• 締切済み

人生について

みなさんは一生一度きりの人生、何をして過ごしたいですか?得をするような生き方、考え方ってありますか?誰しも楽しく、幸せに、やりたいように、思うように生きたいですよね。誰にでも欲望がありますから。 死ぬことは死んだ人にしかわからない、死んだときにはもう意識がなくわからない状態です。この世に存在するものを見たり感じたりできなくなります。死ぬってどういうことですか? 一回、一度しか人生を最高に旅できません、味わえません。誰にでも必ず死が待っています。死んだら、生前に自分を見ていてくれた人に記憶として残るはずです。この世に存在していた、生前はこういう人でこうだったよねと話が出ます。それだけですね。あなたは祖父、祖母に見守られているといいますが、魂?が極楽浄土に行き、そこで見守るのですか? 他に与える影響力のない凡人は平凡なまま歳をとり老後を迎えるのだと思います。

みんなの回答

noname#175120
noname#175120
回答No.5

だから毎日の日々が大切なんじゃ無いでしょうか? 今の積み重ねが人生です。 死んだ後なんて死んでから考えれば良いのです。 生きている間にいくら考えても答えの出る問いではありません。 考えるだけ無駄です。 そんなのは宗教家や哲学者に任せておけば良いのです。 こんな無駄な行為に大事な今を費やす必要は無いと考えます。

  • lv4u
  • ベストアンサー率27% (1862/6715)
回答No.4

質問者さんには、現在、日活系で公開中である映画「ファイナル・ジャッジメント」(幸福の科学出版制作)をごらんになることをお勧めします。 >>死ぬことは死んだ人にしかわからない、・・・死ぬってどういうことですか? >>あなたは祖父、祖母に見守られているといいますが、魂?が極楽浄土に行き、そこで見守るのですか? これらは、平均的日本人が宗教に対して思うセリフでしょうけど、映画の中では、 「死んだ人が喜んだり、悲しんだりするわけがない」「死んだらおしまいだ。おまえにもう会うことはない。」「目に見えないものを信じるものはバカだ!」 というようなセリフが恋人であった女性から、主人公へと投げかけられます。 主人公である鷲尾 正悟(わしお しょうご)は、大木の元での禅定により大宇宙の悟り(宇宙即我)を得た後、人々に説法を行います。もちろん上記のようなセリフに対して、悟りたるものとしての答えを出していきます。さらに、映画のラストでは、世界の人々に向けて、7分間もの長い説法シーンがあります。 こうした映画の中でのセリフは、教典「不滅の法」から引用された部分が多いわけですが、その教えは、いまだ悟りから遠い(私のような)ものからすれば、「うーん、一般の人々がこの説法を聞いてわかるかな?ばかばかしい、白々しい、あまりにも楽観主義すぎるって印象で受け入れられないのでは?」と映画を観ながら思ったのですが、霊感があって死者の霊と対話することも多い妻は、「えー?、とても簡単でわかりやすい説法だよ。誰でも聞いたらすぐ分かるよ!」なんて答えでした。 大人になっても自転車に乗れない人が、「自転車の運転なんてとても難しい。できないよ!」という発言をすることに対して子供のころから自転車に乗っている人は「簡単だよ!」と答えるのに近いかも?なんて思ったりしましたね。 ネットでの映画レビューを観ると、一般の方でも映画の説法に感動して涙を流すかたと、全く受け付けない方と大きく2分されているようです。 私も最後の説法シーンでも涙が出てきたわけですけど、素直な気持ちで映画をごらんになれば、(いろいろと突っ込みどころのあるシーンはあるけど・・・)大きな感動と質問への回答が得られると思いますよ。

noname#183780
noname#183780
回答No.3

凡人だろうが平凡な人生だろうが、自分が良い人生を送れたら、それでいいと思います。誰かが幸せと思ってる生き方が自分も幸せとも限らないです。 正直欲を言ったら、人間なので果てしなくあります。 でも現実は、代わり映えのない毎日を、小さな幸せを見つけて、楽しみながら過ごすか、 つまらないと愚痴をこぼしながら、過ごすのか、自分の考え方次第だと思います。 自分の人生だから、後悔しないように、生かすも殺すも自分です。

