- 締切済み
人間の価値は何で決まる?
misokaの回答
- misoka
- ベストアンサー率35% (56/160)
No.10で回答したmisokaです。 > 世の中の「常識」や「道徳」を鵜呑みにするのでなく > 自分に対する自分のルールを持つ、ということでしょうか。 > 難しい…。 言葉足らずでした。 気持ちとしては、そんなにムズかしく、超越的なことが言いたかった わけではありません。 そもそも「自分」というものは、他人という存在を含めて はじめて成り立つものでしょうから、そういう事情も無視して 徒に独自性を求めてしまうようであったら、たいていの場合は、 「若気の至り」みたいな感じになってしまうことでしょう。 「常識」や「道徳」は、むしろ私にとって、かなり大事なものの 部類に入りますよ。 先の「回答」で私が言いたかったことというのは、 (なかなか上手に表現できないのですが) 世間的に見て些事だと思われるようなことで、その実、 大事なこと。あるいは逆に、大きなことのようだけれど、 その実、容易に代替可能なものであること。 そういうものがあるだろう、というような考えがあって 言っている感じです。 たとえば、自分という存在は、かけがえのないものですが、 それを「小さいものだ」とか「つまらないものだ」と考えて しまうような生き方をしたら、本当に価値に乏しい人生に なってしまうかもしれません。 小さいものが小さくない、とは、たとえば、こんな場合が そうなると思います。 serpent-owlさんは、本当に哲学的な眼差しで考えてらっしゃる ので、多様性ということを強調してらっしゃるかもしれませんが (そして、それが間違っているとは思いませんが)、 多様性などと言っていられないような、「ゆずれない価値」という ものもあるわけで、もし、そういう譲れないものまで譲ってしまう としたら、それはいけないことです。 小さくないものは、絶対にどうあろうと小さくないのです。 つまりは、 そういう類のことが分かっているかどうか、が 人間としての価値に関係してくるのでは? というのが 私の考えだったわけです。 こんな考えは、全然哲学的な考えではなく、むしろ、 退屈なくらい「常識」です。でも、こういう類の常識は、私は とても大事だと思うのです。人生のテーマにしてもいいくらいだと 思っています。
関連するQ&A
- 奇妙な味わいの映画ありませんか。
最近はまっている監督はラッセ・ハルストレム、アキ・カウリスマキ、レオス・カラックスなんですが。 こんな私におすすめの他の監督の映画ありませんか。 ハリウッド映画も嫌いではありません。 最近、観て良かったと思った映画では「恋愛小説家」「アザーズ」「アメリカン・ビューティ」 「ポンヌフの恋人」「ショコラ」「ラジオの時間」「ボウリング・フォー・コロンバイン」など、脚本がよい映画がすきなんですが。 ちなみにゴダールとか小津安ニ郎、溝口健二 はそれほど好きではありません。
- 締切済み
- 洋画
- 女の価値
この前ショムニというドラマの再放送を見ていましたら、「女の価値は男の数で決まる」というセリフが出てきました。ちょっと考えさせられました。 皆さんは女の価値は男の数で決まると思いますか?私は決まるとは思いません。ましてや女の価値が”男”だけで決まるとは思えません。仮に男で決まるとするなら、”数”ではなく”質”だと思います。それは「数が多くても、その中にはダメ男ばかりで幸せとは言えない人」と、「数は少ないけれど、素敵な人を見つけて幸せな家庭を築いている人」だったら、後者のほうが素敵だと思うからです。 皆さんは女の価値とは何だと思いますか? 皆さんのご意見をお聞かせいただけたらと思います。
- ベストアンサー
- アンケート
- 自分の存在価値は何で決まると思いますか?
友達と電話をしていたとき、その友達からいきなり聞かれました。 『自分の存在価値・存在理由は何だと思う?存在価値は何で決まると思う?』と。 そう聞かれたとき、答えることができませんでした。 電話を切ったあともその言葉が頭から離れず、考えています。 でも、考えれば考えるほど価値が無いんじゃないかと思えてきます。 みなさんはこの質問をされたらなんと答えますか? 私自身答えを見出したいと思っています。 人の数だけ答えはあると思いますが、意見が聞きたいです。
- 締切済み
- アンケート
- 「ハドソン川の奇跡」の映画化権
この映画を見てふと思ったのですが、小説やコミックなどが原作でないこの映画のような実話ものは映画化権が存在するのでしょうか?監督:イーストウッドやプロデューサーはどこかにお金を払って制作したのでしょうか?
