• 締切済み

更級日記

http://www.h3.dion.ne.jp/~urutora/sarasina.htm を参考にしてください。(。。) 散る花もまた来(こ)む春は見もやせむやがて別れし人ぞ悲しき 訳・・・散っていく花は、再びやってくる春には見ることもできよう。しかし、そのまま別れてしまった人(乳母)は、二度と見ることができないので、恋しくてならない。 となっていますが 「見もやせん」のところが、なぜそうなるのか疑問です。 「や」が反映されてないと思いました。 文法的に解説お願いします。

  • sagimi
  • お礼率96% (121/125)

みんなの回答

  • 31192525
  • ベストアンサー率20% (687/3432)
回答No.1

sagimiさん、こんにちは。 BA、ありがとうです。調子に乗ってもう一つだけ。。。 「遊びをせんとや生まれけむ」 「とこしへに 君にあへやも いさとなり 海の浜藻の 寄る時ときを」 のどちらかです。強調か反語か。この場合どっち? 文法的に・・・係助詞だったか、間投助詞だったか…忘れました! 現役離れて、ん十年なので(汗) 更級日記は江戸時代のロングセラー。11世紀の「女の一生」 とくに前半は抹香臭くなく今に通じる名作ですね。高校生の頃辞書片手に読んでました。 古語辞典、引きましょう。

sagimi
質問者

お礼

「遊びをせんとや生まれけむ」・・・管弦をしようと生まれてきたのだろうか これが、反語だと思いました。 ん~難しい。 反語・疑問でうまくいくと、全部反語・疑問のつもりで古文を読んできたので 反語・疑問にならず、感動になるのがどういった場合か 自分でもよく分かりません。 (文法的に判断できないとしたら、読解力に作用される) 経験を積むのみ。 回答ありがとうございました!

関連するQ&A

  • 更級日記 PART2

    【継母との別れ】    継母(ままはは)なりし人は、宮仕へせしが下りしなれば、思ひしにあらぬことどもなどありて、世の中恨めしげにて、ほかに渡るとて、五つばかりなる乳児(ちご)どもなど★して★、「☆あはれなりつる心のほどなむ、忘れむ世あるまじき」など言ひて・・・ 上の★して★って何ですか? 私は「使役」だと思いました。ちょうど漢文の「ヲシテ」みたいに。 つまり、継母が5歳の子に頼んで、主人公(菅原の女)に☆を言わせたのかと思いました。 http://www.h3.dion.ne.jp/~urutora/sarasina.htmだと 五歳ばかりの幼子を 【連れて】 別れるとき、私に「これまでやさしくしてくれたあなたの気持ちを忘れる時はないでしょう」と言って・・・ 連れる?

  • 更級日記の現代語訳をお願いします!

    更級日記の物語の部分の現代語訳の関連サイトや現代語訳を教えてください。 本文  その春、世の中いみじう騒がしうて、松里の渡りの月影あはれに見し乳母も、三月一日に亡くなりぬ。せむかたなく思ひ嘆くに、物語のゆかしさもおぼえずなりぬ。いみじく泣き暮らして見出だしたれば、夕日のいと華やかに差したるに、桜の花残りなく散り乱る。  散る花もまた来む春は見もやせむやがて別れし人ぞ恋しき  また聞けば、侍従の大納言の御むすめ、亡くなりたまひぬなり。殿の中将の思ひ嘆くなるさま、わがものの悲しき折なれば、いみじくあはれなりと聞く。上り着きたりしとき、「これ手本にせよ。」とて、この姫君の御手を取らせたりしを、「さ夜ふけて寝覚めざりせば」など書きて、「鳥辺山谷に煙の燃え立たばはかなく見えしわれと知らなむ」と、言い知らずをかしげに、めでたく書きたまへるを見て、いとど涙を添えまさる。 以上です。どうかよろしくお願い致します。

  • 更級日記について。

    更級日記を書いたのは藤原孝標女ですよね。 そこでこの更級日記は彼女にとってどんな作品だった のでしょうか。もしわかるひとがいましたら どうか教えて下さい。

  • 更級日記について

    更級日記の「物語」の現代語訳を探しています。近くに小さな図書館はあるんですが置いておらず、ネットで探しても見つからず困ってます。更科日記の他の現代語訳は見つかったのですが、どうしても「物語」を紹介しているページが見つかりません。 現代語訳を紹介しているサイトさんを知っておられたら教えてください。

