• 締切済み

過去の経験をいつまでも引きずりたくない。

【失敗を恐れず挑戦し、とにかく初めの一歩を踏み出して転びながらでも学んでいく為に・・・】 23歳です。 僕は中学時代、バスケ部で陰湿ないじめに遭いました。 僕は初心者でバスケを始めたのですが、1ヶ月が経つ頃から僕とは別の小学校から来たバスケ経験者の同級生数名に陰湿なイジメをされ始めたんです。 いじめの理由は恐らく「なんとなく嫌だ、むかつく」こんな理由だったと思います。 僕は大学まで出ましたが、大学卒業するまでその中学の部活以来、バイト等も含めいじめの行為に遭ったことがありません。 今思い返しても、当時いじめを受けたのは、 いじめをして来た人間の性格が腐っていたからだと断言できます。 部活では、 ・バスケなので体と体がぶつかるのは仕方ないのに当たると「キモイ」「死ね」等の暴言を吐かれる ・シュートを打つと「お前が打つな」と言って、尋常じゃなくキレられる ・「下手クソはシュート打つな」といった様な罵倒をされる ・僕が出したパスをもの凄く嫌そうに取る ・ミスしたら必要以上に責めて来る ・ミスしたら馬鹿にして攻撃して来る こういったことをされました。 大人でも始めたての仕事で、罵倒やいじめを繰り返されたらさすがに心を痛めます。 そんなことを、まだ13歳14歳の思春期にされたら、ダメージは相当。 明らかにシュートチャンスでシュート打てる状態でも、外したら何を言われるか分からないし、決めても嫌な顔をされる。 自分でカットインしてシュートに持って行きたいけど、もし外れたら何言われるか分からない、酷い罵倒をされるかもしれない。 こんなことを延々と繰り返された僕は、 徐々に挑戦というものをしなくなって行きました。 まだ数ヶ月の初心者。 どれだけ意識していてもミスはあります。 でも、ミスすると罵倒される状態だったらもう怖くて挑戦できないですよね。 「思い切って挑戦する」→「失敗するかもしれない」→「失敗したらそこから何かを学んで次に繋げる」 このプロセスが、何かを上達させるには不可欠です。 しかし、僕はこの第一段階である「挑戦する」っていう行動を取れなかったんです。 もうボールを持ったらパスをして、自分では攻めない。 こういう状況に追いやられていました。 そして他にも、 「下手クソはシュート打つな」 「下手クソは○○するな」 こういった発言をされていたと述べましたが、僕は下手だから練習しようとしたんです。 下手だからシュート打って練習しますし、 下手だからドリブルとか果敢に責めたりして、上達しようとしていたんです。 でも「下手だからするな」と言われたら、一生上手くなることができません。 家でいくら1人で練習しようが、実際の練習で上述したようないじめの行為をされていたらその成果を発揮できません。 「下手だから○○するな」と言われない為には、上手くなってから始めないといけなくなります。 しかし上手くなるには、実際に部活で皆と一緒に練習しないといけない。 でもその練習にちゃんと参加できないようにさせられていたので、もう上手くなりようがない。 こんな負のサイクルに追いやられていました。 中学の部活でこの様な経験をした僕は、2つの"誤った"理論を頭に刷り込まれてしまいました。 1つめが、「思い切って何かに挑戦すると、いじめみたいな酷い目に遭う」 2つめが、「何を始めるにも"完璧になってから"始めないと、酷い目に遭う」 この2つの理論です。 何かに挑戦すると、勿論"失敗"するという可能性が出てくる。  それは誰しもそうだと思います。 普通にスポーツでもそうですし、 仕事でもそう。 趣味でもそう。 何でもそうです。 何かに挑戦するということは、成功することも勿論ありますが、失敗もつきまといます。 しかし、失敗をするともの凄く酷い目に遭わされるという状況だったら、さすがにもう行動ができない。 僕は当時そういう状態を2年以上も経験したので、 それが"真理"であるという勘違いをしてしまってるんです。 もしそれが真理なら、みんな誰も何も始めようとしないですよね。 2つめに関しても同じ。 「できるようになってからはじめる」じゃ、いつまでたっても何も始められません。 スポーツでも、仕事でも、語学でも、 「ちゃんとリフティングができるようになってから始める」 「ちゃんと仕事の内容を完璧に覚えてから始める」 「熟語を全て頭の中に叩き込んでから、英語を喋る」 こんなことやっていたら、いつまでたってもやるべきことができませんよね。 何でも「やりながら」できるようにしていくのが普通な訳です。 完璧になってから始めよう!だと、そのやりたいことを始められる日は来ないです。 よって、上の2つの理論は間違っているんです。 成功者の方達もそうですし、色んな本やメディアでも 「失敗を恐れず、挑戦する事が大事」 「初めの一歩を踏み出そう。転びながら学ぶんだ」 このような事が言われていることからも、 僕の2つの理論は誤っていると断言できます。 よって僕は、この2つの理論は、 「いじめを受けていたという、ある種の"特殊"な環境にいたからこそ生まれた誤った理屈である」 ということを認識しないといけない。。。 ここで皆さんに質問です。 こんな経験をした僕が、一体どうすれば2つの理論が誤っていると「実感を伴った形で」認識することが出来るでしょうか? 多くの回答、お待ちしております。

