• 締切済み

死に対する不安

まだ31歳ですが、死について最近怖く感じます。 それは亡くなってみないとわからないことですが、人はいつか必ず極楽浄土にみんな行けるわけじゃなくて、地獄に行くかもしれない可能性も存在するということです。 ネットで調べると地獄行きを避ける条件が余りにも厳しく、それだと亡くなればみんな地獄行きになるということを考えると安心して今後の人生生きるのが億劫です。 考え過ぎでしょうか、 それとも亡くなったら地獄での重い苦しみが待っていることを覚悟して歩まなければならない宿命を背負う運命からは人間は生きている限り逃れられない命なのですか。

みんなの回答

  • apple1963
  • ベストアンサー率47% (8/17)
回答No.7

考えすぎです。 聖書の「マタイ伝」にて、キリストはこう言われたそうです。 「明日の事を思い煩うな。今日は今日にて足れり」 私は佛教信者ですから、佛教の考え方も少し。 鎌倉時代の日蓮聖人が、信者に書き送った手紙の一節です。 「夫れ浄土と云ふも地獄と云ふも外には候はず。ただ我等がむねの間にあり。これをさとるを仏といふ。これにまよふを凡夫と云ふ」 (「上野殿後家尼御返事」文永二 1265年) 死んだら地獄や浄土なのではなく、今が問題という事です。 それから、<人はいつか必ず極楽浄土にみんな行ける>と書かれていますが、<極楽浄土>なんて気の遠くなる彼方の浄土より、自分たちが住む大地(寂光浄土)の方がいいですね。

  • qru
  • ベストアンサー率11% (9/80)
回答No.6

これからの人生で善行をたくさん積んでいけばいいだけの話です。

  • SPROCKETER
  • ベストアンサー率26% (2030/7581)
回答No.5

天国も地獄もありませんから、気にしなくて良いと思います。人間が考えた空想に過ぎません。実際に天国や地獄に行って帰って来た人はいないからです。 死ですが、冷酷に考えると、自分自身が存在しなくなるのが死ですね。なぜ人は死ぬのかと言えば、細胞内のDNAが細胞分裂する時に両端が少し欠けるので、何度も細胞分裂を重ねるとDNAが短くなって遺伝子が足らなくなって老化し、最後は細胞分裂が止まって死ぬのが原因です。 あなただけの問題では無くて、人間は誰でも最後は死にます。気にする問題ではありません。5億5千万年前に多細胞生物に進化した時に死ぬようにDNAの構造を変えたのが原因です。単細胞生物はリング状のDNAを持っているので、完全な細胞分裂が出来る為に老化せず、病気や捕食される危険を除けば、死ぬ事もありません。多細胞生物は線上のDNAを持つので、不完全な細胞分裂しか出来ずに老化し、最後は死にます。DNAの構造上の問題で、全ての多細胞生物が同じ問題を抱えています。もし、老化現象が無かったら、人間の死に対する考え方は事故や病気と同じものだったでしょう。老化して死ぬから、今の死生観があるのだと思います。 31歳という年齢は人生の半分ぐらいですから、まだ未来がある年齢です。高齢者になるとわかりますが、後10年とか、20年とか、その程度しか生きられないのがわかって来ると、写真やビデオを大量に撮って残すようになったり、遺言を書くようになったり、自分の死を考えた行動をするようになります。死に対する恐怖心は子供時代からあるものです。気にしないで良いと思います。気になるのであれば、精神科に相談して治療を受けた方が良いかもしれませんね。

回答No.4

30代の若さでいうと 人生の中でも一番鋭い感性と知能だと思います。 そうではなく、 年とともにゆったりとゆっくりと死を迎えることとなりますので その時までその気持ちはしまっておかれるとよいかと思います。 さて、余談ですが 私は曹洞宗関連で仕事をしたことがあり、 曹洞宗開祖道元禅師さまも同じような疑問を抱かれたようです。 誰でも亡くなれば仏様になりますが 仏というのは、ある意味神様のようなもので 悪い人でも、仏になれるのであれば 修行する意味もないし、良い人でいる意味もないのでは? そんな疑問を今から800年前の人が思い、 京都のお寺をめぐり、有名僧侶を質問攻めにしても答えは見つからず ついには中国まで行かれたそうです。 その先どうなったのか? 機会がありましたら、参禅会や法話などイベントがありますでのご覧になってみてください。 宗教勧誘ではありませんが、質問の内容に一番近いものかと思います。 各宗派宗門でも修行体験もあります。 菩提寺さまに相談されてもよいかと思います。 修行しなさい!というつもりはありませんが、私よりはまともな回答が見つかるかもしれません。 私も昔、田舎の住職に聞いたことがありますが 毎晩寝るときと同じように、いつ寝たのかわからないように すーっと眠りにつくようになくなるのでしょうから その時考えたらよいですと言われた記憶があります。 確かに、 寝るのが怖くて 一日中寝ることを考えている人はいないと思います。 https://daihonzan-eiheiji.com/taiken.html

  • karawane
  • ベストアンサー率18% (211/1118)
回答No.3

[世の中には幸も不幸もない。ただ、考え方でどうにもなるのだ。 (William Shakespeare)] 私は、地獄 & 極楽からの 帰還者に会ったことがないので、畢竟、 地獄 & 極楽は、非存在であると思っております。 ただ、C国人 & K国人の関りのあることから 【因果応報】は、証明されていると 感じております。 自身の理想の死をデザインすることで、 その後の人生を有意義に過ごせるそうですので、 先ずは、アナタ様自身の超理想の死を 描いてみませんか。 手始めに、 ここでの「お礼率 0%」を 卒業しませんか。 「積善の家には必ず余慶あり。  (「易経」)」 All the Best. Adieu.

  • FattyBear
  • ベストアンサー率32% (1227/3738)
回答No.2

””ネットで調べると地獄行きを避ける条件が余りにも厳しく”” とは、それほど厳しい条件なんですか? 一般的な善良な人間であれば地獄には行かなくても良い気がします。 あなたが守れなさそうな条件とは何ですか? あるいはすでに地獄に行かねばならぬ条件を満たしているのですか?

  • mimazoku_2
  • ベストアンサー率20% (1848/8851)
回答No.1

高齢の方が良く言うのが「後悔の無い人生」を生きるように言いますね。 なので、他人に優しく、自分に厳しく、後悔しない人生を歩めれば、極楽浄土ではなくても、地獄にも行かないと思います。 「死」は誰もが知らないので、漠然と怖くなりますが、まずは、思い残さない人生や生き方を模索するのはいかがですか?

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