失敗を恐れず挑戦することの重要性

このQ&Aのポイント
  • 失敗を恐れて何もしなければ、何も成長出来ないという言葉に共感し、自分も過去のイジメの経験から失敗を恐れて行動しなかったことを反省している。
  • イジメの経験から、失敗を恐れず挑戦することは部活や仕事においても大切だという発見をし、過去の出来事を過去にしてトラウマにしないことを決めた。
  • 最近は堂々と失敗を恐れずにバスケや他のことに挑戦することを心掛けており、自分自身の成長や思考の変化に前向きな姿勢を持っている。
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この言葉に対する自分の意見について

「失敗を恐れて何もしなければ、何も成長出来ない」 おそらく殆どの人がこの言葉に共感していて、自分も同じくこの言葉は行動を決定する上で大切な言葉だと思っています。 しかし大切だとは思うのの自分は過去のイジメの経験により、「失敗は恐れるべきもの」として考え、「失敗を恐れて何もしない」という行動を今まで何度も取って来てしまいました。 ただ現在は20代前半の者なのですが、もうこんな事は二度としないようにし失敗を恐れずにどんどん挑戦していきたいと思っています(もちろん失敗から学ぶという前提で、です)。 そこで、その過去のイジメの経験によって自分の中に根付いてしまった「失敗は恐れるべきもの」という考えを払拭する為に、最近長い熟考の末ようやくある結論が自分の中で出たのですが、それを皆様に読んで頂いて皆様の感想をお聞きしたいと思います。 長文になりますが、最後まで読んで頂けたらと思います。 自分がその考えを持つ様になったのは、中学の頃クラブでいじめに遭ったのが原因です。 初心者で始めたスポーツ(バスケ)だったので、どれだけ失敗しないで練習しようとしても失敗してしまう事があったのですが、イジメに遭っていた自分は失敗すると陰湿な嫌がらせを受けました。 失敗して嫌がらせを受けたりイジメをされるのが本当に辛かった為、しばらくして自分はそもそも「挑戦」しない事に決めました。(要はもう自分はいないのと同じ)。 そしたらやがて酷い嫌がらせはされなくなりました。 (もちろん挑戦していないので実力は0のままです) この経験から「失敗を恐れず挑戦して失敗したらイジメの行為を受ける。ならば挑戦しないでおこう」という式が頭の中に出来上がってしまったのです。 なので、中学以降は失敗を恐れず挑戦するという言葉を聞く度に、そのトラウマが思いだされて苦しんでいました。 しかしよく考えてみると、自分は当時「陰湿ないじめに遭っていた」状態だったのでミスをした時に異常なまでに非難されて攻撃されたのは流れとしてはごく自然。なぜなら「嫌われていて、イジメられていたから」。 (ちなみに自分はその部活以外ではイジメを受けた事がなく、普通に友達もいました。そのイジメの行為をしてきた数人がかなり陰湿で人として最悪だったと覚えています) 以上の事から、失敗をした時に異常なまでに精神的に苦しめられたのは、自分が当時イジメられていた立場で、イジメをしてくる輩達がいた環境(つまり部活)に属していたからであって、「失敗を恐れず挑戦したが結果的に失敗した」からでは決してないと言えます。 もし「失敗を恐れず挑戦したが失敗した」事によって僕が(しかも経験者ではなくまだ初心者)が当時イジメを受けたのであれば、集団の中で、例えば部活に限らず仕事で挑戦して失敗した人達は皆陰湿な嫌がらせを受けて精神的に苦しめられて、結果トラウマを抱え、もう「挑戦する事」を止めるでしょう(ちなみに自分は社会的枠組全般、例えば小中高大、バイト先等も含めてイジメられた事は一度もありません)。 他にも例を挙げると、イチローだって現在は世界トップレベルのバッターですが、彼が野球をやり始めた頃は失敗の連続だったでしょう。そんな時に失敗した事を執拗に責められ、精神的に苦しめられイジメられていたら、とてもじゃないが野球どころでは無かったでしょう。 エジソンも数多くの発明をした事で有名ですが、その発明の裏には沢山失敗があったはず。 しかし失敗する度に精神的に苦しめられてイジメられていたら実験どころでは無かったと思います。 よって僕は中学の部活の出来事を「もうとっくの昔に過ぎ去った、たまたま運悪く経験してしまった一過性の嫌な出来事」として理解し、一切トラウマ等にする必要が無く、これからは「失敗を恐れず果敢に挑戦」という言葉を愛してまた大好きなバスケについて話したり、実際にプレーしていけばいいと感じています。 (中学以来そのイジメをしてきた輩達が脳裏にちらついてしまったので、バスケについて話したり、実際にプレーする事を避けて来た) 堂々とこれから失敗を恐れずバスケをすればいいし、スポーツ以外のどんな事に対しても、「失敗を恐れず挑戦」していけばいいと最近思えるようになりました。 (まぁこの事は普通の人はごく当たり前に思っている事だと思うのですが、自分は最近までトラウマが原因で思えませんでした) 上記の思考プロセスを経て「もう過去に囚われず失敗を恐れず何事にも挑戦していこう」という結論に至ったのですが、皆さんは上述の文を読んだ上で、僕のその結論についてどう思いますか? 回答お待ちしております。

