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仏典で瑜伽(Yoga)の初出は?

仏教で「瑜伽」または「yoga」という言葉が使われたのはどの経典からでしょうか?大乗仏教よりも前の部派仏教や原始仏教でもそのような用例はあるのでしょうか?

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  • mmky
  • ベストアンサー率28% (681/2420)
回答No.2

>仏典で瑜伽(Yoga)の初出は? ○修行としての瑜伽(Yoga)は、釈尊が菩提樹下で瞑想し、悟りをお開きになったということで、この時の修行のお姿が瑜伽(Yoga)の瞑想(座禅)であったことから修行方法となっているだけです。釈尊は悟りに至る道として苦楽の中道を説きましたので、仙人修行のような苦行としての瑜伽(Yoga)は否定しています。 だから釈尊の教えに、瑜伽(Yoga)はありませんので仏典にもありません。仙人修行としての瑜伽(Yoga)は釈尊以前からあったものです。 ただ、釈尊の悟りを体得しようとするための瑜伽(Yoga)は、釈尊の時代からありますから当然中国にも伝わり、それを空海が持ち帰っただけですね。成功したのは空海だけですね。

blueTopidea
質問者

補足

 大変分かりやすいご回答を頂きまして感謝いたします。  確かに仰るように、ブッダは苦行を否定したと言われています。ただ、ブッダが否定した仙人修業のような苦行はヨーガ(Yoga)ではなく当時(BC5~4世紀頃)はむしろタパス(Tapas)と呼ばれていたようです。このタパス(Tapas)は仰るようにかなり古いヴェーダ時代からあります。  また、ブッダが菩提樹下で行った瞑想はヨーガ(Yoga)というよりも、単にディヤーナ(Dhyāna)(パーリ語でジャーナ(Jhāna)⇒中国で音写されて「禅」)と初期の仏教では呼ばれていたようです。一方で同じころ、バラモン教(ヒンドゥー教)ではヨーガ(Yoga)が苦行ではなく瞑想修業を指す言葉として既に使われています(実際にカタ・ウパニシャッドにヨーガ(Yoga)がそのように使われています)。  さて、仏教でも大乗仏教の時代(紀元後)になると「瑜伽」行唯識派とあるようにヨーガ(Yoga)という単語が仏典に現れて瞑想修業を指すようになります。  以上から私の質問の意図は、瑜伽行唯識派がでてくるAC3,4世紀頃までヨーガ(Yoga)という言葉が仏典にでてくることはなかったのか(つまり唯識派がヨーガ(Yoga)という言葉をはじめて仏教に持ち込んだのか)、それとも、それ以前の部派仏教や原始仏教の仏典でも使用例があるのかどうかということになります。最近、ヨーガや仏教のことを少し詳しく調べていて疑問に思ってしまいました。しかし少々専門的すぎる質問かもしれません(申し訳ありません…)。  なお、瑜伽行唯識派は玄奘三蔵が中国に持ち帰って法相宗となり、それを道昭が日本に持ってきましたが、確かに、その後の隆盛をみると成功したのは空海の方だと言えると思います。ただ、空海が持ち帰ったのは密教(そのヨーガはタントラ系)ですね。ブッダの時代の瞑想(ディヤーナ)からは大分と変容してしまっているようです。  以上、よろしくお願いします。

noname#195588
noname#195588
回答No.1

Suttanipata (Pali Text) PTS Version (Andersen/Smith) https://mywebspace.wisc.edu/jrblack/web/BU/DL/suttanipata.html とりあえず スッタニパータの641に出てくるみたいです。 たぶん対格です。 水野弘元『増補改定パーリ語辞典』 春秋社 で yogaを調べると 軛、束縛、繋縛;結合、関係;瑜伽、瞑想、観行、修行、努力 の意味だそうですから、 641 人間の絆を捨て、天界の絆を超え、すべての絆をはなれた人、──かれをわたしは(バラモン)と呼ぶ。 http://homepage3.nifty.com/hosai/dammapada-01/suttanipata-all-text.htm 中村元の訳では、絆になっているのが、yogaです。 他にもあるかもしれませんが、 私はパーリ語がわかりません。 間違っているかもしれませんが、気になったのは 1046のヤージャヨガーです。 文字化けするのでカタカナにしました。 ヤージャ、ヤージャナ が 犠牲、献供、施捨 らしいですから、 ヤージャ+ヨガで 供儀。になるのではないか? それの奪格? 中村元の訳では 1046 師は答えた、 「プンナカよ。かれらは希望し、称賛し、熱望して、献供する。利得を得ることに縁って欲望を達成しようと望んでいるのである。供犠に専念している者どもは、この世の生存を貪って止まない。かれらは生や老衰をのり超えてはいない、とわたしは説く。」 だとすると、スッタニパータで古いのは、第四章と、第五章らしいですから、 1046は第五章ですから、これが古いのではないか、と。 1047にもヤージャヨガーがでてきますね。 1047 プンナカさんがいった、 「もしも供犠に専念している彼らが祭祀によっても生と老衰とを乗り越えていないのでしたら、わが親愛なる友よ、では神々と人間の世界のうちで生と老衰とを乗り越えた人は誰なのですか? 先生! あなたにお尋ねします。それをわたしに説いてください。」 そして、そのyogaはバラモン教の儀式のことだろうか? ちなみに 人間の 絆を捨てて 一切の 絆を捨てた 彼はバラモン(417) http://76263383.at.webry.info/201303/article_16.html ダンマパダの417にも絆の意味で使われているみたいですね。 Comparative Dhammapada Home Page http://www.ancient-buddhist-texts.net/Buddhist-Texts/C3-Comparative-Dhammapada/CD-26-Brahmana.htm#CD_417 しかし気になったのは、 ガーンダーリー語のテクストには出てこないみたいですね。 私もわからないことばかりなので、間違っていたらすみません。

blueTopidea
質問者

補足

さっそくご回答を頂きまして大変ありがとございます。とても参考になりました。 ただ、私の舌足らずの質問のため少しポイントがずれてしまいました(申し訳ありません)。実は私の元々の質問の意図は、字義通りのyoga(結合、等)の初出ではなく、何らかの修業方法を指しているyogaという言葉の初出を問うものでした。 大乗仏教の瑜伽行唯識派の「瑜伽」は行としてのyogaを意味していますが、仏教において、いつ頃から(つまりどの経典から)そのような修業方法を指すような使い方をするようになったのかを知りたかったのです。 よろしくお願い致します。

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