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キリスト教では親を敬えと教えないのですか?

仏教では、親を敬い親孝行をすべきだと教えますが、キリスト教ではそのように教えているとは思えません。 親を敬うどころか、親を捨ててキリストに従えと言っています。 キリスト教では神が絶対だからそうなるのだと思いますが、やはり、親を敬い親に感謝し、親を大切にする、などという教えは、キリスト教にはないのでしょうか? もし、あると言うなら、聖書のどこにそんな事が書いてあるか、教えて戴きたく、よろしくお願い致します。

質問者が選んだベストアンサー

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  • cincinnati
  • ベストアンサー率46% (606/1293)
回答No.7

##他の方々がすでに聖書箇所を上げておりますので、重複をしていますが、再度関連箇所を並べてみました。 (出エジプト20:12) 「父と母を敬え。あなたの神、主が与えようとしておられる地で、あなたの齢が長くなるためである。 出エジプト21:17-21 「自分の父あるいは母を呪う者は、必ず死刑に処せられる。」18ある人にわがままで、反抗する息子があり、父の言うことも母の言うことも聞かず、戒めても聞き従わないならば、19両親は彼を取り押さえ、その地域の城門にいる町の長老のもとに突き出して、20町の長老に、「わたしたちのこの息子はわがままで、反抗し、わたしたちの言うことを聞きません。放蕩にふけり、大酒飲みです」と言いなさい。21町の住民は皆で石を投げつけて彼を殺す。あなたはこうして、あなたの中から悪を取り除かねばならない。全イスラエルはこのことを聞いて、恐れを抱くであろう。 ##この箇所は、神さまが親と子の関係においては親に子を育てる権威が与えられており、子供はその権威の下にいることを知るべきだと述べています。 エペソへの手紙6:1-3 1子供たち、主に結ばれている者として両親に従いなさい。それは正しいことです。2「父と母を敬いなさい。」これは約束を伴う最初の掟です。3「そうすれば、あなたは幸福になり、地上で長く生きることができる」という約束です。 コロサイの教会への手紙 (コロサイ3・20-21) 妻たちよ、主を信じる者にふさわしく、夫に仕えなさい。夫たちよ、妻を愛しなさい。つらく当たってはならない。子供たち、どんなことについても両親に従いなさい。それは主に喜ばれることです。 父親たち、子供をいらだたせてはならない。いじけるといけないからです。 ブライ人への手紙12:7-10 7あなたがたは、これを鍛錬として忍耐しなさい。神は、あなたがたを子として取り扱っておられます。いったい、父から鍛えられない子があるでしょうか。8もしだれもが受ける鍛錬を受けていないとすれば、それこそ、あなたがたは庶子であって、実の子ではありません。9更にまた、わたしたちには、鍛えてくれる肉の父があり、その父を尊敬していました。それなら、なおさら、霊の父に服従して生きるのが当然ではないでしょうか。10肉の父はしばらくの間、自分の思うままに鍛えてくれましたが、霊の父はわたしたちの益となるように、御自分の神聖にあずからせる目的でわたしたちを鍛えられるのです。 ##この箇所では聖書は子供を鍛える親は子供に尊敬されると述べているように思います。また子供を鍛錬しないのであればその子は実際の子供では無いと述べています。小生にも高校生の子供がおりますが、可愛いさのあまり、甘やかしてしまっているのでは無いか、回答者さんも同じなのではないかと、なにか身につまされるものがございます。クリスチャンは聖書を神の言葉と信じておりますので、上に挙げたような箇所を直接読みなさいといういいますと反発すると思いますが、娘さんに聖書を教えてくれないかなどと、なにげに読んでみたらどうかと思います。

toto77japa
質問者

お礼

とても丁寧に、詳しく教えて戴き、ありがとうございます。 四福音書以外では、いろんな手紙で触れられているのですね。 勉強になりました。 子供を育てるのは苦労が尽きませんね。 ありがとうございました。

その他の回答 (9)

