらには自分自身の中に怠惰の心があり、それが運命を打破する上で大きな足枷となる。 それに負けるなと。 この場合突っ込むとすれば、神と運命の同一視位ですが、別に其処に興味は無いですねぇ・・ 定義の問題になってしまいますので、感じ方は人それぞれでは? それを他に押し付けるとなると問題ですが。

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その他の回答 (20)

  • 0fool0
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回答No.10

>せっかくですが、熱い友情を交わす気にはなれませんね いやいや・・ どうしてそんな発想に・・? 私は楽しく議論したいだけですよ。

sohcon
質問者

お礼

> 何なら答が思い浮かぶまで、コピペしましょうか? > 真理にたどり着いたんじゃないの?w > 早く親離れすれば?そんなに怖い? 君の真理は養育費? 貴方は自分の基本的人権を犯し今後も犯す危険性のある人間と交流したいのですか? 私は人間を超越せよと記述していますが、人間の法を犯して良いとは記述していません。 > 私は楽しく議論したいだけですよ。 議論したいではなく、中傷したいの誤りでは?

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回答No.9

 辞書で『神』を引いてみたら「(5)人間に危害を及ぼし、怖れられているもの。」とか「(6)キリスト教で、宇宙を創造して歴史を司る、全知全能の絶対者。」なんてありました。  宗教心の源、根っこは案外「(5)人間に危害を及ぼし、怖れられているもの。」なのかも知れません。  でもそうした体験を与えてくれる“自然”から、現代社会は文明と云うバリアーで隔離してしまったようで、なかなか体験できません。  また精神も、昔の人よりは理性の発達に依って『神』を善なる者、と捉えるようになったので質問のように、なぜ善なる神が生物に苦しみを与えるのか、弱肉強食の世界を作り出したのか、と“疑問”することにななったのでしょう。  この疑問を解消するには『神』を善なる者としないことです。  ☆「(6)キリスト教で、宇宙を創造して歴史を司る、全知全能の絶対者。」  私の心底帰依するお坊さん(明治から大正にかけて活動されました)は「宇宙(如来)の本体は絶対の大心霊体である。」と云っています。  ここでも“絶対”という言葉が使われています。  相対ではない。相対するものはない。二つとない。と云った意味かと思います。  この「絶対者」に依って生み出されたこの宇宙は尽く相対的、あるいは相対現象、と云って良いかと思います。  その中に在る人間は、自分にとって都合のよいものを良し、悪いものを悪し、と相対的に善悪の心情を受け止めて、そこに於いて「神」なる者を捉えるから“疑問”が発生するのです。  相対的な善なる神と、絶対者としての『神』と混同しないことが大切です。  ☆ 博愛。 これは相対的神の精神であって、“絶対者”としては釈尊の言葉「本来、善とか悪とかそういうものはない。」が当てはまると思います。  余談です。  「早く親離れすれば」という回答がありますが、私はこれを「まだ反抗期なんだよ」と受けました。  巣立ち。  間近だと思います。    独り言・・・(神、に対する気概、いいね。あえて反抗期、なんて云ってみたけれど本音は当たってないと思っている。“バトン”を受けてみたかっただけなんだ。)  

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回答No.8

そうですね。素晴らしいです。 人間がそうであって欲しいと、正にあなたの内なる神が願っています。 質問の事柄を乗り越えていったところであなたの内なる神が歓びあなたも喜ぶでしょう。 という思考はできないのでしょうか?

sohcon
質問者

お礼

ありがとうございました。 神に抗う行為が神を歓ばせるのでしょうか。 面白いですね。

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  • mmky
  • ベストアンサー率28% (681/2420)
回答No.7

>神を超え、新たなる高次元の存在として君臨し、 世界を導くべきは我々ではないか。 神の意志に抗い運命に抵抗すること。 神が人に与えた苦痛、恐怖、絶望を乗り越えるのだ。 それが真の自立であり生き残る手段である。 そのとき人類は新たなる高次元生命体として地上を永久に支配する. ○全体を通して、神を悪魔と置き換えるとしっくりくる文章ですね。 「悪魔に抗え」なら納得できますね。神に嫉妬したルシファーの気持ちを代弁してますね。 「悪魔が人に与えた苦痛、恐怖、絶望を乗り越えるのだ。」と神は思っているのですね。