noname#181351
noname#181351

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • blackmind
  • ベストアンサー率38% (37/97)
回答No.3

要約すると、 過去のいじめの経験によって「失敗=いじめによる精神的苦痛(恐怖)」という回路が形成し、 失敗のリスクを伴う挑戦にブレーキがかかっていた。 しかし実際は「失敗と恐怖は区別されているもの」と自覚し、失敗を恐れない理由を得たということですね。 とても良い考えだと思います。 きっとたくさん悩まれたのでしょうね。 私にも質問者様ほどではありませんが似たような経験がありました。今回のように冷静に自己を分析できるならば今後どんな困難があろうとも自らで解決できると思います。 少し気になる点をあげさせていただくとすれば、 質問者様が受けたいじめがどのようなものだったかは分かりませんが、 今後何かお叱りを受けるような機会があった場合にそれをいじめの経験と同視しないように注意する必要があると思います。 イメージが湧きにくいかもしれませんが、 お叱りはその人を成長させるための手段になることもあります。 それをいじめと同視し「失敗ではない=自分は悪くない」というような思考をしてしまうと、 反省をしない自己中心的な考えを持ち、冷静さを失ってしまう恐れがあります。 付け加えると「成功=正しい」とも限りません。 機械的な例えになってしまいましたが、 いじめも一つの結果である以上は何らかの原因があるわけで、 そこにも冷静な分析ができるようになれれば、きっと良い人間関係を構築できる一助となると思います。

noname#181351
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 仰る通り、かなり悩んだ末の結論です。 私のこの結論への同意に感謝を述べるとともに、参考になるアドバイスありがとうございました。 少し質問が長過ぎたので、ある程度まとめてまた質問し直そうと思います。

その他の回答 (2)

回答No.2

失敗には必ず原因というか理由があります。 早く忘れたいでしょうが……シッカリ検証して、 再発防止の歯止めをかけておかないと、 再発してしまいます。 質問者さまがイジメを誘発したミスは どうだったのでしょうか。 チャレンジングなミスではなくて、 凡ミスであったということはありませんか。 ちょっと考えられないような高度なことに チャレンジしたミスならば、イジメをする人は いないと思いますけどね。どうでしょうか。 被害者意識は、決して、質問者さまを シアワセにはしませんので、できるだけ早期に 卒業しませんか。 質問者さまが導き出した結論は、 精神論であって、必須で重要な 失敗を検証する作業が含まれていないように感じます。 この際、図書館などで 『失敗学』を十全に研究してみることを お勧めします。

noname#181351
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 少し質問が長過ぎたので、ある程度まとめてまた質問し直そうと思います。

