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尊卑文脈で平維茂の記述について

紅葉狩りで有名な平維茂ですが、尊卑文脈を見ると、 「帯刀奥山城鬼才流」と記述があります。 これは何を意味しているのでしょうか? 「帯刀奥山城鬼才流」で検索しても具体的な事は何も解りません。 紅葉狩りとは別の話だと思います。 Yahoo辞書やgoo辞書などには平維茂と引くと 「山城の鬼女退治などの武勇伝がある。」と まるでコピーしたように同じ記述が出てきます。 「山城の鬼女退治」で検索すると平維茂が出てきます。 まれに、山城国宇治の橋姫の話が出てきますが、 これは渡辺綱の話ですね。 カテゴリーとして歴史というより伝説に近いかも知れませんが どなたか教えて下さい。

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  • ベストアンサー
  • fumkum
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回答No.1

「帯刀奥山城鬼才流」ですが、尊卑の表記では「才」の右に「´」がありますので、「才」ではなく「等」の略字です。「帯刀奥山城鬼等流」となります。 この中で「奥山」「城」は、尊卑に記載されている維茂の子孫の名字にあります。維茂の子の中で、繁兼の子の貞兼に「奥山平大夫」、繁軄(身に職の旁)の子の繁家に「奥山三郎」とあります。同じく維茂の子の繁成の子の貞成に「城太郎」、貞成の子の康家には「城太郎」、永基には「城次郎」とあります。 特に「城」氏は平安末期に越後国に勢力を扶植し、清盛により優遇され、木曽義仲への牽制のために越後守に補任されています。 奥山と城が子孫の名字なので、最後の「等流」は「などの流れ(系統・血脈)」と考えられます。『「奥山」「城」―鬼―「等流」』となると、「鬼」も名字ではないかと思います。 さて、先頭にある「帯刀」ですが、奥山以下のの記述から考えると名字と考えることが普通だと思います。あと一つは、「帯刀」のもともとの意味である東宮の警護である帯刀舎人(たてわきのとねり―指揮官は「帯刀先生=たてわきせんじょう」)か、帯刀先生に任命されたことを記述しているのかもしれません。 はっきりしない部分もありますが参考まで。

mn0411
質問者

お礼

早速の回答ありがとうございます。 維茂の子孫ことでしたか。 とするとウェブ辞書にある「山城の鬼女退治」は別の根拠でしょうか、 それとも間違いなのでしょうか。新たな疑問がわいてきます。 もしよろしければ、このことも教えて下さい。

その他の回答 (1)

  • fumkum
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回答No.2

お礼をありがとうございます。 「山城の鬼女退治」は知りませんが、能の「紅葉狩」のもとになった「戸隠の鬼女退治」はある程度根拠があります。当然伝説に取材していますが、室町時代中後期の能作者の観世信光が作ったものです。信州の戸隠にこの様な伝説が実際にあったのではないでしょうか。現在、伝説の地長野市鬼無里地区には何度か行きましたが、そのようなおどろおどろしい雰囲気はないと思いますが。 さて、「鬼」姓について、以前鬼を退治した武将の子孫が鬼退治を功績を記念して「鬼」姓を名乗ったとか、姓を賜ったとかの伝説を見たような気がします(鬼姓ではなく、鬼の付く姓であったかもしれません)。あやふやな記憶なのですが、この数日調べてみたのですが根拠となる文章を見つけることはできませんでした。また、その武将も平維茂とも限りませんが、そんな記憶があやふやですがあります。 http://jyashin.net/evilshrine/gods/momiji_shrine/momiji_01.html http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%85%E8%91%89%E4%BC%9D%E8%AA%AC http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AC%BC%E7%84%A1%E9%87%8C%E6%9D%91 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%85%E8%91%89%E7%8B%A9_(%E8%83%BD)

mn0411
質問者

お礼

大変丁寧な回答ありがとうございます。 戸隠の鬼退治の話は私も知っていました。 やはり帯刀奥山城鬼等流を読み違えて 山城の鬼退治としたみたいですね。 ありがとうございました。

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