キリスト教が古代日本に伝わっていたという説について

このQ&Aのポイント
  • キリスト教が古代日本に伝わっていたとする説について考えてみましょう。
  • 「【隠された】十字架の国・日本」という本を紹介します。この本には、古代日本におけるキリスト教の存在や関連する事実がまとめられています。
  • 秦氏が土木建築に関与し、平安京を造ったことや、地名の類似性などを通じて、古代日本にキリスト教が伝わっていた可能性が示唆されています。
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キリスト教が古代日本に伝わっていたという説について

この方が語っているように、キリスト教が古代日本に伝わっていたというのは本当だと思いますか? http://www.youtube.com/watch?v=DeOrxV4yYmI&feature=relmfuより 「【隠された】十字架の国・日本」(ケン・ジョセフ著、徳間書店)という本があります。景教とか秦氏とか、ユダヤの失われた部族などの方面に関心をもってインターネットで検索すると、研究している人が決まっているので、だいたい同じ結論に行き着きます。その内容がこの本の中に見事にコンパクトにまとまっています。これを知っておかないと、古代史、日本史の神仏習合、日本の神様と日本史の関連が分からないのです。 非常に重要な部分なので、今回と次回は基本的な知識を集めないといけないということです。多くの方が見落としている、僕しかもっていない、誰も知らないレベルの世界観があって、それで見ると神話と日本史をリンクして非常によくものが見えてくる。 どうして日本史を説明しないといけないかというと、これがずっと後で、とんでもない話しになって繋がっていくのです。それは驚かれるだろうを思います。 http://www.youtube.com/watch?v=Y8oriv-ZqMk&feature=relmfuより ぜひ興味のある方は「【隠された】十字架の国・日本」を読んでください。例えば桂離宮とか、完全に日本のものと思っているものでも、庭園に祠があって、下の方を見ると十字架が書いてあったりとか、皇族の中に隠れキリシタンが!とか、凄まじいことがあるわけです。 この時代(8世紀ごろ)にキリスト教の宣教師が来ていて皇族に宣教していたのなら、私的にキリスト教を信じていて個人の邸宅にそういうものを作って拝んでいた人がいてもおかしくないわけです。この本の中にたくさんそういうことが書いてあります。 秦氏が土木建築に力を持っていて、平安京を造ったのは秦氏であるということが書いてあります。「平安京」という名前は、「エルサレム(平安の町)」と同じ意味です。しかも平安京のすぐ近くに琵琶湖がありますが、イスラエルには琵琶湖とよく似た「ガリラヤ湖」があって、これの本来の意味は「琵琶」というのです。 これは偶然ではなくて、秦氏は意識して平安京をこの位置に造ったということになってきます。もしこれを全部偶然として全部無視するなら古代史は意味を持たないと思うのです。

  • jjojoe
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noname#175206
noname#175206
回答No.4