  • ctaka88
  • ベストアンサー率69% (308/442)
回答No.10

どんな宗教でもそうだと思うのですが、「親孝行」を信仰よりも優先するということはないでしょう。 その部分だけを引用すると誤解を与えるかもしれませんが、 例えば、歎異抄には次の文章があります。 「親鸞は父母の孝養のためとて、一返にても念仏申したること、いまだ候はず。」(歎異抄第五章冒頭)

  • alwen25
  • ベストアンサー率21% (272/1253)
回答No.9

>あなたがご指摘されたマタイによる福音書16章19節には 済みません。フランシスコ会訳を使ったので混乱したようです。 新共同訳では、マタイによる福音書19-16 「金持ちの青年」のところです。

toto77japa
質問者

お礼

再度のご回答、ありがとうございました。 聖書にもいろんな訳があって、訳によって違いがあるのですね。 ご指摘の箇所を、私の持っている聖書でもう一度見てみました。 すると、ご指摘のように、載っていました。 マタイによる福音書19-16: 16・・・17イエスは言われた、「・・・もし命に入りたいと思うなら、戒めを守りなさい。」18彼は言った、「どの戒めですか」。イエスは言われた、「『殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証を立てるな。19父と母を敬え』。また『自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ』」。 確かに、福音書にも、書かれてありました。 ただ、ユダヤ教の言い伝え(十戒)を引用する形での言及なので、「山上の垂訓」のようなイエス自身の発想からの言及に比べ、なんとなく迫力不足に感じていたものですから、私としては、イエス自身の思いを述べる形の言及を期待していたようでした。 でも、伝承の引用だとしても、イエスが教えられたことには変わりないのですから、その様に取るべきだったと、改めて思いました。 ご回答、ありがとうございました。

  • alwen25
  • ベストアンサー率21% (272/1253)
回答No.8

>四福音書にあることを期待していたのですが、・・・。 マタイによる福音書16-19にきちんと書いてあります。 また、プロテスタントの牧師であればこういう説教はしないとは 思いますが、神の子でありながら母のマリア様を敬っていたはずです。

toto77japa
質問者

補足

あなたがご指摘されたマタイによる福音書16章19節には、『私はあなたに天国のかぎを授けよう。そして、あなたが地上でつなぐことは、天でもつながれ、あなたが地上で解くことは天でも解かれるであろう。』と書いてありますが、これが、私の質問に対する答えとして適切なのでしょうか? あなたの仰っていることが良くわかりません。 ごめんなさい。

  • mekuriya
  • ベストアンサー率27% (1118/4052)
回答No.6

「だれでも、父、母、妻、子、兄弟、姉妹、さらに自分の命までも捨てて、私のもとに来るのでなければ、私の弟子となることはできない。」(ルカ14-26) この文の意味は、イエスの弟子になるには、とんでもない犠牲を払う必要があるという意味です。それを逆説的・比喩的に表現したまでのこと。 ぞろぞろとついてくる群衆を追い払う為に脅かしたといった意味です。いくらついてきても弟子にはなれないよと諭したといったことです。 イエスは誰でも弟子になれといったわけでもないし、親兄弟を捨てろといった訳でもないのです。 聖書には旧約聖書と新約聖書があります。新約聖書は旧約聖書を前提として説かれている書物ですから、旧約聖書をすっとばして新約聖書には、こう書かれているといった解釈のアプローチはそもそも不可能です。 そこらへん、質問者さんはどう理解されているのか心配になりました。

toto77japa
質問者

お礼

再度のご回答、ありがとうございます。 勉強になりました。 それにしても、教会では、親を敬うことや親を大切にすることを、それ程大事な教えと位置付けていないような気が致しますので、もう少し、教えていただけたら有難いと思うこのごろです。 これは私達の家庭だけの特殊事情なのかも知れませんので、あまり強くは望めませんけど、・・・。 ご回答、ありがとうございました。