noname#196119
noname#196119

みんなの回答

  • date2014
  • ベストアンサー率22% (13/57)
回答No.4

2つの理論を修正しようと考えることをまず放棄する。 新しい事実を上書きしていく事をおすすめする。 不完全な状態で敢えて何事も挑戦してみる。 つまり過去にあったイジメと同じ状況を何でもやってみる。 これは単なる「実験」である。 そして同じ結果が出るのかどうか確かめる。 この結果を確認するためにチャレンジするという意識に変える。 ただの「検証」である。 感情における「心」を排除し「頭」で理性的に考えることにしよう。 同じ状況で再現する場合の結果に対する恐怖感は心で考えている証拠である。 結果によってあなたは、「過去と同じ環境や条件が同じ結果を招くことはない」 ということを学ぶと思います。 あとアドバイスとしては、小さな成功を積み重ねていくことをオススメする。

noname#196119
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 ちょっと質問の仕方に誤りがございましたので、また修正を加えて質問し直したいと思います。

  • sum0121
  • ベストアンサー率4% (6/136)
回答No.3

気持ちはわかりますが 質問者様はひょっとすると自分への自信のなさからなにかに挑戦するのも 億劫になっており、それを転嫁というかたちで過去のつらい思い出になすりつけている のかもしれません。まずは些細なことでいいので成功体験をすることです。 小さな自信が大きな自信になったときに頭の霧が晴れること願っています。 頑張ってください。

noname#196119
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 ちょっと質問の仕方に誤りがございましたので、また修正を加えて質問し直したいと思います。

  • meikaku12
  • ベストアンサー率2% (3/109)
回答No.2

そんなに考えなくても経験していけばなんでも認識していきますよ。

noname#196119
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 ちょっと質問の仕方に誤りがございましたので、また修正を加えて質問し直したいと思います。

  • beest002
  • ベストアンサー率12% (51/421)
回答No.1

理論では理解出来ているってことは 生きていれば、いつか答え(認識)もできますよ。

noname#196119
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 ちょっと質問の仕方に誤りがございましたので、また修正を加えて質問し直したいと思います。

関連するQ&A

  • こんな経験、忘れたらいいですよね?