 いや、なんでもかんでもキリスト教にこじつけただけだと思いますよ。  唐では初期から景教があり、遣唐使があった以上、日本において知識として景教を知っていてもおかしくはありません。  でもそれだけです。信仰まで高まった形跡は何も発見されていません。唐末期~宋初期には、中国での景教も、ほぼ消滅しています。日本における隠れキリシタンのような、隠れ景教徒がいたという形跡もありません。  もし日本のその時代に、その信仰の痕跡でもあれば、まずは後の戦国時代にキリスト教が伝播してきたとき、盛んに宣伝に使われたはずです。たとえ、異端とされたネストリウス派であってもです。  キリスト教が禁教になり、明治期に再びキリスト教布教が自由になっても、隠れキリシタンは盛んに喧伝されても、日本での景教信仰については何も言っていません。それは現在に至るも、同じです。  その動画で主張されているように、そんなに明らかなものなら、日本におけるキリスト教布教において、またキリスト教の歴史を語る上で、無視されるはずがありません。  唐王朝は、歴代中国王朝と同じく、世界で唯一最高位の天子を持つ世界の中心と自負しており、他民族や他宗教に鷹揚であったわけです。余裕があったときは、ですが。  日本はそうはいきません。中国発祥の儒教は宗教と言うよりは学問です。これは中国同様、日本においても封建的に有用な思想価値があり、学問として推奨されました。しかし、孔子像を作って何かを願うようなことはありませんでした。儒学と呼んだ方が適切でしょう。  やはり中国発祥の道教は、その定義が難しいですが、中国では盛んであっても、日本においては普及しませんでした。  当時の日本では、伝統的な日本発祥の神道以外では、インド発祥で中国でも盛んになった仏教だけが宗教的価値を認められ、普及しました。宗教的価値といっても、政治利用できたからですが。  ようやく仏教だけ。中国で盛んな道教すら入り込めない。神道では救われない困窮する民衆も仏教の教えは救うことができた。ロクな指導者もいない景教は、知識として存在が知られていたとしても、信仰されようがありません。  その後、仏教が現世利益に固執して腐敗するようになると、民衆を救えなくなってきた。織田信長と政治的・軍事的に対立して焼打ち、皆殺しされてしまう大事件も起きてきた。  その仏教界の自浄作用が充分でなく、絶望する民衆が増えてきたとき、タイミングよくキリスト教の正式な宣教師がやってきた。ここでようやく、キリスト教が広まる条件が整ったわけです。  仏教で言えば念仏を唱えればいい浄土宗、さらには「既に救われている」とする浄土真宗のようにシンプル。神を信じれば、それでもう救われている。天国が約束されている。悟りを開く努力も、難しい教学も必要無し。  そうなるまでの日本の歴史を理解するのに、景教の影響を考える必要は全くありません。そういうものの影響をこじつけなくても充分に理解できる。  もちろん、景教が影響したと主張するのは自由です。学問の自由は保障されねばならない。そう主張したいなら、Youtubeや商業しでなく、論文を書いて、しかるべき論文誌に提出するべきでしょう。それが学問の手続きというものです。そして学会発表の機会があれば、発表すればいい。それが学問の手続きというものです。  それが評価されれば、追試の論文も出るでしょう。批判や反論もあるはずで、それに再反論していくことになります。全て、論文ベースです。  たとえば。昔々、銅鐸に描かれた模様が絵文字だと主張、さらにそれを読み解いたら、蘇我王朝があったと商業誌に書いた人がいます。当然ながら無視されました。そういうことは毎年毎年、現れては消えて行きます。  もし仏教に万字(卍とか)があるからといって、それをナチスドイツの鉤十字と結び付け、「ナチスドイツの思想的基盤は仏教だ」など言ったら、普通の人からは無視されるか、時には指さして笑われます。歴史学者や、仏教界の中には怒る人も出て来るでしょう。  古代日本のキリスト教も同様です。途方もなく見込みの低い賭けでしかありません。それでも、そういうギャンブルに一生を使うかどうかは、個々人の自由です。  しかし、「布教」する前に準備くらいはするものです。思いつきで他人を振り回すのは「はた迷惑」なのです。特に判断能力がまだ低い年齢だと、それらしきことを言えば信じてしまいます。そうなると、はた迷惑と苦笑しているだけでは済みません。「害毒」となります。  歴史でなく、疑似科学で「水からの伝言」というものがあります。水に「ありがとう」などと「綺麗な」声を掛けながら凍らせると、「綺麗な」結晶ができ、「ばかやろう」などと「汚い」声を掛けながら凍らせると、「汚く」凍るというものです。  人間を作っている過半は水です。だから汚い言葉は心身に悪い。そういう嘘です。  騙された大人もいました。そして、「教祖」と一緒になって、純真な子どもたちに教え込みました。子どもたちはいったん信じました。  やがて真相を明らかにする人々が出てきて、全ての嘘を暴きました。徹底的に。もう言論の袋叩き状態でした。そうして真実を知った子どもたちは深く傷つき、中には人間不信になる子さえいました。「水からの伝言」教祖や残った大人の信者は、今も嘘を認めていませんが、権威は地に落ちたと言っていいでしょう。  動画で仮説らしきものを述べている人が、そういうことを心得ているのかどうか。怪しいものですね。調子に乗り過ぎて、ついには袋叩きに、なんてならなければいいんですが。

jjojoe
質問者

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丁寧なご意見ありがとうございました。とても参考になりました。

