「残雪」は登場人物なのですか?

このQ&Aのポイント
  • 小学校5年生の国語の教科書に収録されている『大造じいさんとガン』という物語に登場するガンの頭領「残雪」は、登場人物に数えられるのか疑問があります。
  • 「残雪」は物語の重要な役割を果たしているため、登場人物に数えるべきかもしれませんが、同様に考えると他のキャラクターも登場人物になる可能性があります。
  • 文学作品(教材)における“登場人物”の定義をどうとらえるかによって、答えが異なる可能性があります。
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「残雪」は登場人物なのですか?

『大造じいさんとガン』という物語が、小学校5年生の国語の教科書に物語が載っています。 その物語に登場するガンの頭領「残雪」は、登場人物に数えていいのかということをお尋ねしたいのです。 質問の内容からお分かりいただけるかもしれませんが、私は小学校の教諭をしています。 上記の問題について、かなりの人数の同僚・同業の職員に尋ねてみましたが、すっきりした答えを得られません。 ネットで調べてみても様々な意見があって、そのどれもが納得のいくような説明を添えてくれていないように感じました。 「残雪」は人ではありませんが、物語で大変重要な役割を果たしている。 その条件で考えると、登場人物に数えてよいのかもしれません。 しかし、同じように考えると、「ハヤブサ」も登場人物になる。 その延長線上でとらえると、「大造じいさんに飼い慣らされたガン」も登場人物になる。 さらに他の意見としては、「その他のガン」もまた登場人物に数えるべきだという主張もあります。 そうなると、あまりにも範囲が広がりすぎているように思います。 では、どこで線を引けばよいのこかというのが分からないのです。 同じようなことを、宮沢賢治作の「やまなし」でも悩んでいます。 『大造じいさんとガン』で「残雪」や「ハヤブサ」が登場人物に入るのなら、 『やまなし』において「カワセミ」と「やまなし」も登場人物に入ることになります。 では、『モチモチの木』の「モチモチの木」は…? 詰まるところ、文学作品(教材)における“登場人物”の定義をどうとらえるかという問題になってくると思います。 よろしくお願いいたします。

質問者が選んだベストアンサー

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  • TANUHACHI
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回答No.5

