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年齢の高い男女に対して呼びかけるとき

hazarの回答

  • hazar
  • ベストアンサー率46% (124/267)
回答No.5

国語を 授業で 習われておられる ような 年代では、自身の 年齢を 基準 かつ 頂点 として、 一歳 年上・年下でも 大きな 違いが あり、5 歳 以下 または 以上 程度が、年下・年上 として 厳密に 分類・序列 付け されつつ、意識される 許容 範囲にあり、それ 以下・以上は 弟妹の類の 赤子・幼児と、親・先生の類の 大人として 大別され、年下は ともかく 年上へと 年齢が 遠く 離れれば 離れる 程、理解し難く、自分には 関係ない (⇔ 邪魔な) ものと なります。 その中で 自分の 祖父母というものは 唯一 身近に 接し得るもので、この方たちへの 親族としての 敬意と 愛情の こもった 特権的な 呼びかけ としての おじいさん・ おばあさんを、自分の 祖父母の 年代と 思われる 全ての 人々にも そのように 接する という 社会性を 育てる 意味で、習われた かと 存じます。では、思われる、とは、 どういう こと でしょうか … (子どもに とって) 年老いて 見える という こと ですね … ですから、そのような 学童の かたが、見知らぬ 年配の かたに 呼び掛ける、という ことは、事実上 まず ない のですが、呼び掛けられた として、呼び掛けられた 方が それ程 意外に 思われる ことは まず ない、と 存じます。 見ず知らずの 赤子に、赤ちゃん、と 呼び掛けて、失礼な、と 感ぜられる 親御さんも いらっしゃらない のと ほぼ 同様か と 存じます。 問題は それ 以上の 年齢に なっても、当然のように それを 続けられた 場合で、 自分の 祖父母と 同じ 位の 年代であろうと、学童や 幼児の ように、外見から 判断され、 気軽に、その 本来 特権的な 呼び掛けを 行使された 場合です。 赤ちゃん という 呼び掛けの 語源は、赤子 すなわち 生まれた ばかりの 状態では 皮膚が 赤らんで いる から ですが、これは その 特徴を 端的に 述べている のであって、 強いて いえば、生きている、健康な、という 肯定的な 価値観が 含まれているため、 用いる ことに 躊躇されない のが 殆ど です。 ところが、おじいさん、おばあさん、の 語源には、明らかに 高齢 から くる さまざまな 衰微の 状態が 特徴として 担わされて います。 昔話を 例に 挙げられて おられます ので、想定されて みて いただきたい のですが、その頃、 貧しい 小作農 等 で 暮らされて いる 老 夫婦と いえば、人生 50 年 以下の 時代 ですから、 30 代 後半 から 40 代 初めで、戸外での 重労働で 日に 焼け、風雨にさらされ 皴・シミが 皮膚を 刻み、治療法が ない 為、歯は 全て なくなり、残った 歯根 等 が 腐って 腫れたり している 場合も 多く、栄養 状態が 悪い為、髪は 抜け、痩せ 細り、腰が 曲がり、 さまざまな 傷が 治らず、慢性化して、腫瘍 等 も 出きて おられます。 でも、どなたも 殆ど そう ですし、それが 当たり前の こと でした から、身分の 高い かた には 勿論 忌み嫌われ つつ、因果応報と いう ことに して おいて、日頃から 行いを よくし、 年を 取ってから 恨み・妬みを 晴らされたり、姥捨山へ 置き去られたり する こと なく、 いたわり 合って 暮らしたい ので、瘤取りじいさん のような 結末が つけられたり … そのような 昔話の おじいさん・おばあさん の 世界は、お年を 召されたかた では 説明が つきませんし、学童の 場合は 歴史を 踏まえた うえで 習いませんと 理解できず、 恐ろしい ばかりの ことと なりかねません から、白髪の きちんとした 若年寄の 宮廷人の ような 挿絵で 済ませれば よい のかも しれませんが、成人されて 社会で 活動される 際には、 そのような 歴史的、視覚的 苦渋を 担った、老い という ものを、医学の発達によって、 払拭され、むしろ そうしたものに 否定的な、親しみを込めて、というかたちであれ、含み続けて いる おじいさん・おばあさん という 呼び掛けを、何も知らない かわいらしい 学童 では もはや ない 成人の かたが 見知らぬ かたに 対して 使って 当然の、正当な こと なのでしょうか … 例えば、めくら、つんぼ、どもり、せむし、びっこ、黒人 という ような 人間を 個人の 別なく その 身体的 特徴で (蔑視 ならずとも、優位に 立つ者の 憐れみや 否定的な 価値観を 込めて) 表そう という 語も、歴史的 著作物に 使用されている 場合 以外、その ことわり書きを 以て 使用され、それ以外には、どのように 御 様、を つけようとも、使用されない という 社会的 常識が 育まれてきた 経緯も ございます。 人間を 個人の 別なく 老齢 という 身体的 特徴で ひとくくりにして 表そう とするのは、爺 婆 も 同じ ことで、自らを 達観され、自らの 長寿を 卑下される 意味で 用いられるなら ともかく、 糞婆、歯抜け婆、等 と、今日まで 悪態に 最も よく用いられる ような 言葉を 御や 様を つけて 当然の ごとくに 見知らぬ かたより 呼び掛けられる ならば、怒る よりも、茫然自失され、深く 嘆かれて、傷つかれるかたも 多い の では ないでしょうか。 若い かたへの 悪態に ガキとか、悪ガキ という ものが あります。 これは、飢餓が 進み、手足と 頭部は 骨と 皮で、腹水が 溜まって 腹部は ぱんぱんに 膨らみ、 もはや 手の施しようもなく 死を 待つ ばかりの 若年層の 姿を 地獄の 鬼に なぞらえて、餓鬼 と 称した もの です。 このような 言葉を、お使いに なられる 時には、そのような 言葉で ひとくくりに 表され、 粗末に 扱われてきた、たくさんの 人々の 苦しみ、嘆かれ 続けて 来られた 無言の 眼差しを 感ぜられる のでは ないか と 存じます。

osaka-girl
質問者

お礼

漢字「爺」には、尊敬の意味が入っています。高齢である=敬うべき対象です。 その「爺」に「お」と「さん」という接頭&接尾語をつけてとても丁寧な 呼び方なのではないでしょうか。 ありがとうございました。

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