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  • reflector
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回答No.8

>【隠された】十字架の国・日本」(ケン・ジョセフ著、徳間書店)という本があります。 なんだろうね、この捏造出版本は。 日本史について、竹内文書と旧約聖書に書かれていますよ。 竹内文書は、開祖を美化しても良いと承諾し、日本史を始めから丁寧に書かれています。 >「平安京」という名前は、「エルサレム(平安の町)」と同じ意味です。 アークを開示する前なら十分なほど嘘がまかり通ったでしょうに。 何で今更、このような記紀に匹敵する嘘本を列挙するのですかね。 源氏と平家の残党は、中禅寺湖と男体山を第二の故郷とし、末永く定住しています。 また、一般の人々は、箱根と芦ノ湖を第二の故郷として選択されたようですよ。 >皇族の中に隠れキリシタンが! 伏見稲荷を参考に、、、JINARI。

jjojoe
質問者

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ご意見ありがとうございました。参考にします。

回答No.7

学研のミューブックのシリーズ、久保有政の著を読んでください。「日本の中のユダヤ文化」・「仏教の中のユダヤ文化」・「神道の中のユダヤ文化」は、これに関連したことを書いてます。又 同シリーズで 飛鳥昭雄が著した「秦氏の謎」・「物部氏の謎」も良いでしょう。  日本に現存する習慣や風習が、何か純粋に日本人特有のものを語りたかったり、影響を受けても朝鮮半島や中国に限定したがる人が多いが、そんなこと、あり得ない。 中近東からオリエント、更には中国へと移り、更に 朝鮮半島に移動したもの。 それは、中東から朝鮮半島にいたるあらゆる場所で、幾重にも訪れる権力闘争、特に 遊牧騎馬民族同志の争いに敗れた武人、難を逃れて流浪の果てに渡来した宗教関係者・技術関係者が、当時の日本では 神秘性を持って迎えられ、影響力をもたらした。 蘇我一族は「カッシート族」であり 藤原一族は「スキタイ・サカ族」と言われている。彼らの大陸での権利闘争の歴史が、そのまま今の 日本の領土内で起きただけのもの。 神武一族は、中国東北部にいた「扶余族」と言われている。当然、流浪の旅に出たユダヤ人、ユダヤ教徒であり 原始キリスト教徒あった。そして中国に行ったなかには景教徒として 浸透していったであろう。秦の始皇帝の許可を得て2回渡来したと言われる徐福は、ユダヤ人であり、渡来して 一部は 物部氏になり、一部は 秦氏になった。彼等は、基本的に権力のトップにならない。あくまでもトップの裏方で 権力を握っていた。 秦氏の中の一族であった加茂(賀茂)氏は、時の権力者に取り入り、原始キリスト教を神道に変身させ、全国の地元にあった社を乗っ取った。これが所謂、賀茂が禰宜(ねぎ)をしょってきた。つまり賀茂氏が 禰宜を派遣してきた という事。 これが転じて 鴨が 葱(食べるネギ)をしょってきたと転じていった。 だから、古代には、ユダヤ教?原始キリスト教?か 分らないが、渡来の宗教が入ってきた。 それまでの地元の神道とは、明らかに違う神道。 時代が下るが、フランシスコザビエルが渡来したのも、キリスト教を通じて日本を支配する目的が根底にあった。当時の布教活動は、まずは 先兵となってその国に行ってスパイ活動をする。 宗教を隠れ蓑にして、情報収集するのが目的。当然 貿易で膨大な利益を得るのもある。 日本近辺だけの狭い目で歴史を見ないで、ユーラシア大陸での権力闘争と 民族移動の流れ と関連させて 日本の古代史を勉強しないと、偏狭な日本純粋主義に陥り、誤った解釈になります。 所詮 日本人なんて いないのです。 この島国に流れ込んだ諸人種の混血なのです。 正月や七五三に神社に行き、寺では宗派を気にせず拝み、人が死んだら仏教で、結婚式はキリスト教。挙句の果てに、やれクリスマスだのハロ-インだのヴァレンタイン・デーだのと 他宗教で大騒ぎ。 東大寺を建造する時、何と 今の大分県にある宇佐神社から 神様を呼び寄せたのです。それが、いま 東大寺内にある法華堂(三月堂)の近くにある 「手向山神社」なのです。神仏混淆 なんでもありのへっちゃらな 民族です。 ま~~こんないい加減な民族は、世界広しと言えども、他に無いでしょう。 良く言えば、柔軟性があります。キリスト教やユダヤ教 そしてイスラム教は、一神教で、絶対他の宗教の存在を認めません。今の 中近東の戦争は、正に キリスト教とイスラム教の宗教戦争です。 長い歴史の中で、狭い島国で他の民族と仲良くするには、他の宗教を容易く 且つ安易に受け入れる体質になっているのしょう。

