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記紀神話についての課題
記紀神話から2つの話を取り上げて、まとめる課題が出ました。 正直どれをどうやってまとめていいのか分からないです。 記紀神話は日本書紀と古事記の事を指しているはずですが、そんなにいくつも話が分かれているんですか?
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- rabirabi88
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※4 それを人は妄想といいます。
- IXTYS
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古事記は40代天皇である天武天皇の命によって書かれた最初の歴史書です。 編纂の目的は天武天皇が権力者であることの正統性を国の内外に誇示することです。 この人に拠って初めて統一国家となったと考えれば良いでしょう。 これを朝鮮半島の歴史と対照し、白村江の戦い(663年、朝鮮半島)と壬申の乱(672年、日本)を同一線上に並べて見ると、見えないものがぼんやりと見えて来ます。 中には壬申の乱と白村江を同じとする考え方もあります。 すると天武天皇が新羅で、敗れた大友皇子が百済となります。 するとその後の日本に与える百済の影響が説明出来なくなります。 半島で滅亡した百済が中国地方に流れて来て、そこから東征して十年後、壬申の乱で権力者になる。 これが筋が通っています。 これだと毎年旧暦の10月に日本中の神さまが島根県の出雲に集まって年に一度の会合を開く。 これも説明が付きます。 地図で調べても朝鮮半島と島根県の日御碕(ひのみさき)は一番至近距離にあります。 またこの時代に宮廷につかえた国司で歌人の柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ 660~720?)が政争に敗れ、国外逃亡を企てています。 その最期は謎に包まれていますが、日御碕の沖合で捉えられ、殺害されたと伝えられています。 ここからどこへ逃亡しようとしたのでしょうか。 彼の祖先が半島から来たと考えないと、彼が何の根拠もなく、日御碕から無鉄砲に逃亡するとは考えられないのです。 天武天皇は直接百済の王族の末裔か何らかの関係者であろうとは推察できます。 大陸から朝鮮半島に伝わっていた鉄製の刀剣が百済の滅亡を契機に日本に齎された。 それを用いて東征して行った。 神武天皇の刀に金の鳥が止まったので、周りの敵がひれ伏した。 この神話は鉄製の刀剣のそれまでの石で出来た武器との威力の違いを示したものでしょう。 この国に残されている『アマテラス神話』や『スサノオヲ神話』も天武天皇の正統性を説明するものでしょう。
- chiha2525
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私は天皇記(神武東征とか)よりも、天照あたりの神話の時代のが面白いと感じますね。天岩戸やイザナギの黄泉の国紀行などは面白いと思います。これらは、(他の方が書かれているような)火山大噴火の天変地異の話が元ネタではないかといったり、遠く外国の神話との共通の話(他神話との共通性)なども入っており、そのあたりまで調べられたら、満点以上の評価をもらえるでしょう。 誓約(うけい)をして、女の子が生まれたら俺の勝ちと言っておきながら、男が生まれてきて、男が生まれたから俺の勝ちだ(男女は逆だったかも)と言ったりは、後に勝ったものが歴史を捻じ曲げるという隠喩ではないかと邪考したり、関係ない高木の神が天子降臨や天孫降臨を仕切ったりしたのは何故かや、天子じゃなくて天孫なのは何故か(天子は中国が・・)などと、いろいろ穿って見てみるのも面白いと思います。 古事記なら、誰だったっけ、娶ろうとして井戸に隠れて云々の話、筆がのって嬉々として書かれているのが分かり文学的に面白い、と誰かが評していたのを思い出しました。
- IXTYS
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> どれをどうやってまとめていいのか分からないです。 こんにちは。 古事記は日本最初の歴史書です。 奈良に都と造営した大和朝廷が何者かを権威づけるために書かれたものです。 その冒頭に数々の神話。 太陽神である『天照大神(アマテラスオオミカミ)』が周りを平定して行くようすが書かれています。 神話は決して荒唐無稽なものではありません。 或る時は武力で平定し、或る時は交渉で併合したでしょう。 その征服の歴史が神話の中に込められているのです。 大和朝廷がどこから来たのか。 これがわかると朝鮮半島と中国大陸の諸国家との隷属関係も明らかになります。 古事記は大和朝廷の履歴書であり、冒頭に記述されている神話の部分は学歴、職歴部分と思えば良いのです。 興味が湧いて来ませんか?
- hideka0404
- ベストアンサー率16% (819/5105)
分かれているけど、葦原中津国平定と、その後の神武東征と二回行われたことをまとめると良いかも? ニニギの前にアマテラスの系譜で一本化する話だったのに、実際は国譲りされておらず、その孫の神武の時にもう一度出雲勢力と戦争していて、その後ひとつになっています。 神武の母は新羅の生まれとも言われているので、なぜ神武の兄が中津国との戦いの後朝鮮に渡ったかとか、神器との関係とかを考察すると良いかも知れません。
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