    23歳です。 僕は中学時代、バスケ部で陰湿ないじめに遭いました。 僕は初心者でバスケを始めたのですが、1ヶ月が経つ頃から僕とは別の小学校から来たバスケ経験者の同級生数名に陰湿なイジメをされ始めたんです。 いじめの理由は恐らく「なんとなく嫌だ、むかつく」こんな理由だったと思います。 僕は大学まで出ましたが、大学卒業するまでその中学の部活以外で、バイト等も含めいじめの行為に遭ったことがありません。 今思い返しても、当時いじめを受けたのは、 いじめをして来た人間の性格が腐っていたからだと断言できます。 部活では、 ・シュートを打つと「お前が打つな」と言って、尋常じゃなくキレられる ・「下手クソはシュート打つな」といった様な罵倒をされる ・僕が出したパスをもの凄く嫌そうに取る ・ミスしたら必要以上に責めて馬鹿にして攻撃して来る こういったことをされました。 明らかにシュートチャンスでシュート打てる時や、自分でカットインしてシュートに持って行きたい時、外したら何を言われるか分からないし、決めても嫌な顔をされるかもしれない・・・ 大人でも始めたての仕事で、罵倒やいじめを繰り返されたらさすがに心を痛めます。 そんなことをまだ13歳14歳の思春期にされたら、ダメージは相当。 こんなことを延々と繰り返された僕は、 徐々に挑戦というものをしなくなって行きました。 まだ数ヶ月の初心者。 どれだけ意識していてもミスはあります。 でも、ミスすると罵倒される状態だったらもう怖くて挑戦できないですよね。 「思い切って挑戦する」→「失敗するかもしれない」→「失敗したらそこから何かを学んで次に繋げる」 このプロセスが、何かを上達させるには不可欠です。 しかし、僕はこの第一段階である「挑戦する」っていう行動を取れなかったんです。 もうボールを持ったらパスをして、自分では攻めない。 こういう状況に追いやられていました。 そして他にも、 「下手クソはシュート打つな」 「下手クソは○○するな」 こういった発言をされていたと述べましたが、僕は下手だから練習しようとしたんです。 下手だからシュート打って練習しますし、 下手だからドリブルとか果敢に責めたりして、上達しようとしていたんです。 でも「下手だからするな」と言われたら、一生上手くなることができません。 家でいくら1人で練習しようが、実際の練習で上述したようないじめの行為をされていたらその成果を発揮できません。 「下手だから○○するな」と言われない為には、上手くなってから始めないといけなくなります。 しかし上手くなるには、実際に部活で皆と一緒に練習しないといけない。 でもその練習にちゃんと参加できないようにさせられていたので、もう上手くなりようがない。 こんな負のサイクルに追いやられていました。 中学の部活でこの様な経験をした僕は、2つの"誤った"理論を頭に刷り込まれてしまいました。 1つめが、「思い切って何かに挑戦すると、いじめみたいな酷い目に遭う」 2つめが、「何を始めるにも"完璧になってから"始めないと、酷い目に遭う」 この2つの理論です。 何かに挑戦すると、勿論"失敗"するという可能性が出てくる。 それは誰しもそうだと思います。 普通にスポーツでもそうですし、 仕事でもそう。 趣味でもそう。 何でもそうです。 何かに挑戦するということは、成功することも勿論ありますが、失敗もつきまといます。 しかし、失敗をするともの凄く酷い目に遭わされるという状況だったら、さすがにもう行動ができない。 僕は当時そういう状態を2年以上も経験したので、 それが"真理"であるという勘違いをしてしまってるんです。 もしそれが真理なら、みんな誰も何も始めようとしないですよね。 2つめに関しても同じ。 「できるようになってからはじめる」じゃ、いつまでたっても何も始められません。 スポーツでも、仕事でも、語学でも、 「ちゃんとリフティングができるようになってから始める」 「ちゃんと仕事の内容を完璧に覚えてから始める」 こんなことやっていたら、いつまでたってもやるべきことができませんよね。 何でも「やりながら」できるようにしていくのが普通な訳です。 完璧になってから始めよう!だと、そのやりたいことを始められる日は来ないです。 よって、上の2つの理論は間違っているんです。 成功者の方達もそうですし、色んな本やメディアでも 「失敗を恐れず、挑戦する事が大事」 「初めの一歩を踏み出そう。転びながら学ぶんだ」 このような事が言われていることからも、 僕の2つの理論は誤っているんです。 だから僕は、この2つの理論は、 「いじめを受けていたという、ある種の"特殊"な環境にいたからこそ生まれた誤った理屈である」 ということを認識して、もう忘れてこれからはどんどんと思い切って一歩踏み出し、積極的に挑戦していきたいんですよね。 そこで皆さんに質問です。 僕はこれから、いじめの経験から導き出されたこの2つ理論などもう忘れて、 世の中で言われているように、どんどんと色々な事に挑戦して行って、成功体験を積んでもいいですよね? こうやって確認を取るのもおかしいと思いますが、 自分でいくら考えても不安なので今回質問させて頂きました。

  • バスケ経験者の方に質問です。

    それなりのプレーが出来るバスケ経験者の方に質問です。 例えば、バスケを始めてまだ半年程度の初心者の人(以下A)と同じ部活やクラブチームで練習するとします。  そのAはまだ経験が全然ないためパスミスやドリブルミス、シュートミス等をよくするのですが、そんな彼にミスをする度 「ダルッ」 「キショ」 「お前シュート外すし打つな」 等の罵倒、さらにもの凄く嫌そうな顔をしたりキレたり、なるべくパスを回さないようする。挙げ句の果てにはそのAがいない時に裏でチームの皆にAにボールをパスしないようにして精神的に苦しめたりしますか? Aはミスをしたら何故ミスをしてしまったのか、どうすればいいプレーが出来るのかとちゃんと考えそして改善できるよう努力できる人間で、一人でこつこつと地道に練習できる人間です。 言わば彼がするミスというのは上手くなるためには避けられないミスで、彼はミスを通して上達している発展途上の状況です。 そんな状況の人に以上の様な罵倒・いじめをし、Aが消極的な性格になり自分で積極的にプレーせずボールを持ったらすぐに自分のところへパスしてくれる、自分に何も迷惑がかからないようになるまでAを精神的に苦しめますか? 確かにAが練習中ミスするということは周りの人たちにそれなりに迷惑になるでしょう。 ただそれを本当に「迷惑な事」「自分の成長を妨げる事」と考え、Aが出来るようになるよう協力したりせず「罵倒」や「いじめ」をしてAの成長を妨げ潰しますか? 経験者の方の意見をお聞きしたいです。 (皆様も思うようにプレー出来ない「初心者」の段階の時期がありましたよね。よく思い出してみて下さい) ※何故この様な質問をするのかという質問は今回ご遠慮下さい

