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「ちょっと」は日本語の「曖昧(あいまい)ことば?」

「ちょっと」の各種用例に対しまして、数々の回答をいただき感謝しております。 実例1:朝礼でこんなことがありました。 「ちょっとみんな聞いてほしんだけど、ちょっとお客からのクレームがちょっと多いので ちょっと体制をちょっと見直しをしたいんだけど、ちょっと年末だし、ちょっと大変なので ちょっと来年そうそうにちょっとみんなもう一度ちょっと集まって、クレームの多さの問題点についてちょっと少なくしたいと思っているので、いまからちょっと心づもりをちょっとしておいてほしい」 実例です。作り話ではありません 実例2: 私:明日の午後二時に打ち合わせできないでしょうか? 相手:いまごろになってちょっと無理です。 実例のちょっとは全然とか全くという否定的要素になります。 しいてちょっとという日本語を英訳すれば、a little? 実例2の場合、a littele には当てはまらないし。。 ちょっとという日本語の難しさ?は反語的に使われることにあります・ ですからちょっとという日本語は話者間で、決定的な曖昧(あいまい)語、意見の相違を生みやすい。と判断しますがいかがでしょうか?

みんなの回答

回答No.2

程度を表す言葉なので曖昧になってしまうのは仕方ないと思います。 逆に考えるとこの「ちょっと」を理解できるようになれば日本語(口語)の理解も深まるのではないでしょうか。

  • ma410
  • ベストアンサー率37% (13/35)
回答No.1

うーん… そう考えると難しいですね(^_^;) たしかに「ちょっと」は曖昧だし 相違も生じやすいように感じます。 「ちょっと考えておいて」 この時、考える事への重要度はおそらく 話者>聞き手、ですよね。 あとは否定的な言葉として使う時、 和らげる要素もあるように感じます。 「ちょっと無理かな。」 って言えば、「本当はしたいんだけど」 というニュアンスが含まれる。 そう考えると「ちょっと」は 日本人ならではの言葉みたいですね(^o^) 英訳しきれない部分は しょうがないと思います。

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