回答No.1

21歳 事業に失敗。 22歳 選挙に落選。 24歳 またも事業に失敗。 26歳 恋人の死の悲しみを乗り越える。 27歳 ノイローゼになる。 34歳 下院議員選挙に落選。 36歳 下院議員選挙に落選。 45歳 上院議員選挙に落選。 49歳 上院議員選挙に落選。 52歳 アメリカ合衆国大統領に就任。 第16代アメリカ合衆国大統領エイブラハム・リンカーンさんの人生です。 成功者は失敗を失敗と思わなのです。 ただし、同じミスはしては駄目ですよ。

noname#181351
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 仰る通りだと思います。 少し質問が長過ぎたので、ある程度まとめてまた質問し直そうと思います。

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    現在22歳(男)の者です。 昔中学時代に初心者でバスケ部に入ったのですが、運悪く一緒に入った同級生の経験者達からかなり酷い陰湿ないじめをされてしまい、思う様にプレーする事が出来ず引退を迎えてしまった辛い過去があります。 ・接触すると「触れるな、キッショ」 ・お前がシュート打つな ・私からのパスを意図的に取ろうとしない ・もうお前なんか辞めてくれ ・下手糞は調子にのるな(全くのっていないのに) ・裏で私にパスを回さない様にしくんでいた。 等々これら以外にもまだ沢山陰湿な行為をされ、そして中1の初めらへんからこの様ないじめが始まったのでもう自分は練習では彼らを恐れて何も出来なくなっていました。 当時はスラムダンク等のバスケの漫画を見て「彼らみたいに楽しくやりたい」という思いから、ほぼ毎日家で個人練習をしていましたが、結局練習ではそのいじめの加害者達を恐れて何も出来なかったので、中学ではほぼ何も上手くなりませんでした。 例えば英語を勉強しに留学に行っても、間違う事を恐れて英語を喋らなかったら英語は上手くならないですし、野球においても、家で何万回と素振りをして練習しても、実際の練習試合で失敗する事を恐れてバッターボックスに立たなかったら野球が上手くなる訳ありません。 それと同じ様な状態が当時起こっていて、「もしここでシュート打ったらまたいじめの行為をされるのではないか・・・」と恐れて本当に悔しいですが物音たてずにやり過ごすしかありませんでした。 そんな時からもう7年以上経つのですが、この7間その中学でスポーツに対してトラウマが出来てしまった自分はバスケと接して来ませんでした。 しかし、最近知り合い達と遊びでとあるスポーツをしてみたら当時みたいな精神的苦痛も無く楽しむ事が出来、そしたら急にバスケがやりたくなってきました。 「今だったら当時の記憶に振り回されずに出来るのではないか・・・」そう思い始めたのだと思います。 そこでバスケ好きの方に質問です。 こんな22歳にもなった自分ですが、今からでもまたバスケをする事って出来るでしょうか? 出来るなら、やりたい。。。 当時出来なかった後悔等忘れて、純粋にバスケをしたいなぁ。。。そう考えています。