 こんにちは。教育現場それも最前線でのお仕事をなさっている方ならではの質問ですね? 国語という教科目で「文章理解の分野」は多分に難しい仕事の一つと言われています。「文章の理解」と「作品の理解」は別問題だからです。一定程度の学力をお持ちの子どもさんならば、質問者の意図としての「文章理解」と作者の意図の違いにも気付くはずですが、小学生ならばその様な区別を付けることもままならないのが現実でしょう。  さて前置きは長くなりましたが、この作品を読んでみました。質問者様が「この作品に登場する人物」に挙げているのは「大造じいさん」「残雪」「その他のガン」「大造じいさんに飼い慣らされたガン」「ハヤブサ」(登場順)となります。  けれども実際には他の「しりあいのかりゅうど」「わたし」「イノシシがりの人びと」「かりゅうどのだれ」などの「物語には登場しない人物」の名前を見つけることもできます。そして大切な点は「物語の展開との関係」で、それを示しているのは「誰が、何について語っているのか」を具体的に表す「言葉」です。  これを「台詞」と読み替えるならば、児童の理解(論理的に物事を判断する力)を手助けする材料ともいえましょう。  物語りの骨子は「大造じいさんが私に話した、三十五~六年前の雁狩りの思い出話」です。その物語に「残雪の台詞」が具体的に書かれているかといえば、一言も記されていません。全ては「大造じいさんが見たこと」「大造じいさんが想像したこと」で綴られています。つまり残雪は「物語を構成する上での重要な要素」ではあっても登場人物ではない、との結論になります。むろん、残雪がいなければこの物語は成り立たないことも前提にあります。もしここに「残雪の発した言葉」が一言でも具体的に記されていれば、話は別になります。  危険を察知するために鳥が持っている本能やら、それに基づいた行動は「残雪」でなくとも他の雁であっても持ち合わせていることでしょう。ここで作者の椋鳩十さんが「敢えて残雪にこだわった」のは、大造じいさんにとって「残雪が格別の存在である」ことを言外に示している。それがなければ、大造じいさんの狩人生活はまた別のものになっていたかもしれないとの考えがあってのことかもしれません。  こうした類例は他の児童文学にも数多くあります。たとえば新美南吉さんの『二匹の蛙』です。晩秋のある日に畑の真ん中でぱったりと出会った「二匹の蛙」が互いの肌の色を見比べて喧嘩になり、冬眠の後に改めてその姿を見直してみたら、互いの美しさに気付いて仲直りをした、との物語です。生物としての蛙が人間の言葉を話すことは常識的にはあり得ないことに属しますが、「物語の展開」から見たならば、互いの遣り取りが原因で喧嘩になり、それを収めたのもやはり「言葉」ですから、この物語を理解するには「蛙を登場人物」として扱うことが必要になります。  一方『やまなし』ですが、この作品に登場するのは「蟹の兄弟」と「お父さんの蟹」です。その理由もおわかりでしょう。物語の中で「言葉の遣り取りをしている」のは蟹以外にはいないからであり、物語は「蟹の身の上に起きたこと」「蟹が見たこと」が骨子です。蟹の兄弟は自身以外の「他のもの」を見たことがなく、そうした未知のものが次々と目の前に表れる、とのいわばカルチャーショックを表した文章ともいえるでしょう。  ただ物語には「独自の解釈」の余地も付きものですから、お子さんが解釈した物語の世界も大切にしてあげたいとのお気持ちも理解できる部分です。文学作品の理解に「正解はない」とも言われております。もし「物語の言葉」を一つの枠に押し留めてしまうならば、そうした行為は言葉を恃むこととの間に越えがたい溝を生み、言葉の生命を奪うことになるやもしれません。読み方には幾つもの可能性はあっても「定義付け」はあまり必要のない要素と考える次第です。  

その他の回答 (8)

回答No.12

#6・#7です おっ!回答増えてるぞ!と思いのぞいてみたら通報とか何とか… 皆様の批判の渦中にある「人物」にこだわる一人としてハッキリさせておきますが、私の回答文にもあるように、「人物」という単語を辞書で引けば人間の事なんですよ。つまり社会通念上、「人物」とは人間をさす単語なんですね。例えばガンという鳥を助数詞を交えて考えれば「一羽の鳥」なんです「一人の鳥」ではないですよね?当該作品が手元にないので、残雪という鳥は助数詞を扱いながら、どのように個体数を表現しているのでしょうか?「一羽」ということであれば、作者は鳥として認識していると考えることは自然なんですがね… いずれにせよ、鳥と人間といった生物学上の違いを、曖昧にする事がいかがなものか?って話なんです。 そのような中で#8の立場に立てば、意志を持ち言葉を発するという部分で、それを人物と仮託するならば、他の表現もあるのではないか?(逆に人物という表現は不適切)という回答に対し、通報も何もなかろうに… たとえ問題とされる生き物が鳥であったとしても、人格を有するのであれば人間としてカウントする。それはそれで素敵な考え方ではありますが、今回の問題は、意志を持つ鳥は人間して考えるということと、意志のある鳥そのものを考えるといった違いであり、迷惑かもしれませんが(勝手に例にしてごめんなさい)#1・#6・7・#8は後者の立場に立っているとい事なのでしょう。 そして後者の立場に立つ者の一人という観点から言わせてもらえば、万物の霊長としての人間なんてものは、普遍的に優位にあるとはとても思えないんですね。ですから意志のある鳥は意志のある鳥として、そのまま考えさせてもらいたいなと思います。「意志もあるし言葉も話せる?よし!人間の仲間入り!」これってどうなんですかね?あくまでもこれは僕の個人的な一つの意見でが。

