飛行機設計士が宇宙船を造り、私たちの未来を変える

このQ&Aのポイント
  • Burt Rutanは、自身が宇宙旅行を実現できると信じ、宇宙船を造ることを決意しました。
  • 2004年、Rutanが設計した宇宙船SpaceShipOneは、2週間で2回の宇宙への飛行に成功しました。
  • 彼の成功により、私たちの未来を変えるために個人的な宇宙船旅行を商業化する様々な計画が現れました。
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和訳の添削をして下さい。

下の英文を訳しました。 添削して下さるとうれしいです。 ここまでのおおまかな内容は『飛行機設計士のBurt Rutan はいつか自分が宇宙に旅行出来ることを信じ、自分自身で宇宙船を造ることを決心した。そして民間企業を通して開発された異なるデザインの飛行機が飛び、すぐに、フランス、イングランドとドイツの工場が製造した。』となります。 Rutan’s optimism finally paid off. Rutanの楽観主義は、ようやく成果をあげた。 In 2004 his specially designed spaceship, SpaceShipOne, successfully entered space and made it back to earth twice in two weeks. 2004年に、彼の特注のスペースシップワンという宇宙船は、うまく宇宙に入って、それを2週間で二回現実的にした。 Those were the requirements to win the ten-million-dollar Ansari X Prize, a prize designed to encourage the development of private space travel. それらは、個人的な宇宙旅行の発達を促すようになっている賞である、1000万ドルのアンサリX賞を獲得する必要性だった。 Rutan’s success got the world’s attention, and various schemes to commercialize private space travel began to appear. Rutanの成功は世界の注目を得た、そして個人的な宇宙旅行を商業化するいろいろな計画が現れ始めた。

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  • Nakay702
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回答No.1

以下のとおりお答えします。 前回同様、添削の必要がないところも含め、一応すべての原文・質問者様の訳文・(説明)・⇒添削訳文をこの順に添付いたします。 Rutan’s optimism finally paid off. Rutanの楽観主義は、ようやく成果をあげた。 (paid offは、「報われた」。) ⇒Rutanの楽観主義は、ようやく報われた。 In 2004 his specially designed spaceship, SpaceShipOne, successfully entered space and made it back to earth twice in two weeks. 2004年に、彼の特注のスペースシップワンという宇宙船は、うまく宇宙に入って、それを2週間で二回現実的にした。 (made it back to earthは、「地球に戻した」。)⇒2004年に、彼の特注の宇宙船「スペースシップワン」が、2週間で二回うまく宙に舞い上がり、地球に帰還させたのである。 Those were the requirements to win the ten-million-dollar Ansari X Prize, a prize designed to encourage the development of private space travel. それらは、個人的な宇宙旅行の発達を促すようになっている賞である、1000万ドルのアンサリX賞を獲得する必要性だった。 (the requirementsは、「要件」のほうが適訳と思います。) ⇒それらは、個人的な宇宙旅行の発達を促すための賞である、「1000万ドル アンサリX賞」を獲得するための要件であった。 Rutan’s success got the world’s attention, and various schemes to commercialize private space travel began to appear. Rutanの成功は世界の注目を得た、そして個人的な宇宙旅行を商業化するいろいろな計画が現れ始めた。 ⇒Rutanの成功が世界の注目を得て、それで個人的な宇宙旅行を商業化するいろいろな計画が現れ始めた。

その他の回答 (1)

  • ddeana
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回答No.2

>Rutan’s optimism finally paid off. >Rutanの楽観主義は、ようやく成果をあげた。 ↓ 1)pay off:報われる 私訳としては「ルータンの楽観主義がついに報われた。」 >In 2004 his specially designed spaceship, SpaceShipOne, successfully entered space >and made it back to earth twice in two weeks. >2004年に、彼の特注のスペースシップワンという宇宙船は、うまく宇宙に入って、それ >を2週間で二回現実的にした。 ↓ 1)specially designed:特別に設計された 「特注」というとルータンが宇宙船を注文したという意味になってしまいますので、適切な訳ではないと考えます。 2)successfully entered space and made it back to earth: 宇宙空間に達しては無事地球に帰還した。 「うまく宇宙に入って、それを2週間で二回現実的にした」では意味をなしません。Successfullyは宇宙にいくこと、そして戻ってくること両方にかかります。また、make it back to~~で「~~に戻ってくる」という意味です。 ですから全体としての訳は「2004年、彼により特別に設計された宇宙船、スペースシップワンは、2週間のうちに二度宇宙空間に達しては無事地球に帰還した。」となります。 >Those were the requirements to win the ten-million-dollar Ansari X Prize, a >prize designed to encourage the development of private space travel. >それらは、個人的な宇宙旅行の発達を促すようになっている賞である、1000万ドルの >アンサリX賞を獲得する必要性だった。 ↓ 1)those were the requirements to:~~の為の必須条件だった 「必要性だった」というより、賞金をもらう為の規定条件だったのです。 2)Ansari X Prize:アンサリ・エックスプライズという固有名詞です。「X賞」ではありません。アンサリ・エックスプライズはXプライズ財団によるコンテストの名称で、規定条件をクリアしたチームに賞金を与えます。ルータンはこの賞金が欲しかったのです。 3)private space travel:民間の宇宙旅行 「ここでのprivateは「1個人」ではなく「民間」という意味です。 全体としての訳は「こうしたことは、民間による宇宙旅行の推進を目的に作られたアンサリ・エックスプライズの賞金1,000万ドルを勝ち取る為の必須条件だった」という感じです。 >Rutan’s success got the world’s attention, and various schemes to >commercialize private space travel began to appear. >ルータンの成功は世界の注目を得た、そして個人的な宇宙旅行を商業化するいろいろな計 >画が現れ始めた。 ↓ 1)to commercialize private space travel:民間による宇宙旅行を商品化する為の それ以外の部分は問題ないと考えます。

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