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哲学は心理学のサブカルチャーに過ぎないのか

  哲学する心とは単なる人間心理の1状態であり、心理学的現象に過ぎない。 つまり哲学は心理学のサブカルチャーに過ぎないのでしょうか。  

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回答No.3

在るものをあるがままに見る者は、思惑愛好家ではなく、愛知者と呼ぶべきものではないかね。 とソクラテスが言った(とブラトンが「国家」に書いていました) この、愛知者、知恵に執着する者、思惑愛好家、自己の心、思惑、に執着し、自己の心を脱せない者。 に対する、心でない、自己を度外視して、真実を見、掴もうとする、知恵、に執着する者、が 哲学者、(学舎、ではなく、哲学もの)となります。 哲学のスタ-トは、自己の思惑を否定し見直す事。心、を否定すること。なのです。 東洋の哲学、インドの釈迦の考え方、中国の「老子」の考え方は、さらにはっきりと。 自己の心に執着するのが、亡者であり、俗人、小人物、であり。 その対極が、菩薩(悟りを求める人)であり、賢人、なのです。 哲学にとって、心理、人の心、は、動物の心の延長であり、 人の心理を知りたければ、動物の行動を見れば解る、人の心など、別に美しいものでも複雑なものでもない。 人間(の心)を厭え、人の心、から逃れよ。が釈迦の哲学の、スタ-ト、とも言えるのです。 猫には虎の心は解らない、というのがありますが。 ギリシャ哲学の、頂点、とも見れる。心、執着を滅した、樽の中の哲人、を。 デイオゲネス、コンプレックス。などと言う真理学者の言葉などは、まさに、猫には虎の心は理解出来ない。 ではないでしょうか。 カント、も「純粋理性批判」の中で、実体のない心を対象とする、心理学、は存在し得ない。と言っていますが。 フロイト系の精神分析にしろ、ハブロフ系の生理学、にしろ、追い求めているのは、動物の心=行動。 なのです。それが結構当てはまる人間が多い、ことも事実でしょうが。 人間は思想によって作られる。思想によって、自らを構築するものなのです。 それには、動物の心は当てはまらない、理解するには、その人を構築している、思想、考え方、を理解するしかない。理解出来たなら、その人は心理学者ではなく、哲学者でしょう。 心、や心の機微を表現する、ニ-チェに言わせると、詩人にすぎぬ、阿呆に過ぎぬ、文学などでも、 最高峰とも言われる。芭蕉の 古池や、かわず飛び込む、水の音  という俳句に、心、が読み取れますか?

その他の回答 (10)

noname#182794
noname#182794
回答No.11

ご質問の内容を拝見した限りでは、心理学とは、 心を扱う学問であると承りました。 それでは私が、哲学について申し上げます。 私がこれまで扱ってきたのは、世界を構成する指向性であり、 それに伴う現象であり、言語であり、生き方でした。 心理学と、哲学は、異なるものではなかったでしょうか。 心理といえば、あまりに人間的なものであり、 哲学といえば、人間など滅してしまうほどの強い指向性を問う ものであったような気がします。 「○○は、□□に過ぎない」 これは、哲学の唯物論において使われる言葉です。 すなわち、 学問を志したときに、すでに哲学の門をくぐってしまったことを 表してはいないでしょうか。 しかしながら、早々に体系化することは、みずから禁じなければ なりません。学者であるならば、なおさらです。

noname#183245
noname#183245
回答No.10

学問に上とか、下とかあるんですかね。 イメージとしては、二つの円があって、 一部分だけが重なっている状態ではないでしょうか。 円の大きさなど、わかりません。 学問は無限に大きくなります。 いまも、どっちの円も大きくなっている状態です。 哲学にあって、心理学にないもの。 心理学にあって、哲学にないもの。 どちらも大事なものです。 優劣つけようとする発想が、そもそも学問的ではないです。

noname#178549
noname#178549
回答No.9

まったくの素人です。以下のように考えました。 心理学はなんらかの科学的実証があって成り立つものと思います。だから例えば脳生理学などの科学の領域が広がることによって心理学領域は見直されていくものと思います。 それに対して哲学は主張だと思うのです。主張に科学的実証が含まれれば 心理学領域と重なる部分があってもおかしくないと思います。が主張は 論理的である場合とか あるいは非論理的である場合もあって 科学的実証は必ずしも含まれていない と思います。心理学と哲学の重なっている部分は どちらから観るかにより 上位概念が決まるのではないでしょうか。  なぜ そのような哲学をするのか はその哲学をする人の心の動きに起因していることは間違いないのと思いますが、その心を心理学で解明することは 科学的実証を伴うだけに 相当に困難と思います。 以上失礼しました。

回答No.8

>私のこの大事な質問に大いに水を指してくれたね。では訊ねます。  水を指すんじゃなくて、水を差すだと思うぞ。水を指で指しても、ああこれが水だというだけだし。  で、水差しは使ってないぞ。確かに持っているけどね。ステンレス製のほらよくレストランとかでみるやつだよ。購入するとき保冷というか保温機能があるやつにするか迷ったんだな。結局、形を優先していまのやつに決めたんだ。夏は氷を入れるんだけど結露しちゃってね。実用的には保温機能があった方がいいと思うよ。水差しについてはこれくらいでいいかな。 >科学する心、芸術する心、スポーツする心が心理学が扱う心でないなら、心理学が扱う心とはどんな心なの。  科学する心は大切だ。科学は、人類の発展に大きく寄与して、科学無しではとても成り立たない。電気も、自動車も、コンピュータも科学から生まれたといても過言じゃないだろう。これからも、科学はますます発達するのは間違いない。  芸術は、科学が自然を客観的に観察するのに対して、自分の内面から湧き上がってきた何かを表現する活動だな。アート、音楽、分野はさまざまだけど、まさにデザインするということだ。音楽のデザインというのは、作詞、作曲、編曲、演奏技巧などを指しているな。  スポーツってのは、体を使って運動することだ。さまざまな競技、ゲーム、武道なんかがあるぞ。オリンピックをみるといい。いろんな種目をみんな一生懸命やっている。  心理学は、心を扱う学問だ。心理学が扱うのはあらゆる心を扱うんだ。この心は扱うけど、あの心は心理学の分野じゃないなんてことを心理学者は言わないな。だから、どんな心でも扱うんだよ。