  • 過去と今とを繋げないように。。。。

    終わった過去を今と繋げて苦しむ時がよくあります。 当方は昔部活でいじめを受け、全くというほど挑戦したり自分の能力を向上させる事が出来ませんでした。 シュートを打ったら「お前が打つな」外したら「キッショ」等の罵倒をされ結果いじめられる等の行為をされていました(だいぶ省略しましたが実際はもっと陰湿でした)。 私はその様な事を経験したので、よくテレビとかでスポーツ選手が「失敗を恐れずどんどん挑戦したい。可能性を広めたい」と言っているのを見ると、「俺は当時周りで幼稚で陰湿ないじめがあったために失敗を恐れず挑戦したくても出来なかった。いいなぁ、どんどん挑戦したり可能性を試す事が出来る人は」(もちろんプロはプロなので極力ミスは避けなければなりませんが、)と思ったり、バラエティ番組で芸人がスベッたりするのを恐れず挑戦する、みたいなのを言っているのをきくと、「この人達も当時の私のように、ウケなかったりする度に罵倒され皆から無視されるといったような陰湿なイジメを半年以上される事になったら絶対に挑戦出来ないだろうな」と思ってしまいます。 本の中でも「間違う事を恐れずに挑戦しろ」と書いてある事が何度もあります。 その様な言葉をテレビや本で目にしたりする度に上記の様な事を考えてしまうためもの凄く気分が悪くなります。そして時間も無駄にしてしまいます。それまでしていた思考も止めるため頭が悪くなります。 そこでもう一度このトラウマを深く考えた結果、一つの答えが自分の中で出ました。 それを皆さんに見て頂き、皆様の意見を聞きたいと思います。 「当時確かに家で何度も練習して実際の練習でその成果を出そうとした時にことごとく阻止され、陰湿な行為をされ成長する事が出来なかった時が、「スポーツ」が出来なかった時が3年間続いたけど、その後全く違う環境でいざ挑戦してみると、その様な陰湿ないじめをされる事もなくいくらでも自分の可能性を試す事が出来た。 中学の頃は明らかに周りの人間が悪く、その様な行為を咎める人間がいなかった環境にいた自分の運が悪かっただけだから、もう今後テレビや本で間違えを恐れず挑戦しろ、等の言葉を聞いても絶対に昔の挑戦出来なかった時の事を思い出して「この人達も俺だったら・・・」みたいな事を考えて気分を悪くし時間を無駄にするのは止めよう。過去と今を繋げるのはもう絶対に止めよう。間違えを恐れずに挑戦するというのは、人間が成長する上で絶対に必要な事だ。」というものです。 長くなりました。 回答お待ちしております。

  • 僕は嘘つきになるでしょうか?

    僕は嘘つきになるでしょうか…。 長文です。閲覧ありがとうございます。 僕は中学のときバスケ部に入ってたのですが、いじめみたいなのをされていました。僕は初心者だったのですが、同い年の小学校からやってた奴は「下手クソはシュート打つな」とか言って、これから練習して上手くなろうとしてるのにろくに出来なかったり、他の奴は僕の事が嫌いだったのか裏で「○○(僕)にはパスだすな」とか僕がシュート打つと舌打ちとかしてまた裏で何か言われたりしました。すると段々そいつらに怯えてしまい、僕がボールをもつとすぐそいつらに渡し、何も言われないように機嫌をとろうとしてました。今思うとなんてバカな事をしてたんだと思いますが…。そんな事をしてたら1年は全く上手くなれず、2年になると次は1年が調子にのりもう練習は嫌でしかありませんでした。練習する以前の問題がありました。結局3年の最後までやったのですが、部活は全く思い出もなく、楽しいと思えた日も1日もなく終わりました。終えた当時は本当に悔しさしかありませんでした。しかし何故僕がそんな部活を続けれたかというと、バスケの楽しさを知ってしまったからです。そしてそいつらにも負けたくなかった。いつか楽しく出来る日が来ると信じて、辞めようと思っても辞めなかった。だから一人でシュートの練習をして一人でドリブルの練習をしていました。僕が中学で上手くなったのはその2つです。そして高校ではもちろんバスケ部に入りました。そこは環境がすごくよく、僕はみるみる内に上手くなれました。(しかし家庭の事情で一年生で辞めたのですが…)今度大学に行ってまたバスケをやろうと思うのですが、そこでもしバスケ歴を聞かれても高校の1年の時の事だけをいいたいんです。中学の部活の事は何の思い出もなく上手くもなれなかったのでいいたくないんです。もしやってたとかいったら、普通の部活をイメージされて その割りには下手だ、と思われたくないからです。これって僕は嘘をついてる事になるでしょうか?

  • もう経験できないことを後悔して、自殺?

