• 締切済み

「保守的」という言葉の使い方について

次のような意見文がネットにありました。 その中の★「保守的」という言葉の使い方についてお伺いいたします。 ********************************* ・・・次のような指摘を、ネットで見つけました。 (例) 「より」と「から」を混同しない。 「より」を「から」の意味に使っているケースが、散見されます。「より」は、比較を表す場合に使い、起点を表す場合は、「から」を使います。 ・悪い例 A社より、当社と取引するという電話がありました。 ・よい例 A社から、当社と取引するという電話がありました。 しかし辞書を開ければ、格助詞の「より」には動作・作用の起点を表わすという記述が見つかります。この方は、どうも文法をあまりご存じないらしい。あるいは用法を狭めるべきだと主張しているように思えます。しかしそもそも、それほどまでに日本語の文法がしっかり決まっているのでしょうか。あるいは、将来的にしっかりと決めなければならないものでしょうか。 文章を修練して「美しい日本語」を目指されている方は、多くいらっしゃると思います。しかし、我流なのか、あるいは学術的な裏付けがあるのか知りませんが、もともと用例があったものを認めなくなりつつあるという★保守的な風潮を、いかがお考えでしょうか。・・・ *********************************** 【質問】 「もともと用例があったものを認めなくなりつつある」ことは「保守的」なのでしょうか。 「保守」とは、もともとあった用例をそのまま認めてその用法を守っていくことではないのでしょうか。 (「美しい日本語」について一家言をお持ちのような御方の文なのでチョッと気になりました)

noname#134290
noname#134290

みんなの回答

回答No.10

「もとの用例を認めなくなる」ということは、 「もとの形を変える」ということなんですから、 単純に「保守」と反対の行動ですよね! ところで、この内容なら、 国語のカテゴリーにお書きになった方が よろしいのではないでしょうか?

noname#134290
質問者

お礼

>国語のカテゴリーにお書きになった方が よろしいのではないでしょうか? 常識的にはそうですが、哲学部門の回答者陣に優秀な人がそろっていることと、国語カテでは得られない何かが出てくることを期待したのです。

noname#134569
noname#134569
回答No.9

お礼を拝見いたしました。ありがとうございます。 質問者様が仰るように”悪い”のではなく、むしろ文意を慎重に汲んだ上で理解する必要がある言葉のように思われます。 「保守」とはご指摘の通り”いま現在の用法用例の伝統を守っていくこと”で相違ありませんが、さらには先に申し上げた「排他(排除)」の意味も孕んでいて、質問文では後者を問うていたかと思われます。 伝統を守ろうとするために語源の「原点(原理原則)」に立ち戻り、「美しい日本語」として正当でふさわしいと捉える独りよがりな規則を自らが作り上げてしまうことによって、自ずと元々あったそれ以外の用法を認めずに排斥してしまうとの意味です。 質問者様の仰る通り、保守以外の類義語が挙げられるのでしょうね。 ただ、当初より原理主義的な信条、もしくは排斥、排他的なものを志向していたわけでもないのですから、やはり「保守的」が一番相応しいのではないかなと私は拝見しておりました。 保守や革新といった言葉は、もちろん個人の主観にも左右されるのでしょうけれども、文脈や趣旨との兼ね合いで少々のバランス感覚が求められるという、なかなかに難儀な言葉なのかもしれませんね。

noname#134290
質問者

お礼

意見文は、「従来からの伝統的用法を変えて、勝手に狭めてつかうな」と言っているんだと思います。 従来からの伝統的用法を狭めて使うということを「保守的」というのは、私は誤りだと思います。 伝統的用法をそのまま守って使うのが保守的です。 意見文は標的となっている文を「伝統を守ろうとするために語源の「原点(原理原則)」に立ち戻り、「美しい日本語」として正当でふさわしいと捉える」なんて思っていません。 むしろ文法知らずと批判しています。 「独りよがり・・・」以下は当たっていると思います。 何回ものご回答ありがとうございます。

