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資料と形相とは

old_shoの回答

  • old_sho
  • ベストアンサー率38% (20/52)
回答No.8

仰せの向きはほぼ分かるつもりですが、その結論として、 (1)形相/質料を単なる二項区分であるとして、さしたる有効性を持たない概念であるとする。 (2)対象がそのような言語領域では、有効でないとする。 (3)形相/質料の区分の仕方に、問題がある。つまり、一方を固定という仕方に。 などが考えられます。 どう結論づけるかはさておき、検討されるべきこととして、アリストテレス的にはどうか、という問題が残っていますね。ちょうど、私にとっても救いの手としてR40kuro-zさんが登場されたと思われます。形相/質料の前提に、世界観と言いますか自然観と見ますか、一定の見方が控えているのですね。アリストテレスの持つその背景を脱色して、現代的な見方が、その一つとして形式/内容が、---唯名論を通してだと思いますが---生まれてきた、ということであったのではないか。

psuedoase
質問者

お礼

回答ありがとうございました。 中々難しい問題だとは思いますが、恐らくアリストテレスの所謂物の捉え方にとても興味が湧きました。 本格的に勉強してみたいと思います。

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