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山本五十六はアメリカのスパイ?

sp9k9td9の回答

  • sp9k9td9
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回答No.9

山本五十六をはじめとする、一部の高級軍人がアメリカの手先だったと考えれば、 日本海軍の不可解な作戦行動が全て納得いきます。 質問者様のおっしゃる通り、山本五十六長官は、間違いなく売国奴(スパイ)です。 日米1対1の激突であれば、戦力が優勢な内にグアム、フィリッピン、モレスビー、ミッドウエイ、アリューシャン、ハワイと攻略するのが妥当だと思います。 ですが、先の大戦の場合、アメリカの主目標は欧州のドイツであり、日本の主目標は北を脅かすソ連と中国共産党、東南アジアを蹂躙する大英帝国です。 日本が取る最良の戦略は、グアム、フィリッピン、シンガポール、スマトラのパレンバンを確保し、要所全てに要塞を配置し、特にマリアナ諸島のグアム、サイパンはラバウル並みの堅固な要塞(地下20m、総延長450kmの地下要塞)とし、近海を3航戦、4航戦、戦艦部隊等で東側の守りを固めます。 戦艦大和、大型空母6隻、数十隻の補助艦艇からなる主力艦隊は、シンガポールと同盟国のマダガスカルを拠点に、思う存分インド洋を暴れまくればよいのです。そうすれば、大英帝国はインド、オーストラリア、エジプトとのシーレーンを失い、アジアから大英帝国は消滅したでしょう。ドイツはエルアラメインを落とし、中東まで攻め上がるでしょうが、最終的に勝利したかどうかは疑問です。ですが、少なくとも、日本国はひとまず安泰となり、連合国との早期和平も十分可能だったでしょう。上手くすれば勝利も十分ありえたと思います。 そうなっては困ると思ったのでしょう、遊び人の山本さんは。 山本は三国同盟に誰よりも反対し、アメリカとの開戦に最後の最後まで反対した人でした。それは、三国同盟を組み米英と戦争になれば、同盟国軍が勝利してしまい、自分が大好きな物と娯楽に溢れた楽しいアメリカが無くなるかもしれない?とでも思ったのでしょう。 いざ開戦となった時、山本は決心します。日本が負けるように尽力しようと。まず、日本がアメリカに憎まれるようにしよう、怒らせよう、主力空母部隊はなるべくこき使い、早期に消耗するようにしよう、なるべく国防圏から外れた、自軍に不利な場所で戦おう、戦力はなるべく小出しにしよう、防御力の強い大和や長門は、なるべく奥にしまっておこう、戦果、損害は隠ぺいし、陸軍をだまし続けよう、と。それが真珠湾の騙し討ち、ミッドウエイでの空母部隊の無意味な突出、ガ島、ソロモンの戦力小出し投入、マリアナ丸腰対策のラバウルの要塞化、空母搭乗員の陸上基地転用なのです。 言いたい事をあげればキリがないのですが、少なくとも、ミッドウエイの部隊配置をみれば、山本が狂っている事くらい、凡人でもわかりそうなものです。護衛不十分の空母部隊だけミッドウエイに近づけさせ、強力な主力部隊は数百キロ後方にいるんですよ?意味がわかりません。しかも、空母4隻をくっつけて行動させていました。空母は横に並べてはいけないのです。連絡は取りやすいかもしれませんが、敵機の攻撃を受けた場合、攻撃を回避しにくいので弾が当たりやすくなるのです。飛龍が助かったのは、遠く離れていたからであり、各艦バラバラで、護衛艦に前後左右固めてもらっていれば、本当は全滅などありえなかったのです。 アメリカと日本の国力差は10対1で負けるのが当然であり、山本は悲劇の将とされています。 しかし、日本の敗戦が濃厚になったのは、連戦連敗、消耗を強いられた状態で、開戦から2年経過した時点でした。 国防圏から出ないで戦力を温存、戦力の強化、シーレーンの確保だけに専念していれば、ワシントンに日章旗を立てる事は出来なくても、少なくても国土が焦土と化し、何百万もの命が失われる事は絶対に無かったでしょう。 軍令部も東条も、開戦当初は南方資源地帯確保、海上輸送の安全確保、国防圏死守であり、 国防圏から離れる事は考えていなかったとされています。 しかし、山本をはじめとする売国奴たちが、真珠湾攻撃と米豪遮断作戦で、この国防計画をご破算にしたのです。 山本はなぜこんな事をしたか?アメリカが好きだから。本当にそれだけだと思います。人が罪を犯す理由など、古今東西、老若男女、非常に下らない事ばかりです。本当に下らない理由で罪を犯すんですよね。それが国家を消滅される事だとしても。 まともなお考えを持った方がいらっしゃって私は非常にうれしいです。ありがとうございました。

Waterbay
質問者

お礼

長文のご回答を頂き恐縮です。当時の問題点を簡潔に解説して頂いたのでスッキリしました。 私も2年前の質問に続きアレコレ調べており、面白いと思う事を下記通り書き足しますので、これにも何かコメントを頂ければ幸いです。  * 墜落した時の山本五十六はいつもの白い礼服ではなく、珍しくカーキ色の略装を着用していた。  * 米国の加護の下、ブーゲンビル島から無事脱出し、新天地で天寿を全うしたのではないか。  * 墜落後発見された山本五十六(本人?)の死体や検死報告書には疑義を抱く部分が多々ある。  * ソ連と米国の思惑が合致し、米国が「真珠湾奇襲に始まる日米開戦」を計画した様である。  * その結果、ソ連は独に勝利し、米国は「ウォー」ディール政策のおかげで経済が復興した。  * 米国の「リメンバー何々」はこれまで計4回も使われた戦意高揚の常套手段である。  * 米国は戦争屋。独立当時より国土面積が倍増した訳は「戦争太り」だと揶揄されている。  * 佐藤優「日米開戦の真実」で 大川周明「米英の亜細亜侵略史」が簡潔に解説されている。 最近の日本では「国家機密法案」の議論が報道されていますが、米国では何十年後かに殆どの機密が公開される筈です。真珠湾奇襲や日米開戦に関連する文書が公開されるのは何時なんでしょう。 以上、宜しくお願い致します。

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