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ブッダのことば「マガダ語」の探し方

ブッダが話したらしいマガダ語。 釈迦族がどんな民族かにもよると思いますが。 ゴータマ・ブッダもマハーヴィーラも マガダ語で思考したのでしょうかね。 ところで 今まで、経典のどの箇所がマガダ語であるか という話を私は見聞きしたことがありません。 経典の中で、どのことばが マガダ語かはわかっているのでしょうか? マガダ語とはどのような言語でしょうか? どうやってマガダ語を探すのでしょうか?

noname#195588
noname#195588

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回答No.2

 こんにちは。なかなか、回答が付きませんね。専門的すぎるんですかね。といいつつも、私も言語学的なところは大学の仏教学部を卒業した程度しか知識はありませんが、わかる範囲で回答させていただきます。 >>ブッダが話したらしいマガダ語。 >>釈迦族がどんな民族かにもよると思いますが。 >>ゴータマ・ブッダもマハーヴィーラも >>マガダ語で思考したのでしょうかね。  どうやらそのようですね。お二人とも東インドを中心に布教しておられましたので、東インド訛りに属していたマガダ語をおもに使っていたようです。しかし、お釈迦様在世においても、ヤメールとテークラというバラモン階級出身の兄弟が、 「お釈迦様の言葉が地方出身の弟子たちによって、一般人が使うような文法にかなっていない言語に訳されて伝えられてますので、僕たち兄弟にヴェーダ語(古典サンスクリット語)に訳させてください。そうすれば誤解も少ないですし、お釈迦様の意見が正確に伝えられると思うんですけど、どうでしょう?」 と意見されたときに、お釈迦様は、 「いやいや、一般の人が聞いて理解できない言語には訳しちゃ駄目よ。」 といって、ヴェーダ語に訳すこと禁じたということがあったようですから、お釈迦様在世にあってもマガダ語以外の言語でも伝わっていたようです。そのあと、お釈迦様が亡くなってから弟子たちが集まって経典や戒律を一通り統一しましょうってことになった時には、どうやらマガダ語で一度合わせる形になったようです。  しかし、地方においてはやはりマガダ語ではなくそれぞれの地域のことばで伝えられています。その結果、部派仏教の時代になりますと西北インドで栄えた説一切有部はサンスクリット語(ちなみにこれはお釈迦様が禁じたヴェーダ語ではなく、かなり一般語に近いスラングを含んだサンスクリット語ですので「一般人にわからない言語で説いちゃ駄目よ。」という理念に反しているわけではありませんのでご注意を。)で、中インドでおこった正量部はアパブランシャ語、西インドで栄えた上座部はピシャーチ語を原型に持つパーリ語、南インドで起こった大衆部派はマハーラーシュトラ語で伝えられたとも言われています。現在の研究ではこの大衆部のマハラーシュトラ語に近い語形が含まれるサンスクリット語の般若経典が発見され、大乗仏教大衆部起源説が見直されたりもしているようです。  ちょっと話がずれましたが、こういった多く語言語に訳された経典ですが、その中でも最も古い起源をもつのがパーリ語ということになります。このパーリ語の経典とはスリランカ、タイなどに伝わった経典を指すわけですが、そもそも「パーリ」とは「聖典」という意味で、経典の中には「パーリ(聖典)」という言葉さえ出てきません。のちにこういった経典群がスリランカに伝わり、スリランカにおいてできた経律論の三蔵の解説書を「アッタカター」と呼んだのに対して、経律論を「パーリ」と呼ぶようになったようです。ですから、パーリ語は「聖典に使われている言語」という意味のある言葉で、もともとパーリ語という言語があったわけではないのです。