• 締切済み

“瞼の動きを止められた”の書き換えを教えて下さい。

以下の★印の文の添削・書き換えをお願いします! ★テレビ画面に視線が行った時に起きた出来事である。テレビ画面に視線が行った時、テレビの電源が入っていた。テレビのアナウンサーの顔を見た時などに《瞼の動きを止められたような感覚が起こった》。 ★印の文について書き加えますと、勝手に起きてしまっていると信じてしまったら、それに対して何もできずやられっぱなしになるかもしれないというメッセージを心理療法家のNさんから戴きました。 なので、《瞼の動きが勝手に止まった》と言うような書き換え文ではない文を複数教えて下さい! 「~れる」「~られる」の助動詞が使われてない言い回しおよび、「~れる」「~られる」の助動詞が使われた言い回しを複数教えて下さい! 「自分が起こしている」というニュアンスである言い回しを複数教えてもらいたいので、よろしくお願いします! それと余談ですが、僕は質問が解決するまで再回答などを求めています! なるべく具体的な文で書いて下さると助かります!

noname#181272
noname#181272

みんなの回答

  • TANUHACHI
  • ベストアンサー率31% (791/2549)
回答No.3

 こんばんは、相変わらず自己チューな質問を繰り返している様子ですので、一言お話しします。 >瞼の動きを止められたような感覚が起こった  この文章は二つの事象から構成されています。一つは「瞼の動きを止められた」であり、もう一つは「感覚が起こった」です。  後者の文意は単純です。「感覚を覚えた」です。では「どの様な感覚」だったか、が問題となります。それを説明している(具体的に述べている、あるいは修飾語として機能を果たしている)部分が「瞼の動きを止められたような」の部分です。日本語の口語文法では「修飾語と被修飾語の関係」と説明されています。これで文法の問題は完結しています。 >勝手に起きてしまっていると信じてしまったら、それに対して何もできずやられっぱなしになるかもしれないというメッセージを心理療法家のNさんから戴きました。  このNさんのメッセージは文法の問題とは何も関係のない内容であり、質問者の病状を観察した結果(心理学では専門家のあいだでもしばしば見解が異なる場合などごく普通にみられる事象です)であり、そのNさんのメッセージ内容が全て正しいとも限りません。  また「瞼の動きを止められたような」とありますが、「瞼」は意識的にも無意識的にも閉じられる器官です。意識的に瞼を閉じる場合の典型的な実例を示すなら、何日も雨が降らず乾燥状態にある時、外を歩いていて強い風が吹いてきた時に、土埃が目に入るのを防ごうとして瞼を閉じることもあれば、眩しさなどを遮るために生物反応として無意識のうちに瞼を閉じてしまうこともあります。  何れが質問者様が出会った状態でしょうか。それによっても止められたが他者からの働きかけによるものであるのか、そうでないのかとの区別も異なります。  尚、余談ですが >「~れる」「~られる」の助動詞が使われてない言い回しおよび、「~れる」「~られる」の助動詞が使われた言い回しを複数教えて下さい!  との文章は何を尋ねたいのかが不明です。「れる・られる」を使った構文と使わない構文では、助動詞「れる・られる」の用法とそれに規定される構文自体も異なります。助動詞の用法を文法的に知りたいというのでしょうか。それとも構文を書き換えて「主語-目的語」を入れ替えた形式にしてくれ、との意味でしょうか。一つ文章で全てを表現しようとするのは質問者様の文章理解に相当な難があると存じます。一つの文章を短く書き、それを句読点で区切って続ければ何の問題もない、と以前にお話しした記憶があります。    >自分が起こしているというニュアンスである表現 ざっと読む限りでは、この文章を書き換えることはできません。この文章には主語がない、との理由です。もしそれでも敢えて知りたいというならば、主語を補う以外にはなく、それでは質問者様の意図するところとは異なる回答になる可能性もありますので、その部分をお含みおき下さい。 「テレビ画面に視線が行った時に起きた出来事である。ふと何気なくテレビを見やるとテレビの電源が入っていて画面が映っていた。そのアナウンサーの顔を見た時、食い入るようにその画面を見つめている自分がいた。」  何やら小説の書き出しに似ている光景です。