  • michael-m
  • ベストアンサー率50% (2725/5435)
回答No.5

親を敬うのと、親に従うのでは大きな差があります。 キリスト教では究極の選択では結局主に従い親を哀れむと言うことになるでしょうね。 実はこれは日本と中国や韓国の違いにもなります。 孔子を教えには「忠」と「孝」があります。 中国では時代によって異なるようです。日本では完全に「忠」が優先です。 主君への忠義を守るために親と言えども捨てる。敬いつつも忠を優先するのです。これは忠臣蔵のテーマでもあります。 しかしチャングムなど韓国の歴史ドラマを見れば分かるように、親が完全に間違っていて国が傾くとしても王でさえ親に従います。それを善しとしました。これは「孝」を第一と考えたからです。最近のドラマで漸く逆らう子供が出てきてはいるようです。

toto77japa
質問者

お礼

>キリスト教では究極の選択では結局主に従い親を哀れむと言うことになるでしょうね。 「主に従い親を哀れむ」ですか。そういう関係なのでしょうね。 ご回答、ありがとうございました。

  • ShowMeHow
  • ベストアンサー率28% (1424/5027)
回答No.4

そういえば新約にも十戒を解釈しているところがあったな。 イエスの言葉ではないけど。  子たる者よ。主にあって両親に従いなさい。これは正しいことである。 「あなたの父と母とを敬え」。これが第一の戒めであって、次の約束がそれについている、 「そうすれば、あなたは幸福になり、地上でながく生きながらえるであろう」。 父たる者よ。子供をおこらせないで、主の薫陶と訓戒とによって、彼らを育てなさい。 エペソ6章でした。

toto77japa
質問者

お礼

エペソ書でしたか。 四福音書にあることを期待していたのですが、・・・。 イエスが直接話した訳ではないにしても、キリスト教の中でも、親を敬うことを教えていたのを知り、少しは安心致しました。 これまで親に心配ばかりかけてきた我侭で自己中心的な37歳の娘が、最近キリスト教に入信したのですが、手を組んで神に祈りを捧げたりはしていますが、親に対しては依然として我侭のし放題で、心配ばかりかける態度を少しも改める気配がないので、キリスト教の牧師様も、少しは親を敬うことを教えてもいいのではないかと思って、こんな質問を致しました。 エペソ書には、子に対する教えとともに、父に対しても教えを述べているので、勉強になりました。 ただ、何か娘の気に入らないことを言おうものなら、怒り狂って、平気で家の物を壊したり致しますので、最近では、殆ど何も言わないようにしています。 「主の薫陶と訓戒とによって、彼らを育てなさい」と言われても、なかなか難しいところがあります。 牧師様方も、もう少し、教えて下さるといいのですが、・・・。 最後は愚痴になってしまって、申し訳ございません。 ご回答ありがとうございました。

  • mekuriya
  • ベストアンサー率27% (1118/4052)
回答No.3

親を捨ててキリストに従えなんて言ってませんが。 「モーセの十戒」で検索されたい。

toto77japa
質問者

お礼

うろ覚えなのですが、聖書を読んでいて、確か、「主よ、主よ、と叫ぶものが皆救われるのではない。財産も、父母兄弟も、なにもかも、全てを捨てて私に従う者だけが救われる」と言っているような印象が私の中にあるものですから、・・・。 それとも、正確にその様に書いてあるのではなく、聖書を読んでいるうちに、その意味に取れる幾つかの箇所がつなぎ合わさって、私の頭の中で、そういう文章を組み立てたのかも知れません。 今、もう一度、私の感じた文章の箇所があるのかどうか、探していますが、これと全く同じ様な文章は、今の所、見当たりません。 しかし、その趣旨に近い、こんな表現なら見つかりました。 「私に向かって『主よ、主よ』と言う者が、みな天国に入るのではなく、ただ、天にいますわが父の御旨を行う者だけが入るのである。」(マタイ7-21) 「私よりも父または母を愛する者は、私にふさわしくない。・・・。」(マタイ10-37) 「おおよそ、私の名のために、家、兄弟、姉妹、父、母、子、もしくは畑を捨てた者は、その幾倍もを受け、また永遠の生命を受けつぐであろう。」(マタイ19-29) 「だれでも、父、母、妻、子、兄弟、姉妹、さらに自分の命までも捨てて、私のもとに来るのでなければ、私の弟子となることはできない。」(ルカ14-26) もう一度、よく読みなおしてみたいと思います。 いずれにしても、イエスが教えを述べられる時、ユダヤ人たちの昔の言い伝え(旧約聖書の該当の箇所)を引用する時以外に、イエスの言葉として、直接的に、「父母を敬え」と教えている箇所は見当たらないように思いますし、さらに、私の若い頃、教会に通って牧師様のお説教を聴いていた記憶の中にも、一度として、「父母を敬え」とか「親を大事にしろ」とかという話を聞いた記憶はないものですから、質問のような疑問が私の中にあるようです。 ご回答、ありがとうございました。