これがいつから、パーリ語と呼ばれるようになったかに関しては、諸説ございますが、十世紀以後になってから、スリランカやタイ、ミャンマー等の東南アジアの仏教国の母国語の違うお坊さん同士が文通や会話による意思疎通を取るために経典に使われていた言語を使ったことが始まりで、パーリ語と呼ばれるようになったのではないかと学者方は考えているようです。  また話がずれましたが、やっと本題です。 >>今まで、経典のどの箇所がマガダ語であるか >>という話を私は見聞きしたことがありません。 >>経典の中で、どのことばが >>マガダ語かはわかっているのでしょうか? この最も古い成立起源を持つパーリ語の経典は、ピシャーチ語という西インド訛りの語形がベースにあるようですが、マガダ語の語形も見出すこともできます。しかも、それは日本語において、「~やで」「~や」と関西弁表記だったものが、突然「~です」「~ます」と共通語表記にされたらいくら何でもわかりますよね?それと同じくらいでわかります。  経典の中においては、長部、中部、相応部経典に共通する文章に n’atthi atta-kāre n’atthi para-kāre n’atthi purisa-kāre 自作なく、他作なく、人作なく とあって、「keāre」の部分は本来のパーリ語の活用変換だと「kāro」にならないとおかしいですし、また同経には、 sukhe dukkhe jīva-sattame 苦と楽と第七の命と とあり、ここも「sukhe」はパーリ語の活用変換だと「sukhaḿ」、「dukkhe」は「dukkhaḿ」、「jīva-sattame」は 「jīva-sattamo」となっていなければおかしいのですが、これらはマガダ語的変換のままになっています。  さらに言えば、パーリ語の経典の中において、お釈迦様が弟子たちを呼ぶときパーリ語では「bhikkhavo(比丘達よ)」とパーリ語の活用で呼びかけているのですが、よく見るとちょいちょい「bhikkhave」というマガダ語系の活用で呼んでいるところもあります。  こういったところにはマガダ語で学んだ人たちが西インドのこれを伝えるときに、お釈迦様の人物像だとか言葉のニュアンスを残そうという努力の跡とみることができます。私の友人で大阪において最も汚いといわれる大阪弁を使う地域出身者が言っていたのですが、「お宅のお子さんころんでますよ」というのを「我んとこのジャリいちびっとんぞ」と言うんだと冗談交じりに話していましたが、こういった言葉のニュアンスを訳すのって難しいんでしょうね。 >>マガダ語とはどのような言語でしょうか? >>どうやってマガダ語を探すのでしょうか?    パーリ語とマガダ語の主な違いは三つあるといわれています。 1、パーリ語では活用前の基本形が~aで終わっているものは、男性詞単数主格に活用するとき~oで終わり、中性単数主格は~ḿで終わりますが、マガダ語の場合はいずれも~eで終わります。 2、パーリ語はサンスクリット語と同じでrとlの発音を区別しているのに対して、マガダ語はlの音のみでrの音はつかわれません。 3、パーリ語は歯擦音としてはsのみですが、サンスクリット語はsほかに、上に'のついたsや、下に・のついたs(表記できませんでしたすみません)があります。それに対して、マガダ語は主に上に'のついたsのみが使用されています。    ただ、上述のようにパーリ語の経典に出てくるマガダ語はrがありますし、sの音も出てきます。あくまでここはマガダ語的活用が用いられているということであって、マガダ語そのものが完全な形で使われているというわけではないようです。ですが、上記のようなことを意識しながらパーリ語の経典を見ていくとマガダ語的な活用が使われている部分が見つかります。  まぁ、一応こんなところですかね。私も言語は専門ではないのでこの程度の事しか書けませんがお役にたてれば幸いです。余計なこともいっぱい書いてしまったかもしれません、ごめんなさい。急ごしらえのため誤字脱字乱文はご容赦ください。 合掌 南無阿弥陀佛