noname#181272
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます! >「テレビ画面に視線が行った時に起きた出来事である。ふと何気なくテレビを見やるとテレビの電源が入っていて画面が映っていた。そのアナウンサーの顔を見た時、食い入るようにその画面を見つめている自分がいた。」 : TANUHACHIさんが書いてくれた文について疑問に思ったことがあります。 ‘ふと何気なくテレビを見やる’の‘見やる’という言葉に関してyahoo辞書には2つの意味が書かれてました。 1つは「遠くを眺める。見渡す」という意味で、2つは「視線をその方に向ける」という意味でした。 それに1つ目の「遠くを眺める。見渡す」というのは例えば“遥か彼方の空を見やる”というのが例の文であるということがyahoo辞書には書かれてました。 それでも疑問に思い、自分の立っていた場所から1~5m先にテレビがあった場合、1~5m先のテレビに視線を向けた場合も「見やる」と言うふうに解釈するのは正しいかどうかの再回答が欲しくなりました。 僕は、「テレビに映っていたアナウンサーが僕の瞼の動きを止めてきた感じがした」ということが起きていたのです。 要するに「釘付けにされた」ということですが、こういう場合は「目を奪われる」というふうに解釈するのは正しいかどうかが知りたくなりました。 また「釘付けにされた」という言葉の書き換えが知りたくなりました。 自分が起こしているというニュアンスである表現で、『~れる』『~られる』が使われてない構文に書き換えて欲しいと思ったのです。 「感覚が起こった」の文意は「感覚を覚えた」ということですが、yahoo知恵袋には「そういう感覚に自然となる。」「そう自然に感じられる。」という意味で古語での意味が残った言い方とありました。 それと、「~れる」「~られる」の助動詞が使われてない言い回しおよび、「~れる」「~られる」の助動詞が使われた言い回しを複数教えて下さいに対して、TANUHACHIさんは >何を尋ねたいのかが不明です。「れる・られる」を使った構文と使わない構文では、助動詞「れる・られる」の用法とそれに規定される構文自体も異なります。助動詞の用法を文法的に知りたいというのでしょうか。それとも構文を書き換えて「主語-目的語」を入れ替えた形式にしてくれ、との意味でしょうか。 : と質問してきていますが、そういう訳ではありません。 『頭の中で発せられた感じがした』→『頭の中で勝手に浮かんだ』 『制止が解除された』→『制止が解けた』 『行為を止められた』→『意に反して行為が制止(停止)した』 ―――というふうに同一の意味で「~れる」「~られる」の助動詞が使われた構文から「~れる」「~られる」の助動詞が使われてない構文に書き換えて下さい、と言っているのです。

  • F-Tomato
  • ベストアンサー率39% (20/51)
回答No.2

> ふとテレビに映ったアナウンサーの顔を見ている時に、私は瞼が固まった様な感覚を覚えた。 「ふと」には「急に」とか「偶然に」と言う意味があります。なので、アナウンサーを意図的にしばらく見ていたのであれば、「ふと」は外した方が良いです。 テレビに映ったアナウンサーの顔を見ている時に、私は瞼が固まった様な感覚を覚えた。 でどうでしょう?

noname#181272
質問者

お礼

再度ご回答ありがとうございます! ここまで得た回答について言いたいことがあります。 僕の場合、テレビに映ったアナウンサーの顔を見ている時でも見てない時でも“瞼の動きを止められたような感覚が起こった”のです。 自分の意志でまばたきをしようとしたのが、まばたきができなくなることもあったのです。 案2に関しては「自分の意志でまばたきをしようとしたのが、テレビ画面を見ていて、まばたきをする行為が意に反してできなくなった」と言うのが正しいと思うのです。 それと「瞼が固まる」「瞼 固まる」で検索して調べてみたのですが、“瞼が固まる”ことと関連した内容が見つからないし、一般的な用語ではないと言うのは正しいかどうか知りたくなりました。 《瞼の動きが勝手に止まった》、《瞼が固まった様な感覚を覚えた》以外の言い回しが知りたくなり再度回答が欲しいと思いました。