回答No.8

>「保守」は 本来悪い意味の言葉ではありません。  必ずしも 保守的な風潮=良くない と言っているわけでもないでしょう。「このような保守的な風潮をどのように考えますか。」と言っていますね。この場合は柔軟に使うことをとがめるような保守的な風潮をどのように考えますか。と解釈すればよいのではないでしょうか。そしてもちろん、質問文の例においては悪い意味で「保守的」と言う言葉を使っているのでしょう。 >話はそれますが攘夷論はもともと保守的でしょう。 >一時の開国論を否定したから保守と言うのではなく、尊王攘夷は遥か昔からあったものですから。  そう、だから「一時代前にあったことを認めないことも保守的であると言える」と、「例として」言ったのですね。より と から については知りませんが。あくまで例ですので、、、。 そもそも「保守的」と言う言葉にマイナスイメージを持っている人にとっては「保守的」という言葉は妥当であるのではないか、と思うのですが。私は良くない印象を持っています。「保守党」という言葉については、「党」がつくぶんハクがつき(貫禄があり・正当性があるように見え)、マイナスイメージは薄れます。 それより、言わんとしている事に焦点を当てればよいのではないでしょうか。 「より」というのは、例えば文章の最後において「〇〇(名前)より。」などと書いたりもするので、実際に基点をあらわす使い方もするでしょう。「〇〇から」と最後に書くと何か変ですね。

noname#134290
質問者

お礼

たびたびのご回答ありがとうございます。 >必ずしも 保守的な風潮=良くない と言っているわけでもないでしょう。「このような保守的な風潮をどのように考えますか。」と言っていますね。 「このような保守的な風潮をどのように考えますか。」・・・これはこのような風潮を悪いと言っています。問題視してています。ネットの意見文全体を通して見てもそれは明らかです。 私の質問は ◎「もともと用例があったものを認めなくなりつつある」ことは「保守的」なのでしょうか・・・です。 ネットの人の意見に反対しているのではありません。 美しい日本語を目指している人が言葉の使い方を間違えてやいませんかということです。 今まであった用例用法の伝統を守っていくことが保守です。 それを変えて限定的に使っていくことは、保守的とは言えません。

  • heartmind
  • ベストアンサー率14% (32/226)
回答No.7

「保守的」という言葉の本来の正しい使い方を原理に基づいて 使わせたいというのは、保守的だなと思います。 言葉の概念は時代を生きる人間により変化したり広くなったり するものですので、しあまりにも頓珍漢なこと言ったら、逆に しらーとしちゃったりしますが。 言葉が保守的になる傾向は、コミュニティの体質によるものだ と思います。貴族社会などのサロン的コミュニティなどでは、 「わかるやつにわかればよい」ので、引用につぐ引用で話に 加わる為に、いっぱい勉強しないとえっとーそれなんだっけかな っていう、それこそ何の為の教養なのかって話になっちゃいます。 成熟するとそれなりの奥深い文化形成がされる一方で硬直して いくっていう皮肉がやはりそこにはひそんでいると思います。

noname#134290
質問者

お礼

ハイ、そうですね。 ご苦労様でした(^^)。

回答No.6

 知識はないので“知識の裏付け”はできません。  だから感覚での“回答”という事になると思いますが。  まずは「より」と「から」について。  辞書にあるかどうか知りませんが、情的なものを考えてみました。  「A社より」と云うばあいには、お得意先であるといった感じを含ませる事が出来るようですし、また対等かあるいは下、と言う関係で使う場合は、尊重した気持ちを表わしていると云えるでしょう。でも受け止め方によっては慇懃無礼(ちょっと言い過ぎか)な感じも含まれてしまうかとも思います。  「から」を情的にみると、得意先に対して使ったのであれば、相手を軽く見ているようでもあり、得意先に対しては不快感を与えかねません。しかし対等か「下」に使う場合はごく当たり前の表現(得に感情を入れると言った事もない)と言えます。あまり重視していないような感じもありますが。  日本人ならば、意識するしないにかかわらず「使い分けている」と云えるのではないでしょうか。  だから情的には「混同」ではないと思います。  「保守的」・・・・・については、質問者さんの受け止め方が“常識的”であると思います。  ☆この常識的見方に対して起きる反論は“視点”の違いが原因だ。  こんなふうに考えました。                     独り言(視点の違いって、気づきにくいのかなぁ)  