noname#195588
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 なるほど。 >経典の中においては、長部、中部、相応部経典に共通する文章に なんですか。 関心がスッタニパータとかダンマパダにばかり向いていたので とても参考になりました。 いやあ、質問したのはいいけれど 正直、回答はつかないだろうと思っていました。 せめて話題にしたことで興味を持っている人が 調べるきっかけになればいいか、とさえ思ったくらいです。

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  • SPS700
  • ベストアンサー率46% (15295/33014)
回答No.1

Magadha は、主としてインド南部の西暦紀元前600年前後の王国、ないし王朝の名前です。言葉の方は、Magadhi Prakrit などを使っていました。日本語版には地図がありませんが、下記にはあります。     http://en.wikipedia.org/wiki/Magadha 1。経典の中で、どのことばがマガダ語かはわかっているのでしょうか?     ふつう Magadhi Prakrit が多いと思います。 2。    マガダ語とはどのような言語でしょうか?     アーリア系の言葉で、インドアーリア語族に属し、さらに印欧大語族に入りますが、サンスクリットに近いので、Magadhi Prakrit は、サンスクリット(梵語)の混淆語(ハイブリッド)と見る学者も居ます。 3。  どうやってマガダ語を探すのでしょうか?     「マガダ語」は、正確に言うと言語の名前ではなく、下記のように政治的区画や人名ですから、これでは出ないと思います。     http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%AC%E3%83%80%E5%9B%BD     

noname#195588
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 >「マガダ語」は、正確に言うと言語の名前ではなく、下記のように政治的区画や人名ですから、これでは出ないと思います。 そうなんですか。 仏教の解説書とかによくでてくるので マガダ語というのがあるのかと思っていました。

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     いま得られている資料をかかげます。ご見解をおしえてください。  ▲ 【資料1:求愛をことわる】 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ・・・マーガンディヤーの父親が、たまたま釈迦に会い、その説法を聴聞すると父親は釈迦にほれ込んで、この男になら娘を嫁にやってもよいと思う。父親は釈迦に還俗して、婿入りすることをしきりにすすめる。  ある日、釈迦はマーガンディヤーの両親の家を訪問し、両親と娘の3人にむかって説法をはじめた。娘のマーガンディヤーには直接せずに、両親に説法をするのである。内容は次のようであった。    「われは〔昔、悟りを開く直前〕、渇愛と嫌悪と愛欲〔といった3人   の魔女〕を見ても、彼女らと交わりたいという欲望さえ起きなかった。   大小便の詰め込まれたこの女が、そもそも何になるというのだ。われは   この女の足にさえ触れようとは思わぬ」      (『スッタニパータ835』)  「大小便の詰め込まれた女」とは、ほかならぬマーガンディヤーのことである。  釈迦の真意は、娘を溺愛し、盲愛し、執着しすぎている両親をその苦から救うことにあった。いずれ死別はくる。両親が先か、万が一娘が先か、それはわからぬが。であるならば、娘に執着せずに手離しなさいとうのが釈迦の深い諭しである。この説法で両親は真意を悟り、出家を決意する。  しかし、救われないのは娘のマーガンディヤーである。目の前で「大小便の詰め込まれた女」と言われれば、傷つき「許せない」と思ったであろうことは容易に想像がつく。そして彼女は当然、釈迦を憎んだ。  その後、マーガンディヤーはコーサンビー国(* コーサンビーはヴァンサ国の都)の王と結婚し、王妃となる。釈迦がコーサンビ-国に布教に来たとき、彼女は屈辱的な過去を思い出すのである。そこで、釈迦に復讐するために、人々を扇動し、王妃の命令によって托鉢に歩く釈迦に石を投げさせ、罵詈讒謗を浴びせたのである。  このように誤解ゆえの迫害は、釈迦にもあったのである。  (『徒然草2001 法則編』     http://www.melma.com/backnumber_31267_1625651/ )  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆【資料2:その後の悲劇】 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  瀬戸内寂聴『釈迦と女とこの世の苦』によると。マーガンディヤーが ヴァンサ国王の第三夫人となったあと すでにブッダに帰依していた第二夫人のサーマーワ゛ティーに敵愾心を燃やす。しかも その遠因には かつてブッダに冷たくあしらわれたという過去があずかった。とうとう サーマーワ゛ティーの館を全部 火を放って焼き尽くし 中の侍女たちもろともを焼き殺したと言う。  《このサーマーワ゛ティーのむごたらしい最期は とてもショック無しでは聞けないし うなづけない。世の中は 必ずしもいい人がいい死に恵まれるとは限らないし 悪業を犯した人間が案外この世で栄えていたりするものだ。そういう人の世の不条理を 私たちはどう受けとめたらいいのか》というのは 寂聴の記すところ。  僧たちも ブッダに問うたところ ブッダの答えはこうだったとやはり寂聴が伝える。    僧たちよ 今度の事件で動揺した心を静めよ。この世でたとえいくら   生きても 放逸でわがまま勝手で 道を需(もと)めない人間は すで   に死んでいるのと同じで 生きていても価値がない。それにくらべ い   つでも熱心に道を需め 正しいことをしようと願い 慈悲の心の燃えて   いる者には 永遠の命がさづけられている。現実に肉体の死はあっても   魂の死はない。マーガンディヤーたちは 生きながら死んだも同然で   何の生命もなかった。サーマーワ゛ティーは どんな死に方をしても   永遠に生きつづける。彼女たちは死の瞬間に精神を統一し 祈ったから   すでに聖者の位を得て死を迎えている。    (寂聴:前掲書《第7章 悪女 聖女を焼き殺す》 p.158)  さらに結語として。    人間とはそういう残酷なことの出来るものだということを 今の私は   考える。善業の報い 悪業の報いというのも この世という短い時間で    はかってはならないのだろう。     (同上 p.159)  わたし(=質問者)の考えですが ブッダあやまてり ではないでしょうか。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ◆ 【資料3:ブッダに好意的な議論】 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  【とびらの言葉】その第3回です。  http://www5a.biglobe.ne.jp/~houon/tobira-bk01.htm  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