  • F-Tomato
  • ベストアンサー率39% (20/51)
回答No.1

案1 ふとテレビに映ったアナウンサーの顔を見た瞬間、私は瞼が固まった様な感覚を覚えた。 案2 テレビに映ったアナウンサーを、私はまばたきもせずにジッと見た。 文意が変わってしまったかな?

noname#181272
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます! 僕が思ったことなのですが、前者は病気の症状で後者は誰にでもあると思うのです。 後者は要するに凝視したとか、釘付けになったとか言いますよね。 >ふとテレビに映ったアナウンサーの顔を見た瞬間、私は瞼が固まった様な感覚を覚えた。 : この書き換え文はしっくり来ていると思います。 ただ、『ふとテレビに映ったアナウンサーの顔を見ている時に、私は瞼が固まった様な感覚を覚えた。』と言う文でも良いかどうかが知りたくなり、再回答が欲しいと思いました。 >テレビに映ったアナウンサーを、私はまばたきもせずにジッと見た。 : このことは上述したように誰にでもあることだと思うので、前者の書き換え文を信じます!

関連するQ&A

  • 「瞳を自由に動かすのを止められた」を言い換えたい

    以前OKWaveで《眼球の動きを止められた感じがした》および《目の動きを中心に合わせられた感じがした》という表現を書き換えて下さいと質問しました。 要するに「~れる」「~られる」の助動詞が使われてない表現に書き換えて下さいと質問したということです。 その時、僕はテレビ番組の内容に興味を示してなかったし、テレビ番組から目をはなしたかったりしたのに、目をはなすことができなかったことを書きました。 僕は《眼球の動きを止められた感じがした》、《目の動きを中心に合わせられた感じがした》のは両方ともあったと思うのです。 《瞳を自由に動かすのを止められた感じがあった》ということだと思うのです。 別に目が釘付けになったり、凝視していた訳ではありません。 酒に酔って1点を見つめる状態(=目を据える)になった訳でもありません。 要するに何も具体的な対象を見る行為ではない「眼球(=瞳)が動かなくなる」状態、ということが起きていたのです。 まばたきをしたりする動きも止められた感じがあったかと思うのです。 目をパッチリ開けた状態であって、《瞳を自由に動かすのを止められた感じがあった》ということだと思うのです。 この場合の書き換え表現ってどうなるのでしょうか? 要は《瞳を自由に動かすのを止められた感じがあった》は文中に「~れる」「~られる」の助動詞が使われていて、これを書き換えてもらいたいのです。 「~れる」「~られる」の助動詞が使われてない言い回しに書き換えてもらいたいし、「~れる」「~られる」の助動詞が使われた別の言い回しも知りたいのです。 できれば複数とか、知る範囲で全部書いていただきたいです。 先月でも同様の質問をしました。 「テレビに映っていたアナウンサーの顔を見て、食い入るようにその画面を見つめていた」訳ではないと思うのです。 要するに勝手に、意に反して起きた出来事なのです。

  • “とらわれて起きた”ことですか?

    以下の★印の文について質問があります。 ★テレビ画面に視線が行った時に起きた出来事である。何気なくテレビを見ると、テレビの電源が入っていて画面が映っていた。そのアナウンサーの顔を見た時も見てない時も一点に集中してしまい、視線をテレビからはなせないことが起きた。要するに意に反して起きたということである。 ★家の近所で犬が吠えていた。その声が耳に入っている時にご飯を食べていたのがご飯を食べることができなくなった。要するに意に反して起きたということであり、円滑な動作ではなくなったことがあった。 この場合、“(テレビおよび犬の声に)とらわれて起きた”という解釈は正しいですか? 教えて下さい!