noname#161336
noname#161336
回答No.2

なんだかキリスト教の批判をしているようにしか聞こえませんが・・・? >親を敬うどころか、親を捨ててキリストに従えと言っています キリスト教にもいろいろありますがどこの宗派でしょうか? 聖書を正しく理解しているとは思えません。 >仏教では、親を敬い親孝行をすべきだと教えますが 仏教も宗派によっては、 親に絶対服従、親が間違った事をしても注意するな と教えている場合もありますよ! 「仏壇・お墓」をどんなに大切にしていても 目の前の家族が死ぬほど悩んでいても聞こうともしない 家族なんて、宗教に関係なくいっぱいいますよね! キリスト教であっても、仏教であっても 家族を大切にする人はいますが・・・ 「親」というだけで、大切にされると思うのもおかしいですよね 子供を大切にしてこそ「親」ですよね!! 大切にしなくても「親」を敬え・・が仏教なのでしょうか? 日本の歴史はそうですよね >キリスト教では神が絶対だからそうなるのだと思いますが キリスト教において、神は絶対であり 神に従う=親を大切にする になるのです。 「神を信じない親」神に従うことを許さない親にとっては 神を信じ従う子は、 ・あなたの言うところの親を敬うことをしない子 になってしまいます >あると言うなら、聖書のどこにそんな事が書いてあるか、教えて戴きたく、よろしくお願い致します。 真剣に読む気持ちもないのに、教えろ・・ですか? どんな宗教であっても、家族を大切にする気持ちのある人は、それで良いと思います。 宗教を盾に家族を蔑にする人は、宗教に関係なく 家族を大切にはしないと思います。

toto77japa
質問者

お礼

>なんだかキリスト教の批判をしているようにしか聞こえませんが・・・? >真剣に読む気持ちもないのに、教えろ・・ですか? 私は、単に、教えて欲しかっただけだのに、こんなに酷い言葉を浴びせられるなんて、・・・。 しかも私の疑問には答えもせず、・・・。 あなたが本当に知っているなら、私を攻撃するより、教えてくれたらどうなんでしょうかねえ? 知らなければ仕方ありませんが、・・・。 多分、私の質問に答えるだけの、キリスト教に関する知識がないのでしょうね。 だったら、回答しなければ良いのに、なぜ、わざわざ人を攻撃するのでしょうか? クリスチャンって、『汝の敵を愛せよ』と教えられていると思っていましたが、こんな風に、他人を攻撃するのですね?  だから、キリスト教国は戦争ばかりするのですね? あなたの態度で、キリスト教ってどんなものか、よくわかりました。 ありがとうございました。 でも、他の回答者様は、優しく親切に教えてくださったので、すべてのクリスチャンがあなたのような人ばかりだと思うのはやめておきます。

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  • ベストアンサー率28% (1424/5027)
回答No.1

あなたの父と母を敬え。これは、あなたの神、主が賜わる地で、あなたが長く生きるためである。 旧約聖書(十戒)だけどね。(出エジプト20:12) まあ他の戒律に違反しない範囲でって条件付だよね。 たぶん。

toto77japa
質問者

お礼

旧約聖書の出エジプト記に書いてあったのですか! 勉強不足で知りませんでした。 ただ、新約聖書には何処にも書いてないと思っていたものですから、こういう質問をしてしまいました。 勉強になりました。 ご回答、ありがとうございました。

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