    23歳、男です。 自分は中学時代に初心者でバスケを始めました。 しかし、入部して2ヶ月ぐらいたった位から、数人のバスケ経験者の同級生達に陰湿ないじめをされ始めてしまったのです。 いじめの内容は、 ・バスケなので体と体がぶつかるのは仕方ないのに当たると「キモイ」「死ね」等の暴言 ・シュートを打つと「お前が打つな」と言って、尋常じゃなくキレる ・「下手クソはシュート打つな」といった様な罵倒 ・僕が出したパスをもの凄く嫌そうに取る ・ミスしたら必要以上に責める ・聞こえるか聞こえないかのところから「キショイ」「死ね」「辞めろ」の悪口 ・僕がいない所で他の部員に僕にパスを回さないようにとの命令 ・遠くからボールを当ててくる といったような、かなり陰湿で精神的に苦痛を感じるものでした。 その数名が僕にいじめをし始めた理由は、なんとなく気に食わなかったからとか、そんなんだったと思います。 彼らは本当に性格が捻くれていて陰湿でした。 実際、僕がいじめられたのはその数名からのみ。 他のクラスの同級生から虐められたりしたこと等一切ありません。 「その輩達だったからこそ」いじめて来たと言っても言えると思います。 とにかく、上記のような嫌がらせを延々と続けられたのです。 こんなことを1回でもされるだけで辛いのに、半年ぐらい延々とされ続けたら、 そりゃ心が折れて、萎縮してしまいます。 消極的な性格になってしまう。 大人でも初めてする仕事で延々とこのような嫌がらせを受けたら、そりゃ萎縮して怯えてしまいます。 そんなことを、13歳の多感な思春期にされるとなると、そのダメージは相当。 トラウマになりますよ。 明らかに自分がシュート打てると思っても、 明らかに自分がドリブルで切り込めると思っても、 その数名の輩達の顔色を気にして、僕は結局パスするなりしてその場をやり過ごしていました。 家ではもう毎日毎日練習していました。 でも、実際の練習で何もできないんですから、上達などできる訳ありません。 一生懸命英語をフレーズ集で覚えて1人で喋る練習はしてるけど、実際にアメリカ人達と話すことは一切しない。 一生懸命毎日毎日素振りの練習はするけど、実際ノックの練習などの実践練習は一切しない。 例えるなら、こんな感じでしょうか。 そりゃ、実際の練習は「やってない」んですから、上達等見込める訳ありません。 結局3年の最後まで続けましたが、実際に僕に残ったものは地獄の様に精神的に辛かった「過去」と、トラウマだけです。 今でも「なんで辞めなかったんだろう・・・」ともの凄く後悔しています。 辞めておけば、余計なトラウマなどできなかったのに・・・。 他に時間を充てることができたのに・・・。 と。 で、月日は流れ高校へ入学。 高校へ入学後も一応バスケ部に入りはしました。 ただ、中学のいじめのことが頭から離れず全然集中できなかったので、結局1年の頃に辞めることに。 今思えば、確実にPTSDを抱えていたので、カウンセリングの処置を受けるべきだったと思います。 それか、中学ではさっさと辞めて、高校からまた1から始めればよかった。 そしたらトラウマ等無い状態で始められましたから。 高校では嫌がらせをして来る人等皆無だったので、純粋にバスケを楽しめたでしょう。 そんなことを経て、今に至る訳ですが、やっぱりバスケを楽しめなかった過去をもの凄く後悔してしまいます。 もうこれから生きている間二度と、中学や高校の様に部活に入ってバスケに没頭できる日は来ません。 仕事もありますし、仮にまた始めたとしても週に1回程度です。 何よりも、中学生高校生みたいにバスケに浸ることは二度とできないのが、本当に辛いです。 真剣にバスケのことだけを考えて熱中できる日は来ません。 現実的に無理です。 テレビでスポーツ番組を見る度に、 誰かがスポーツに関する話をしてくる度に、 僕は中学の部活を思い出して、1人精神的に辛い思いをしています。 ただ単に、純粋に楽しみたかった。。。 楽しむ中で、上手くなって経験を積みたかった。。。 トラウマに苦しめられなければ、高校も辞めずに済んだでしょう。 少し前置きが長くなり、申し訳ありません。 質問です。 僕は一生こんなことを感じながら苦しまないといけないでしょうか? もう僕は一生 「あの時いじめられなければ、楽しくできていただろう・・・」 「あの時あんな輩達と出会わなければ、今スポーツ見ても普通に純粋に楽しめただろう・・・」        と考えて、後悔し続けないといけない人生を歩まないといけないでしょうか?   後悔しないようにするには、もう自殺するしか無いでしょうか? だって、もう過去には戻らないんですから。 この苦しみから解放されるには、もう死ぬ以外ありませんか? 僕はどうすればいいか分からないんです。 確かに、今から週1位でバスケを始めることは不可能ではありません。 でも、中学生高校生の様に没頭することなど現実的に不可能です。 部活で青春することなど不可能です。 だからと言って「自殺」するのは、馬鹿な考えだとは思いますが、 でも一生後悔するぐらいなら死んでもいいかなって思ってます。 スポーツは生活に隣り合わせですから、後悔する機会なんてそれこそ無限にあります。 過去の「捉え方」さえ変えることができたら、死ぬ必要等無いような気もしていますが、自分では一体どのような考え方をすればいいのか分かりません。 そこで、皆様に何か建設的なアドバイスを頂いて、この負の考えを払拭できたらなと考えてます。 では、回答お待ちしております。