回答No.2

ひとつ分かった事があります。 私たちの考えられる事は、現世人の想像の範囲内であるということです。 ですから、死ぬ事・死んだ先の事を考えると訳が分からなくなって当然ですよね。 それでも人は、よりどころとして宗教の教えを信じたり、自分の解釈で良く考えようとしてみます。 私が考える一番良い生き方とは、唯一の絶対である死を意識しないほど夢中になれる何かを見つけ、それを続けていく事だと思います。 でも、人はそれがなかなか難しい・・・。 いろいろと年代毎に思いを馳せる事になります。 凡人とは全ての人を指す言葉だと思います。 何をもって人の上か? 何をもって凡人ではないか? 人の事を卑下して、自分の徳を下げる事なく、心身共に明るく生きられる様に・・・。 そんなことを心がけて自分自身に夢中になりたいものですね!!

  • ma3zu
  • ベストアンサー率27% (286/1037)
回答No.1

幸せの基準を作るのは自分自身ですからね 凡人といわれようと自分の人生平凡とは言わせない

関連するQ&A

  • この世で悲しむことで生命を磨くために生まれるの?

    人は人界と極楽浄土を行ったりきたりしています。(「輪廻のはなし」より) 極楽浄土が快適ならなぜ人界に来る? それは、死をとうして悲しみ、人に優しくなるため、と「輪廻のはなし」には書いてありました。 しかし、この世で悲しんで生命を磨いても、次に生まれたときには、記憶が消されているのだから意味がないと思います。 そのへんがよくわかりません。 この世にはどんどん新しい人が生まれています。 しかし、生まれる前の記憶があるという人はほとんどいません。 だから不思議なんです。 輪廻、解脱について、そこんとこを教えてください。

  • 全てに飽きて来たら?

    もし創造神が全てに飽きて来たらこの世とあの世と極楽浄土の全てを抹消して、永遠に存在させなくするのですか?

  • 死に対する不安

    まだ31歳ですが、死について最近怖く感じます。 それは亡くなってみないとわからないことですが、人はいつか必ず極楽浄土にみんな行けるわけじゃなくて、地獄に行くかもしれない可能性も存在するということです。 ネットで調べると地獄行きを避ける条件が余りにも厳しく、それだと亡くなればみんな地獄行きになるということを考えると安心して今後の人生生きるのが億劫です。 考え過ぎでしょうか、 それとも亡くなったら地獄での重い苦しみが待っていることを覚悟して歩まなければならない宿命を背負う運命からは人間は生きている限り逃れられない命なのですか。

  • 全てのものを抹消して存在させなくする事は煩悩?

    自分自身を含むこの世、あの世、極楽浄土の全てのもの(生き物、物資的な物など)を消滅/抹消して存在させなくする事は煩悩ですか?

  • あなたの充実した人生って何?

    まだ17歳なのですが、最近、人生について深く考えてしまい、それのお陰で毎日が全然楽しくなくなってしまいました。考えて解決したかと思うと、また考える・・・そんな繰り返しに困っています。 人生について考えることはとても重要だし、良いことだと自分でも思います。なのに、どうしてこんなに悩むのか自分でも分かりません。「どうせ死ぬなら今やっていることなんて最初から無!」という考えと、「死ぬって言ったって、今はとりあえず生きている自分しか居ない。死ぬまでやることをやり遂げる!」という2つの考えが葛藤している感じ。 そのため、そのうちこの世から去る自分が、今確実にここにいることがなぜか怖いんです。 日々の時間がアッと言う間に過ぎていって「ああ、もう終わっちゃった」と日頃感じるように、アッと言う間に死んでいる自分が想像できちゃうというか。 そんなコト考えているから毎日が楽しくない。だけど考えてしまう自分がいる。自分がイヤで仕方無いです。なんなのか自分でも分からないし、なかなか解決の道に繋がりません! そんなことを考えているうちに、大切な人を亡くした時に乗り越えられるかということまで考えています。親の死や大切な人の死、アッと言う間に来そうで本当に怖いです。「それら人生の疲れを最終的に全て癒してくれるのが自分の死」と考えたりもするのですが、そうと思えば、やはり大切な人を亡くした後の人生はやっぱりまだ見えるようで見えない・・・存在するのは確実で。 よく分からない文でごめんなさい。今、このような状態を解決できるようなお言葉を頂ければ嬉しいです。 あなたの人生対する思いを教えてください。