  • marisuka
  • ベストアンサー率38% (638/1650)
回答No.8

自分の回答後の、他の方の回答を読みました。 では『オツベルと象』という作品に出てくる象も「登場人物」ではない、ということになりますか。象ですからねー。人物ではないですね。 これは、「登場人物」という言葉に「意志を持った人以外のものを含むか否か」という別の問題です。違う言葉があればいいんですけどね、「登場者」とか。うーん、これでも人か。

回答No.7

#6です あぁ…他の回答とお礼の内容を見ましたら「登場人物ではない」という流れだったんですね。 これは失礼しました<m(__)m> 「心の機微を教える」大切なことですよね。ただ僕個人は「正しい国語を教える」事が何よりりまして大切な事でしょうし、正しい国語を操ることができれば、子供たちがそれぞれ独自に興味を持ち、様々な本を手にする時に必ずや役に立ちます。 そして「心の機微」については、読書という営みや、日々の生活の中の体験などを通じ、各々が独自に答えを見つけ出すものでしょうから、そこにはやはり正しい国語の認識は不可欠だとは思うのですがね。 逆に正しい国語を教えなかったというより、今回の場合は解釈を拡大して鳥をも人物としてカウントするといった教育というものは、人間の意志伝達の一つの手段である言語によるコミュニケーションを否定するまではいきませんが、曖昧にさせるケースはあるように思います。 最後に確認しておきたいことは、「登場人物」という言葉は複合名詞で間違いないということです。そして今回の質問内容は「登場人物なのか?」ということだったんですね。 ただ、教職員という立場でしょうから、教育現場においては、その時々の教員の裁量に任される部分が多々ありますから、どうぞ鳥を人物としてカウントし教えてあげてください。

回答No.6

普通の回答で申し訳ございませんが「登場人物か?」といえば人物ではありませんからね…残雪はあくまでも鳥です。ですから登場人物ではないでしょう。 「登場人物」という言葉は「登場」と「人物」という単語の複合名詞です。そして名詞自体が具体的な対象を示すことは御理解いただけるかと思います。ですから 「登場」(演技者として舞台などに現れること) 「人物」(人・人間)   ※大辞泉より ですからね。普通考えれば「登場」をさらに具体的に「人物」と限定していますから、残雪は登場人物の中から外れてしまいますね。 子供さんにリアルな感情を伝えたいという、切実な思いを抱きつつ教壇に立つ質問者様は「素敵な先生だな」と思いますが、ここはクールに事実を端的に示すことも大事だと思いますが。

  • marisuka
  • ベストアンサー率38% (638/1650)
回答No.4

個人的な意見です。 自分の意志を持って行動しているものを登場人物とする。これでいかがでしょう。 サザエさんのタマは、そりゃまあたまには物語の展開に重要な役割もするでしょうが(タマだけに)、それは「意志」でしているのではありません。主人公が石ころにつまづいてこけて大けがして試合に出られなくなったら、石ころは登場人物? 違いますよね。石に意志はないし。 同様に、残雪も動物としての本能や、群れのリーダーとしての本能で動いているなら、それも登場人物とは言えないと思うのです。大造じいさんが勝手に自分の気持ちをガンに投影しているだけでしょう。 メロスは太陽が沈むのと競走し、太陽に沈むのを待ってくれと頼みましたが、それも太陽に「ゼウス」という自分の信じる神を投影しただけです。太陽は時刻通り(ガンなら本能通り)に沈みます。この場合、太陽は物語の重要な要素ですが、太陽は登場人物ではありません。それと同じです。 ちなみに、「人物」という呼び方にはこだわらない方がいいでしょう。物語の中で意志を持って行動するものには「擬人法」という技法名が使われ、人とみなされるのですから。 つまり、擬人法が使われたものが「登場人物」という線引きになります。 あとは、物語の解釈ですね。意志のないものにも恣意的に意志がある、と解釈してしまえば、上記の石ころもタマも太陽もぜーんぶ登場人物です。私はそれには反対です。

