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論理力についての考え方

様々な知識などがあれば、推論力が高まります。 でも世の中に完全な推論など存在しないと思います。 どの程度、みがけばいいものなのでしょうか。 努力は重要ですが、へとへとになり、現状否定ばかりして理論化していると目の前のものが進みません。

noname#209756
noname#209756

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  • ベストアンサー
  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7194/21844)
回答No.7

社会学における理論てのは、最初に結果があるのです。 その結果をどう因果的に説明するか、が理論です。 この典型が経済学です。 だから経済理論というのはよく外れるのです。 理論化するのは、推論できるようにする為です。 その場その場で零から考え直すのでは効率が悪いです。 それで理論化しておき、同じインプットを入れれば 同じアウトプット、結論が出るように出来るために 理論化が要求されるのです。 だから理論などはいくら磨いても真実に到達する ことはありません。 しかし、理論を磨けば、世に認められます。 理論の意味はそういう処にあります。

noname#209756
質問者

お礼

おっしゃる通りです。ご回答ありがとうございます。

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  • kurinal
  • ベストアンサー率10% (128/1195)
回答No.9

>「現状否定ばかりして理論化していると目の前のものが進みません。 」 現状を肯定するところから出発しないと。

回答No.8

論理的思考力を磨くのに、「現状否定」は必要ありません。 ブール代数と集合論の基礎を学習しましょう。 論理的思考力は確実に向上します。 自然言語に異存して考えるしか手立てがないと、なかなか論理力のトレーニングは難しいです。

noname#209756
質問者

お礼

そうですね。 ご回答ありがとうございます。

  • kanto-i
  • ベストアンサー率30% (180/596)
回答No.6

論理的思考ができれば答えが導き出せ、短時間で決断できるので 行き当たりばったりよりずっと物事はスムーズに進みます。 >努力は重要ですが、へとへとになり、現状否定ばかりして理論化していると目の前のものが進みません。 こういう状態に陥っている時には、論理的思考で心理的「罠」 つまり囚われた状態になっているのだろうと思います。 論理的思考は、答えがサクサク出てくる所に楽しみがあります。 つまりは今何をしたらいいかも分かり切っているからです。 目の前のことが進まないということは、最適な答えが出ずにグルグルしてますから それがどこから来ているのか探すしかありません。 この質問の中の情報では、探しようがありません。

noname#209756
質問者

お礼

おっしゃる通りです。 ご回答ありがとうございます。

  • MOG777
  • ベストアンサー率14% (20/139)
回答No.5

>努力は重要ですが、へとへとになり、現状否定ばかりして理論化していると目の前のものが進みません。 高度な推論というのは、推論者自身も推論のプロセスを完璧に説明できません。 まず閃きがあり、理論化は他人に説明するためにあるというイメージです。 それを説明を受けた側が説明を分析すれば同じような品質の推論が可能になると考えることが不幸の始まりなような気がします。 では、どうすればいいか・・・ 無意識的な推論=直観をたえず行うことでしょう。 言い換えれば、自分なりの経験則をつくりだすということです。 ちなみに、私の経験則は 他人に対する慈しみを持ち、自分を低いところに置くとき素晴らしい推論は生まれる ということです。 ご参考になれば。

noname#209756
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。

回答No.3

理論化する事が、リアルな世界の見識に反するとお考えな わけですね? ずいぶん応用力の乏しい「理論」をお考えですね。 確かに、たとえば生物学の法則は、例外だらけです。 なぜなら「生物」という存在は本質的なものではなく、 素粒子が集まって原子となり、原子が集まって分子となり、 細胞となって、階層現象表面的に“単位”を成しているもの であって、扱う要素に多様性や可変性があって、普遍的な パターンを抽出する事が難しいのです。 一方で、そうした原理的な素粒子理論における法則性を 把握すれば、生物の挙動について理解できるかというと、 そうではありません。 先の階層現象性とは、「下層単位の相互作用→安定な 反応の蓄積→その反応系の上位階層単位化」といった くり返しによっており、そこには存続力(持続性~増殖性)の 強い反応の選択=進化という現象表面性のみに派生する 新たな法則があるからです。 素粒子の性質のみから、その組合せにおいてどれが存続力 があるかは演繹できないのです(多様性+環境との相対に おいて、連続的・発展的に変化する)。 つまり、本質的原理性も深く掘り下げねばならず、現象的 多様性についても広く見識を持たねばなりません。 その間をつなぐものが、真の「論理力」です。 そうした、本質性に根ざした現象性の把握を可能にしない、 怠惰における現状の肯定は、自分が何ものであるか、何の ために生きているか、何をしているかを理解せずに、他律的 に生かされる歯車に堕す事を意味します。

noname#209756
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。

  • MOMON12345
  • ベストアンサー率32% (1125/3490)
回答No.2

少々乱暴な考え方かも知れませんが、推論力にしろ運動能力などにしろ、技術とセンスの融合だと思います。 技術は鍛える事が出来ますが、センスは持って生まれたものです。 センスのある人は知識の吸収も早く、その分野で抜きん出ていると形容される能力を身につけます。 しかし本人は好きだからそうしているだけであり、特別な努力はしていないという人も居ます。 物事の考え方にも似たような所があり、その人がその考え方を理解するセンスを持っているかどうかではないでしょうか。 芸術家と哲学者が同じ脳ではないように、です。 磨いて光る物ならば磨けばいいし、磨いても光らない物ならば早くそれに気がつけばいい。 と言うのが私の回答になります。

noname#209756
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。

  • TYWalker
  • ベストアンサー率42% (281/661)
回答No.1

論理力(論理的思考力)と推論力(推理力)は違うと思います。 論理的思考力は与えられた材料から当然の結果を導き、絶対に起こり得ないことを省くことだと思います。 「じゃがいもにお味噌をつけて食べたら絶対に死ぬよ」 と言われて 「そりゃそうだよ、人間だれでも絶対に死ぬからね」 というツッコミが返せるようになるのが論理力だと思います。 これは単純に頭が良くなることなので、やればやるだけいいと思います。 推理力は与えられた材料から一歩先を読んで将来を予測することだと思います。 「安倍晋三内閣になると経済積極策を取るのでバブルになるだろう。今のうちに株を買っておこう」 「いや、安倍晋三内閣は失言しそうな大臣が多いので短命だろう。国際情勢も不安だからドルを買っておこう」 などと、推理の仕方によってまったく違う行動が起こりえます。 これはあなたのおっしゃるとおり「完全な推論などない」のが自明だと思います。 専門分野に応じて異なると思いますので、「どの程度」という質問には答えられないと思います。 「さきのことは分からない」とまったく推測をせずに生きている実直な人もいます。 努力すればへとへとになる、というのは違うと思います。 努力すればするほどうまいやり方がわかり、向上していく自分を肯定できるので楽しくなり、どんどん努力が苦にならなくなるのが普通だと思います。 努力が苦しいというのは、まだ努力と呼べるだけのことをしていないか、間違った努力をしゃにむにしている場合だと思います。 正しい努力をへこたれないで貫き通すためにも、自分自身の行き先を考えるために、論理的思考力と推理力が必要だと思います。 要は「どれぐらい努力すればいいのか」をまだ努力していない人に教えるのは難しい。 アントニオ猪木さんの言葉を借りれば「この道を行けばどうなるものか危ぶむなかれ危ぶめば道はなし踏み出せばその一足が道となりその一足が道となる 迷わずゆけよ行けばわかるさ」ということだと思います。

noname#209756
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。

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