  • ★印の質問の仕方が回答がつきやすくなるか。

    1.『頭の中で発せられた感じがあった』 →頭の中で勝手に浮かんだ 2.『視線をそらす行為を止められた』 →視線が勝手に留まった →視線が意志とは無関係に動かせなくなった →視線が自分の意志どおりに動かなくなってそらせなかった 3.『自分の頭の中の曲を再生させられた感じがした』 →自分の頭の中の曲が勝手に再生された 4.『自分の頭の中の言葉が変換された』 →自分の頭の中の言葉が勝手に置き換わった。 5.『制止が解除された』 →制止が解けた 6.『何らかによって体の動きを止められた』 →何らかのきっかけで体の動きが制止[停止]した 7.『行為を止められた』 →意に反して行為が制止[停止]した 今日(11月11日)、上記に書いてある言い換え前の文で、「~れる」「~られる」が伴った文はどの文でも、 未然形の動詞プラス受身・自発・尊敬・可能の助動詞「~れる」「~られる」と表現されるという解釈であるという回答をもらいました。(それでその質問に関しては解決しました) 僕は1.~7.のように、他人に文を言い換えてもらうことが好きですし、文を言い換えてもらいたい気持ちがあるのです。 ここで回答がつきやすくなる質問の仕方について質問があります。 以下の★印のとおりに質問をしたら回答がつきやすくなるかどうかを教えて下さい。 ★以下の未然形の動詞プラス受身・自発・尊敬・可能の助動詞の文および使役の助動詞プラス受身・自発・尊敬・可能の助動詞の文を、未然形の動詞プラス受身・自発・尊敬・可能の助動詞ではない文および使役の助動詞プラス受身・自発・尊敬・可能の助動詞ではない文に言い換えて下さい。 もし★印の質問の仕方で誤りがあれば、誤りの部分を訂正してくださると助かります。 よろしくお願いします!

  • 「強引に引き出された、暴かれた」の別表現が知りたい

    類似質問となってしまうと思いますが、他人にどうしても回答してもらいたいです。 以下の★印の2つの文を同じ意味のままで書き換えて下さい。  ★記憶された他人の顔、文字、言葉などが強引に引き出された感じがあった。  ★記憶された他人の顔、文字、言葉などが暴かれた感じがあった。 僕の場合、「暴かれた」感じというのは公にされるという解釈を含むということが調べて判りました。 しかし僕の中では「公にされた」という出来事は起きてなかったと思うために、前者の★印の文のような出来事が起きていたと思うのです。 貴方のわかる範囲で書き換え文を教えて下さい。 1つだけでなく、複数教えて頂けると助かります。 「~れる」「~られる」(←ここでは「強引に引き出された」「暴かれた」)が使われてない言い回しを教えて下さいということです。 「~れる」「~られる」は助動詞です。 それと余談ですが、僕は知らない知識を他人から教わることで気持ちが落ち着きます。 自分の言葉だけでなく、他人の言葉も使って担当医師やカウンセラーなどに病状などを伝えたいのです。 僕は「~れる」「~られる」が使われてない言い回しをどうしても全部知りたいのです。 それは以前にも質問文に書きました。

  • 受身表現から客観的表現に変換して下さい。

    実は、本日(8月3日)『国語』カテゴリで「一点を見つめたまま視線が動かない状態」を「目が据わる」と表現するのはニュアンス的に間違いであり、「目を据える」「凝視する」と表現するのが正しいと言う回答を得たのです。 僕は、一点を見つめたまま視線が動かない状態だった時、お酒に酔ったり怒ったりしていた訳ではなかったのです。 自分の中では、★印の内容の出来事があったのです。  ★テレビ画面を少し見る→目をはなす→目をはなすのは束の間で再びテレビ画面のほうに視線が行ってしまう  ★意思に反してテレビ画面から視線をそらすことができなかった時は、テレビ画面をじっと見ていたことがあって、一点を見つめたまま視線が動かない状態となったこともあった。 : ★印に関して受身表現では、《『視線をそらす動きを止められた』『眼球の動きを止められた』》というふうに表現するだろうと思うのです。 《『視線をそらす動きを止められた』『眼球の動きを止められた』》というのは自由を失った感じだと言うことです。 また「一点を見つめたまま視線が動かない状態」というのは、ドラマやバラエティに自分も目を向けた時に、テレビ画面を凝視していた状態となり、自由を失っていたということだと思うのです。 ここで質問です。 《『視線をそらす動きを止められた』『眼球の動きを止められた』》は受動的な感覚の表現です。 この表現を客観的な認識の表現または客観的な認識の主体的表現に書き換え、回答下さい。 客観的な認識の表現または客観的な認識の主体的表現を1つだけでなく、いくつか知ってたらそれを教えて下さい。 最後に僕は抽象的な言葉、観念的な表現、比喩、皮肉などの難しい言葉を理解することが苦手なので抽象的ではない、具体的な表現であるわかりやすい言葉で答えて下さると嬉しいです。 ※以上のことでわからない箇所があったら、どこがどういうふうにわからないのかも回答下さい。