  • 更級日記

    こんばんは。 中学3年生の受験生です。 「更級日記」を訳してみたのですが、結びつかない文になり困っています。そこでサイトで検索してみたのですが、探し方が悪いらしく今のところ見つかりません。 野山蘆荻の中を分くるよりほかのことなくて、武蔵と相模との中にゐて、あすだ川といふ、在五中将の「いざこと問はむ」と詠みける渡りなり、中将の集には隅田川とあり、舟にて渡りぬれば、相模エの国になりぬ。にしとみといふ所の山、絵よくかきたらむ屏風を立てならべたらむやうなり。片つ方は海、浜のさまも、寄せかへる 浪のけしきも、いみじうおもしろし。唐土が原といふ所も、砂子のいみじう白きを二三日 ゆく。「夏は大和撫子の、濃くうすく錦を引けるやうになむ咲きたる。これは秋の末なれば見えぬ」といふに、なほ所々はうちこぼれつつ、あはれげに咲きわたれり。「唐土が原に、大和撫子しも咲きけむこそ」など、人々をかしがる。 (菅原孝標女 『更級日記』 この文の訳の参考になるサイト・古典の訳し方のコツなどがありましたら教えて下さい。 一生懸命がんばり、国語を得意にしたいと思います。 すみません。よろしくお願いします。

  • おバカな勘違い【日本史編】

    日本史に関係することで、勘違いしていたことを教えてください。 自分でも他人でも、TVや書籍などで見聞きしたこと、何でも良いので、出来るだけ沢山教えてください。 例えば、 中臣鎌子は女性だと思ってた。 関が原の戦いは、17世紀だと思ってた。 ペリーはポルトガルからやって来た。 など、くだらなくてもかまいません。 出来るだけ沢山お願いします。 参考 http://www.h3.dion.ne.jp/~urutora/nennpyoupeji.htm http://www.asahi-net.or.jp/~WY6M-SKMT/nenpyo.htm http://xn--mprp13bb2a.net/001/

  • 更級日記 考察

    http://eva.genji.cc/boujin/sarasinanikki-009.htm を参考にして下さい。(5-1,2,3まであります) 長い伝説を語る作者はどこに感動したのでしょう。 初見で私が思ったのは、 主人公は「をのこ」なので、主人公に着目して むすめの言うことをきく・・・・原因 嫌だった仕事をやめ、念願の家に帰れた・・・・結果 というドラマがあるので、この一連の因果に作者は感動したのではないかと思いました。 が、 参考のURLにあるように、「因縁」とか「伝説」とかいう要素が強いようにも思います。 (しかし、原文では「因縁」とはっきり書いてあるわけではないです。) とりあえず、説として (1)優しさの見返りに感動した(寺は優しさの結晶だ~みたいな) (2)「伝説」「因縁」に感動(しかも、それが寺として残ってる) みなさんはどう思いますか。 根拠もお願いします。

  • 更級日記の概要

    「更級日記」の、父が東の国の国司となって離別する話の大体の訳(「この頃の世の人は~いみじく思い嘆かるれど、いかがはせむ」程度)をあらましくらいでもどなたか教えてください!

  • 更級日記 -門出- について

    更級日記の門出の冒頭で 「あづまじのみちのはてよりも、なほ奥つ方に生い出でたる、いかばかりかはあやしかりけむ・・・」 とありますが、やはりこれは京都から考えてですよね? でもこの中で言っているより、もっと東北もあると思ったのですが、この時代は、そこが一番辺鄙な田舎な場所だったのでしょうか?? 分かる方いたらよろしくお願いいたします。

  • 更級日記 あこがれ

    更級日記のあこがれについてです。 東路の道の果てよりも、なほ奥つ方生ひ出でたる人、いかばかりかはあやしかりけむを……の「けむ」の解釈なのですが、僕は「どれくらい不教養だったようであるのか」と過去婉曲で訳したのですが、学校では、「どれくらい不教養だったのだろうか」と過去推量で訳しています。ある参考書では「を」の上はたいてい婉曲と判断と書いてあったのですが、どちらでもいいのでしょうか?