- ベストアンサー
- 洋画
- 脚本のお仕事について
脚本についてですが オリジナル脚本というのは、ストーリーも筋も小説の様に 脚本家が全部一から書いたものですか? 小説とかを元に、映画の脚本化するのは オリジナルではなく、脚本様に書くという事ですか? わかりづらいかもしれないですが、例えばドラマの相棒とかは たまに一時間のドラマで、これを映画化したら、凄く素晴らしい ネタの映画に出来るという様な傑作が有り、こんな傑作の推理の筋は 何か元に小説があるのかな?不思議に為り、元の話が無いなら 脚本家というのは、一時間で消却されてしまう、ドラマで 推理小説賞が取れるようなものを書いてしまえるものなのかとわからないので質問です。 小説家は色々賞が有り、本も売れて作家先生という立場に為りますが 脚本家は一作で終わるドラマのためにいちいちオリジナルの筋を書いているのか 違うなら、原作がドラマの最後に 原作誰、監督誰と書かれていないのでよくわかりません。
- 締切済み
- ドラマ
- 脚本家の仕事について
映画やドラマの作品のテーマを決めるのは監督やプロデューサーだと思うのですが、ストーリー進行やどういう登場人物を出すか、物語のラストを考えるのは脚本家の仕事で合っていますか?
- 締切済み
- その他(映画)
- 「友達」というものを大きなテーマとしている作品
「友達」というものを大きなテーマとしている作品を探しています。 と言っても、普通の「友情もの」などではなく、 もっと深く、「友達ってなんだろう?」ということを 考えさせてくれる作品が望ましいです。 この作品を「深い」と言って良いかどうか分かりませんが、 例えば「僕は友達が少ない」という作品は、友達を作るための 部活が存在し、「そもそも友達とは何だ?何をすれば友達なのだ?」 というような(ふと考えさせられる)台詞がよく出てきます。 このような、「友達」というものの光と影にスポットライトを当てたような 作品がありましたら、教えてください。 アニメ、漫画、小説(ラノベ)、映画、ドラマ、ジャンルは問いません。
- ベストアンサー
- アニメ・声優
- 映画、ドラマ、マンガ、アニメが嫌いです。
映画、ドラマ、マンガ、アニメが嫌いです。 先日お絵描きやめたのですが、今度は以前から持っていたマンガ、アニメ、ドラマ、映画、演劇、小説への憎悪と殺意が止まりません。どれも存在自体が嫌いです。 マンガ、小説は作者出版社ごと作品を燃やしたい衝動に駆られます。アニメとドラマは役者や声優、監督脚本家を攻撃して追い詰めたり撮影現場やスタジオを襲撃することをつい考えます。映画や演劇は上映中スマホいじったり最悪舞台に火炎瓶投げ入れようかなとか考えたりします。 こういう考えを断ち切りたいと思っても今の社会、フィクションから逃れられないのでできません。 なによりそれらを好きな人やファンの存在にも敵意を向けてしまいます。いつ映画etcなんかを布教されるのか、勧められたり話をされるのかと考えるとたまったものじゃありません。 これらの憎悪のきっかけになったのが、名前は伏せますが糞でゴミみたいな作品(映画、ドラマ、マンガ、アニメ)で不快な思いをしたからだと思います。ああいう産業廃棄物のせいかもしれませんが、見たという過去は変えられません。 お絵描きだけでなくフィクションへの憎悪や妄執を断ち切るには休んで何をすればいいでしょうか。 ちなみにこの件で精神科に相談したら「あなたはおかしくありません。正常です」と医師に笑顔で言われました。
- 締切済み
- 日本映画・邦画
お礼
丁寧な回答をありがとうございました。 仰ることを自分の語彙で表現すると、それは「良心」かな、と思うのですが…。いや、むりやり言葉にする必要はないですね、きっと。