  • 「切れないぞ」から「切れるぞ」に勝手に置き換わった

    ★印の以下の文の添削、書き換えをお願いします。 ★1月24日(木)入浴中に《家の近所の犬の吠える声を耳にした》。それをきっかけに「切れないぞ」という言葉が「切れるぞ」という言葉に勝手に切り替わった。要するに頭の中で起きたり、頭の中に浮かんだと思う。 : 家の近所の犬の吠える声を耳にしたイコールその時はヘッドホンをしてなかったので犬の吠える声が聞こえるのが当たり前でした。 ここで質問です。 《家の近所の犬の吠える声を耳にした》という文に関して、他の言い回しを複数知りたいので、教えて下さい。 「家の近所の犬の吠える声が聞こえた」「家の近所の犬の吠える声を聞いた」以外の言い回しをわかるなら、教えて下さい。 また、《家の近所の犬の吠える声を耳にした》以外の文も書き換えて下さると助かります!

  • 『国語』カテゴリで以前質問したことです。

    『国語』カテゴリで質問をしたようなことですが、『メンタルヘルス』カテゴリにて質問させていただきます。 以前自分の中で起きた出来事について質問です。 実は、テレビ番組に視線が行ってしまった時に視線をテレビからはなそうとしたりした(違う所を向こうとしたりした)のですが、視線をテレビからはなしたりする行為ができなくなったことが何度かあったのです。要するに《視線をそらす行為を止められた》および《眼球の動きを止められた》感じだったのです。 それでこのことをokwaveで回答をくれた方とメールで伝えたのです。 そしたら相手の方は「《視線をそらす行為を止められた》および《眼球の動きを止められた》」という表現を「《テレビから視線をはなすことができなくなった》および《目が釘付けになった》」というふうに言い換えて書いてくれたのです。 《視線をそらす行為を止められた》および《眼球の動きを止められた》」という表現は『~れる』『~れている』『~られる』『~られている』『~れた』『~れていた』『~られた』『~られていた』が表現に含まれています。 一方、「《テレビから視線をはなすことができなくなった》および《目が釘付けになった》」という表現は『~れる』『~れている』『~られる』『~られている』『~れた』『~れていた』『~られた』『~られていた』が表現に含まれていません。 相手の方は“それほど「テレビ番組の内容として印象的なもの」があったのでしょうね”とおっしゃったのですが、僕にとってはそうではありませんでした。 テレビ番組の内容には興味を示してませんでしたし、テレビ番組から目をはなしたかったりしたのに、目をはなすことができなかったのです。 要するに統合失調症特有の「テレビ番組から目をはなそうとしたけど、制限が入って(止められて)目をはなすことができなかった」ということなのです。 要するに勝手に起きたことだと思うし、《眼球の動きを止められた》感じが1~2分起きたのではない場合、「目が釘付けになった」というのは大袈裟すぎると聞きました。 物理的に起こった現象に対する言い方、この場合「統合失調症」という病気は関係ない言い方が知りたい訳であるのです。 《眼球の動きを止められた》というのは《目の動きを中心に合わせられた感じ》であると言えるのです。 『国語』カテゴリでは《眼球の動きを止められた》および《目の動きを中心に合わせられた感じ》は無意識下においての目の「ピント調節」だと聞き、言い方としては「一箇所に視点を合わせた、視点が合った」でしょうか、と回答してきた方がいました。 ここで質問です。 受身で言う《眼球の動きを止められた》および《目の動きを中心に合わせられた感じ》という表現はどういう表現に言い換えられるか知りたいです。 言い換えの条件は、 (1)テレビ番組の内容には興味を示してなかった。 (2)テレビ番組から目をはなしたかったりしたのに、目をはなすことができなかった。 (3)《眼球の動きを止められた》および《目の動きを中心に合わせられた感じ》が1~2分続いてなかった場合の言い換え表現を回答してほしいこと (4)言い換え表現に関して、意味は同一であること。 (5)『~れる』『~れている』『~られる』『~られている』『~れた』『~れていた』『~られた』『~られていた』が含まれた別表現を回答してほしいこと (6)『~れる』『~れている』『~られる』『~られている』『~れた』『~れていた』『~られた』『~られていた』が含まれてない表現を回答してほしいこと です。 (5)(6)に関しては表現は1つだけでなく、何個か書いて欲しいです。 なお、『~れる』『~れている』『~られる』『~られている』『~れた』『~れていた』『~られた』『~られていた』は受身・自発・可能・尊敬を表す助動詞です。 回答下さい。