noname#235638
noname#235638
回答No.3

そんなすっきりとした「定義」はありません。 それを決めるのが個性ではないでしょうか。 たとえば・・・ 登場したものをすべて「登場人物」として、 それの線引きも個性だと思います。 この線引きも様々ですから、人それぞれに定義が違います。 何の目的で線引きするか、によって違ってくるのかもしれません。 私の感覚ですが、 「次の冬も正々堂々とたたかおうじゃないか。」 などと話していますから、今後も登場が予測されるものが 実は登場人物なのかもしれません。 しかしこれも私の個性が勝手に考えていることですから 定義にはなりません。 そこで、とにかく私は無能力でただのアホなので、 その定義は自己都合のより、かつ利用目的による とさせてください。

sasaking44
質問者

お礼

ありがとうございます。 言葉としての定義よりも『個性』つまり、その人なりの読み取り方が大切だということですね。 それは、国語というか文学の学習においてとても重要なことだと思います。 小学校でも、自分なりの感性で文章を読み解く力、そして、感受したことを論理的に表現する力を子どもたちにつけてあげたいと取り組んでいます。 一方で、この業界(初等国語科教育業界?)では、「これまでの国語科授業は感性やイメージに頼りすぎていた」という反省に基づいて、「用語」や「用法」、「原理・原則」をきちんと教えていきましょうという流れが起きています。 そして、私もその考えに賛同しています。 たとえば、説明文の学習においては、「段落」「要点」「要約」とかいう用語を、それぞれに定義付けしながら教えていくわけです。(もちろんそれだけをやっていくわけではないですが。) ですが、国語の場合、どうしてもはっきりと定義づけしにくい部分が出てくるのです。 算数(数学)では「整数」「小数」「公約数」「積」「商」など、それぞれの言葉はきちんと教科書の中で端的に定義付けされていて、例外を含むことはほとんどありません。 ということは、子どもたちは、その言葉をきちんと覚えておけば、他のどの場合にも対応・活用していくことができるということになります。 「登場人物」を定義づけしようとすると、なかなかそうはいかなくて…。 この物語では「人間じゃないけど、セリフがあるから○○は登場人物だね。」 あの物語では「セリフはないけど舞台でやるならその役が必要になるから○○も登場人物だね。」 また別の物語では「セリフもないし、人間でもないけど、主人公と深く結びついていて、物語を動かす重要な働きをしているから○○も登場人物だね。」 てな具合に定義がズレていくんですね。 ここまでズレると、「物語を動かす重要な働き」の「重要」さなんて個人の感性によって違いますから、子どもによって、また先生によってかなり差が生まれてきます。 かなり多くの文学作品についてです。 最終的には個人の読み取りに任せられてしまうわけなんですが、それじゃあ子どもたちはきちんと「登場人物」という用語を身に付けて、他の物語を読んでいくときにそれを活用することができるのか疑問なのです。 すっきりとした定義ができなくとも、個性がそれを決ればいい。 最終的・究極的解答を教えていただきました。 ありがとうございました。

  • bakansky
  • ベストアンサー率48% (3502/7245)
回答No.2

読んだことがないので想像ですが、「登場人物に数えていい」 と思います。 そのお話を芝居として舞台で上演するとしたら、その役を演じる人が登場してセリフを喋るとしたら、その人物ないし生き物ないし擬人化された存在は、1つの人格なり性格なりを有しているものとみなすことができます。英語の character という語に相当すると思いますが、character は 「人間」 だけに限定されません。現代ドラマでない限り、「登場人物」 には人間でない存在も character として出現することがありますから、物語ならば舞台で役者がセリフを話す役は、すべて 「登場人物」 に入れてよいように思います。戯曲の脚本で冒頭に 「登場人物」 としてリストアップされているものの中に役柄として人間でないものが含まれていてもおかしくないようなものです。人間でないものも人間が演じるのですから 「登場人物」 に含まれているわけです。

