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アインシュタインは本当に相対論者ですか?
noname#221368の回答
#7です。 >このように、相対速度を生じたとき、観測者のほうが動いている、そういう観点を常に持つことが肝心なのです。 >アインシュタインのように「観測者が止まって剛体が動いている」一辺倒では天動説なのです。 >剛体が止まって観測者のほうが動いている場合も同様に想定し、論理を展開するのが真の相対論です。 >いや、もっと言うと、相対速度の半分が相手が動いて残りの半分は自分が動いている、 >いやいや、3割相手が動いて、残りの7割が自分の方が動いている、そう仮定しても、その全てを満たすのが真の相対論です。 「相対速度の半分が相手が動いて残りの半分は(最初の)自分が動いている」と運動を記述する第2の観測者にとって、自分は自分に対して静止してないのだろうか?。その自分を基準にして、相手が半分,(最初の)自分が半分動いてると言ってないのだろうか?。これは「観測者が止まって剛体が動いている」一辺倒で、天動説でないのだろうか?。 第2の観測者など不要だと言っても駄目です。「相対速度の半分が相手が動いて残りの半分は(最初の)自分が動いている」という運動記述をした瞬間に、そのような立場にある第2の観測者を、論理的に導入した事になる。これはガリレイ変換の要請です。「3割相手が動いて、残りの7割が自分の方が動いている」も同様。 あなたの論理に従えば、あなたの言ってる事は全部、天動説になる。
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