  • 僕の存在の意図ってなんなんでしょう

    生きるのが苦しく、いろんな宗教的思想を調べました。 どの思想にも納得がいきません。 僕らは何故存在してしまうのでしょうか。 やれ仏になる為とか・・なんでいちいち仏にならなきゃいけないんでしょうか? やれ天国に行けるとか・・そんなものの為にこんなにも苦しい思いをしなきゃいけないのか。そんな欲望のために存在するんだろうか?天国にいける?神への道?極楽浄土?ふざけないでほしい。 罪やら業やら修行やら・・・なんでいちいち経験させられるんでしょうか? 僕はどうしても根本的な要因の一方的欲望としか思えません。 そうではないんだという回答が欲しいです。 よろしくおねがいします。

  • 解脱後のヘルプミ―

    輪廻転生から解脱し、極楽浄土へと向かった後にこの世から助けを求める人(ゲームや漫画やアニメDVDが欲しい、他者にいじめられている、イラスト描きたい、建物を建設したいなど)が存在しているかもしれません。 この場合はどうしますか? 1:見ているだけ 2:下界に降りて助ける 3:既にこの世の生き物が全て絶滅しているのでどうしようもない 4:創造神に助けてもらう 5:その他

  • 仏教の教えは唯一つ

      仏教は唯一つのことを説いているのではないか。 色即是空空即是色、この世のあらゆるものは空であり、無である。 仏教が説いているのは唯これだけであり、それ以外には何も語っていないのである。 色即是空空即是色、仏教においてはこれが全てであると思っております。 仏教はあの世のことなど何一つ語っていない。 極楽浄土のこと、地獄のこと、人が死んで成仏するとかしないとかのこと、六道輪廻のこと、戒名や戒名料のこと、お題目のこと・・・等々、これらについて仏教は何一つ語っていないのである。 仏教が説いているのは唯一つのこと、色即是空空即是色である。 この世のあらゆるものは空であり、無である。 あの世のあらゆるものもまた空であり、無である。 何故ならあの世はこの世が作り出したもの、あの世とはこの世のことだからである。 故に極楽浄土は空であり、地獄は無である。 これで良いのではないか、これで何の問題もないのではないか。 私はこれで十分であると考えます。 このように考えると極楽浄土も、地獄も、成仏も、戒名も、六道輪廻も、お題目も、・・・およそ坊主の考える一切が空であり無となるのではないか。    

  • 人生とは

    最近思ったんですが、生きている上で起こる様々なことは、どんなに辛いと思っていても楽しいと思っていても、結局自分がそう思っているだけにすぎないと気付きました。 自分が楽しいと思う事をやっていても頭では空しいというだけです。 全てが幻想のこの世に、人は何のために生まれてきたのか。 よくある話だと永遠の生命を得るためだとか魂の成長だとか次世代の宇宙を作るためだとか言われてますが、そんなことを認識することは不可能です。 こんな質問してもそれこそ無意味だとは思いますが 人生についての皆様の考えをお聞かせください。

  • 魂に含まれるものは何ですか?

    魂は存在しないんじゃないかなと思っています。 しかし、もし魂が存在したらそれに含まれるものは何でしょうか? もし、自分が死んで、来世があるなら魂が転生するのでしょう。あるいは天国に行くのかもしれません。あるいは極楽浄土か? 転生するにせよ、天国に行くにせよ、それが自分でなかったら意味がないですよね。 そこで魂を構成していて、これが自分固有のものであって他人と違うものは何なのか知りたくなりました。 記憶は脳に蓄えられているようです。そうしてみると死んで脳がなくなれば失われるでしょう。 性格も脳によるものみたいです。脳手術をすると性格が変わることがあるとか。 思考能力も脳に依存しているでしょう。 魂はおそらく目が見えないと思います。魂はみえない。見えないということは光が透過するということで、光をキャッチしてとらえることができない。光の情報を受けることができない。 そうするとおそらく他の感覚も持たないのでしょう。 まとめると、記憶、思考、性格、知覚は魂に含まれないと思われます。 魂を構成するもので「これが自分だ!」というものは何なのでしょうか?