  • 可能・尊敬の言い換えもできるかどうかが知りたい。

    1.『頭の中で発せられた感じがあった』 → 『頭の中で勝手に浮かんだ』 2.『視線をそらす行為を止められた』 → 『視線が勝手に留まった』 3.『自分の頭の中の言葉が変換された』 → 『自分の頭の中の言葉が勝手に置き換わった』 4.『自分の頭の中の曲を再生させられた感じがした』 → 『自分の頭の中の曲が勝手に再生された』 5.『操られている』 → 『強制を受けている』 6.『制止が解除された』 → 『制止が解けた』 7.『行為を止められた』 → 『意に反して行為が制止した』 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 意に反して起きたこと前提にした言い換えの場合で、質問があります。 受身・自発・使役の助動詞「~れる」「~られる」「~させられる」がついた文の場合、受身・自発・使役の助動詞「~れる」「~られる」「~させられる」がついてない文への言い換えは可能だと思ったのです。 では、可能・尊敬の助動詞「~れる」「~られる」がついた文の場合、可能・尊敬の助動詞「~れる」「~られる」がついてない文への言い換えは可能かどうか疑問を感じたので、それについてを教えて下さい。 よろしくお願いします!

  • 異論があるかどうかなどを教えて下さい!

    実は以前、《まるで発見されたような感じ》の別表現を教えて下さいとlivedoorknowledgeというサイトで質問投稿しました。 僕は以下の★印の内容のことが起きたことが過去に何度かありました。 ★(記憶されたと思われる)他人の顔、文字、言葉などが勝手に(頭にだと思う)浮かんだ。 (記憶されたと思われる)言葉は例えば「全部なおす」「(頭の中に言葉が浮かぶのや音楽が再生されるなどが)停止した」「エクボたりゅうへい」「チャーチル〔高校生の時関わっていた同級生の名前〕」「dress〔中学生の時関わっていた同級生の名前〕」「ショートケーキ、チーズケーキ、モンブラン」「かさこじぞう」「チューリッヒーヤてんこ」である。 それら(=言葉、文字、他人の顔)が幻聴・耳鳴り・テレビの音声・犬の吠え声を聞いた時に勝手に浮かんだ及び、あらゆるものが動くのを見てそれがきっかけで勝手に浮かんだり、喫茶店にいる間に勝手に浮かんだ。 喫茶店にいる間は職員が厨房で働いていて、僕は控え室で休憩していた間だったりした。 勝手に浮かんだイコール《まるで発見されたような感じ》だった。 上のような文を使って質問投稿したことに対し、livedoorknowledgeの会員さんは、以下の4つの書き換えを教えて下さいました。   ・意識下にあったものが自ずと表面化した   ・意識下にあったものが表出した   ・表層部に具現化した   ・意識レベルの段階へと上昇した などの難しい言葉を使って回答してきました。 ここで質問です。 livedoorknowledgeの会員さんの書き換えの回答(=4つの書き換え)について異論はありますか? 僕の場合、こういうことは無意識のうちに起きたり、勝手に起きていたと思うのです。 意識下というのは頭の中という解釈で正しいかどうかも疑問です。 もし異論があるなら正しい言い回しを教えて下さい。 できれば複数、詳しく、中学生レベルの言葉で教えて下さると助かります!

  • アナウンサーの視線

    テレビ画面で見るニュースのアナウンサーの視線はどこに合っているのでしょうか。実際の対話をしているような感じがしないのですが(?)・・・。視聴者が、アナウンサが自分の眼を見て話しかけてくれているような感じにさせる方法もあるのでしょうか?