sohcon
質問者

お礼

ありがとうございました。 私の主張している神は実は悪魔だということですかね。 考えさせられました。

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回答No.6

 こんにちは。  神とは ひとり満ち足りているものです。  人間が いかに ののしろうと いかに たたえようと 神は痛くも痒くもありません。    そうでなければ それは ただの観念の神です。人間が勝手につくったおもちゃの神です。よ。  神は 神ですよ。  《神の痕跡》と言った時点で すでに神を想定しています。  人間の存在あるいはその能力が 限りないものであるならば 神は 想定されなかったでしょう。神という言葉は なかったでしょう。  この神は 《無い神》と呼んでも 同じことなのですから。  ★ 神が人に与えた苦痛、恐怖、絶望を乗り越えるのだ。  ☆ これは 人間が 自分たちのつくったそれぞれの《観念の神 おもちゃの神》を旗印にして 人間どうしが互いにおこなった歴史の中身であるにすぎません。よ。

sohcon
質問者

お礼

ありがとうございました。 神は神ですか。私の主張している神は神でないかもしれませんね。

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回答No.5

神は、ただの幻影に過ぎません。人間が五官で把握可能な三次元立体世界に囚われた人知を少しだけ超えているという意味で、多少の神秘性を醸し出してはいるものの、神は所詮、ブラフマンの中で繰り広げられる変転を遍く映し出すアートマン上の高次元超立体世界上の「現象」に過ぎません。 人類という「現象」は、それが地上を支配しているように見える時代が来たとしても、幻影がアートマンに映し出されているに過ぎないという意味で「神」程度の存在です。

sohcon
質問者

お礼

ありがとうございました。 神は存在しないのでしょうか。

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  • 0fool0
  • ベストアンサー率18% (134/738)
回答No.4

>見ている方に面白がっていただくことができるというのは真実だと思います 素晴らしいです。 更に次の段階を楽しみましょう。 逍遥の世界を楽しみましょう。 ・・・まぁ、別の質問で・・・w

sohcon
質問者

お礼

ありがとうございました。 せっかくですが、熱い友情を交わす気にはなれませんね。

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回答No.3

抗うも何も、我々の周りに神の痕跡などない。 物理を面倒がって第一原因を神に求める人の無知、 他律的に生きかされるための外的権威を神に依存 する人の怠惰こそが、神を求めるのだ。 抗うべきは神ではなく、おのれの無知・怠惰だ!

sohcon
質問者

お礼

ありがとうございました。 おのれの無知・怠惰に抗うという主張は同意できます。

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回答No.2

>素晴らしい回答です。 何処が素晴らしいかも理解出来ないで発言するのは君の本質を損なうよ。

sohcon
質問者

お礼

何が素晴らしいかは実は私もよく分からないのですが、 少なくともここで色々貴方とやりとりすることで、 見ている方に面白がっていただくことができるというのは真実だと思います。

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  • 0fool0
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回答No.1

早く親離れすれば? そんなに怖い? 君の真理は養育費?

