源満仲とは?平家の末裔との関係は?

このQ&Aのポイント
  • 滋賀県大津市の田舎に住んでいると、源 満仲という人物が祀られていることに気づきます。
  • 町内は平家の落人の末裔と言われており、戦争があったため、源氏と平家の関係は良くないはずです。
  • しかし、町内には源氏の末裔もいるようで、親戚のおじいさんの名前が源司と言われています。源満仲が黙っていたり内々に処理してくれたことで、町内に平家の末裔が残ることができたのかもしれません。
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源 満仲 源平。

滋賀県大津市の田舎に住んでいます。当方の町内の神社や、小さい丘のようなところに墓があり、源 満仲と言う人が祀られているようです。アホなもので詳しくは知らないのですが、当方の町内は平家の落人の末裔らしいのですが、平家と源氏は戦争してたくらいですので、仲は良くないと思うのですが、その町内に源氏の源満仲が奉られているのが不思議でなりませんでした。ただ町内にも源氏の末裔もいるらしく、親戚のおじいさんなどは、名前が源司(もとし)と言います。いかにも源氏の末裔という感じですが、つまり、平家はその頃見つかれば、処刑されるか、処罰を免れないところを、たまたま源満仲という源氏の侍が、黙っててくれたか?それとも内々に処理してくれたおかげで今日があるので、神様として奉られているという事でしょうか?

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回答No.1

何ら不思議はありません。 多田満仲は、清和天皇の末裔。古代・中世の貴族社会では、皇位継承権を持つことが如何に危険な存在であったか。天皇家では、数え切れないほどの皇位を巡る争いと殺戮がが繰り返されました。 天皇家には名字がないので、満仲の時に、多田氏を名乗って臣下の身分となった。これが初代源氏となったので、頼朝なんかは遙かに何代も後世の子孫です。臣下になれば、さしあたり皇位を巡っての危険は遠のきます。 源平の合戦など、夢にも考えられなかった時代の人物。源氏の大ご先祖神さまですよ。

ytz500sec
質問者

お礼

ありがとうございます。当方の思っていた時代より、遥かに昔の話とは知りませんでした。ありがとうございました。この時点では、平家もへったくれも無いんですよね?という事は、平家の落ち人の末裔が、町内に蔓延った嘘なのでしょうか?この辺りの山の麓(比叡山、比良山等)には、よく似た村があるようで、平家の落ち人の末裔という事なんですが?

その他の回答 (1)

回答No.2

源平が争うのは 清盛 義朝の時代★ この時代は争っていないです 源氏も平氏も 元は皇族の出です 最初は仲が良かった★ しかも当時は戦敗れた源氏を平氏がかくまうことは往々にしてあったようです 当然その逆も…

ytz500sec
質問者

お礼

ありがとうございます。そうでしたか、お互い助けあっていたと思うと人間らしいですね。ありがとうございました。

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