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アインシュタインは本当に相対論者ですか?

noname#221368の回答

noname#221368
noname#221368
回答No.7

 ガリレイの相対性原理とガリレイ変換はご存知で、しかも認めるのでしたね。  自分が自分に対して止まっている事、それを「相対静止」と言います。自分は止まって相手が動いているように見える事、それを「相対運動」と言います。ガリレイはそう言ってませんか?。  アインシュタインが論文を書いた時、ガリレイの相対性原理と変換は普及して300年も経っていたので、ことさら「相対」を付ける必要を感じなかっただけでしょう。  もちろん理論の帰結として絶対静止や絶対運動を導くようなら駄目だが、そうはなっていない。逆に絶対静止や絶対運動はないと強調されている。また当時考えられていたエーテルは、絶対静止や絶対運動の基準になり得るものだったから、エーテルもないと結論される。その結論への前振りとして、「静止系」や「運動系」という用語を皮肉っぽく選んだ可能性はあるが、それらの論文中での定義は、「相対静止」や「相対運動」と同じです。  最初は半分冗談かと思って探りを入れていたが、本気の心意気も少し感じるので迷う。しかし、 >「自分は止まって相手が動いている」では、天動説の蒸し返しのように思うのですが・・・ などの考えについてはお手軽で安易すぎる。自分自身に対する絶対静止性を認めなければ、天動説は成立しない。ガリレイの地動説の論点もそこにあって、彼は地球も動き得る物体である事を、彼なりに論証してみせた。  ところで量子論に目は向かないのかな?。量子論は相対論を半分時代遅れにしてしまった程に威力のある、非常識な事を言ってますよ(^^)。どう感じるのか、ちょっと知りたい(^^;)。

okitarou123
質問者

補足

>最初は半分冗談かと思って探りを入れていたが、本気の心意気も少し感じるので迷う。しかし、 相対論を批判したとたん、「お前はアホか」的な回答を寄せる者の多い中、 貴方の回答は、温かみに満ちています。 したがって、貴方とは、あまり議論をエスカレートさせたくありません。 他の方への返信で、私の思いを推し量ってください。 >ところで量子論に目は向かないのかな?。 もちろん、量子論には興味があります。 ですが、事の正否を確かめるすべを全く持っていません。 確認できない以上、「へーそうなんだ」的な感想しか持ちえません。 というより、相対論の嘘さえ見抜けない人たちでごった返している 現代物理の世界は、むしろ量子論と言えどもマユツバの ような気さえしています。 もっと言うなら、理論物理なんてものは意味がないとも・・ 研究の世界に入りたくとも、相当の資金が要りそうですし、 貧乏人にとって、確認できる実験と言えば、ガリレオや ニュートンのりんごの話くらいです。 そういえば、湯川秀樹さんの身なりを見ていると、相当な お金持ちのように見えますし、他の著名な方もそう見えます。 物理学者となるには貧乏人の小せがれじゃ無理の時代になった のかなと、ひがみ根性丸出しです。

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