  • 過去の経験をいつまでも引きずりたくない。

    【失敗を恐れず挑戦し、とにかく初めの一歩を踏み出して転びながらでも学んでいく為に・・・】 23歳です。 僕は中学時代、バスケ部で陰湿ないじめに遭いました。 僕は初心者でバスケを始めたのですが、1ヶ月が経つ頃から僕とは別の小学校から来たバスケ経験者の同級生数名に陰湿なイジメをされ始めたんです。 いじめの理由は恐らく「なんとなく嫌だ、むかつく」こんな理由だったと思います。 僕は大学まで出ましたが、大学卒業するまでその中学の部活以来、バイト等も含めいじめの行為に遭ったことがありません。 今思い返しても、当時いじめを受けたのは、 いじめをして来た人間の性格が腐っていたからだと断言できます。 部活では、 ・バスケなので体と体がぶつかるのは仕方ないのに当たると「キモイ」「死ね」等の暴言を吐かれる ・シュートを打つと「お前が打つな」と言って、尋常じゃなくキレられる ・「下手クソはシュート打つな」といった様な罵倒をされる ・僕が出したパスをもの凄く嫌そうに取る ・ミスしたら必要以上に責めて来る ・ミスしたら馬鹿にして攻撃して来る こういったことをされました。 大人でも始めたての仕事で、罵倒やいじめを繰り返されたらさすがに心を痛めます。 そんなことを、まだ13歳14歳の思春期にされたら、ダメージは相当。 明らかにシュートチャンスでシュート打てる状態でも、外したら何を言われるか分からないし、決めても嫌な顔をされる。 自分でカットインしてシュートに持って行きたいけど、もし外れたら何言われるか分からない、酷い罵倒をされるかもしれない。 こんなことを延々と繰り返された僕は、 徐々に挑戦というものをしなくなって行きました。 まだ数ヶ月の初心者。 どれだけ意識していてもミスはあります。 でも、ミスすると罵倒される状態だったらもう怖くて挑戦できないですよね。 「思い切って挑戦する」→「失敗するかもしれない」→「失敗したらそこから何かを学んで次に繋げる」 このプロセスが、何かを上達させるには不可欠です。 しかし、僕はこの第一段階である「挑戦する」っていう行動を取れなかったんです。 もうボールを持ったらパスをして、自分では攻めない。 こういう状況に追いやられていました。 そして他にも、 「下手クソはシュート打つな」 「下手クソは○○するな」 こういった発言をされていたと述べましたが、僕は下手だから練習しようとしたんです。 下手だからシュート打って練習しますし、 下手だからドリブルとか果敢に責めたりして、上達しようとしていたんです。 でも「下手だからするな」と言われたら、一生上手くなることができません。 家でいくら1人で練習しようが、実際の練習で上述したようないじめの行為をされていたらその成果を発揮できません。 「下手だから○○するな」と言われない為には、上手くなってから始めないといけなくなります。 しかし上手くなるには、実際に部活で皆と一緒に練習しないといけない。 でもその練習にちゃんと参加できないようにさせられていたので、もう上手くなりようがない。 こんな負のサイクルに追いやられていました。 中学の部活でこの様な経験をした僕は、2つの"誤った"理論を頭に刷り込まれてしまいました。 1つめが、「思い切って何かに挑戦すると、いじめみたいな酷い目に遭う」 2つめが、「何を始めるにも"完璧になってから"始めないと、酷い目に遭う」 この2つの理論です。 何かに挑戦すると、勿論"失敗"するという可能性が出てくる。  それは誰しもそうだと思います。 普通にスポーツでもそうですし、 仕事でもそう。 趣味でもそう。 何でもそうです。 何かに挑戦するということは、成功することも勿論ありますが、失敗もつきまといます。 しかし、失敗をするともの凄く酷い目に遭わされるという状況だったら、さすがにもう行動ができない。 僕は当時そういう状態を2年以上も経験したので、 それが"真理"であるという勘違いをしてしまってるんです。 もしそれが真理なら、みんな誰も何も始めようとしないですよね。 2つめに関しても同じ。 「できるようになってからはじめる」じゃ、いつまでたっても何も始められません。 スポーツでも、仕事でも、語学でも、 「ちゃんとリフティングができるようになってから始める」 「ちゃんと仕事の内容を完璧に覚えてから始める」 「熟語を全て頭の中に叩き込んでから、英語を喋る」 こんなことやっていたら、いつまでたってもやるべきことができませんよね。 何でも「やりながら」できるようにしていくのが普通な訳です。 完璧になってから始めよう!だと、そのやりたいことを始められる日は来ないです。 よって、上の2つの理論は間違っているんです。 成功者の方達もそうですし、色んな本やメディアでも 「失敗を恐れず、挑戦する事が大事」 「初めの一歩を踏み出そう。転びながら学ぶんだ」 このような事が言われていることからも、 僕の2つの理論は誤っていると断言できます。 よって僕は、この2つの理論は、 「いじめを受けていたという、ある種の"特殊"な環境にいたからこそ生まれた誤った理屈である」 ということを認識しないといけない。。。 ここで皆さんに質問です。 こんな経験をした僕が、一体どうすれば2つの理論が誤っていると「実感を伴った形で」認識することが出来るでしょうか? 多くの回答、お待ちしております。