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人間の本質って・・・善、それとも悪?

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回答No.7

性善説と性悪説の話ですが、これを現代用語としての善と悪としてとらえるとややおかしなことになります。 性善説や性悪説が唱えられた当時では、善と悪は悪いことと良いことという意味ではなく、善=「完全なもの」「完成したもの」「高貴なもの」という意味であり、悪=「荒々しいもの」「粗野なもの」「下賎なもの」という意味でした。当時、善と悪は、むしろ正と邪であらわしたようです。 だから性善説は人間はもともと完成され本質が不変なものであって、高貴な者はもともと高貴であるし、下賎なものはもともと下賎だとしたのです。 逆に性悪説は人間は本来未完成であって間違いを犯す可能性をもって生きているのだから、常に精進すべきだというのです。 これと同じ使われ方では、浄土宗の「悪人なおもて往生をとぐ」というものがありますが、悪人でも往生することができるという意味です。 ここでの悪人というのは、修行を積んだ人でなく、煩悩を抱えた普通の人といういみです。あるいは当時荒々しい行為や仕事をしていた一般庶民という意味まで含むことができます。 あるいは、平安期の武士には自分の名前に悪の文字をつけた人もいましたが、それは荒々しいという意味です。 人間の本質は条件によって変化すると考えるなら、性悪説であろうし、必ず間違いを克服できるものだという確信を人間に見出すなら、性善説となるでしょう。

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