jjojoe
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丁寧なご回答ありがとうございます。とても参考になりました。

  • tanuki4u
  • ベストアンサー率33% (2764/8360)
回答No.6
jjojoe
質問者

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ご意見ありがとうございます。

  • TANUHACHI
  • ベストアンサー率31% (791/2549)
回答No.5

 ここはご自身の見解を陳述し同意を求めるもしくは宣伝の場ではありません。よってルール違反となりますので通報させていただきました。ご自身の見解に関する反証反論および補説をお求めになるのであればご自身のホームページで存分におやりになってください。  因みに「神仏習合」の神仏とは神道と仏教のことであり、奈良時代に始まる現象です。この分野に関しては日本中世宗教史が専門である佐藤弘夫氏および先駆的研究者である黒田俊雄氏の論稿をご覧になることをお勧めします。キリスト教が云々などというのは珍説・トンデモの類であり歴史学の立場としては一笑に付すにも値しないものです。  タイトルも梅原猛の『隠された十字架』の剽窃ですね。そも8世紀のキリスト教会組織が確立されていたとの事実をどのようにしてお確かめになったのでしょうか。宣教師を派遣するなら確立された運営組織が必要です。  せいぜい夢を見て下さい。

jjojoe
質問者

お礼

ご意見ありがとうございます。 当方、この情報モトの者ではありません。ただ、この方が他に震災予知などに関して、尤もらしいことを述べたものがあるので、真っ当な考えの持ち主なのかどうか、この方が日本史などの他の分野について述べていることについて、その分野にくわしい方々の意見を聞きたかっただけです。

回答No.3

質問なのけ?これ とりあえず、結論 キリスト教の定義もしないで、伝わっていた伝わっていないなど論じているレベルだから、相手されない 以上

jjojoe
質問者

お礼

ご意見ありがとうございます。

回答No.2

まあ、ええっと・・・なんといいますか、トンデモな話は置いておいて、 伝わったか伝わらなかったということだけで言うと、伝わっていてもおかしくはないですね。昔から聖徳太子の逸話はキリスト教と関係あるとも言われてますし。 直近にこんなニュースもありました。 古墳のガラス玉 ローマ製 長岡京、「重層」で国内初 http://www.kyoto-np.co.jp/sightseeing/article/20120621000144 5世紀ぐらいにローマのガラス玉が日本に伝わってきていたという記事です。だから、伝わるだけならこのあたりまで遡っても何の不思議もないです。 ただそこからユダヤ同祖論とかそっち系に行っちゃうとあれですけどねぇ・・・・・

jjojoe
質問者

お礼

ご意見ありがとうございました。参考になりました。

  • trajaa
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回答No.1

昔から浮かんでは消え、消えては浮かぶ類の話ですなぁ。 質問文にもあるように、景教というものがある以上100%関係ないというつもりは無いが ご推薦の御本(更々読むつもりも無いけど)に書いてあるようなことは、後知恵やこじ付けが99%と思うべき。 そもそもこの質問自体、質問を装った何かのプロモーションですかね?

jjojoe
質問者

お礼

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