sasaking44
質問者

お礼

ありがとうございます。 脚本でなくても、その物語を劇化して演じると想定するとき、セリフを話すかどうか という線引きですね。 No.1のお礼にも書きましたが、小学校の教科書に掲載されている物語の場合、人間でなくても、人間のように行動する動物や物が登場するものが多いので、 「ヒトじゃないものは登場人物に入れない」 という定義付けでは無理があるんですよね。 お教え頂いているいるように、 「舞台で役者がセリフを話す役は、すべて登場人物」 そのとおりだと思います。 小学校の授業の中でも、 「通常、登場人物に数えられるものは言葉をしゃべっているからね。「 」があるのは登場人物だね。」 と解説することが多くあります。 ただ、「セリフがあること」は「登場人物であること」の十分条件になるんですが必要条件かというとそうでもない場合があります。 舞台に登場するけど、セリフのない役もありますよね。 『白いぼうし』という物語が4年生の教科書に載っていて、 そこに「太った警察官」という人物が登場します。 でも、セリフはありません。 別の登場人物(松井さんというタクシーの運転手)を怪しんで、 じろじろと見て去っていくるだけです。 (読んだことなければ分かりにくい例示になります。お許し下さい。) 『白いぼうし』を劇化する場合、この警察官は一人の役となります。 セリフがなくても登場人物に数えられる場合もあるということになります。 (「いや、セリフがないから、この警察官は登場人物ではない」という意見もあります。) 『大造じいさんとガン』の「残雪」の場合も、「ガン」なのでセリフは一切ないんです。 ただ、劇化して舞台で演じるとしたら、う~ん、 どのような演出になるかという点によって大きく変わってくるでしょうが、 (例えば「ライオンキング」的な演じ方か、「セサミストリート」的な表現か) まちがいなく舞台に登場しますし、大活躍します。 そのような存在を登場人物に数えなくてもいいのかというとことで悩んでいます。 教えて頂いた内容で、 「人間でなくともセリフがあるものは登場人物である」ということは、やっぱり間違いないだろうと確認できました。 ありがとうございました。

回答No.1

難しく考えると、訳わかんなくなります。 登場人物の線引きは唯一点。人か否か。 物語において重要なファクターであったとしても、人でない場合は「登場人物」としてカウントしてはいけません。 すっきりしたでしょ。

sasaking44
質問者

お礼

ありがとうございます。 「登場人物」は「人物」であるという考え方ですね。 確かに明快な線引きになりますね。 しかし、このように線を引いてしまうと、 「人間ではないが、思考・感情を持ち、自分の判断に基づいて人間のように行動する動物や物」 はどうするのかという問題が残ります。 例えば、『ドラえもん』における「ドラえもん」、     『アンパンマン』における「アンパンマン」、     『ど根性ガエル』の「ピョン吉」などです。 彼らを登場人物に入れないわけにはいかない。 したがって、国語の授業の中では、 「『人間ではないが、思考・感情を持ち、自分の判断に基づいて人間のように行動する動物や物』 も登場人物に数えるんだよ」…と教えることが基本になっているようです。(私が調べた限りでは…) 例えば、『ごんぎつね』における「ごん」、     『お手紙』における「がまくん」「かえるくん」、「かたつむりくん」、     『大きなカブ』における「いぬ」「ねこ」「ねずみ」などです。 (読んだことのない方にとっては、意味のない列挙かもしれません。お許し下さい。) 小学校の教科書に掲載されている物語ですので、動物が人間のように人格を持つ設定で描かれたものが多いんです。 じゃあ、『大造じいさんとガン』の「残雪」だって登場人物でいいじゃねぇかってことになるんですが、 そうもいかない部分がありまして、いろいろ悩んでいます。 「難しく考えると、訳わかんなくなります。」というお言葉には、優しさを感じました。 ありがとうございます。

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