  • ブッダは ブラフマンの掌で暴れまわった孫悟空では?

     ブッダの独自性は何でしょう?  そのむかしアブラハムという人に《信じる》という非思考の場が芽生えました。  神とわたしとの関係がその信じるままであるならば――という意味は 非思考のはたらきとして記憶能力において精神および身体の秩序がととのっているならばということですが そうであるならば―― とうぜんのごとくひとはやわらがしめられている。こころはやすらかである。ひとと仲良くやっていく。  と知りました。  このことは 古代インドでは神をブラフマン(梵)と呼び《わたし》をアートマン(我)と捉えて その両者の一体(つまり 梵我一如)という思想に表わしました。  あるいは同じく神を プラトンでしたかは 世界霊魂(プシュケー・コスムー)と呼びました。ローマ人たちは アニマ・ムンディと訳し換えて使っています。その後ドイツ人らは 同じくヱ゛ルト・ゼーレと言ったりしていました。  ところで ゴータマ・ブッダは 天の邪鬼よろしく 無我(アン‐アートマン)の説を唱えました。(諸法無我)。ほかのものに依存せずみづから成ってあるという存在を――つまり ブラフマニズム(バラモン教)の宇宙霊であるブラフマンのことを言っているのですが これを―― そんなものは無いと言いました。(もしくは 有るとも無いとも言わないと説明しました)。  ですから いわゆる仏性は――あたかも 宇宙霊のブラフマンが 《わたし》としてのアートマンに宿るというそのようなものとわれわれは捉えていると思うのですが その仏性は―― ブッダは説いていません。あくまで後世になって説かれたものです。   ただしそのブッダも あたかもみづからが宇宙霊となって 自分はブッダとして永遠に生き続けており 自由自在に好きなように歴史に即して人間となって現われるのだというようなことを言ったとされています。つまりそのように後世の人びとは 捉えるようになっています。  乱暴にひと言で言ってしまうなら ブッダは ブラフマニズムという思想の中で孫悟空のように飛び回り暴れまわっていたということではないでしょうか。  《成道》を得たブッダに おまえの悟りを人びとに伝えたまえとブラフマンが勧めた(梵天勧請)と自分(ブッダ)では言っていますが 果たして どれだけの独自性があったでしょうか?  (ないと思って言っているわけではないのですが 批判にまわりたいと思っていますし そのことに道理はあると考えています)。  もし仏性という普遍性の定理は別として言えば もはやブディズムは惰性としての仏教しかないのではないでしょうか? 橋から落ちた犬に引導を渡すのは 哲学の役目だと考えます。

  • 中国王朝の言葉

    中国王朝は何度も異民族による統治が行われてきましたが、その統治下では漢民族と異民族は言葉が通じていたのでしょうか。たとえば元王朝だと漢民族がモンゴル語をしゃべっていたのでしょうか。モンゴル人が中国語をしゃべることは無いように思われます。漢民族は統治されるたびに言語を勉強していたのでしょうか。

  • 贛語(かんご)と客家語は言語学的に近いそうですが…

    贛語(かんご)と客家語は言語学的に近いそうですが、(明確な違いが無いと読んだことが有る気もします) 客家語は、北方の正統派漢民族の末裔を自称している人の言葉です 贛語(かんご)は、漢化した異民族の言葉とも言われていますが その二つの言語が同じ様な言葉というのはどういうことなんでしょう?