  • Nakay702
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回答No.7

No.1です。 何度もしゃしゃり出て、しかも他人のことですみませんが、No.2さんやNo.3さんも面白いので、できればコメントをお願いします。 ところで、 1.例えば、心理学を専攻する者にとっては、その「隣接科学」として、自然系列:生理学・物理学・数学…、人文系列:言語学・哲学・文学…、社会系列:社会学・法学・政治学…などがありますね。こういう問題について、specializationは高いほどよく、 generalizationは広いほどよい、と言われます。ところが、この両者は対立するので、それで我々は悩むんですね。 2.『論語』にこんな言葉がありました:「学びて思わざれば即ち暗し。思いて学ばざれば即ち危うし」。 もちろんsoodann1様は、「学びて思った」からこそ質問なさったわけですよね。ご質問に感謝します。

回答No.6

心の状態を心理学が扱っているから、心理学のサブカルチャーになるなら、なんでも心理学のサブカルチャーになるな。ま、それでもいいけどね。 科学する心、芸術する心、スポーツする心とか。

soodann1
質問者

お礼

  私のこの大事な質問に大いに水を指してくれたね。 では訊ねます。 科学する心、芸術する心、スポーツする心が心理学が扱う心でないなら、心理学が扱う心とはどんな心なの。

  • Nakay702
  • ベストアンサー率80% (9721/12093)
回答No.5

再び、No.1です。 > 自分の物差しを優先するのであるから当り前と言えば当り前であるが。 →確かに、そういう“egocentric particular(自己中心的特殊規定)”をする心性が、誰にでもあることは認めます。 ただし私は、大学での専攻でもその後の職業でも、哲学とは何ら関係ありません。 “常に同時に”、哲学(=愛知)したいという気持ちは持っていますが。

回答No.4

私もNo1さんの意見に同意です。 哲学のほうが圧倒的に上位概念です。 「哲学は心理学の1ジャンル」とするのは、かなり無理があります。 哲学のほうでは、人間心理の他にも、世界や物自体、自然、言語、政体、倫理に関する考察を行いますが 心理学ではそういうことはありません。 さらに言ってしまえば心理学は現在の脳科学によって ドンドン解体されているので、 あと数十年で消えてしまうのではないでしょうか。 もうフロイトもユングも前世紀の遺物扱いです。

soodann1
質問者

お礼

>哲学のほうが圧倒的に上位概念です。 同じ質問を心理学カテに投げたなら、心理学サイドの答えは全く逆のものになること間違いないと思う。 例えば、心理学サイドの答えとしては、 心理学は科学であるが、哲学は科学ではありませんとか、 心理学は実証ベースであるが、哲学は観念論に過ぎないとか、 そもそも観念とは人間心理の問題に過ぎないとか、 そして哲学は人間心理が生み出す現実の社会問題の解決に対して具体的成果が無いとか、 一方心理学は人間の能力評価や性格判断ができる心理テストを開発したとか、 いろいろ理由を述べた結果、やはり哲学は心理学のサブカルチャーに過ぎないという結論に至る訳です。    

  • meteo226
  • ベストアンサー率43% (75/173)
回答No.2

「サブカルチャー」「すぎない」と言う言い方は両者の関係を適切にあらわせるとは思えません。 なぜならば哲学と心理学では扱う領域が異なる部分があり、相補的な関係があるからです。 心理学は、歴史的にみて生理学と哲学を背景に生まれた比較的新たな学問体系で、 人間の心理的側面を自然科学手法によって解明しようと試みます。 一方、哲学が人間の心理的側面を扱う場合、思索、内観を用いて解明を試みます。 「哲学が概念を提示し、心理学が自然科学的方法を用いてその概念を検討する」 「哲学思想をベースに、心理療法を開発・改良する」 「心理学的知見をもとに、哲学において前提とされていた人間観が改変される。」 などの現象が起きるので・・。

  • Nakay702
  • ベストアンサー率80% (9721/12093)
回答No.1

哲学には、諸科学を統合したり指針を与えたりする機能・使命があると 思いますので、むしろその逆ではないでしょうか。 つまり、 どちらかと言えば、哲学の方が上位概念で、「心理学は、ある意味では、 哲学のサブカルチャーである。」と言うほうが妥当性は高いと思います。

soodann1
質問者

お礼

  >どちらかと言えば、哲学の方が上位概念で、「心理学は、ある意味では、 哲学のサブカルチャーである。」と言うほうが妥当性は高いと思います。 哲学専攻側の見方としては、おそらくこのようになるのが普通でしょう。 しかし心理学専攻サイドの見方は全く逆で、哲学する心なんて心理現象の1つであって哲学なんて完全に心理学のサブカルチャーに過ぎないと見做すのが普通みたいです。 何れの側も自分の物差しを優先するのであるから当り前と言えば当り前であるが。  

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