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神武さん

奈良では、「神武さんより三輪さんの方が先」というらしいですが・・・。 一般ピープルが神武という漢風諡号を昔から知っていたのだろうか?と、ふと疑問に思いました。 何となく、国学が盛んになった江戸末期か王政復古した明治以降に作られた話のように思いました。 「神武さんより三輪さんの方が先」という話は、 本当に奈良では、一般的な話なのでしょうか。 また、どれぐらい昔まで遡れるのでしょうか。 詳しい方、ご教授お願いいたします。

みんなの回答

  • TANUHACHI
  • ベストアンサー率31% (791/2549)
回答No.3

 そうそう、京都では東本願寺を「お東さん」、西本願寺を「お西さん」などとして、寺に「さん」を着けて親しみと共に敬意を込めた呼び方をします。一般ピープルにしてみれば身近な存在です。

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  • TANUHACHI
  • ベストアンサー率31% (791/2549)
回答No.2

 こんにちは。これはあくまでも個人的な推測の域を出ないものですが、ここで呼ばれている「神武さん」「三輪さん」は橿原神宮と大神神社のことを称していると考えられます。  橿原神宮は神武天皇を祭祀する神社ですが明治時代に創建されたものであり、一方の大神神社はそれよりも遙か以前の紀元前91年頃ルーツがあるとされています。  大神神社がアニミズムに起源を有するなら、それだけ原初的な信仰対象であるともいえ、神社としての格も延喜式によるところでは序列的として橿原神宮よりも上位である、といえます。  こうした事象を踏まえての言葉なのでしょう。

himekomachi
質問者

補足

ご回答ありがとうございます。 >橿原神宮と大神神社~  橿原神宮は明治時代に創建されたものであり~   このお説に従えば、やはり明治以降ということで、 それほど昔から言われていた話ではありませんね。

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  • tanuki4u
  • ベストアンサー率33% (2764/8360)
回答No.1

一般ピープルの定義が不明ですが。 ひとつの仮説として、口遊が平安中期に成立しており http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A3%E9%81%8A これは平安時代に源為憲によって作られた「口遊」で数え歌に歌われていること(雲太、和二、京三=出雲太郎、大和次郎、京三郎[13])を元にしている。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%87%BA%E9%9B%B2%E5%A4%A7%E7%A4%BE より引用 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B7%A1%E6%B5%B7%E4%B8%89%E8%88%B9 淡路三船が「8世紀半ばに成立した『釈日本紀』に引用された「私記」に、「師説」として初代神武以下の諡号は淡海三船の撰とある。」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AB%A1 より引用 なので、口遊できた段階では、文字を知る階層の人間は、神武を知っていたと考えられます。 そして、口遊で雲太(=出雲大社=大物主命=大神神社=三輪神社)京三(=現政権=天皇家=神武)と歌われたように、大物主命のほうが天皇家より先であるという了解があったのではないかと思われます。 よって、文字を知る階層にとっては、平安以降では常識的な話ではなかったかと思います。 ※ 日本マクドナルドを作った藤田田さんの本には(本人は大阪出身) 「大阪は仁徳から1500年だが、東京は家康から400年だから、たいした文化はない」なんてことを何度も書いてあった。神武さんより三輪さんのほうが先と似たような話だなぁと思い出した次第です。

himekomachi
質問者

補足

一般ピープルとは、橿原や三輪に住んでいたピープルです。 平安時代など、殿上人でないと「人」とは認知されていなかった、と聞いたので、 あえて、ピープルの言葉で表現しました。 一般ピープルはおそらく文字を知らなかったと思います。 ですから、常識的な話ではないと思うのですが。

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