  • スポーツでできたトラウマ

    以下の文を読んで、スポーツに対して出来たトラウマを払拭する為の方法・考え方についてアドバイスありませんでしょうか? 自分は中学の頃、初心者でバスケ部に入りました。 がしかし、そこにいた数名の同級生の経験者の部員に陰湿ないじめをされ、しかも長期間されてそれが原因で全くバスケが出来ない体になってしまいました。 その内容というのは ・体がそいつらにあたると「触んな」「キショイ」 ・意図的に私にパスをしない ・私がシュートを打つともの凄く切れてまたキショイ等の罵倒をする ・シュートを売って外そうもんなら罵倒の嵐 当時何か私にしゃくに触る事があったかもしれないですが、この様な事をされる程そいつらに対して何かをしたというのは断じてありませんでした。 これらの他にもまだまだありましたが、こういうのを何度もされたため、私は積極的にプレー等出来ない体になってしまいました。 「こいつにディフェンスつくとまたキモいとか言ってくるかな」 「いまシュート打てるけど、もし打ったらまたキショイとか死ねとか言ってくるかな・・・」 こんな事考えてたら思い切って挑戦してシュートを打つ事すら、ドリブルでディフェンスを割ろうとする事すら出来ません。 スポーツというのは、特に始めはトライして思い切って挑戦して、失敗しながらもその失敗から学んで上手くなるものだと思いますが、その「トライ」すら出来なかった為、私はスポーツを何も楽しむ事が出来ず、ただただトラウマが残るという悲惨な結果に終わってしまいました。 そのトラウマを22歳になる今まで引きずってしまっています。 スポーツ以外の色々な場、例えばビジネスでも「失敗を恐れずやってみる事が大切」という事を聞きますが、私は当時のトラウマがある為に「でも俺は失敗を恐れずやってみたらいじめが待ってたもんな・・・」とそう言う事を聞く度に思ってしまいます。 本当にこの記憶さえ消せればこんな事は思わないのですが・・・。 どんな団体のスポーツ(野球、サッカー、バスケ、バレー等)でもいいのですが、皆さんが初心者で初めてそのスポーツを始めた時に、私みたいな事をされていたら必ずトラウマが出来てしまっていたように思えるのですが、それについてどう思われますか? もうこのトラウマを引きずりたく無い。。。。 皆様のアドバイス、切望しております。

  • この満足にいかなかった過去を引きずるのを止めたい。

    現在22歳です。 中学時代に初心者でバスケ部に入部したのですが、そこで経験者の同級生にかなり陰湿ないじめをされ、全く満足のいく練習が出来ずに毎回の部活では苦しめられていました。 形の上では3年の引退までしましたが、一日も楽しく部活を出来た日等無く、そして一日も満足に練習出来た日等はありませんでした。 入部した当時は、徹底的にいじめをされ、私がパスをしたりシュートしたり、ちょっと体が触れたりしただけで罵倒の嵐。 集団でも無視をされるなど、もう当時は地獄でした。 当時私はこのスポーツが上手くなりたいという強い思いから、家で1人で何時間も練習していたのですが、いざ練習になると体が震えて、当時いじめて来た奴らに何も言われないように行動する事しか出来ず、家で練習したものを全く発揮出来ないままずっと肩身の狭い時間を過ごさざるを得ませんでした。 例えば英語を一生懸命勉強したけど、間違った英語を話して馬鹿にされるのが恐いからアメリカ人に話しかけない、だから英語が上手くならないのと同じ様なものでしょうか。 いや、当時は上手くならないだけでなく、信じられないぐらい精神的に苦しめられました。 要は、当時は自分の努力が一切報われず、成功体験を何一つとして経験する事が出来なかったのです。 その中学を卒業後、高校ではトラウマからバスケやスポーツはせず普通に過ごしたのですが、大学で他の集団のスポーツをして仲間と普通に楽しくスポーツをする事が出来ました。 その時に本当に何度も何度も「なんでこんな奴らみたいな人達に中学時代巡り会わなかったんだろう」と後悔せずにはいられませんでした。 こんな奴らとスポーツが出来ていたら、いくらでも成功体験を積み重ねる事が出来たのに。。。 そう思わずにはいられなかったのです。 中学を卒業後、部活で成功体験を全くすることが出来なかったからといって何も努力しなかった訳ではありません。 それなりに頑張ってそれなりの結果を残して来ました。 しかし当時、いじめをする様な低レベルな人間達と巡り会わず、普通に成功体験を重ねる事が出来てたら自分の人生はもっと変わっていただろうな。。。という思いにどうしても駆られてしまうのです。 今もう将来を見て行かなければなりません。 なので、もうこの過去を後悔するのを止めたい。 私はどうすればこの過去を後悔しなくなるでしょうか? 切実に回答をお待ちしております。