noname#134290
質問者

お礼

長文の回答ご苦労様でした。

回答No.5

必ずしも 「用例があったものを認めなくなりつつある=保守的な風潮である。」  と言っているわけではないと思います。 この場合の「用例があった」というのは、言葉を柔軟に用いる風潮のことですね。それを「認めなくなりつつある」というのが「保守的」と言っているのです。「原理主義的」と同じような意味で使っているのですね。  たとえば攘夷運動は、前の時代(時間)のあり方を否定して起こったものですが、それも「保守的」と言えるでしょう。これはもちろんあくまで例ですが、、、。 >「保守」とは、もともとあった用例をそのまま認めてその用法を守っていくことではないのでしょうか。 時間軸でみればそのとおりですね。しかし、質問のケースにおいては、やはり違うと思います。

noname#134290
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 ◎意見文の方は恐らくそういう意味(自己中、狭量、固陋、排他的、悪い意味の原理主義)で使っているのでしょうね。 しかしそれは正しい日本語の使い方ではないでしょうね。 「保守」は 本来悪い意味の言葉ではありません。 でなきゃ「保守党」なんて党名のつく政党ができるはずがありません。 話はそれますが攘夷論はもともと保守的でしょう。 一時の開国論を否定したから保守と言うのではなく、尊王攘夷は遥か昔からあったものですから。 長文のご回答ありがとうございました。

  • cxe28284
  • ベストアンサー率21% (932/4337)
回答No.4

「もともと用礼のあったものを認めなくなりつつある」ことは 「保守的な風潮」というよりは一方的な主張であり、日本語の表現を貧しくする風潮だとおもいます。

noname#134290
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 ◎意見文の方は恐らくそういう意味(自己中、狭量、固陋、排他的)で使っているのでしょうね。 しかしそれは正しい日本語の使い方ではないでしょうね。 「保守」は 本来悪い意味の言葉ではありません。 でなきゃ「保守党」なんて党名のつく政党ができるhずがありません。 >日本語の表現を貧しくする風潮だとおもいます。 ◎役所の通達公用文や法律用語では誤解を避けるために、わざと狭い使い方をすることがありますが、それはそれなりの効果を期待してのことです。 おっしゃる通りですね。ありがとうございました。

noname#134569
noname#134569
回答No.3

こんにちは。ご指摘の質問に回答し損なった者でもよろしいでしょうか。 こちらの質問であなたが省いた先の質問の最初の段落に「美しい日本語」「しかし、時には用例があるにもかかわらず、用法を狭めている」と記されてありましたので、「保守的」が「排他的」というおおむね似通った意味合いに通じているのではないでしょうか。

noname#134290
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 ◎意見文の方は恐らくそういう意味(自己中、狭量、固陋、排他的)で使っているのでしょうね。 しかしそれは正しい日本語の使い方ではないでしょうね。 「保守」は 本来悪い意味の言葉ではありません。 でなきゃ「保守党」なんて党名のつく政党ができるhずがありません。 ..

noname#133759
noname#133759
回答No.2

通りすがりの者です。 もともと「保守的ということ」自体には、固有の理論体系は何もないんですよ。 ですから時と場所によって異なったニュアンスを持ちうるんです。 例えば、ラディカルな保守反動主義に対しては、リベラルな保守主義はむしろ進歩主義になり、急進的な革命的社会主義に対しては自由主義や民主主義も保守的なものになるといった具合です。 ですから両者とも、ある前提に対して保守的だ、と言えば保守的になってしまうのです。

noname#134290
質問者

お礼

ありがとうございます。 ・・・ということで、本質問の「保守的」と言う言葉の使い方は、日本語としてどうなんでしょうか。

  • 1582
  • ベストアンサー率10% (293/2664)
回答No.1

自分の考えを押し通し過ちなどを認めないという 意味では保守的といえるのでは ここで保守しているのは己の考え、知識であって 正しい日本語かどうかではない

noname#134290
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 >自分の考えを押し通し過ちなどを認めないという意味 ◎意見文の方は恐らくそういう意味(自己中、狭量、固陋)で使っているのでしょうね。 しかしそれは正しい日本語の使い方ではないでしょうね。 「保守」は 本来悪い意味の言葉ではありません。 でなきゃ「保守党」なんて党名のつく政党ができるhずがありません。

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