sohcon
質問者

お礼

ありがとうございました。 素晴らしい回答です。

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  • 《非在》なる神をどうして理解できないか

     § 1 不在と非在  たとえば ○○さんご在宅でしょうか? と尋ねて いえ あいにく○○は不在です。といった会話があります。  けれどもこのとき《不在》だと言っても ○○さんは どこか他のところにいるはずです。  すなわち 《存在(在宅)と不在(留守)》とは互いにこの同じ時空間――《宇宙》としましょうか――にある或る人の存在についてふたつのあり方を表わしています。また それだけのことです。  ところが もし《非在》と言ったらそれは何を表わすか? 《存在に非ず》とは どういうことか?  § 2 不在でありうる存在は 《感じる・考える》の対象となる  在宅と留守とのあり方を交互に変える○○さんなる存在については 見ることも触れることも声を聞くことも出来ます。つまり 《感じる》ことが出来て さらにその知覚を 概念で認識して《デカイ》とか《だが声は小さい》とか言葉で表現し得ます。  さらにあるいは その小さな声で言ったことが妙に気に成ってその内容について《考える》ことをもおこなう。  では 《非在》とは 何のことか?  感じることが出来るのか? 考えることができるものなのか?    § 3 《非在》とは 想定である  《非在》とは 存在・不在なるこの世界(宇宙)をこえたところに想定したものです。  世界の合理的な理解としての経験法則――たとえば これがあればあれが生じるといった因果関係――から自由な場(ないしチカラ)を想定して名づけたものです。  この経験法則としては ○○さんは 在宅であれば会社には不在であるということを示します。家と会社とに同時に存在することは出来ない。という世界です。  あるいは ○○さんであって 同時に別の人たる△△さんであることは出来ない。あり得ない。という世界です。  《非在》という想定は このような居たり居なかったりする経験存在を超えた場としてなのである。  § 4 《非在》という想定が 神のことである  《存在が有るでもなく無いでもない》。《この原因でその結果が生まれるといった因果律に支配されない》とは どういうことか?  ということは 《どこにも有るのではなく どこにも無いのでもない》とすれば 当然のごとく――このささやかな人間の知性で考えるに―― 《因果律に支配されない出来事が起きる》ことを 想定として表わそうとしている。  ここにもあれば 同時にあそこにもある。  という存在(つまり非存在という別個の場 つまりお化け)のことを 人間は想定することができる。想定して来た。《神》として。  § 5 神は 人間やモノについて言う《存在》とは 別個の場として想定されている。すなわち 《考えるや感じる》の対象ではない。  非在なる神は したがって あまねくそのチカラがはたらくという意味で《遍在》だと 人間の理性では推し測られた。あるいはしまいには 全知全能なる存在ではないかと。  この神は すでに存在の有るか無いかで推し測る宇宙の次元を超えているからには 《感じる》ことも《考える》ことも出来ません。  出来たと思っても それが合っているのかどうかが 人間には分からない。考えて分かったというのは この経験世界における思考や想像によって得た補助線――神を理解するための補助線のこと――を言っている。神本体ではあり得ない。  それゆえに・あるいはそれでも 分かったと宣言する人が出て来ても ほかの人においても納得することが出来るかどうかは分からない。(だから分からないながら ある程度の人数の《賛同者やさらには崇拝者》が出る余地はある)。  § 6 神を受け容れるかどうか。受け容れるというのは 《考える》でもなく《感じる》でもなく 《信じる》と言う。  この神は その想定として受け容れるかどうかは ひとの自由である。ひとの選択にまかせられている。  ただし《受け容れない》と選択した場合も 神という想定じたいは 消えることはない。《感じる・考える》を超えている非在を どうして人間が消すことができよう。  だから 神とわれとの関係は 受け容れたと受け容れないとに分かれるとき それらは《有神論と無神論》とに分かれたことを意味する。  一般に有神論は 神を信じると言い 無神論は 神を信じないと言う。  すなわち後者は 《無い神を信じる》と言うのにひとしい。  《信じる》というのは 《感じる・考える》を超えた《非在》とわれとの関係をあらわす言葉である。  § 7  信仰とシュウキョウ  《信じる――または わが心なる非思考の庭としての動態――》は 信仰としてありうるが この神をオシエとして《考えるや感じる》の対象にすることは――それが シュウキョウである―― いただけない。シュウキョウはその起こりからして 思考に非ざるものを思考したオシエを 信じるという自己矛盾である。  § 8 この神をどうして理解できないのか?

  • 神に対し「汝」とは!?

    訳文の参考にするため、古代エジプトを舞台にした翻訳小説を読んでいて、ある訳語に違和感を抱きました。 主人公が神(ここでは多神教の神なので対象はその都度変わります)と対話する際、神に対し常に「汝」と呼びかけているのです。 「汝」は一般的に目下の者に呼びかけるときの言葉と解釈していましたので、すぐに辞書で調べてみたのですが、やはり目下を呼ぶ語としか書かれていません。 自分より上位の存在、超越的存在である神に対し、「汝」という呼びかけがはたして相応しいのか。皆さんはどう思われますか? 仮に主人公が神を自分と対等の存在と考えているとして、対等の者に対して「汝」は使えるでしょうか? また「汝」でないとすれば、神に呼びかけるに相応しい言葉としては、どのようなものが考えられるでしょうか?「神よ」とか「神さま」ではなく、「あなた」の代わりになるような言葉で思い当たる方がいらっしいましたら、よろしくご教示のほどお願い申し上げます。

  • 「神」を否定する

     初めまして。 大学一年で、理学部の者です。  哲学の講義に於いてディペートを行いました。 テーマは「『神』は存在するのか?」  哲学の基礎知識が無い人学生ばかり集まっていた(?)ので、後半はテーマとは違う方向になってましたが、汗。  神は存在する→科学的に存在しないことを証明されていない・無限者なので、発見されない  神は存在しない→科学的に証明されない・(コスモスの)世界に「神」という言葉が存在していること自体が否定そのものではないか?  自身としては、神の存在を否定する側です。    神は存在するのでしょうか? また神は存在しないのでしょうか?  勿論、神は存在する・しないの問題ではなく、信じる・信じないの問題とは思いますが。  無知者なので、(自分で調べても)分からない用語があれば質問する場合がありますので(その時は、解説を御願いします)。