  • この言葉に対する自分の意見について

    「失敗を恐れて何もしなければ、何も成長出来ない」 おそらく殆どの人がこの言葉に共感していて、自分も同じくこの言葉は行動を決定する上で大切な言葉だと思っています。 しかし大切だとは思うのの自分は過去のイジメの経験により、「失敗は恐れるべきもの」として考え、「失敗を恐れて何もしない」という行動を今まで何度も取って来てしまいました。 ただ現在は20代前半の者なのですが、もうこんな事は二度としないようにし失敗を恐れずにどんどん挑戦していきたいと思っています(もちろん失敗から学ぶという前提で、です)。 そこで、その過去のイジメの経験によって自分の中に根付いてしまった「失敗は恐れるべきもの」という考えを払拭する為に、最近長い熟考の末ようやくある結論が自分の中で出たのですが、それを皆様に読んで頂いて皆様の感想をお聞きしたいと思います。 長文になりますが、最後まで読んで頂けたらと思います。 自分がその考えを持つ様になったのは、中学の頃クラブでいじめに遭ったのが原因です。 初心者で始めたスポーツ(バスケ)だったので、どれだけ失敗しないで練習しようとしても失敗してしまう事があったのですが、イジメに遭っていた自分は失敗すると陰湿な嫌がらせを受けました。 失敗して嫌がらせを受けたりイジメをされるのが本当に辛かった為、しばらくして自分はそもそも「挑戦」しない事に決めました。(要はもう自分はいないのと同じ)。 そしたらやがて酷い嫌がらせはされなくなりました。 (もちろん挑戦していないので実力は0のままです) この経験から「失敗を恐れず挑戦して失敗したらイジメの行為を受ける。ならば挑戦しないでおこう」という式が頭の中に出来上がってしまったのです。 なので、中学以降は失敗を恐れず挑戦するという言葉を聞く度に、そのトラウマが思いだされて苦しんでいました。 しかしよく考えてみると、自分は当時「陰湿ないじめに遭っていた」状態だったのでミスをした時に異常なまでに非難されて攻撃されたのは流れとしてはごく自然。なぜなら「嫌われていて、イジメられていたから」。 (ちなみに自分はその部活以外ではイジメを受けた事がなく、普通に友達もいました。そのイジメの行為をしてきた数人がかなり陰湿で人として最悪だったと覚えています) 以上の事から、失敗をした時に異常なまでに精神的に苦しめられたのは、自分が当時イジメられていた立場で、イジメをしてくる輩達がいた環境(つまり部活)に属していたからであって、「失敗を恐れず挑戦したが結果的に失敗した」からでは決してないと言えます。 もし「失敗を恐れず挑戦したが失敗した」事によって僕が(しかも経験者ではなくまだ初心者)が当時イジメを受けたのであれば、集団の中で、例えば部活に限らず仕事で挑戦して失敗した人達は皆陰湿な嫌がらせを受けて精神的に苦しめられて、結果トラウマを抱え、もう「挑戦する事」を止めるでしょう(ちなみに自分は社会的枠組全般、例えば小中高大、バイト先等も含めてイジメられた事は一度もありません)。 他にも例を挙げると、イチローだって現在は世界トップレベルのバッターですが、彼が野球をやり始めた頃は失敗の連続だったでしょう。そんな時に失敗した事を執拗に責められ、精神的に苦しめられイジメられていたら、とてもじゃないが野球どころでは無かったでしょう。 エジソンも数多くの発明をした事で有名ですが、その発明の裏には沢山失敗があったはず。 しかし失敗する度に精神的に苦しめられてイジメられていたら実験どころでは無かったと思います。 よって僕は中学の部活の出来事を「もうとっくの昔に過ぎ去った、たまたま運悪く経験してしまった一過性の嫌な出来事」として理解し、一切トラウマ等にする必要が無く、これからは「失敗を恐れず果敢に挑戦」という言葉を愛してまた大好きなバスケについて話したり、実際にプレーしていけばいいと感じています。 (中学以来そのイジメをしてきた輩達が脳裏にちらついてしまったので、バスケについて話したり、実際にプレーする事を避けて来た) 堂々とこれから失敗を恐れずバスケをすればいいし、スポーツ以外のどんな事に対しても、「失敗を恐れず挑戦」していけばいいと最近思えるようになりました。 (まぁこの事は普通の人はごく当たり前に思っている事だと思うのですが、自分は最近までトラウマが原因で思えませんでした) 上記の思考プロセスを経て「もう過去に囚われず失敗を恐れず何事にも挑戦していこう」という結論に至ったのですが、皆さんは上述の文を読んだ上で、僕のその結論についてどう思いますか? 回答お待ちしております。

  • バスケのトラウマ・・・。

    現在22歳(男)の者です。 昔中学時代に初心者でバスケ部に入ったのですが、運悪く一緒に入った同級生の経験者達からかなり酷い陰湿ないじめをされてしまい、思う様にプレーする事が出来ず引退を迎えてしまった辛い過去があります。 ・接触すると「触れるな、キッショ」 ・お前がシュート打つな ・私からのパスを意図的に取ろうとしない ・もうお前なんか辞めてくれ ・下手糞は調子にのるな(全くのっていないのに) ・裏で私にパスを回さない様にしくんでいた。 等々これら以外にもまだ沢山陰湿な行為をされ、そして中1の初めらへんからこの様ないじめが始まったのでもう自分は練習では彼らを恐れて何も出来なくなっていました。 当時はスラムダンク等のバスケの漫画を見て「彼らみたいに楽しくやりたい」という思いから、ほぼ毎日家で個人練習をしていましたが、結局練習ではそのいじめの加害者達を恐れて何も出来なかったので、中学ではほぼ何も上手くなりませんでした。 例えば英語を勉強しに留学に行っても、間違う事を恐れて英語を喋らなかったら英語は上手くならないですし、野球においても、家で何万回と素振りをして練習しても、実際の練習試合で失敗する事を恐れてバッターボックスに立たなかったら野球が上手くなる訳ありません。 それと同じ様な状態が当時起こっていて、「もしここでシュート打ったらまたいじめの行為をされるのではないか・・・」と恐れて本当に悔しいですが物音たてずにやり過ごすしかありませんでした。 そんな時からもう7年以上経つのですが、この7間その中学でスポーツに対してトラウマが出来てしまった自分はバスケと接して来ませんでした。 しかし、最近知り合い達と遊びでとあるスポーツをしてみたら当時みたいな精神的苦痛も無く楽しむ事が出来、そしたら急にバスケがやりたくなってきました。 「今だったら当時の記憶に振り回されずに出来るのではないか・・・」そう思い始めたのだと思います。 そこでバスケ好きの方に質問です。 こんな22歳にもなった自分ですが、今からでもまたバスケをする事って出来るでしょうか? 出来るなら、やりたい。。。 当時出来なかった後悔等忘れて、純粋にバスケをしたいなぁ。。。そう考えています。

  • 失敗を恐れず挑戦していいですよね?

    昔、中学の時に部活(バスケ)でイジメに遭っていました。 イジメに遭っていた為、初心者で始めたスポーツだったのでミスはどうしても避けられなかったのですが、ミスする度に陰湿なイジメを何度も何度もされました。 (他にも初心者でミスしている人は何人もいたのですが、自分だけ嫌がらせを沢山されました) 酷いイジメをされるのを恐れた自分は、もう挑戦する事を止めて練習では殆ど何もしなくなり、何もしなくなると同時に酷いイジメは無くなりました。 この経験から「失敗を恐れず挑戦して失敗したらイジメの行為を受ける。ならば挑戦しないでおこう」という式が頭の中に出来上がってしまい、そのスタンスのまま今の今まで(現在20代前半)来てしまったのですが、よく考えてみると、自分は当時「陰湿ないじめに遭っていた」状態だったのでミスをした時に異常なまでに非難されて攻撃されたのは流れとしてはごく自然だったと思います。 なぜなら「嫌われていて、イジメられていたから」。 (ちなみに自分はその部活以外ではイジメを受けた事がなく、普通に友達もいました。そのイジメの行為をしてきた数人がかなり陰湿で人として最悪だったと覚えています) 以上の事から、失敗をした時に異常なまでに精神的に苦しめられたのは、自分が当時イジメられていた立場で、イジメをしてくる輩達がいた環境(つまり部活)に属していたからであって、「失敗を恐れず挑戦したが結果的に失敗した」からでは決してないと言えます。 イチローだって現在は世界トップレベルのバッターですが、彼が野球をやり始めた頃は失敗の連続だったでしょう。そんな時に失敗した事を執拗に責められ、精神的に苦しめられイジメられていたら、とてもじゃないが野球どころでは無かったでしょう。 エジソンも数多くの発明をした事で有名ですが、その発明の裏には沢山失敗があったはず。 しかし失敗する度に精神的に苦しめられてイジメられていたら実験どころでは無かったと思います。 なのでこれからもちろんスポーツもそうですが、スポーツ以外のどんな事に対しても、「失敗を恐れず挑戦」していけばいいと思えるようになったのですが、皆さんはこの「失敗を恐れず挑戦する」という考えについてどう思いますか(もちろん失敗したらそれから学ぶのは前提です)? 私は失敗を恐れずどんどん挑戦すればいいですよね? (もちろん何も考えずにただ行動するという訳ではありません) 回答お待ちしております。